2 異動内々示
「高槻さん。あなたの4月からの職場は中央児童相談所の緊急対応課です。児童虐待対応業務のスーパーバイザーとして頑張ってください。」
中山課長が私にそう告げた。
児童虐待対応業務・・・スーパーバイザー・・・
私自身いろんな仕事を経験してきたが、児童虐待対応業務は未経験である。
実は「相談業務」と「虐待対応業務」は似て非なるものである。「相談」が相談者の希望によって関係性が築かれるものであるのに対し、「虐待対応」は行政が半ば一方的に介入するもの・・・警察の刑事事件に近いものであると説明すればわかりやすいかもしれない。
事実、虐待対応に従事する職員には専門の研修受講が義務付けされている。もちろん私は未受講である。虐待対応が通常の相談業務の範疇であるならば、そのようなものが存在する必然性がない。
さらに、福祉局から商工局にやってきて4年…その間に世間情勢は大きく変化している。私自身児童相談業務の経験はあるのだけれど、それは10年以上前の話である。当時の児童相談所は子どもと親に寄り添う「相談機関」だったが、今や対立前提の保護ありきの「福祉警察」と化している。誰がどう考えてもスムーズに仕事に就けるとは思えない。おまけに「スーパーバイザー」って…。業務を知らない人間がどうやって部下のフォローをやるのか…?
付け加えるとこのポジションは、休日夜間の緊急対応の指揮官の仕事が5日に1回の割合で回って来る。未経験者がどうやって指揮命令を下すのか・・・?素人目にも無理なのは明らかである。
ちなみに、公務員の人事異動にはこういう無茶振りがしばしばある。異動は転職にも匹敵するとも言われる。それにしても、あまりに無茶が過ぎないか・・・?
「課長、申し訳ありません。今のお話はお受けできません・・・というか・・・責任が持てません。」
私は中山課長に自分が思っていることを率直に伝えた。
「うーん・・・確かに高槻さんの言い分にも一理あるよね…。よっしゃ、一度人事に掛け合ってみよう。でも期待しないでね。」
中山課長との個室での会話は1時間近くに及んだ。
終業後、私は気心の知れた同僚たちと京セラドームにいた。ご贔屓のオリックスバファローズのオープン戦を見るためだった。しかしながら試合に全く集中できない。いつもならばどんどん進むビールも飲む気にすらならない。
「室長大丈夫ですか?中山課長と長時間話されていたようですけど何かありました?」
相談員の古川さんが心配して声をかけてくれた。古川さんはカウンセラーとしての確たる実績がある。おそらく何か感じるものがあったのだろう。
「古川さんありがとうございます。私は大丈夫ですから。大丈夫…」
最後は自分に言い聞かせるように返答した。
それから異動内示までの数日間は、「頑張れる」「やっぱりダメだ」・・・2つの感情がシーソーのように上がり下がりしていた。そして夜はシーソーが悪さをしてなかなか眠れない。この約10日後に出される心療内科医の診断書には、「発症日:2018年3月23日」と記されていた。すでにこの段階で心身に異常をきたしていたということになる。
日本人は
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」
・・・困難に立ち向かい、それに打ち勝つことを美徳とする人種である。この時期の私はまさにそう。いくら厳しい人事異動であっても、組織の一因として、そして大阪府民のために責務を全うしなければならない。甘えていてはいけないのだと思い込んでいた。そして少しだけ、どう考えても無理難題な異動内示が覆ることに期待していた。