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十四歳でここに飛ばされた私は、十六歳になっていた。
私が元の世界に帰る方法は未だ不明で、今やタメ口を聞くような仲となった烏帽子の爺さんには「いつ帰れるの!」「わしとて考えておるわい!」と最近も喧嘩をしたばかりである。
爺さんには子供がいないらしく、奥さんにも先を立たれて今は独り身だと言っていた。
奥さんは生前癒しの力というものを持っていて、なんでも怪我をした人や病気の人を治すことができたのだという。
もはや人知を越えてお伽噺でも聞いているようだった。
陰陽師の仕事は城の守りが主なようで、式神とか言う紙人形を月に何度かあちらこちらへ置き直しているのだと言っていた。
たまにその式神を人間に化けさせ、お屋敷の掃除や自分の仕事を手伝わせているのを見かける。なんと便利な。
他にも悪霊払いだとか、あとは妖怪について良く知るスペシャリストみたいな役どころらしい。
……陰陽師とか阿部清明くらいしか名前を知らないし、その陰陽師というモノ自体架空のものだと思っていた私はこの話にもあまり着いていけなかった。
もう寧ろ開き直ってこういう物なのだと自分に言い聞かせるしかない。
*
「まったく逃げ足の速い奴め」
「いつもいつもこんなの極めて何をさせようってんですか!」
日も沈み始めたというのに、今日もまた爺さんによるヌメヌメを出す稽古が始まる。
稽古が好きではない私は隙あれば逃げていたが、押し入れの中に隠れていたのがさっきバレて中庭に放りだされた。
逃げ足だけは昔から速い私は、稽古をちょくちょくサボったりしている。
それこそ体育の授業でドッヂボール大会をやった時とかは、球を素早く避けて毎度最後まで残るほどだったし(でも攻撃は出来ないので毎度それで負ける)、何かを避けるとか何かから逃げるのは私の得意分野であった。
しかし、と見つかってしまったならしょうがないので諦めて両手を構える。
今では着慣れた、白い袴と小袖。
ちなみに女物を着させられたことは一度もない。
「ふぉぉ~ふぉぉ~…………ヌメリこい!」
――――ペチャッ。
青いヌメヌメの液体が手から出る。
そしてこの掛け声に特別な意味はない。むしろいらない。
「……」
くそう、こんなことに力を出すのなら早く私を元の世界に戻す方法を探し出して欲しいものだ。
二年も経って、今は十六歳。
本当だったらどこかの高校を受験して高校一年生になっているはず。受かっていればの話だけれど。
お母さんもお爺ちゃんも心配していることだろうし、二年も娘が失踪していたら今頃はもう諦めモードに入っているだろう。
友達に借りていた漫画本も返さなくていけないし、あいつに借りパクされたんだけどと文句を言われるのは腑に落ちない。不可抗力である。
……ちくしょうこんなところで絶対死んでたまるか。
「肩にいるききみみを下ろしてから出すのじゃ馬鹿たれ!」
「あっ、そうだった! ききみみごめん!」
薄紫の狩衣を着ている爺さんにペシッと額を叩かれる。
「きにするなでち」
そう言って私の肩からピョンと地面に飛び下りる白い小さな生物。
私が妖怪というものを本格的に信じ始めたのは、この御屋敷に住む「ききみみ」という小さな白い妖怪に出会ってからだった。
来たばかりの頃に山の中で妖怪に襲われたことがあったが、それでも実感がなかった私。
でもその白い小さな生き物と触れ合って初めて、妖怪という存在を自分の中の常識に植え付けたはじめた。
『おなごでちか!?』
最初お屋敷の中で見かけた時は陰陽師の爺さんがよく出す紙人形かと疑ったけれど、触ると温かいしちゃんと生きている。
人間と同じ言葉をしゃべるし意思疎通も可。「~でち」という変な語尾が付く以外はどこかのマスコットキャラかと思うほどに可愛かった。
今では肩に乗せて遊んだりと仲良くなっている。
お城にも出入りしているらしく、害もなく戦にも出られない小妖怪だからと、皆は放っておいているらしい。
ききみみはこの地で生まれた妖怪のようで、ここで生きられている妖怪は、ほとんどがこの地の生まれなのだという。
色はきまって白く、妖術はいずれも人に害成すものではない。
食べる物と言ったら草や米、あわ等で人間は食べない。
「そうじゃ、言い忘れておったが次の戦に出ることになった」
「誰がです?」
腕をぐるぐる回してまた液体を出していると、爺さんがポンと手を叩く。
また戦が始まるのか。
どうせまた浦原が攻めてくるんだろう、飽きない奴らだなと思っていると、
「儂がな」
と今まで戦に出たことがないと言っていた爺さんが突然出陣宣言をしたので、中庭でベチャベチャと手から液体を垂れ流していた私の顎はパカッと落ちた。