13 産業医面談
暦は6月に入った。毎日のルーティンは崩れることなく続いていた。安藤先生の勧めもあり、先の上司との面談で提示された他課へ通勤することを想定した「通勤訓練」を始めた。
ネックは地下鉄だったが、体調が回復していたこともあって、想像していたよりはすんなりと最初のハードルを越えることができた。しかしながら、暗闇の中大きな音を立て、たくさんの人間を運ぶ「箱」に対する恐怖心は根深い。できるだけ隅の座席に座り、「iPod」で音楽を聴きながらやり過ごした。今でも地下鉄は苦手である。
最初はラッシュを避けて訓練を実施。他課最寄り駅まで行って帰ってくることを繰り返した。そしてラッシュ時間帯にもトライしたが、気分が悪くなって途中下車してトイレに駆け込むことが続いた。安藤先生からドクターストップがかかった。
6月下旬、本庁のストレス相談室で産業医の木村先生と面談した。面談には田村次長と直属の上司である山中課長が同席した。この面談は、まもなく病気休暇が3ヶ月に到達するのを踏まえ、「分限休職」処分をすべきかどうかを判断するものである。
「分限休職」・・・何やら大げさな言葉であるが、わかりやすく言えば、心身に故障がある者を公務に就かせることはできないので、知事の権限で休むよう言い渡すということである。実際、診断書を提出する度に交付される「辞令」には、
「休職を命ずる」
とでかでかと記されている。
木村先生との面談そのものはスムーズに進行したが、私は隣でメモを取っていた山中課長が気になって仕方がなかった。能面・・・機械的・・・そこには「感情」というものが一切感じられなかったのだ。
主治医の安藤先生の診断も踏まえ、私の分限休職の「処分」が決まった。給与は8割にカットされ、ボーナスのうち「勤勉手当」は支給の算定から外れてしまう。すなわち収入が下がることを意味していた。
月々の医療費は1万円を超え、そこへきて収入も下がる・・・経済的な不安が強くなった半面、休職になってどこかホッとした自分もいた。
ちなみに、私の病気は「公務災害」ではなく「私傷病」として扱われた。精神疾患による公務災害の認定は相当ハードルが高い。労働組合に相談したら、時効はあるが事後の請求も可能とのこと。今あれこれ負担がかかるのは治療上良くなく、私自身も対応できる自信がなかったのでそのまま進めることにした。
7月に入っても、日々のルーティンと通勤訓練はコツコツと続けた。そして8月・・・他課への通勤がほぼ問題ないレベルに達した。ただ・・・まだ京阪電車には乗れない。それどころかCMを見ただけで気分が悪くなる始末であった。これは相当根深いぞ・・・。
「京阪電車に乗れない」という事実。安藤先生は「それが病気」と結論付けたが、上司・・・特に山中課長にはどうしても理解ができなかったようで、私の詐病を疑ってあちこちに相談しまくっていたと風の噂に聞いた。
症状には個人差がある。そして健康な人、ましてや当の本人にも理解しがたいことが普通に起こるのが精神疾患の世界である。
健康な人が精神疾患について本当に理解するのは不可能・・・不本意だけれど、私はそう結論付けている。でも理解しよう、寄り添おうという姿勢は持ってほしいと思う。




