空舞う花に願いを込めて②
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長い夏休みを終えて今日からまた学校が始まる。
夏休みには人それぞれの過ごし方があるが、自分は”読書の夏”だった。
通学に用いている自転車を田舎という立地を活かした駐輪場に止め、教室に向かう。
いつもはもう少し早く家を出ているので校内の玄関や廊下は空いているのだが、今日は多くの学生で賑わっていた。
人の群れに揉まれながらも何とか自分の下足ロッカーに辿り着く。
久しぶりに履く靴の感触を確かめていると、
「時枝、おはよう」
と、突然普段聞き覚えのない声が馴れ馴れしく絡んでくる。
その違和感を拭い切れぬままそちらを見るとそこには青木がいた。彼女も自分と同様に靴を履き替えている所のようだった。
「おはよう」
とりあえず挨拶は返す。
今まで挨拶をされたことがあっただろうか? ……いや、ない。
今まで私用で話などした事がなく、授業で数回話した程度だ。
きっかけとして唯一考えられるのは洛条モールでの一件くらいだろう。その時に自分は何かしただろうか。
こんな所で考えても結論など出るはずがないのだが、学校が始まって早々不思議な事が起こるのはやはり気持ち悪かった。
始業式の終わりは学業の再開を意味する。
それ故、明日以降は沢山の授業が控えていることなどほとんど全ての学生は理解しているが、午前中に帰宅出来るのはやはり嬉しい。
そんな気持ちを胸に帰り支度をしていると、程良く日に焼けた花山がこちらに歩いてくる。比較的白い肌の自分と比較すると余程健康的だ。
「やあ、久しぶり。どうしたんだい? 難しそうな表情をして」
「ああ。まあ、少し」
「何か困っているなら話を聞くよ」
そう言って花山は笑顔を作る。
難しい顔の原因は花山だ。なんてことを……まあ、言っても良いのだが、よくよく考えれば花山と話をするのは一か月ぶりだ。
それだったら少しくらい話をしても良いだろう。
「別に困り事がある訳じゃないが、今日少し不思議な体験をしてな」
そう言葉を発した直後、何かが引っ掛かる。
しかし、その何かが思い浮かばない。
「へえ、なんだい?」
「今朝、青木と会ったんだが、その時に挨拶されたんだ。だが、自分からすれば今までほとんど会話もした事のない人から挨拶されるのが不思議でな」
一切ふざける事なく話をしているのだが、花山は途中から笑い出す。
話を終えると、
「なるほど。確かにそれは大変だね」
と一言返ってきた。
心から大きな声で笑いたいのだろうが、教室である事を加味して声を抑えているのだろう。
自分もそこそこ恥ずかしい事を尋ねている自覚はある為、笑う花山を咎めるような事はしない。
ようやく花山が落ち着いてきた頃、
「それで、どう思う?」
と尋ねた。
「いや、別に。大したことじゃないでしょ」
まだクスクスと笑っている。
「だってさ。別に意識していなくても普通に挨拶くらいするでしょ。大方、時枝はそんなにクラスのみんなと話す方じゃないから警戒されていたんじゃないかな?」
「え! 警戒されていたのか?」
「警戒って言う言葉は少し過激かもしれないけど、ようはよくわからない奴って認識だよ」
自分はクラスではそんな認識だったのか。
「青木も今まで見てきた中で時枝は意外と普通だと感じたから今朝も挨拶したんじゃない?」
「なるほど。それなら納得だな」
まあ、あくまで推理だけどね、と花山は小さな保険を掛ける。
「でも、良かったじゃないか。クラスの他の人と話せて」
「別に自分はクラス全員と仲良くしようなんて気持ちはないが」
「いやいや」
そう言って花山は首を横に振る。そしてその後自分の目を強く見つめる。その目から察するにクイズの答えを求められているようだ。
仲良くなっておいて得する事などあっただろうか。
「じゃあ、ヒント。九月十九日には何があるでしょう?」
「九月十九日……?」
九月の中旬にある事と言えば……。
あ! あのイベントか!
「その顔は分かったっていう顔だね」
花山はニヤニヤとしながらこちらを見ている。
「体育祭、か」
「正解」
確かに体育祭は盲点だった。
花山が話しているのはその中でも最後に行われる大縄跳びの事だろう。
基本的な競技はクラスの代表を決めて出場するのだが、この大縄跳びは男女問わずクラス全員参加だ。そのため、お互いの息をしっかりと合わせる事が重要となる。
花山の仲良くなっていて損はないというのは多分この事を指しているのだろう。
「もうそんな事を考えないといけないのか」
そんな事をポツリと漏らす。
「案外一瞬でやってくるからね。だから運動部員達は必死さ」
確かにそうだろう。
花宮高校の体育祭では、 クラス別や学年別で行う競技以外にクラブ対抗リレーが存在する。やはり一位候補としては陸上部が名乗りを上げるが、サッカー部や野球部がその後を追う。
もちろん他の運動部も虎視眈々と上位の座を狙っており、この競技は体育祭の競技の中でも一、二の人気を誇っている。
「そして体育祭と言えばようやく写真部の仕事って訳さ」
写真部? ふと、運動部の隣で走る自分達の姿が思い浮かぶ。
結果は……言うまでもないだろう。
見当違いの事を考えているのだろうと推測したのだろうか、自分が尋ねる前に花山が追加で説明する。
「競技中の写真を撮るんだよ。リレーや騎馬戦、玉入れ等々。被写体がいっぱいいるじゃないか」
「勝手に撮って良いものなのか?」
「ああ、大丈夫! 僕達が撮った写真は卒業写真や学校新聞などに用いるためのものだからね。
後は、当日は個人販売用にプロのカメラマンも来るんだ。向こうは仕事で来ている訳だし話しかけるのは躊躇われるけど、それでも何か学べるかもしれないしね」
「ああ、結構前に言っていたな」
あれは……四、いや五か月前のことか。
「そうそう。折角ならどちらがより良い写真を撮れるかって気にならないかい?」
「いや、全く。そもそも相手はプロだし」
「そうなんだけどね。でも、どこまで通用するか気になるじゃないか」
この様子は……。恐らく花山は完全に負けず嫌いスイッチが入っている。この状態の時に自分の意見を出しても仕方がない。
「確かにね」
とだけ返す。
熱の入った花山は写真部にとって如何に体育祭が重要か、学校行事の時にいかに成果を上げるかが大事なのかを延々と語っている。
こうなれば、自分の仕事は花山が落ち着くまで適当に相槌を打つことだ。
「…………という訳なんだ。だから体育祭の日は頑張ろうね」
ひたすら話し続けた花山はここで話の区切りを付ける。
この隙に、
「色々と分かったよ。ありがとう」
と言い鞄を持って立ち上がる。
「あれ? もう帰るのかい?」
まだ話し足りないのか、寂しそうな目でこちらを見る。
しかし、その目を無視して話を続ける。
「ああ、明日から授業のない終業式ならまだしも今日は始業式だからな。明日に備えておかないと」
「……そうだね。じゃあ、続きは明日以降に話すとするよ」
花山も渋々納得したようだ。
まだ続くのか。反射的にそう思った事は花山には伏せておこう。
「じゃあ、また明日な」
その言葉を数人しか残っていない教室への置き土産として残し、教室を出た。
始業式終了から花山と話し込んだせいか時間も昼に近い。外に出るとそれを示すかのように真上からの日差しが頭に刺さる。
扇風機が回り、山からの風が通る教室は比較的涼しいのだが、外に一度出れば残暑の日差しが容赦なく降り注いでいる。そんな所が快適な訳がなく、瞬く間に身体から汗が噴き出る。
「まだまだ暑いな」
暑さに耐え切れず、思わず口に出る。
だが、そんな自分に見せつけるかのように涼しげな顔をしたサッカー部員達が傍を走る。
「いーち、にー、いち、に、さん、し。いーち、にー、いち、に、さん、し」
この暑い中、走るだけでさえ大変なはずだが、この暑さに臆することなく彼らはそんな掛け声とともに駆け抜けていく。
この気温にも負けず走り続けられるのは、ただただ感服するほかない。
一方で暑さに完敗した自分は、どうせこうなるのだろうと見越して持ち込んでいたタオルを取り出そうと鞄の口を開ける。
試合に負けて勝負に勝つといった感じだ。
タオルを取り出そうと手を鞄に突っ込み弄っていると、タオルとともに柔らかい感触の物を触れる。
その違和感を取り出してみる。 それは海老根の化粧ポーチだ。
花火大会の日に拾った物だが中々返せないでおり、海老根に偶々会った時にいつでも渡せるよう鞄に入れていたのを今思い出した。
それもそうだろう。あの時は何も考えていなかったが、よくよく考えたらあの場所にこの化粧ポーチが落ちていたということは東雲と二人でいた所を見られたかもしれないのだ。
別に東雲とはそういう関係ではないし潔白である為、堂々と返却してもよいのだが、やはり気が進まない。
自分が怒られる分には構わないのだが、もしかすると海老根が傷付く恐れもあると考えるとそれも避けたい。
こんな説明を羅列しているが、結局の所、海老根の事を言い訳にして落し物を返せずにいる情けない自分を忘れたくて今まで目を向けてこなかったのかもしれない。
「はぁ、どうすればいいんだ」
その声は顎先から滴り落ちる汗と同じように口から零れ落ちた。