夫婦愛とドール達のパヴァーヌ
夫が命よりも大事にしていた鉄道模型を妻が全部処分してしまい、その夫が「もういいよ、俺が悪かった。ごめんな」というセリフを最後に精神的に自殺してしまったという話を聞いた事がある。
自殺というか、正気が無くなってしまったというか。
俺が今いる現場はその逆で、妻が我が子のように手入れしていたドールを夫が処分してしまったという有様だった。
夫婦には子どもがいなかった。
しかもドールの値段は一体10万円前後。
俺もフィギュア屋の一角で見た事があるが、そんなにも高いのに全て売約済み。
身体の造形から洋服に至るまで見事な出来だった。
(それでも10万円は高すぎると思ったが)
しかし妻がしおれているのも無理はない話だった。
「いいのよ、私がドールにかまけて貴方の食事やアイロンかけなんかをさぼっていたから、こういう事になったの」
「そういう問題じゃないんだ。君のドールへののめり込み方が異常だったから、心配になったんだよ」
夫はオロオロしていた。
「で、君誰?」
俺の存在にやっと気づいた夫が俺の方を向く。
俺は改めて自己紹介をした。
「私は魔法少女マミ。あなた方の心の平安を取り戻しに来ました。聞けば、奥様の大切にしていたお人形を売り払ってしまったみたいですね」
夫は俯いていた。
俺は続けて言う。
「お人形マニアにとって人形達は心の支えそのもの。と、聞きました。どうにかしてそのドール達を取り戻せるよう魔法を使ってみますね」
夫は何かに勘付いたように目を丸くし、それからまたしおれた表情に戻った。
「……ああ。君が今巷で話題の『魔法少女』だね。でもね、ドールを元に戻したら妻はまた元のドールマニアに戻ってしまう。それは避けたいんだ」
「貴方が私のマリーちゃんと紅ちゃんとアリスちゃんをお金の為に売り払ったんじゃない!! いいわ、私はこれから『完璧な妻』になる。食事も豪華にして、部屋もピカピカに磨いて、お義母様の面倒も見ます。それでいいんでしょう」
妻の目は死んでいた。
冒頭の鉄道模型を処分された夫と同じ目をしていた事だろう。
俺は提案した。
「それより、お2人共が仲良くできる方法を探しましょう」
「無理よ」
「お前ぇ……!」
夫の目に光が宿った。微かな絶望の光が。
「ああ、そうだよ。お前のドールへの愛情がウザかった。俺をそっちのけにしてな。だから売り飛ばしてやったんだよ、悪いか?」
「やっぱりマリーちゃん達を憎んでいたんじゃない!!」
これでは堂々巡りだ。
俺は彼女達に愛の魔法をかける事にした。ちょうどサマンサがやるように。
「神よ魔女よ、この者達の愛を元に……。エコエコマザラッコ、エコエコザルミンラック、エコエコケモノノス……」
すると妻の目が正気に戻り、夫の目が温かなそれに変わった。心からの反省を体現していたようだった。
「あなた、ごめんなさい。私、赤ちゃんがいないから寂しかったの。それでドールにハマってた。でも赤ちゃんなんていらないわね……。あなたさえ元気でいれば良いんだもの」
夫は驚きの声をあげた。
「そんな事ない! 俺が子どもじみていたんだ、人形なんかに嫉妬したりするから。売ったドールは魔法少女さんの手を借りるまでもなく、俺が探しにいくよ」
「いいえ、本当にドールはもういいの」
「お前……」
「それより、赤ちゃんを作りましょう。成長しないドールなんかよりよっぽど有意義だわ」
「お前……!」
夫婦は固く抱き合った。
しかし、大事にしていた『物』がなくなるというのはどういう気持ちなんだろうな。
妻の方はげっそりと痩せていた。よっぽどショックだったんだろう。
飯もろくに食っていなかったのは一目瞭然だった。
俺の場合は、人間だけど紗里子と……。高校大学時代に描いたスケッチブックかな。
うーん、失くした所を想像するだにゾッとする。
まだ抱き合っている夫婦を残し、俺は魔法少女の姿を解いてそっと現場を出た。
その夫婦に可愛らしい女の子の赤ん坊が生まれたと聞いたのは、1年後の事だった。
赤ん坊の手がかからなくなってから、またドール集めをするといい……。親子一緒に。
俺は去る前に夫婦の平安を祈った。
ーー先日の、紗里子を貶めた中年2人組にやってやった『仕置き』とは全く違う気持ちで。
俺は俺自身が天使なのか悪魔なのかその存在性が分からなくなった。
まあ、結局のところ魔法少女だったんだが。




