天は二つとして与えず
1つ目と2つ目の悩み。
その悩みとは何なのだろうか。
Case1:AとCの場合。
Aは世間で「天才」と呼ばれる人種であった。
Cは世間で「秀才」と呼ばれる人種であった。
AとCは系統や方法は違うものの、同じく「優秀」であり、数少ない話が合う人同士でもあったので自然と仲良くなっていた。
そんな或る日のこと。
Aは悩んでいた。
自分は「天才」だと言われ続け、実際に他の人に比べると「才能」があるのだろう。
だからこそ。
その「才能」が限界を迎えた時、どうなるのだろうか。
Cは「努力家」だからきっと、「限界」が来ても頑張り続ける。
それが良い事かは別として、諦めることはないはずだ。
それに比べて私はどうだろうか。
今まで「死に物狂い」で頑張ったこともなければ、「越えられない壁」に出会ったこともない。
これから成長して、年が経ち、世界が勉学のみならず拡がっていったその時。
確実に限界が、壁が出てくる。
その時に自分はそれに立ち向かえるだろうか。
そして諦めた自分に、「天才」じゃない自分をCは「友達」だと思ってくれるのだろうか。
Cは悩んでいた。
そろそろ限界が来る、と。
所詮小学校や中学校では勉強と部活。
その二つさえこなしていれば…いや、こなせれば「天才」と「秀才」の差は生まれない。
100点満点での同点は同程度を表す評価ではなく、現実には「測定不能」を表してるだけだ。
でも成績処理の上では、「見かけ」では同点に思われる。
だからこれまではAと並べていた。
でもこれからはそうはいかない。
社会に出れば今からでは想像も出来ない程の「事柄」があり、それをAと同水準まで持っていくのは不可能だろう。
今は良き好敵手として、良き親友として関係は続いてるけど…
「優秀」じゃなかったらこの縁は断ち切られるのだろうか。
AとCは「親友」であったことが災いとなって、その仲の良さが仇となって、お互いの悩みを打ち明けられなかった。
お互いの考えは完全に同じ。
今の関係性が崩れるのが嫌だからこの悩みは打ち明けないでおこう。
しかし、二人は本当に「優秀」であった。
だから相手が「何か」隠してることを勘づいてしまう。
その質問を理由に険悪になるのを恐れて。
自分も隠し事があるのは同じだから。
いつかは相手が相談してくれるだろう。
そんな後ろめたさと性格、そして漫然とした希望故に勘づきはしても、それを聞くことはしなかった。
その結果、いつまで経っても状況は変化しなかった。
二人とも悩みを保持し続け、お互いがお互いに不信感を持ち続け…
そして「今」に至る。
AとCを同じ空間に縛り付けていた「それ」は終わり、お互いが罪悪感と恐怖を感じる時間になる。
AもCも拡がる分野に恐れて、徐々に疎遠になっていく。
20✕✕年、二人が会った、という知らせはまだ入ってきてない。
Case2:Bの場合。
Bは「優秀」ではあったが「天才」でも「秀才」でもなかった。
そこそこの「才能」とそこそこの「努力」を以て「優秀」となっていた。
勿論B本人からすれば「才能」はとてもあり、「努力」も限界までしていると思っていた。
しかし、世間には、何もせずに悠々自適と過ごす「才能」を余らせた天才も人生を、命を削り自身の向上を目指す「努力家」もいる。
Bはそれら…ある意味での「人外」に比べてそれらが飛び抜けている訳ではない。
だからBは常に自分の「才能」や「努力」に限界を感じ続けていた。
それでもBはあの「二人」に追い付くために自分の出来る限りの努力を積み重ね、才を磨いていった。
その結果、Bには見えてきたものがあった。
「何か」を自分の納得出来るレベル…つまり、「あの二人」に追い付くレベルまで完成させた時に得られる達成感である。
それは今まで生きてきた中で何よりも至福の物であり、まだ幼い(幼かった)Bが病みつきになるのも仕方ない物であった。
手始めに性格を。
誰からも頼られ、誰からも信頼され、誰からも尊敬される「あの二人」を超える水準で「良い性格」になろう。
そうしたら「あの二人」も…
次に勉学。
学校のテストごときじゃあ誰でも満点を取れるからそれ以上を目指さなきゃ。
誰よりも早く、誰よりも正確に。
その次は趣味を。
その次は、その次は、その次は……
そして限界は突然に。
気付けば誰もBの事を見ていなかった。
「完璧なB」という表面しか見ずに本質を見ていなかった。
みんなが見ているのはBではなく、「何でも出来る理想的なB」である。
「あの二人」は最近お互いがお互いに気を使ってるようでそれどころじゃなく。
その他の人達はそのボタンの掛け違いに気付いてすらいなかった。
正確には1人いたけど…まあそれは言わなかったから。
虚無感に苛まれたBはそこで取り繕うことを辞め、前の「少し優秀なB」に戻ろうとした。
しかし、周りからの期待を裏切れずにそのまま続き…ついには「卒業」の時間が来てしまった。
場所が変わり、「完璧なB」を誰も知らない環境に進んだBは「完璧だった」時の経験を生かしながらその環境に馴染んでいく。
周りにも素が受け入れられ…それでも「あの時期」の事は忘れない。
あの時のミス…ではなく、あの時の「選択」を誇りに、彼は今も人生を楽しんでいる。
──何かやったことが無駄になるなんてないよ。
だからといって全部完璧にする必要もないけどね。
どんな選択をしたってそれは自分の意思に基づいた選択だから、それは過ちでも過誤でもない。
全部出来る万能様なんてこの世にはいないんだから、その時々を楽しんで生きれば何も問題ないと思う。
────Bより
Case3:Dの場合
Dは全てを知っていた。
「二人」の些細だけど重大なすれ違いも、「一人」の過剰なまでの完璧主義も、全て知っていた。
このまま行けば破綻の未来も近く、そして一度できた綻びが二度と戻らないであろうということもわかっていた。
だからこそ、何もしなかった。
Dは傍観者だった。
まるで行き先を知り、悲劇を理解しながらも役者達に「不幸」を強制し続ける悪趣味な神の様に。
されどそれは本意ならず。
自分が介入したら彼らは変わってしまう。
彼女らはお互いがお互いに依存し、彼は全てを諦め壊れてしまう。
Dは「才能」もなければ「努力」もできない、そんな人だった。
Dが何処かにいる三人の様だったら全ては上手く回っていたのかもしれない。
とある人ならば、常人には思い付かない突飛な方法でそれを解決する。
とある人ならば人ならざる研鑽と研究で合理的な解決方法を提示するだろう。
とある人ならば他者から完璧に思われる理想の解決手段をもたらせるだろう。
だが、Dにはそれが出来ない。
それでも事実に、「極めた人々」の真実に触れた「一般人」は彼らに狂わされる。
どうして自分はそんなことができないんだ。
狂気に苛まれ、常人ではあり得ない悩みを抱え、そんなDは放置という結論に至る。
これから先、Dが三人の事を忘れることはないだろう。
棄てられた未来を背負い、墓標を片手にDは何処へと向かうのか。




