猫娘の就職活動
どうも、落花生です。エロ一切無しの短編コメディです。
「姉ちゃん、味薄くない?」
高二の弟が味噌汁に口をつけるなりそう言った。お母さんとお父さんも、口には出さないが首をひねっている。
「最近さあ、姉ちゃん舌おかしくね?」
人の気も知らず弟はずけずけとものを言う。ただでさえ就職活動がうまくいかずイライラしているのに。
私は料理が好きで、大学から早く帰ったときは母に代わって夕食を作る。今まで褒められはしても味に文句をつけられたことなど一度もなかった。
弟に言い返してやりたいが、汁が熱くて味を確かめることもできない。以前は熱いのも平気だったのに、最近は人肌まで冷めないと口をつけられないのだ。本当に舌がおかしくなっているのかもしれない。料理は数少ない取り柄の一つなので、私は危機感を感じていた。
しかし、すぐに味覚どころではない危機が襲ってきた。うぶ毛が濃くなったな、なんて思っていたら、本来の耳とは別に頭に尖った耳が生えてきて、お尻に尻尾まで生えてきた。全ての特徴は私が猫になりつつあることを示していた。
私は大学を休み布団をかぶって部屋に引きこっていたが、不審に思った母に布団を引き剥がされ、ばれた。
「あらまあ、そうだったの」
意外に母は冷静だった。
「おばあちゃんからうちの家系はいつか出るって聞いてだけど、あなたとはねえ。さ、病院に行きましょ」
母は私を総合病院に連れて行った。何科に行けばいいのか迷ったが、とりあえず内科にいった。
「これは珍しい。猫化症候群ですね」
年配の医者は分厚いメガネ越しに私を見るなり、そう言った。
「猫舌で、塩辛いものが食べられなくなっていませんか? それも症状の一つです。犬や猫は塩分を体外に排出する機能が弱いので、取りすぎると腎臓を壊してしまいます。そのため味覚も変化するんですよ。
遺伝子の疾患で、五十万人に一人くらい発症します。分かりやすく言うと、人間の遺伝子の中に原始的な哺乳類から分岐した時の猫の遺伝子が残っているんですな。それが何かの拍子に発現してしまうわけです」
分かったような分からないような話だった。
「それで、私は治るんでしょうか?」
「ありていに言うと今お話しした発症原因もたぶんこうだろうというだけで、はっきりしたことは何も分かっておらんのです。治療方法もありません」
私はがっくりとうなだれた。
「これからどうすればいいんでしょう」
「まあ死ぬ病気じゃないから、受け入れるしかありませんな。希望的なことを言うと、普通の人と結婚して子供を作ることもできます。あなたのご先祖様もそうだったのでしょう」
「仕事とかあるんですか」
「それはハローワークで聞いてください。精神安定剤を出しておきましょう」
ハローワークは登録している。私は母と別れ一人でハロワへ向かった。
「里中さんですね。ご希望に沿うような求人はまだ……」
私は被っていた帽子とマスクを外した。
「ああ、そういうことですか。ちょっとお待ちください」
受付けに座っていた女性は後ろを向き大きな声で部長を呼んだ。私は人生の危機に直面しているのだが、周りの人は珍しくもなさそうにテキパキと対処する。ありがたいが、なんだか逆に不安を感じてしまう。
奥から恰幅のいいおじさんが出てきた。
「部長の長岡と申します。率直に言ってあなたの場合職種はかなり限定されます」
「私、オタク相手の仕事だけは嫌です」
「そうですか。サブカルチャー系の方が実入りはいいんですけど、興味のない人ができる仕事じゃないですしね。固い仕事もありますので、そちらを紹介しましょう」
長岡部長はファイルをパラパラとめくった。
「富士フイルムはどうです?」
「ふッ! 富士って、あの富士フイルムですか!」
「です」
「何でそんな大手が猫女を募集してるんですか!」
降って湧いた話に思わず声が大きくなる。
「工場での勤務ですが、男女に関係なく猫化症候群の方を募集しています。少しお待ちください、電話してみます」
受話器を取りダイヤルする。
「……はい、猫のかたです。……はい、はい」
長岡部長は受話器の送話口を手で押さえ私に向いた。
「里中さん、今日の十五時に面接受けられますか?」
「きょ、今日ですか!」
富士フイルムを棒に振ることはできなかったので、結局私はその日のうちに面接を受け、あっさりと合格した。就職氷河期の厳しさを身に染みて感じてきた私にとって渡りに船だったが、うますぎる話によけい不安が広がった。
すぐにでも働いてほしいと言うので、私は大学を中退して初出社した。製造部の担当者が私を工場へ案内する。小堺さんといって、この人も猫人間だ。
「早く来ていただいて助かりました。実は退職者が出て、急遽工員を採用することになりまして」
「辞めた方は、どちらへ……」
「女性二人なのですが、秋葉原で歌手デビューしました。ユニット名は"肉球ぷにぷに"といって、"肉ぷに"って略すそうですが、デビューシングルの『屋根で逢おうよ』がヒットしてオリコン上位に……」
「それ以上の情報はいいです」
「こちらが工場です」
小堺さんがやたら分厚いドアを開け、私達は工場へ足を踏み入れた。
中は真っ暗で何も見えなかった。と、普通ならそうなるところだが、私は夜目が利くので、暗くても中の様子をくまなく見ることができた。
工場内は機械の動作音が満ち、作業服に身を包んだ工員の人たちが忙しく働いている。真っ暗なことと、働いているのが全員猫人間なのを除けば、普通の工場と変わったところはない。
「フイルムって、光に当てちゃダメでしょ。だから工場は真っ暗なんですよ」
「それで猫人間を募集してるんですね」
なるほど。謎は解けた。
「他のメーカーもこんな感じなんですか」
「そうですね。うちの社名の富士フイルムの由来ですが、富士びたいも猫のひたいも、狭いでしょ。それで富士とつけたんです」
「ホントですか?」
「本当です。コダックもね、社名を検討している会議室で、誰かが足元をウロチョロしていた猫におどろいて『ネコだっ!』って言ったのを、創業者が『コダック』と聞き間違えて、『それ、いいじゃないか』ってコダックになったんです」
「……嘘でしょう?」
「本当ですって。ニコンはカメラメーカーでフイルムは作っていないですが、ネコ→ニェコ→ニコ→ニコンと。まあ、写真産業に関わるメーカーはほとんど全てが猫と何らかの関わりを持っていると思って間違いはないです」
非常にうさんくさい話だが、目の前で猫人間が忙しく立ち働いているのを見ていると、あながち嘘ともいえないような気がしてきた。常識がおかしくなってきているのだろうか。
そんなこんなで、私は富士フイルムの工場で働くこととなった。体力に自信があるほうではないので最初は身体がきつかったが、ひと月も経つと慣れてきた。さすがに大手だけあって、給料はいいし福利厚生も充実している。このご時勢にこんないい職場へ就職できた私は幸運だ。
とはいえ良い事ばかりではない。一つだけ我慢ならないのは社員食堂の食事だった。
猫人間の悩みの一つが食事である。猫舌だし濃い味が食べられないので、外食はほぼ全滅である。
普段は社員寮で自炊しているのだが、工場ではそうもいかない。社員食堂で食べるしかないのだが、そこの料理がまずいのだ。
塩分を控えた分の物足りなさは旨味やスパイスで補えばよいのだが、どうも人間様のレシピから塩や醤油を差し引いただけのようなのだ。
業を煮やした私はオリジナルレシピを引っさげて社員食堂に乗り込んだ。食堂のおばちゃん達を説得し、時には自ら調理して手本を示す。
私の熱意が伝わったのか、最初は手間が増えるとか食材費がかかるとか言ってたおばちゃん達も、しばらくすると進んで協力してくれるようになった。
食堂で出される料理の味は大きく改善された。社員のみんなも喜んでくれて、私はなんと朝礼で工場長からお褒めの言葉をいただいてしまった。
お昼の社員食堂。企画部の永見課長が私の前の席に座った。
「君の献立、評判いいね。僕は食べたことないけど、見た目も美味しそうだと思うよ。そこで、ちょっと提案があるんだけど……」
永見課長は工場勤務ではないので、普通の人間だ。二枚目だし仕事もできるそうだが、女癖が悪いという噂だ。私はあまり好感を持ってない。
「何ですか、提案って」
「君の考案した低塩分のレシピは、猫化症候群の人に限らず高血圧や腎臓障害を患っている人達にも喜んでもらえると思うんだ。レシピをまとめて本にしてはどうだろうか」
ふうん、意外に真面目な提案だ。そういう話なら乗らせてもらおう。
「それは私も考えていたんですけど、もう一つ、提案があります」
「いいね、聞かせてよ」
「カメラのフイルムって、デジカメに押されてどんどん需要が減ってるじゃないですか」
「ふんふん」
「でもそれって、時代の流れで逆らうことはできないと思うんです」
「そうだね」
私の口からフイルム産業の将来の話が出るとは思っていなかったのだろう。永見課長は興味深そうな顔で聞いている。
「でもフイルムがなくなっちゃったら私たち失業しちゃいますから、数は少なくても"どうしてもフイルムじゃなきゃ"っていう需要を確保しなきゃいけないと思うんです」
「うん。そうすると素人じゃなく、プロの写真家やマニアが対象になるね」
「そうです。それで、料理が美味しそうに写るカメラを開発してはどうかと思うんです。フイルムって、デジカメよりもあたたかみがあって、自然なグラデーションが得られるじゃないですか。そういうフイルムの良さを活かして、料理が美味しく写るカメラを作るんです。
レストランやカフェのガイドブックって、今すごい多いですよね。そういうのを取材する料理記者がターゲットです。素人は買わないでしょうけど、プロならわずかの差でもきっと買いますよ。数は少なくても、息の長い需要が確保できると思います」
話してるうちにだんだん永見課長の目が輝いてきた。古臭いしぐさだが、指をパチンと鳴らす。
「すごくいいね。その話、いただくよ」
私のアイデアを永見課長が企画書にし、それは社内の審議で承認された。永見課長はちゃんと私の名前を出してくれた。
開発部は二年かけて、料理が美味しく写るカメラ『Delica-1』を開発した。
Delica-1で撮った私の料理も本になった。『富士フイルム社員食堂の低塩分 彩りレシピ』というタイトルで、そこそこ売れた。この本は猫人間が社会に認知されるのにも大いに役立った。
本の評判につられてカメラも売り上げを伸ばした。プロ仕様の高級機にしては異例の売れ行きだった。フイルムの売り上げもちょっとだけアップした。
この功績で私は企画部に引っ張り上げられることになった。本の印税は会社と折半だったので、まとまったお金も手に入った。
順風満帆。内定がもらえず悩んでいたころが嘘のようだ。
「僕の友人が、イタリアンレストランをやってるんだけどね」
給湯室で永見課長が話しかけてきた。
「特別に、猫化症候群の人向けの低塩分のコースを作ってくれると言うんだ。君の功績を称えて、ディナーをご馳走したいんだけど、今度の週末なんかどうかな?」
大人の余裕たっぷりの微笑を浮かべる。女癖が悪いって噂はやっぱり……。あれ、でもあんまり悪い気しないや、何でだろ。
私は週末の誘いにオーケーした。永見課長は連絡するよと言って、給湯室を出て行った。
開け放った窓から、園庭の桜が見えた。
(ああ、そうか。春なんだ)
暖かな風にはらはらと舞い散る花びらを見て、私は気付いた。
(私もさかりがついちゃったんだな。まあ、いいや、猫だもん)
私はカモミールが香る淹れたてのハーブティーに、氷を一個、ポチャンと入れた。
おわり