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『物書きに禁煙は向かない』

 


  俺は深夜、某ビルの26階、屋上にいた。



  「やあ、死ぬ前に会ってみたかったよ。君が最近話題になってる魔法少女さんだね」



  そう言ってニヒルに笑ったのは、俺が大ファンの、哲学本を書いている丸山隆徳まるやまりゅうとくさんだった。


  丸山先生はヨーロッパの哲学者に感銘を受けて数多くはないが若くして哲学の著書を何冊か出していた。

 

  大学時代の俺は、その中2病っぽい作風に見事にハマってしまった。『魔法少女』という紗里子の属性をあっさり受け入れられたのも、この人から影響を受けた中2病精神を受け継いだからと言えた。



  その丸山先生が俺の目の前で、飛び降り自殺を図ろうとしていた。

  ……俺は何とか止めようとして言った。



  「……私は貴方のファンです。何かおありなら、よかったら私に話して頂けませんか」


  「君、その年で僕のファンなの? 変わってるね」


  まあ何度も言うけど中身はおっさんだから。

  丸山先生はおもむろに口を開いた。遺言のつもりなのだろうか、と俺は思った。


  「禁煙から逃れたくてね」


  「禁煙? ですか?」


  何だか意外な単語が飛び出した。


  「『禁煙』なんて言っても、むしろ君みたいな若い子には通じないかな。『タバコ』って知ってる? タ・バ・コ!」


  「……知ってます」


  「そうか。タバコなんてむしろ死語なのかとすら思ってた」


  そう言いたい丸山先生の気持ちも分からないではない。36歳の俺が大学生の時だって、キャンパス内から既に灰皿は全面撤去されていた。

  まあ俺は紗里子を引き取って以来、タバコは辞めていたのだったが。


  「……だけど、タバコがやめられなくてーーそんな事ーーをするんですか」


  丸山先生はクックッと笑った。


  「ある女性と、禁煙の約束をしていてね」


  「はい」


  「その女性は既婚で子持ちなんだ。僕にも家庭があるけどね。その子とーー『子』って年でもないけどねーー僕が作家になる前に勤めていた会社で先輩後輩の関係だったんだ。男女の仲じゃないぜ。って、こんな事中学生くらいの君に話すのもどうかと思うが」


  「お続けください。聞きたいです」


  俺は促した。


  「1年前に、その彼女と街で偶然会ってね。お互いの近況と、僕の本の事と、色々お喋りに花を咲かせた。彼女に、『丸山さん、まだ喫煙しているんですか』なんて言われたりね。そこで、僕らはメールアドレスの交換をし合ったんだ」


  「はい」


  「その後少ししてから、僕は彼女にメールを送ったんだ。『たった今から、僕は家族の為にタバコを辞める』と」


  「はい」


  俺はただただ頷いているしかなかった。


  「そうしたら、彼女はスマホの向こう側で喜んでくれてね。しかし僕は30分後にまたメールを送ったんだ。『ぷはー、タバコうめえ。禁煙終わり!』ってね」


  「その女性をからかうつもりだったんですね」


  「そんなつもりじゃなかったんだけどね。でも、彼女は予想に反して激怒した返信を送ってよこした」


  「どんなですか」


  夜のとばりが俺と丸山先生を包んでいた。風がビュンビュン吹いていた。


  「『貴方ねー……。自分の身体の事でしょ? とにかく、1週間だけでも禁煙しなさいよ。1週間後にまた返信をちょうだい。やっぱり吸っちゃった、てへ、なんて返事はいらないからね!!』ってさ」


  「丸山先生の事を心配されてたんですね」


  「どうだろうね。しかしその1週間が終わる前に、彼女が亡くなってしまったというメールが届いた。旦那さんからね。交通事故で」


  「…………」


  俺は、どう返答していいのやら困ってしまった。


  「僕は彼女の告別式に行っても、まだ信じられない思いでいた。遺影の中の彼女は明るかった。僕は1週間経っても、タバコを吸わずにいたよ。でも、もう限界だ」


  「1年も禁煙できたのなら、もうそれは継続できるんじゃないですか」


  丸山先生は首を振った。


  「お嬢ちゃんみたいな若い子にはピンと来ないだろうけど、物書きに禁煙はかなり辛いものなんだ。特に、僕みたいな古いタイプの物書きにはね」


  「……だからといって、ーー自殺ーーなんて……」


  丸山先生は横顔を見せて言った。


  「僕は、会社員時代から彼女を愛していたんだ。この1年間でそれに気付いた。精神的な不倫だね」


  「…………」


  「長い『1週間』だった。でも禁煙はもう終わりだ。僕は彼女を追う事にする」



  そう言って丸山先生は、ピョンッと足から飛び降りた。

  まるで何でもない事をするかのように。


  呪文を唱えている暇は無かった。


  俺は先生を追い夜の中に飛び込み、丸山先生の身体を両腕で包んで一緒に飛び降り、フワリと着地した。物理法則など無視だった。

  やはり紗里子の母親はルシフェルより有能だ。俺は少女の身で軽々と丸山先生を抱き抱えた。


  先生は落ちている間に気絶していたが、間も無く意識を取り戻した。


  「やっぱり……君は、魔法少女だったんだね……」


  「……はい……。先生がこれからも禁煙を続けられるように、そして執筆活動も続けられるように、呪文をかけさせて頂きます。だって先生には御家庭があるのでしょう? それに……」


  「…………」


  「私のような、ファンが、先生の著作をお待ちしてるんですから」


  俺は息を吸って吐き、呪文を唱えた。


  「エコエコマザラッコ、エコエコザルミンラック、エコエコケモノノス……。禁煙、頑張ってください」


  俺は魔法少女の変身を解いた。これで先生から俺の記憶は無くなった。


  家に帰ってから、サインを貰っておけば良かったかな、と後悔した。


  そして何気なくテレビを付けたら、収録なのだろう、丸山先生が作家の禁煙と昨今の嫌煙運動についてカメラの前で語っていた。相変わらずの中2病的論理だった。


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