10 頼れる兄貴分
4月下旬の昼下がり。私は市内にある全国チェーンの喫茶店に出かけた。
「高槻君久しぶり。体調はどう?」
音楽仲間の新木さんがお茶に誘ってくれたのだ。
新木さん・・・私よりも6つ年上の先輩。とあるアーティストのファンの集まりを通じて知り合った男性である。ギターが上手で、時々2人でユニットを組んでライブに出演したりもする。どちらかといえば人見知りな私にとって、数少ない腹を割った話ができる人物でもある。
ライブ前には楽器をぶら下げ、「音合わせ」と称して会うのだが、身の上話でタイムオーバーになることもしばしば。そしてセットリストは当日ステージに立ってから気まぐれで決めるという破天荒。新木さんのギターのイントロが流れてきて初めて何を演奏するのかが決まる。そして演奏しながら少しずつ息を合わせる。人は「不良中年ユニット」と呼ぶが、気心が知れていて信頼関係があるからできる技でもある。
実は新木さんは職場でのトラブルからうつ病を患い、6年前に早期退職している。職種も私と近い。そして病気になった境遇も比較的良く似ている。新木さんが障害年金を申請する時、我々夫婦がサポートした。その恩義があるのだという。東京から飛んできてくれた安慶名が健康な人の代表ならば、新木さんは当事者の代表というわけだ。
「うーん・・・厳しいなぁ・・・。時々会って一緒に考えようか。大丈夫。一人やないよ。」
制度のことや上司との対応の仕方等々いろいろとアドバイスをもらった。
「一人やないよ」
何よりも心強い言葉である。
残念ながら、世間の精神疾患に対する風当たりは強い。何か奇怪な事件が起こり、被疑者が精神科通院歴があると、鬼の首を取ったみたいに囃し立てる。すると、世論は「精神疾患患者」=怖いものとインプットされてしまう。いや・・・脈々と続く精神疾患に対する偏見を強化すると表現するのが適切かもしれない。
人は目に見えないものは理解しない。例えば怪我をして松葉杖をついていたり、白杖を持って歩いていたりすると、何らかのサポートが必要と理解するが、精神疾患はごく一部の病気を除いて見た目には全くわからない。そして患者は普通に歩くししゃべるしご飯も食べる。体調が悪くなければ遊びにも行く。「病気」という固定観念と実態が脳の中でうまくリンクしないのだ。つまるところ、「触らぬ神に祟りなし」となるわけである。
「自助グループ」と呼ばれるものがある。残念ながら、当事者のことは当事者にしかわからない。大枠でいえば、同じ病気の者同士「横のつながり」を持とうという趣旨である。さらには「ピアカウンセリング」という援助技法もある。これも趣旨としては同じくである。
それからも新木さんは頻繁に私を誘い出してくれた。私にとってはこれまで以上になくてはならない大きな存在になった。




