お兄ちゃん、コスプレイベント参戦説
ーーこれは異世界へ行ってしまった者、…ではなく現代に「残された」者の物語である。
普通な人ほど普通でないことに憧れる。普通でない人ほど普通であることに憧れる。そんなことに気づいてしまって、友人も、家族も、知ってる人も知らない人も、自分すらもつまらない人間なんだと悲しくなって目が覚めた。
望月一二三、「普通」の十七歳。そんな私に、いや、私の「お兄ちゃん」に舞い降りた普通じゃない出来事。
━━━『一二三へ。俺、異世界に行っちゃったみたい(笑)』
「…で、どんな写真が添付されてたの?」
高校の昼休み。騒がしい教室のベランダ側の窓際の席、私の前に座っている大人びた雰囲気の美少女が話半分といった様子で聞いてくる。彼女は私の幼稚園からの親友、大橋冬美だ。つい今し方お兄ちゃんが部屋から消えていた話をし終えたところだが、冬美ちゃんの表情は全く変わらない。
「冬美ちゃん信じてないでしょ!でもこの写真見たら絶対信じるよ!」
私は急いで机にかかった鞄からスマホを取り出し、今朝方お兄ちゃんから届いたシンプル過ぎるメールとそれに添付されていた写真を開く。
「ほら!見て!」
ずい、と冬美ちゃんの顔の前にスマホを突き出す。冬美ちゃんは眉間に皺を寄せてスマホを覗き込む。近過ぎてよく見えないのか、はたまたちゃんと見たいからか、一度目を伏せ、私の手からスマホを取り、再度じっくりと写真を見つめる。
「これは…。なんというか、凄いわね」
喜怒哀楽の少ない冬美ちゃんが珍しく小さく笑った。
『一二三へ。俺、異世界に行っちゃったみたい(笑)』
ふざけた文章の下に写真が添付されており、それにはなんとも頼りなさそうな薄ら笑いを浮かべてピースサインをしたお兄ちゃんが、RPGで出てくるような装備と剣を携え、しかも同様に武装した種々雑多な美女、美少女約十人に囲まれていた。
「なんていうコスプレイベントなのかしら。よくこんな美人をこんなに揃えたわね」
冬美ちゃんは私にスマホを返しながら言った。
「ホントそうだよねー。この人なんか見て!碧眼だよー?やっぱ海外の人の方がオタク文化に協力的なのかなー?カラコンかな?…ってちがーう!絶対に違うよ!これはコスプレイベントなんかじゃないよ!本当にお兄ちゃんは異世界に行っちゃたんだよ!」
私は手足をバタつかせて抗議する。子どもっぽい仕草だと自覚はあるが、他人の喜怒哀楽にも鈍感な冬美ちゃんの前ではこれぐらいオーバーな方が良いのだ。しかし冬美ちゃんは歯牙にもかけない。
「ノリツッコミお疲れ様。…確かにあなたは夢見がちなところはあるけど、こんなに突拍子もない、しかも私より零士さんの言うことを無条件に信じるなんて、どういう風の吹き回し?」
零士というのはお兄ちゃんの名前だ。
「え?今デレた?お兄ちゃんよりも私を信じなさいよ!って意味が込められてる?」
冬美ちゃんは酷く冷たい目をした。あれ?不思議。冬美ちゃんに冷たくされてむしろ嬉しいぞ?
「私はあなた達兄妹の間にそんなに厚い信頼があったかと疑問に思っただけよ」
冬美ちゃんは顔色一つ変えずにそう言った。確かに、私とお兄ちゃんは仲は良いかもしれないが、信頼という言葉は似つかわしくない。なんというか、お互いにお互いの事を出し抜こうと必死で、幼い頃から知略の応酬、謀略をめぐらせてはお菓子やテレビのチャンネルの奪い合いをしているのでむしろ信頼という言葉からはかけ離れている。リアルな兄妹とはこんなものだ。
「ククク…。さすが冬美ちゃんだね。そう、私にはお兄ちゃんが異世界に行っていて欲しい理由が別にあるのよ…。」
私は黒幕風に言った。
「そう!私はお兄ちゃんが異世界に行った方法を解明して、私もイケメンと美少女だらけで食っちゃ寝してるだけで褒められる私がモテモテの世界に行くのだ!」
そして受験とか就職とか煩わしいことを全力回避したい。切実に。
「…ちょっとでも零士さんを助けに行くためなんじゃないかと予想した私が馬鹿だったわ」
冬美ちゃんは呆れた様子だ。
「ああ、ナイナイ。全然ない。そりゃあ恩を売っておくのも手だけど、こんなに綺麗な人ばっかの世界から現代社会に連れ戻したら恩を感じるどころかお兄ちゃんはむしろ怒るよ」
私だったら怒る。多分、私やお兄ちゃんじゃなくても怒るんじゃないかな。
「じゃああなたもあわよくば異世界に行きたいのね?」
冬美ちゃんの発言に大きく頷く。
「あわよくばどころか、とても行きたいです」
「じゃあ一緒の大学に行きたいと思ってる私はどうなるの?」
冬美ちゃんがデレた!今度こそハッキリくっきりデレた!
「え!冬美ちゃんがそんなこと思ってくれてるなんて知らなかった…。でも、冬美ちゃんは私より頭良いし、大学まで私にレベルを合わせられたら申し訳ないよ。やっぱり自分のやりたい分野の学部がある大学を選ぶべきだよ…」
冬美ちゃんの珍しいデレについしどろもどろになってしまう。しかし今言ったことは本心だ。もっと上の高校も入れたのに冬美ちゃんは私と同じ高校を選んだ。高校はまだしも大学となるとその先の人生にも影響してくるので私の一存では決められない。
「…今のは冗談よ。こうでも言わないとあなたは進路のことを考えないでしょ?私たちも二年生になったんだから、異世界なんて冗談言ってないで卒業後のこと考えなきゃ」
「謀ったなっ!」
しかしぐうの音も出ない正論だった。高校二年生となり、もう志望校や少なくとも行きたい学部を決め始めている人も少なくない。しかし私は未だに進学か就職かすら決めていない。
うーん、と唸っていると教室に褐色の女の子が入ってきた。ショートカットで中世的な顔立ちとそれに似合わぬ紳士的な振る舞いから、我が校の王と呼び声高い早川穂高だ。ちなみに何故「王子」じゃなくて「王」なのかというと、日焼け具合的に白馬に乗った王子様というより中東の王族や石油王っぽいかららしい。
「穂高っち!助けて!冬美ちゃんから言葉責めに遭ってるの!」
すかさず穂高っちに助けを求める。穂高っちは「ええっ!?」と某一家の婿養子ばりに驚いて私たちの元へ駆けつけた。
「コトバゼメってナニ?何かわかんないけど、いっちーが嬉しそうな顔をしてふーみんが嫌そうな顔をしてるよ!」
「おっと、本当に言葉責めされたことを想像してついにやけてしまった」
穂高っちは本当にピュアでお人よしだなー。でも天然過ぎて何か残念なんだよなー。てかいっちーってなんだよ。そこはひふみんじゃないのかよ。あ、それだと冬美のふーみんと判別しづらいからか。
「私は時間を無駄にするなと指摘しただけよ。それよりあのメールと写真を穂高にも見せてあげたら?穂高の意見を聞きましょ」
冬美ちゃんの言葉の節々からは面倒くささが溢れ出ている。穂高っちに私を押し付けるか、早くこの話題を切り上げたさそうだ。こっちは身内が異世界に行ってしまったかもしれないという状況なのに!
「何?見せてー。…あははっ。この真ん中にいるのいっちーのお兄さん?…懐かしい。凄い綺麗な人たちに囲まれてるねー」
穂高っちはお兄ちゃんとは二、三回しか会ったことがない。なぜなら穂高っちから溢れ出るイケメン&リア充オーラかつ非オタ属性がお兄ちゃんの苦手な部類のようで、極力遭遇するのを避けている様子だった。
ちなみに冬美ちゃんはオタクトークになんだかんだついてきてくれるので今はもうお兄ちゃんの拒否人物リストから外れたようだ。まあ未だにお互いを友達だと認識していないところが冷酷な冬美ちゃんとコミュ障のお兄ちゃんらしい。
「穂高はこの写真、どう思う?コスプレイベントか、合成だと思わない?」
冬美ちゃんの言葉に穂高っちはうーん、と首をかしげた。
「あ、コスプレイベント説は否定出来るかも!まずコミュ障のうちのお兄ちゃんがこんなに綺麗な人たちと仲良くなれるはずがないです!」
穂高っちへの質問を遮り私は元気よく手を挙げ答えた。一瞬教室中から視線を集めるがすぐさまその視線はなくなる。女子高なんてこんなもんだ。
「確かに零士さんは絶望的なコミュ障だけど、だったら同じく人型をした異世界人に対してもコミュ障を発揮するんじゃない?つまりこの写真はコスプレイベント説よりも合成画像説の方が濃厚になっただけね」
「お兄ちゃんは現代人に対してコミュ障なだけだよ!だから時代物エロゲーを初見プレイで完璧な選択肢を選び続けるという奇跡を起こしたこともあるし、好きなタイプは未来人か人外って言ってたよ!」
どうだと言わんばかりに胸を張る。しかし冬美ちゃんはため息を吐いた。
「大きな声で自分のお兄さんの性癖を暴露しないの。それにあなたの発言は零士さんのコミュ障を強調しただけで異世界人となら仲良くなれることの証明にはなってないわ」
なんて理屈っぽいんだ!女の子なら、もっと、こう、言葉のキャッチボールを楽しんでいこうよ!「そだねー」とか言ってお菓子モグモグしてようよ!ノリと雰囲気といのち大事に!議論とか論破とか証明とか、そういう世界から離れようよ!だから冬美ちゃんは友達が少ないんだよ!…という言葉は全て飲み込んだ。
「じゃあ合成画像説を否定します!うちのお兄ちゃんにそんな技術はない」
「わからないじゃない。零士さんがあなたの知らない間に画像加工技術を学んだのかもしれないし、別の誰かに頼んだということもありえるわ」
だとしたら動機はなんだろう。会社を休むための言い訳?誰かから隠れるため?仮にそうだとして、わざわざ写真を合成するならもうちょっと信憑性がある、例えば自分が事故に遭ってる写真とかを作るだろう。
考えあぐねていると穂高っちが口を開いた。
「コスプレイベントってどんな感じかわかんないけど、こんなにだだっ広い荒野でやるものなのかな?イメージだとどっかの施設や建物に集まって撮るものじゃないのかな」
穂高っちに指摘されハッとなった。つい、格好やメンツに目が行ってしまっていたが、この写真が撮られた場所はどこかの荒野の様だった。乾いた赤土とまばらに生えている草からはグランドキャニオンやエアーズロックを彷彿とさせ、日本のようには見えなかった。
「私もコスプレイベントには詳しくはないけど、確かにこの場所には違和感を感じるわね。まあどこか海外旅行に行ったときに撮った写真だったり、合成説も捨てきれないけどね」
多少は折れたが冬美ちゃんは頑なに否定し続ける。ここまで否定され続けたら逆に怪しい。冬美ちゃんは何かを隠しているのか?
「まあまあ。お兄さんが異世界に行ったって言うなら信じてあげようよ。なんでも疑ってかかって家族のことまで信じてあげられないなんて寂しいよ」
なんて心が清いんだ穂高っち…。お兄ちゃん、あなたが拒絶した人物が今やあなたのことを一番信じてくれていますよ。
「今の聞いたかい冬美ちゃん。少しはその冷酷さも見直した方がいいんじゃないかい?」
私はふふんと鼻を鳴らした。
「…それもそうね。何かの事件に巻き込まれてカモフラージュのために送られた写真の可能性もなくはないけど、零士さんなんてこの世からいなくなっても大して困らないものね。黙って信じてみてもいいんじゃない?」
なんて嫌な言い方をするんだ冬美ちゃん!流石にちょっと不安になっちゃったじゃん!
「まあ、お兄さんも大人なんだし一日いなくなったくらいで大騒ぎし過ぎだよ。明日にでもひょっこり帰ってくるかもしれないし、また連絡が来るのを待ってみようよ。いっちーはお兄さんが本当に異世界に行って色々困ってないか心配しかもしれないけど、今は待つしか出来ないよ」
穂高っちは両眉端を下げて私の肩に手を添えた。
「コイツに穂高の百分の一も善良な心はないわ。ただの私利私欲にまみれた馬鹿だから穂高はコイツに気を遣わなくていいのよ」
酷い!いくら事実とはいえ歯に衣着せぬとはまさにこのこと!しかもコイツって二回も言った!
「失敬なっ!私だって百分の一くらいは持ち合わせてるわ!」
「じゃあ本当の動機を言ってもいいの?穂高、コイツはイケメ…」
慌てて冬美ちゃんの口を手で覆う。
「すみませんでした。勘弁してください」
そうこうしているうちに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。結局話は少しも前に進まず、ただお兄ちゃんの連絡を待つしかなかった。