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不死者(レヴァナント)の涙

――社内

「ふぅ……」


 俺――大塚政也(おおつか・まさや)――はモニターから目を上げ、一つ伸びをした。

 とりあえず、これでプレゼン用の資料はある程度形になった。後は、細部の見直しか。

 いや、その前に……

 俺は机の引き出しから目薬を取り出した。

 ぶっ通しでPCモニターを睨んでいたから、目が疲れて仕方がない。

 ……。

 目薬をさし終えると、キーボード横に置いてあった缶コーヒーを一口飲んだ。

 …………。

 ああ……ぬるくなってしまったか。仕方がない。

 とりあえず一息ついたら仕上げにかかるか。



 そう思った直後、何やら箱を抱えた後輩が部屋に入ってくるのが見えた。

 ヤツは一年目の新人、岸本だ。何があったのか?


「おう、どうしたんだ? その荷物」

「ええ。ちょっと総務からロッカーの整理頼まれまして。で、前に辞めた人の荷物が出てきたんですよね」


 辞めた人? ……まさか。


「誰のだ?」

「はい。えっと……三津和(みつわ)さんって人のですよ。確か、俺が入ってすぐに辞めた人」

「ああ……」


 やはりか。三津和基樹(もとき)。俺の同期だ。

 同じ部署に配属された俺たちはともに支えあい、それなりに上手くやってきた。

 よくアイツと二人で飲みに行ったりしたものだ。奴が結婚してからは回数は減ってしまったがな。それでもヤツの嫁さん含めて三人で飲んだこともあったな。

 しかし数ヶ月前、奴は突然職を辞してしまった。

 その理由は……嫁さんの死。

 彼の妻――有紀さん――は、元々病気持ちであったとの話だが、出産直後に急激に体調を崩して亡くなってしまったのだ。

 愛妻家であったヤツは悲嘆にくれ、仕事もままならなくなった。そして間も無く仕事を辞め、実家へ帰って行ってしまった……

 おそらく、その際に忘れていったものなんだろうが。


「それを送ってやらなきゃならないけど……今の住所は、分かるかい?」


 と、背後からの声。

 上司の瀬川さんだ。


「えっと……」


 一応携帯の番号はスマホにあるか。あと、インスタントメッセンジャーも。番号やIDが変わってなければ良いんだけどな。


「一応連絡先知ってますんで、後で聞いてみますよ」

「そうか。よろしく頼む」


 とりあえず、休憩中にでも試して見るか。



――しばしのち

「連絡が取れました。実家の場所も教えてもらえましたよ」


 結果を瀬川さんに報告。


「そうか。とりあえず総務にでも……」

「あ、それなんですがね」

「どうした?」

「週末、俺が持って行っても良いですかね? 奴の様子を見るのも兼ねて」

「分かった。その方が良いかもね。じゃあ、頼んだ」


 あっさり許可が取れたな。

 俺がアイツ(同僚)の実家を訪ねるのは、奴から誘いを受けたからだ。

 久々に会って飲もう、と。

 それと、もう一つは……奴の声音が気になったからだ。

 あまりにも陽気で、最後に見た奴の姿からは考えられない明るさだ。

 会社を辞めた後、一体奴の身に何が起きたんだ?

 それは確認しておきたかった。



――週末

 俺は車に奴の荷物を積み、高速道路を北へと走らせていた。

 彼奴の実家は県境を二つ超えた先にあるの田舎町。車で数時間の道中だ。

 とりあえず奥さんの墓参りなどを済ませてヤツの家で飲み、一泊して帰宅する予定だ。

 適当なビジネスホテルを探すか、それでもダメならネットカフェにでも泊まるつもりだったが、ヤツの好意で家に泊まれることになった。

 実家はそこそこ大きな農家だそうだから、客が泊まることのできる部屋はあるんだろう。



 近場のインターを降り、下道を走ること約30分。

 セミの鳴き声、そしてのどかな田園風景の中、小さな集落が見えてきた。

 ナビによれば、あのあたりが三津和基樹(アイツ)の実家らしい。

 もうすぐか。



――集落内

 ようやく奴の実家に着くかと思ったが……“三津和”姓の家が多すぎるというね。

 ナビの案内が終わった場所のそばには三軒もあるし。

 うむ……一軒ずつ訪ねてみるか? それとも携帯に……

 ……おっ?

 少し先に、酒屋っぽい店が見える。店先にもちょっとした駐車スペースもあるな。

 酒を調達するついでに聞いて見るのも手か。



――酒屋

 カランという鈴の音を立て、ガラスの引き戸を開けて店に入る。

 “志賀屋”という古びた店の中は、花火やちょっとした駄菓子などもおいてある、何ともノスタルジーな雰囲気であった。


「いらっしゃいー」


 奥から出てきたのは、二十代前と思しき若い女であった。

 てっきり婆さんでも出てくるかと思ったが、これは意外だ。しかもわりと可愛い。

 ……というか、どっかで見たような?

 彼女も俺を見、一瞬首を傾げた。

 ふ〜む。会ったことあったっけか? いや、こっちにきたのは初めてだしな。

 まぁ、いい。

 とりあえず地酒の瓶一つとビール缶数本、そして適当なツマミを幾つか。

 それをレジへと持っていく。

 ついでに奴の家も聞けると良いがな。


「ありがとうございますー」

「あと、すいません。ちょっと訪ねたいことがあるんですが」


 釣りを受け取りつつ、訪ねてみる。


「はい。何でしょう?」

「ちょっと家を探してるんですが、良いですかね?」

「はい……このあたりの人ですか?」

「ああ、三津和っていうんですが……このあたり同じ名字が多いみたいで」

「そうですよねー。元は庄屋さんの家ですし。下の名前は何ですか?」

「基樹って名前です。会社の同僚で……ん?」


 と、店員の表情がこわばっている。一体何が?


「あの……アイツ、何か……」


 昨晩の電話でも妙にハイであったが……アイツ、何かやらかしたんか?


「いえ、その……姉の……」

「ああ、そうか! 思い出した。有紀さんの妹か!」


 見たことあるはずだ。

 確か、結婚式で会ったんだよな。ヤツの嫁さんの紹介で。あの時は二言三言会話を交わした程度だったか。その後は葬式で、だが……


「はい。彩音です。二度ほどお会いしましたね。最初は、姉に紹介されて」

「ああ。そうだったね。俺は大塚政也。あの時は、少し話したぐらいかな? ところで、基樹の家なんだけど……」

「それは……」


 話を振って見る。

 と、彼女の顔が強張っていた。

 どういうことだ?


「家は……その、斜め前にある大きな門のある家です」

「ああ。あの……」


 ガラス戸越しにも見える、大きな家。アレが奴の実家か。

 確か嫁さんは幼馴染だとかいう話だったが、実家はこんな近所同士だったのか。


「そうです。でも、あの……今から義兄さんの家に行かれるんですか?」


 と、彼女が不安そうな顔を見せた。


「ああ。ちょっと届け物があってね」

「そうですか……。でも、あまり長居しないほうが……いや、何でもないです!」

「?」


 どういうことだ?

 視線を巡らし……そして何気なく見た店の奥。

 一人の老人が、じっと俺たちの方を……


「ありがとう。俺は、これで」


 今は、立ち去ったほうが良さそうだ。

 俺、そして彼女のためにも。

 そしてまたガラス戸を開けて逃げるように店の外に出、車に乗り込んだ。



――三津和家

 教えられた家の門の前にあるスペースに車を止め、門のインターホンを……

 と、いきなり門が開いた。


「やあ、良くきてくれた。有紀も喜ぶだろう」


 顔をのぞかせたのは、基樹だ。

 それも、俺が来たのを分かっていたかのように。


「久しぶりだな、政也」


 そう応じ……


(!)


 猛烈な寒気を感じた。

 ココには、人知を超えた“何か”がいる。


(……これはダメだ。今すぐ帰ったほうがいい)


 俺の頭の中で、本能が囁く。

 しかし、奴の笑顔を見ると、何故か警戒心が薄れてしまった。


「疲れただろう。入ってくれ」

「ああ、すまんな」


 気がつけばまた車に乗り、門をくぐっていた。

 そして彼に指示された蔵の脇のスペースに車を止め、母屋へと足を向ける。 


「さあ、入ってくれ」


 玄関前で基樹が待っていた。


「ああ。……おじゃまします」


 基樹に導かれるまま、彼の家の中に足を踏み入れる。

 しかし、どうも雰囲気が妙だ。

 それに何より……


「なぁ……今、誰もいないのか?」


 人の気配がしないのだ。

 確か、ヤツの両親はまだ健在だったはずだがな。それに、生まれたばかりの子供も。


「ああ。ちょっと旅行にな」

「なるほど……」


 孫を連れてどこかに……いや、まだあの子は乳児だったな。旅行に連れ出して良い歳じゃないはずだ。

 だが、それを突っ込むのは何故か(はばか)られた。

 ……おっと、その前に。


「これを届けに来た」


 箱に入ったヤツの私物を渡す。


「ああ……スマンな、わざわざ」

「いや、気にするな。それより、まず有紀さんに挨拶しないとな」

「ああ、こっちだ」


 居間の奥にある広間に通される。

 12畳か? かなり大きな部屋だ。

 祝い事や葬式など、親戚が集まるための部屋だろう。

 鴨居の上には、歴代の家の当主夫妻の肖像画あるいは写真が飾られていた。

 そして何より気になったのは……壁際に置かれた棚の上にある、奇妙な人形。

 一見よくある民芸品にも見えるが、何となく奇妙な“歪み”を感じる造作。

 ああ、そういえば。確か中南米あたりに出張したときにヤツが土産にと買ったのだっけか。

 趣味が悪いからやめとけと言ったんだがな……

 そしてその隣に、古びた威厳のある大きな仏壇があった。

 相当な年代ものだろう。下手すりゃ戦前からか?

 そこに似つかわしくない、真新しい位牌が見える。

 あれが、有紀さんのか。

 俺はその前に座ると、線香をあげ、手を合わせた。

 若くして亡くなった彼女の冥福を祈り……



――夕刻

 居間で二人、茶を飲みつつ会社の話、そして近況などを話していると日が暮れて来た。


「そろそろ飯にするか」


 そう言って基樹が席を立ち、台所へ向かった。

 が、すぐに戻ってくる。手には酒とつまみが入った皿。

 もしかしたら出前でも取ったのか?

 だとするとちょっと申し訳なく感じる。

 いや待て。何か人の気配がした様な? いや、気のせいか……


「とりあえず、飲もうぜ」

「ああ」


 俺たちは軽く献杯し、飲み始めた。


「……思ったより元気で安心したよ」


 酔いが回って来たところで、そう口にした。


「仕事辞める直前は、後を追うんじゃないかと思うくらいの有り様だったからな……」


 酔いに任せてそう続ける。


「あの時は、心配かけたな。だが、もう大事さ」

「そうか」

「今は有紀も一緒だからな……」

「……?」


 いきなり何を言い出すのか?

 そう思った直後、居間に俺たち以外の人の気配が現れた。

 誰だ?

 何気なく振り返ると、料理を持った彼の妻がいた。

 一体何が起きてるんだ? 彼女は……彼女、は……

 違和感。

 しかしそれは、すぐに消失した。

 ああ、彼女の手料理は美味いんだよな。

 前もコイツの家で飲んだ時に味わったが、これほど羨ましいと思った事はない。

 俺もいずれ、こんな……

 ……いや待て。

 俺は何の為にここに?

 いや確か、俺は……オレ、ハ……



――夜半

「う……む」


 酷い頭痛で目が覚めた。

 それに、胃がムカつく。

 とりあえずトイレに……



 う……む。

 吐いたら多少気分がよくなった。

 そして持ってきていた頭痛薬を飲む。

 これで何とかなればいいがな。とりあえず一眠りして……



 俺が寝ていた部屋に戻ろうと、薄暗がりの中廊下を歩く。

 ……いや待て。

 俺は一体どうなったんだ?

 料理が出てきた所で記憶が途切れてるが、あれは一体誰が持ってきたんだ?

 確か……確か、アレ・は……


「!」


 バ・カな……彼女、は。

 愕然とした俺は、足を止めた。


「どうした?」


 背後からの声。

 薄暗い照明の中に佇む影。基樹だ。


「驚かすなよ……。ちょっと気分が悪くてな。飲みすぎたからかもしれん」


 俺は内心の焦燥をひた隠し、出来る限り平静を装って答える。


「そうか。てっきり抜け出して帰ったのかと思ったよ」

「いや、そんな失礼な事するはずないだろ?」


 そう答え……


「!」


 背後に“何か”の気配があった。

 そして、異常な寒気。

 まさ、か……

 恐る恐る振り向く。

 と、そこには……

 記憶が途切れる直前に目にした“それ”。


「有紀、さん……? 何故……」


 死んだはずの彼の妻が無言で佇んでいた。

 虚ろな瞳。青白く血の気のない肌。

 しかしその姿は、妙に艶めかしく見えた。


「ははは……素晴らしいだろう? 我が“神”の御力だ」

「か……神、だ・と!?」


 少なくとも俺の知る基樹は妙な神様なんぞ信じてはいなかった。有紀さんも……

 いや……


「まさ・か!?」


 振り向いた先。そこは、仏壇が置いてある広間だ。

 そこにはあの人形が、周囲から妙に浮き上がって見えた。

 あの人形。

 確か、アレはゾンビに関わる……


「まさか、お前……有紀さんを蘇らせたのか? あの、人形で!?」

「ハ……ハハ。その……通りだ。無論、完全では……ないがな」


 薄暗がりの中で見る彼女の顔には、表情らしきものはない。もしかしたら、意識などは復活していないのか。


「そう。だから……糧が、いる」

「糧? まさか……」


 やはり……俺、か。

 いや待て。こんなところで死んでたまるかよ! しかも、死者復活のために……

 すぐさま身を翻し、走り出す。

 しかし、


「逃がさんよ」


 すぐに基樹に追いつかれ、ヤツの腕に囚われる。

 人間離れした速さ、そして力だ。

 で、俺はどうなる?

 まさか……まさ、か。


「さぁ、有紀。コイツを喰らうんだ。この血肉が、お前を蘇らせてくれる」


 その顔に浮かぶ、狂気……

 逃げなきゃ。このままでは、俺、は。

 だが、人間離れしたこの力……。ムリ、か。

 と、その時。


「!」


 ガラスが割れる音。

 そして、


「大塚さん!」


 聞き覚えのある声。

 あれは……まさか!


「彩音ちゃん!? 何故……」

「お姉ちゃんが夢に出てきたんです! 大塚さんを助けてって!」


 ジャージ姿でゴルフクラブを持った彼女が、濡れ縁から廊下に入って来た。


「彩音……お前も、有紀の糧になりに来たのか?」

「義兄さん……もう、止めて。お姉ちゃんを苦しませないで」

「はははははは……今更、何を」


 基樹の意識がそれた。

 今だ!


「フン!」

「!」


 隙をついて、思いっきり膝の横に蹴りを入れてやる。

 肉に覆われていない場所だ。マトモに入れば……何!?


「何かしたか?」


 効いてない!?

 そして、腕を羽交い締めにされ……


「駄目ー!」


 背後からの、彩音ちゃんの体当たり。

 ヤツの体制が崩れた。

 ……行ける!


「おりゃあー!」


 その勢いをかって、基樹を投げ飛ばした。そしてその身体は床板に叩きつけられる。


「大塚さん……」

「俺は大丈夫だ! 逃げよう!」

「はい!」


 俺は彼女とともに……チッ!


「逃すかよ。二人とも、有紀の糧となるのだ。あの連中のように……」


 いつの間にか立ち直っていた基樹に回り込まれてしまう。

 チッ、人間離れした速さだ。

 にしても、あの連中? まさか……いや、まさ・か。


「お前……もしかして両親は、旅行じゃなく……」

「そうだ。糧になってもらったよ。それだけでなく、な」

「遠方から訪ねて来た人が、何人か行方不明になっているんです。もしかして、その人達も……」


 と、彩音。


「はは……それを黙って見ていたんだろう?」

「それは……」


 その言葉に、彩音が黙り込んだ。

 ああ、あの時のは……


「でも、今助けに来てくれただろ?」


 今にも泣き出しそうな彼女にそう声をかけてやる。

 ここで意気消沈したら、奴らの餌食だ。

 だが、どうすりゃいい?

 そうだな。せめて、この子(彩音)だけでも……


「借りるよ」


 まずは彼女の手からゴルフクラブを奪う。

 そして、


「悪く思うなよ!」


 基樹に向かって振り下ろした。


「!」


 奴は腕を上げて防御し……


「っ!」


 奴の呻き。

 見ると、防御した右腕があらぬ方向に折れていた。

 だが基樹は、それを事も無さげにつかみ、元に戻した。

 効かねぇのかよ! やはり人間辞めてやがるのか? ならどうすりゃ……


「!」

「終わりだ」


 奴は動揺する俺に歩み寄ると、無造作に俺の首を掴んだ。

 くっ……そっ……。息、が……


「さぁ、コイツを喰らうんだ」


 俺を有紀さん……だったものに向かって突き出す。

 彼女は俺の両肩を掴んだ。

 やはり人間離れした力だ。振りほどくのは……無理か。

 そして基樹は振り返ると、立ちすくむ彩音をいともたやすく捉える。

 その手が彼女の細い首を締め付けた。


「助……けて、お姉、ちゃん……」


 か細い悲鳴。


「は……はは……無駄な事を」


 ヤツが嘲笑したその時、


「……ぃ・ゃ……」


 有紀だったのもの口から、かすかな声が漏れた。

 同時に肩をつかむ腕の力が緩む。


「有……紀?」


 動揺する基樹。

 チャンスだ!

 強引に彼女の拘束から逃れる。

 そして、すぐさまダッシュし基樹にタックル。


「ぬぐっ!?」


 火事場のナントヤラだ。

 基樹は彩音を離し、よろめく。

 すかさず俺は彩音を抱きかかえると、基樹に向かって後ろ蹴り一発。

 さらにゴルフクラブを例の人形に向かって投げつける。

 ゴルフクラブは回転しつつ宙を飛び……命中。

 人形は転げ落ち、仏壇の前に倒れた。

 そして、


「ぁぁぁあーッ!」


 有紀、だったものの、絶叫。


「有紀? 有紀ぃ!」


 そう叫ぶと、基樹は慌てて彼女に駆け寄った。


「ぁ……あ……」

「有紀!」

「あぁ……」


 基樹の腕の中で有紀さんは微笑み……やがて、動かなくなった。

 そしてその身体は、塵となって崩れていく。


「あ……あぁ……あアーッ!」


 血を吐くような、慟哭。

 そして、


「よくも……よくも有紀を!」


 基樹は血走った目を俺たちに向けた。

 殺気、といもいうべきか。

 物理的な圧力すら感じる。そして、どこからともなくバチバチという音が響いた。

 嫌な汗が出る。

 どうする? 逃げ……


「ヒッ……」


 怯え、へたり込む彩音。

 おかげで、かえって冷静になれた。


「大丈夫だ。俺がいる」


 とはいえ正直、これは自分に言い聞かせた様なモノだ。すぐにでも逃げ出したいくらいだしな……。

 だが……どうする?

 このままじゃ、二人とも終わりだ。

 彼女を引きずり、何とか外へ……が、俺の足も動かん。

 そして、ヤツの手が迫り……

 しかし、その時


「!」


 白い“何か”が基樹を羽交い締めにした。

 あれは、一体……


「お姉、ちゃん……?」


 と、彩音。

 確かにその白い“それ”は人の形をして……


「うっ……ぐぅっ!? な・に……が」


 基樹は戸惑い、呻く。

 と、右腕が、下腕半ばから先がずるりと落ちた。さっきゴルフクラブで殴った所だ。そしてそれは、床上に落下する。

 立ち込める腐臭。

 腕は俺たちの方へと転がり……止まった。


「うおっ!?」

「ひぃっ!」


 思わず飛び退きかけるが、彩音は腰を抜かしたままで動けない。


「う……あ?」


 基樹の声。

 奴は呆然として腕と俺たちを眺めていた。


「基……樹?」

「あ……政也?」


 憑き物が落ちた様な顔。

 まさか、今まで……


『大塚さん……』


 有紀さんの“声”。


『この、子を……』

「この子?」


 彩音か? いや……

 ふと見ると、基樹の身体がボロボロと崩れていく。

 そして、シャツの下から“何か”が転がり落ちる。

 小さな人形の“何か”。

 人形?

 いや……違う!

 “それ”は基樹の残った左腕で受け止められ、優しく床上に横たえられた。


「紘介くん!?」


 彩音が叫んだ。

 そうか、ヤツの息子か。

 にして、も、ピクリとも……いや、まさか。

 すぐに彩音が駆け寄り、紘介を拾い上げる。

 と、その胸の中で、いきなり紘介は火がついた様に泣きはじめた。

 おおっ、生きていたか。

 そしてそれを見届けると、基樹の身体もまた、塵となって崩れ落ちた。

 そうか……お前は。

 お前は自分自身をも“捧げた”のか。

 そして息子を“核”としてこの世にとどまり……


『そうだ。俺は、妻と息子への“念”に付け込まれてしまった。すまない政也、彩音ちゃん。お前たちは、逃げ、ろ……』


 基樹の“声”。

 ……そう、か。

 そうだな。


「行こう」

「……はい」


 俺が差し出した手に、彼女が掌を重ねる。



 と、その直後、


『に・が・さ・ん』


 割れ鐘の様な“声”。

 今のは、まさか……

 振り返った視線の先。

 床上に転がった人形がむくりと起き上がった。

 その顔――ごく単純化された造作の目鼻――が、まるで悪鬼の如く変貌していた。

 同時に、またあのバチバチという音が響く。

 今度は、それに加えて家具なども不気味に揺らぎ始めていた。

 まるでポルダーガイストだ。

 この世のものとも思えぬ光景の中、人形はゆらりと宙に浮き……


「……!」


 恐怖のあまり、もはや声も出ない。

 これで……終わり、か。

 思わず諦めかけたその時、


『……!』


 いきなり前触れもなく仏壇が倒れた。

 あの、人形の上に。


「何!?」


 偶然なのだろうか? それとも……有紀さんや基樹の先祖の?


『お……おお……』


 ヤツの“呻き”。

 だがそれは次第に小さくなっていく。

 助かった、のか?

 そう思った直後、


『無、念……こやつらに、阻まれたか。しかし、このままでは……終わらぬ』


 直後、家具の鳴動が激しくなる。

 そして、電灯までもが激しく明滅し始めた。


「いかん! 逃げるぞ!」


 俺は紘介を抱いた彩音の腕を引き、走り出した。

 気がつけば、まるで地震でも起きたかの様に家が激しく揺れていた。

 幾度か転びそうになりながらも何とか縁側へとたどり着き、庭へと逃れた。

 そしてその直後、轟音とともに基樹の家は崩れ落ちた。



――翌朝

 あの後、庭で呆然としていた俺たち三人の所に警察や消防、近所の住民が駆けつけて来た。

 怪我をしていたこともありすぐに俺たちは病院へと搬送され、そこで事情を聞かれることになった。

 一番困ったのが、その説明だ。

 とりあえず事前に彩音と話し合って、当たり障りのない様に答えることにした。



 それは……

 俺は基樹と夜まで酒を飲んでいた。

 そして気がつけば、家が揺れており、慌てて紘介を連れ逃げ出した。

 彩音はその音を聞きつけてやって来て、庭で俺と会った。

 と、いう感じでだ。



 無論アラだらけではあったが、事情聴取した刑事も何となく察してくれたらしい。

 後で彩音に聞いた所、基樹は両親や訪問者が行方不明になった件で何度か警察から事情を聞かれていたそうだ。

 しかし、彼らの行方は一向につかめず、それどころか怪奇現象が頻発したためにどうにもならない状態であったという話だった。

 彼らもああいう目にあったんだろうか?



――さらに数日後

 基樹の家は、警察などが入って捜査を続けている。

 家の瓦礫の下からは、バラバラの骨が幾つか見つかったという。その身元はこれから調べるとのことだそうな。

 あと、例の人形は仏壇の下からはい出ようとした姿で見つかった。

 それは、あの悪鬼のごとき形相で力尽きていた様だ。四肢はちぎれ、胴体や首も大きく裂けていたとのことだ。その中から覗くのは、得体の知れない骨らしきモノ。

 それを目撃した警官は、ショックで入院してしまったという……。

 南無〜。



 ちなみに現状、紘介は元気だそうな。

 叔母の彩音が何とか頑張って世話している。

 一方の俺はというと、退院後会社に復帰した。そして時々、事情聴取のために基樹の家の方へとやって来ている。

 その時に彩音や紘介と会うのが最近の楽しみだ。



――そして、数年

 基樹の家は更地にされ、現在ではその場所に数軒の家が立ち並んでいる。

 もはやあの事件(事故?)のことが噂に登ることはない様だ。

 基樹の両親や訪問者達も行方不明として処理されたと聞いた。

 現状、あの事は誰もが忘れ去りたいのかも知れない。



 で、俺はというと、縁あって彩音と籍を入れる事になった。

 彩音によれば、有紀さんは元々俺に彼女を紹介したがってたらしい。それが彼女の病没で有耶無耶になってたそうだ。

 まぁ……故人の遺志もあるし、ねぇ?

 そして紘介は、俺たちの養子となった。

 アイツの忘れ形見だ。何としてでも立派に育ててやりたい。



 三人で過ごす、穏やかな日々。

 しかしそんなある日、俺たちは気づいたんだ。

 紘介の瞳に、時々怪しげな“光”が宿ることに。

 果たしてこれは、何を意味するのだろうか……。


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