第170話 刺客
朝日が昇り始め辺りが明るくなり始める。
頬を伝う汗、アルラに起こされた思い出の大樹の幹に向かって何度も剣を振る。
魔力を溜めて放つ、この感覚を掴んでから早一ヶ月、課題は山積みのままだった。
筋トレは勿論、魔力を溜めて放つ、この事に意識を集中させ過ぎて動きが止まってしまう……戦闘ではまだ全然使えない状態だった。
「少し……休憩するか」
包帯を巻いた掌には血が滲む、痛みすら忘れる程訓練に熱中していた様だった。
だが……まだ足りない、今の力ではウルスどころか守護者補佐の足元にすら及ばない、焦りが募っていた。
ふと空を見上げるとまだ日が明け切っていない青白い空が広がる、雲一つない空……空を見上げたのはいつ以来だろうか。
ふと会社時代の事を思い出した。
部下に裏切られる前、俺は今と同じ様な状態だったかも知れない。
昇進を目指して脇目も振らずに仕事に取り組んでいた、家族や友人全てを捨て……ただ周りを見返したい、その一心で、今思えばその先に何があったのか……分からない。
今もウルスを倒したとしても他の部下が戻って来るとは限らない……皆んなウルスの考えに賛同して裏切った筈、そうだとするのなら今の俺がやっている事はただの自己満足なのでは無いのだろうか。
不安がこみ上げてくる……全てを投げ捨てて、平穏に暮らしたい気持ちが何処かにあった。
以前の……アルセリスならこんな考えにもならないのだろう。
「俺ってやつは……とことん弱いな」
腕を目に当てて視界を塞ぐ、平穏に暮らす……論外な行為だ。
俺はアルラやユーリ、リカにオーフェン、皆んなの命を預かって走り始め筈……此処で逃げ出してしまえば確かに楽だ、だが永遠と罪悪感が付き纏う……それに、本当の仲間を失ってしまう、そんなのは御免だった。
「ネガティブな思考はこれで終わりだな……再開するか」
頬を叩き気合を入れ直す、そして剣を再び幹に打ち付けようとしたその時、寒気を感じた。
「リカか?」
呼び掛けて見るが応答は無い、辺りを警戒した。
寒気を感じたのにリカでは無いとなると考えられる可能性は敵襲、彼女に返事を返さない理由は無い……もしかすると返せない理由でもあるのだろうか。
以前はサーチの魔法で炙り出せたのだが……無い物ねだりをしても意味は無い、神経を集中させた。
幸いこの場所は高い丘の上、木の幹以外に障害物となる物はなく見晴らしは良い、だがそれでも見つけられないとなると……
「隠密魔法か」
「ご名とーう!」
背後でいきなり声がする、反応して対応出来る程に遠い距離では無い……真後ろ、死を覚悟した。
「少し殺気を出しただけで気付けるなんて流石だね」
攻撃が来ない……
「でもおかしいな、話しに聞いてた程の強さは君から感じないけど」
一人で喋り続ける、声質的に女性だろうか。
「何者だ」
背後を向いた瞬間殺される、そんな気がして振り向けなかった。
「私はそうだね……刺客とでも言っとこうかな?」
刺客……心当たりはウルスかシャルティン、絞れてもどちらかの刺客か全く見当が付かなかった。
だがどちらの刺客にせよ、攻撃して来ないのが不思議でならなかった。
「ねー、暇だし戦おうよ」
そう言い首元程まで伸びた白髪の可愛らしい少女が隼人の前に顔を覗かせる、全く彼女の意図が分からなかった。
だが、抵抗するチャンスが出来たのは確かだった。
「一体何が目的なんだよ」
剣を構え少女から視線を外さない様に距離を取っていく、何処か掴め無い少女だった。
「目的は内緒かなー、でも私を倒せたら教えてあげる」
そう言い少女は辺り一体に異空間を出現させると無数の剣を地面に向かって召喚し、突き刺した。
夥しい数の剣、優に百本は超えている……その光景に思わず呆気を取られた。
空間魔法、魔力が無い今では一つ開ける事すら出来ない、アルセリスの時は異空間に閉まっていた武器を取り出したりして居たがあの魔法は簡単に見えてかなり魔力を使う、それを一度にあれだけの数……それは彼女が魔力だけで言えば守護者以上、下手すればウルスレベルと言う事を証明していた。
「さてと、準備は整ったね、それと邪魔が来ないように辺り一体に空間魔法で外部と遮断しといたから思う存分に戦えるよ」
そう言い笑みを見せる少女、アルラ達の助けも望めないとなれば……絶望だった。
漫画の様な覚醒が起こったとしても勝てる相手では無い……スライムがLv.99の勇者に虐められる様なもの、秒で終わる戦いだった。
怖い……死ぬかも知れない、だが剣を下げる事はなかった。
諦めなければ何とかなる……そんな少年漫画の様な淡い希望を抱いて正気を保っていた。
「……やってやるよ」
「そう来なくっちゃ」
少女は楽しそうな表情になる、まずは出方を伺うのも兼ねて威力の無い小規模な斬撃を飛ばす、そして最初の瞬きをした瞬間、少女はその場から消えていた。
「瞬き厳禁とか無理ゲーだろ……」
あまりの理不尽さに笑ってしまった。
「私は此処だよー?」
背後で声がする、急いで後ろを振り向いても少女の姿は無かった。
「ほらほらー」
また背後で、振り向きながら剣を振るが剣は空を切る、だが空を切った筈の剣にずっしりと重みを感じた。
「な……剣が重く?」
「重いとか失礼だなー」
剣の先に爪先で立つ少女、動きが全く見えなかった。
瞬きした時にはもう居ない、それの繰り返し……勝てる勝てない以前の問題だった。
格が違い過ぎる、未来でも見えない限りは勝ち目なんて……
「ん……未来?」
少し勝ち筋……とも言い難いが一矢報いる案を思い付いた。
未来を見る事は不可能だが予測をする事は可能、相手も実体がない訳ではない、予測して攻撃をする……これを繰り返せば一太刀は浴びせられるかも知れなかった。
幸いにも攻撃する気配は無い、ならば此方から行かせてもらうだけだった。
「おっ、何か思い付いたのかな」
隼人の表情を見て少女が何かを察する、そして再び姿を消した。
隠密魔法と何かを組み合わせているのかどうかは分からないが先程から彼女は背後に現れる傾向がある……だがそれで背後を攻撃しても恐らく当たらない、虚をつくには……
「真っ正面!!」
バレない様に少しずつ溜めていた剣の魔力を正面方向に撃ち放つ、だが斬撃は空間魔法で仕切られた壁に当たり消滅した。
「んー、残念」
そう言い地面に刺された剣の柄に足を乗せしゃがむ少女、読みは完全に外れていた。
斬撃を放ったのが正面、少女が現れたのは隼人の右方向……理不尽な強さだった。
「話しに聞いてたより弱いしもう良いやー、脅威になるなら殺せって言われたけどその価値無いし……あーあ、フィールド用意して損した」
そう言い少女は指を鳴らすと辺りの剣が一瞬にして消える、殺す価値が無い……これ以上に無い侮辱の言葉、だが今の俺には見逃して貰える、これ以上無くラッキーな状況だった。
「それじゃあ……また会おうね、隼人」
そう言い少女は名も名乗らずに消えた。
「助かった……のか」
少女の気配が完全に消え、安心した瞬間、膝から崩れ落ちる……死の恐怖を感じたのは冥王以来、こうも早く二度目を感じるとは思わなかった。
だが成果もあった、少しずつなら動きながらでも魔力を溜めれると言う事、そして予測……あの少女はよく分からないが結果的に良い訓練だった。
恐らく予測に関しては実践を通さないと分からなかった……皮肉にもあの少女に少し強くして貰ったと言う訳だった。
「……とは言え、まだまだ弱い……訓練あるのみか」
そう言い隼人は再び剣を握った。