今日からぞんび 第4話
とある昼下がり、俺は近所に住む少女、マーサと昼食に行こうとしていたところ、おかしな女兵士に呼び止められた。
「おい貴様だ貴様、とぼけても無駄だ、ここにはお前達しかいないだろう」
一体何だというのだ。
俺はマーサと昼食に行く途中だったというだけなのに。
この間の事件の事もある、恐らくこのロッシも過去に悪い事はしているのだろうが、どうもそれを糾弾されている訳ではないようだ。
「……なんでしょうか、僕達はこれから昼食に向かう所なのですが」
「私は商業区警備隊、第14隊隊長のアネット・ブラウンだ。
お前さっき他人の家の屋根に登って怪しい動きをしていたな? 今度は何だ、その少女をどうするつもりだ?」
「……すいません、天気が良かったので日向ぼっこをしていただけです。この子は知り合いで、これから一緒に昼食に行くところです」
警備隊の隊長が何故一人でこんなところをウロウロしているのか。
そっちの方が気になったが、あまり話を長引かせたくはない相手だ。
屋根にいたのを見られていたとなると、下手に嘘を付いて藪蛇になってもマズイ、まずはありのままを話そう。
「お前はスラムの人間だろう? だがおかしいな、そんな感じがしないぞ。
とにかく一緒に詰め所に来てもらおうか。貴様の身元が分かれば解放してやる」
「ちょ、横暴じゃないですか? 俺の家はあっちにあります、俺はここの住人ですよ。
マーサとも知り合いです、そうだよな?」
「うん、ローシーはマーサが大好きです、マーサもローシーがだ……大好きです!」
「ちょ!」
軽い感じでマーサに話を振った所、これが大暴投であったことを直後に思い知らされる。
「その子は……貴様……やはり人さらいの類か、最近この辺りで行商人が行方不明になる事件が連続して起きている。
貴様、なにか知っているな?」
その様子がアネットには、障害持ちの少女を誘拐しようとしている不審者として映ったのだろう。
そしてその後は完全にブラフではあると思うが、あまりにも本質を突いた発言に一瞬言葉が詰まる。
こうなるともうアネットは俺達から疑いの目を外す事は無いだろう。
どうでもいい内容から一転して大ピンチである。
「さあ抵抗せずに付いてこい」
アネットはそう言って剣を抜いてこちらに突き付けた。
マーサが怯えて俺の後ろに隠れる。
これを見て俺が誘拐犯だなどとは言いがかりも甚だしいのだが、正論を言ったところで通じないのだろうな……
「マーサ、ちょっと予定変更だ、俺の言うことをよく聞いて……できるね?」
俺の後ろに隠れて服の裾を掴んでいるマーサに優しく、できるだけ簡潔に語りかける。
マーサは俺の言葉に、何度もうんうんと頷いた。
―――― アネット・ブラウン
よし、やった。
独自に調査を初めて一週間、とうとう手がかりを掴んだ。
この目の前にいる冴えない男が、最近頻発している行方不明事件の手がかりになる可能性は高い。
そうでなくともスラムに住んでいる割には言動が丁寧だし、不審者には違いない、調べればなにか出てくるはずだ。
これで馬鹿な部下共も私の事を見直すだろう。
平民出のぼんくら共が、幼い頃から武芸や政治学を学んだ私とは比べ物にならんという事を思い知るが良い。
確かに旅の行商人など何人いなくなろうが知ったことではないが、問題はこの事件が国王陛下のお膝元で起きているという事だ。
なのにあいつらは、スラムに手を出すと後が怖いなどと……情けない、リカオンの治安を守る者として情けない限りだ。
それなのに何故私が女だと言うだけで軽い扱いを受けねばならぬ。
実力、志、どれを取っても連中なぞ足元にも及ばないというのに……
ああくそ、腹立たしい!
私が若いのを良いことに、やれ一人では出歩くなだの、やれあれはするなこれはするな……
隊長は私だぞ、平民出のボンクラ共は私の命令に従っていれば良いのだ!
だがしかし、これで父上にも面目が立つ。
これで上手く事件が解決すれば、私の実力も知れ渡る事だろう。
そうすれば行く行くはホワイトパレス勤務だ、そうなれば私の人生も安泰だ。
脂ぎった商人の妻になど誰がなるか、私は絶対に這い上がってみせるぞ。
……しかしあの男、どこまで行くつもりだ、もうずいぶんと奥まで来たが。
さらわれたと思われる男の所在を知っていると言っていたが、まさか騙されたのか?
この辺は下水道の清掃口がある辺りか、こんな重要な場所がスラムに飲み込まれているとはな、嘆かわしい。
まあ私は商業区警備隊長、そして栄えあるブラウン家の4女だ、いくら無法者とてそう安々と無体は出来まいよ。
いざとなれば笛を吹けば近くにいる他の団員が来るだろう。
「……ここです、この小屋の中です」
「ああ、確認する、開けてくれ」
「少々お待ち下さい」
先程の男が、商人が捉えられているという小屋まで案内してくれた。
順調ではあるがさて、ここからが本番だ……
小屋の扉が開け放たれ、男が中を覗き込む。
その瞬間だった。
「へいしさん、たすけて! たすけてください!」
男の隣りにいた少女がこちらに走ってくる。
どういう事だ? 突然の事に私は軽く動揺する。
しかし何のことはない、当初の予想通り、あの少女はあの男に脅されていたのだろう。
男から開放されたから私のもとに保護を求めてきたのだ。
少女が私のもとに来ると、私の体に抱きついた。
余程怖かったのだな、大丈夫だ、これからあの男をひっ捕らえて今までの悪事を暴いてやろう。
そう考え、私は腰の剣を抜こうとしたが……抜けない何故だ?
少々慌てながらも腰に下げた剣に目をやると、何と先程の少女が私の剣に体を押し付けてしがみついているではないか。
「おいっ、こら、待て、落ち着け、剣が抜けぬ、離れろ」
少女が剣を抱き込んで私の腰にしがみつき、剣が抜けない。
その間にも男は小屋の中から何か拾い上げるような動作をし、ゆっくりとこちらに振り返った。
その手には、いつの間にか短弓が握られてる。
男はゆっくりとした動作で短弓に矢をつがえ、引き絞ると同時にこちらに矢先を向けた。
「……馬鹿な」
この時になって私はようやく自分の失策に思い至る。
この少女はあの男が怖くてこちらに来たのではない、最初から私の動きを封じる為に来たのだ。
しかしもはや遅い、今からこの少女を蹴り飛ばしたとしても、恐らく間に合わないだろう。
最初の攻撃を外してくれることを祈るしか無い。
だが……ははは、どうだ、やはり私のカンは正しかった。
あの男だ、あの男こそが、この事件の鍵を握っているのだ。
どうだボンクラ共め、貴様らのような頭の悪い連中には、こんな推理はできないだろう――
私は男の手から矢が放たれる様子を見ながら、緊急時用の笛に手を伸ばし……
そしてそこで光が途切れた。
―――― サカキ(ロッシ)
上手くいった。
偶然ながらも俺の秘密に近づきつつあったあの女兵士を、このまま帰す訳にはいかなかった。
幸運だったのは、何を考えての事か分からないが、こちらのテリトリーにノコノコと付いてきた事だ。
相当腕に自信があったのだろうか。
マーサに足止めをしてもらわなかったら、あるいは躱されていたのかもしれない。
一度躱されれば次の矢を拾い上げる前に斬られるだろう、本当にギリギリだった。
カザクの家の近くに、ロッシが獲物を保管するために作った小屋がある。
いつも弓矢をそこに置いてあるため、ここまで誘導できるかが最大のポイントだった。
結果オーライだが、こんな冒険は二度と御免こうむりたい。
「は、はわ……あわわ……」
眉間を一撃で貫かれ絶命した女兵士を見て、マーサが腰を抜かしている。
そうだ、こっちのケアもしておかないといけないんだったな……
――殺してしまおうか。
とも一瞬思ったが、マーサはまだ俺に従順だ、言いくるめる事は可能だろう。
ここで死体を増やしてもリスクが増えるだけだし、何よりやっと増えた手数が減るのは痛い。
従順であるうちは手元に置いておくべきだ。
「マーサ、大丈夫か?」
俺はマーサに駆け寄り、その体を抱き上げる。
その体は小刻みに震えているが、俺を拒絶する動きは無かった。
「とりあえずこいつを隠す、手伝ってくれ」
俺の言葉に、マーサは何度も首を縦に振った。
アネットの死体を物置小屋に入れ、傷口の処理をする。
今回は眉間を貫いていた為、血はそこまで出なかった。
矢を途中で折って、布を巻いていく……
しかしこのアネットという女兵士、なかなか見目は良い。
少なくともスラムを一人で調査しに来るような人間には見えないのだが、一体どうしてあんな事になったのだろうか……
確か隊長とか言ってなかったか?
隊長自ら一人でこんなところに来るなんて、どういう状況だよ……
アネットの死体を横たえ、俺はその隣に座る。
とりあえずここで夜になるのを待って、死体を処理せねばならない。
明日になれば捜索隊が出る可能性があるからだ。
この女性は兵士、しかも言っていた事が本当ならそれなりに地位が有る兵士だ。
最悪の場合、魔術師が投入される可能性すらある。
「やれやれ、厄介な事になったな……」
既にこの体になってから一週間近くになる。
なので今はいつ殺されてもとりあえずは問題ない……のだが、やはりこの憑依の力は計画的に使いたい。
「魔術師にわざと殺されるという手もあるな」
魔術師はこの国ではかなり高い地位にいる存在だ。
その存在になれれば、大きな力と権力を簡単に手に入れる事が出来るだろう。
だが問題もある。
魔術師になった後に、怪しまれないよう振る舞えるかという点だ。
王に近づけば近づくほど、恐らく警備も厳重になっていくだろう。
魔術師という存在をロクに理解しないままそれになってしまえば、簡単にボロを出して要らぬ警戒を招いてしまう事もありえる。
「自由に動ける一般人か、王に近づける身分の高い人間か……難しいところだな」
一般人の身分であっても強力な力さえ手に入れてしまえば、やりようによっては王を暗殺することもできるだろう。
そして俺に備わっているもう一つの能力が、それを成し得る可能性があるのだ。
「(確か脳を食うんだっけ……)」
人間の脳。
それ自体は記憶の中に曖昧に浮かんでくる。
決して気持ちの良いものではないはずだが、そこまでの忌避感は湧いてこなかった。
記憶が無いからだろうか、それとも、自分がこんな体になってしまった事と関係があるのだろうか。
俺は一つだけため息をついてから、隣で体育座りをしながら震えているマーサを見る。
流石に死体と一緒にいるのは落ち着かないのだろう。
「マーサ、そろそろ日が暮れる、この死体は俺が片付けるから、お前は家に帰れ。ただし今日の事は誰にも言うなよ?」
マーサの頭をなでながら普段と同様に声を掛けると、マーサは首をフルフルと振る。
「マーサもいる、せきにんあるから、いる、おてつだいする」
今にも泣きそうな声音だというのに、頑として動こうとしない。
責任とは何だろうか、この女兵士を殺す手伝いをしてしまったという自責の念か。
一度俺に加担した以上は、最後まで見届けようという事だろうか。
頭の弱い少女だと思っていたが、なかなかに骨のある事だ。
だがさすがにこれから俺がしようとしている事を見たらそうも言っていられないだろう。
パニックになって、最悪大騒ぎするのが目に見えている。いてもらっては困るのだ。
「マーサ、死体処理は大変だぞ、刻んでバラバラにして下水に捨てるんだ、血だらけになるし、臭いし、ドロドロのゲロゲロだぞ。
悪いことは言わないから家に帰っているんだ」
「いる、マーサも手伝う」
しかし俺の予想に反して、いくら脅しても宥めすかしても、マーサは一向にそこを動こうとしなかった。
そうしている間に辺りも暗くなり、夜が訪れる。
街灯など無いこの町では、日が落ちれば殆どの場所は真っ暗だ。
特にスラム街では明かりなどまず確保できない、それがまた色々と後ろ暗いことをするには都合が良いのだが……
夜が訪れ、今こそ行動の時なのだが、マーサが動こうとしないために次の行動が取れない。
一体どういうつもりだろうか、この場でこれから何が起こるか分かっているのか?
ああ面倒だ、もういっその事マーサも殺してスキルを頂いてしまおうか。
このまま足枷になるくらいなら……本気でそう考え出したその時。
闇に飲まれようとしている物置小屋の中に、小さく鼻をすする音が聞こえてくる。
マーサが泣いているのだ。
それも、できるだけ声を出さないようしっかりと口を噛み締め、それでも漏れてしまう嗚咽が僅かに辺りに響いていた。
……仕方ない、一度だけチャンスをやるか。
マーサの首元まで伸びた手を一度納め、そんな事を考える。
マーサは確かに役に立った。俺の言うことを聞いて、アネットの足を止めた。
全く安全だった訳ではない、アネットが意図に気づいて抱きつく前に斬られる可能性だって十分にあった。
俺の動作がモタつけば、同じように斬り捨てられていただろう。
功労に報いる……という訳ではないが、理由はどうあれ一度こちらに足を踏み込んだのだ。
ならばこの先の選択も、自分で決めさせてみよう。
「マーサ、よく聞け」
闇が支配する中で、マーサがこちらを振り返った気配が伝わった。
それを確認してから、俺はゆっくりと語りだす。
俺が何者なのか。
何故ここにいるのか。
何をしようとしているのか。
そして……それを聞いたお前は、どうするのかと。