引きこもり人間少女の使った『魔法もどき』
引きこもりの女の子の部屋の前にいた。
勿論、リリィ・ロッドに連れられての事だった。
「言葉が分からなくなる前から、部屋にこもったまんまなんです。食事も全く食べなくて……」
女の子の母親はどうしていいか分からないといったようにオロオロしている。
いきなりやって来たゴスロリ少女の手も借りたいといった様子だ。
「お母様はお部屋の中には入ってないんですか?」
と紗里子が聞くと、母親は首を振った。
「鍵を使って入ろうとしても、開かなくて。仕方がないからドア自体を壊そうとしたんですけど、それも出来ずに。何だか頑丈になってるんです」
いつもより難解な事件であろう匂いがプンプンした。
何しろ、美奈子というその14歳の女の子はクリスマス前ーー言語が乱れる前から引きこもったままなのだという。
俺と紗里子はリリィ・ロッドを使って美奈子の部屋に入ろうとした。
「リリィ・ロッドよ、この部屋の主の場へ!!」
無事に入る事が出来たが、そこはーー。
『人間の住む場所』じゃなかった。
キラキラと宝石のような煌めきがそこここにある場所。そう。
いつか行った『魔女の世界』にそっくりだったのだ。
部屋の広さも、八畳間だと聞いた情報とは違う。
煌めきと自然がただただ広がっていた。
一瞬、これは美奈子が魔女の世界に入り込んでしまったのかと思ってしまったが、それは違う。
勉強机。ベッド。本棚。
そんな日常的なものまで混ざりあっていたからだ。
これは一体どういう状態なんだ?
「私、本で読んだ事がある。これとそっくりな状態」
紗里子が重々しげに口を開いた。
「その子の思い描いた風景が具現化するっていう小説。美奈子さんにも、そういうチカラがあるのかもしれないね、パパ」
「成る程……。しかしそれにしても、魔女の世界の風景と似過ぎていやしないか?」
まずは美奈子を探さなくてはいけない。
リリィ・ロッドに命じて美奈子の元へ駆けつけると、そこには毛布を頭から被って何事かを考えるように佇んでいる少女の姿があった。黒髪の綺麗な女の子だった。
しかし美奈子は俺達の姿を見つけると、ニコリと微笑んだ。
びっくりしたのは俺達の方だった。
まるで俺達がここに来ることを分かっていたような様子だったからだ。
「貴女達、魔法少女ね。私ずっと待ってた」
「ずっと待ってたって、どういう事?」
俺は美奈子の目をまともに見据えて質問した。
「だってここは、魔女の世界でしょ? と言っても、本で読んだ世界観とごっちゃになってるけど……。魔女の世界なのに魔女も魔法少女も来ないから、私寂しかったの」
やはり、どうやらこの女の子は普通の少女とは違うようだ、というのが俺の正直な印象だった。
「私、自分の望んだ世界を作りだす事が出来ちゃったみたいなの。ある本を読んでだけどね。もう随分ここにいるけれど、お腹だって空いてないわ」
だけどこのままでいる訳にはいくまい。
「フォルスン アベルトロルテイル ベル・ゼブブ!」
『虫』を除去する呪文を唱えた。
すると、美奈子の口元からあの蛭のような『虫』が這い出てきた。
だが、部屋の風景は変わらない。
キラキラとした自然が眩く煌めいたままだった。
美奈子は言う。
「貴女達、私から『戦略』を取り除いたわね」
「戦略……?」
紗里子がどういう意味だか分からないというように聞き返した。
「私、人間の世界が嫌いなの。嘘をつく人、傲慢な人、無理矢理嫌な事を押し付けてくる人……。風景だって魔女の世界に比べたら汚らしいわ。だから……」
「だから?」
「人間の世界を魔女の世界に変えてしまいたいと思ったの。この部屋を中心にして……」
「そんな事は許されないわ」
紗里子は静かに言った。
「確かに魔女の世界は魅力的よ。でも、人間界には人間界の歴史や社会があるのよ。それをむやみに侵そうとするだなんて、貴女は悪魔と一緒よ」
紗里子も随分難しい言葉を使うようになったもんだ。
「悪魔……? 素敵……」
美奈子はウットリした。
「だけど、私の『戦略』を吐き出させてしまったからには、もうこの計画もおしまいね。残念だけど……」
そう心底悲しそうな目をすると、美奈子は何事かを呟いて、部屋を元の状態に戻した。
そこにあったのは、勉強道具や本の散らばったちょっと乱雑ではあったが普通の人間の部屋であった。
「一つ聞きたいんだけど」
俺は美奈子に向かって言った。
「貴女は魔女、に近い存在なの? それとも、私達と同じ魔法少女?」
美奈子はフフ、と笑って首を振った。
「私は普通の人間、だと思うわ。ただ……」
「ただ?」
美奈子は、久しぶりに見る人間界の殺風景な景色を窓越しに眺めた。
「さっき言った通り、魔女に関する本を読んだの。そうしたら、魔女の世界を召喚する呪文が書かれていて」
「その本を貸して」
美奈子は、肩をすくめて本棚からその分厚い本を取り、俺に手渡した。
中身は英語で書かれていた。
いつか、五芒星でルシフェルを召喚しようとした犯罪男と変わらない。俺はその本を火炎魔法で燃やしてやった。
美奈子は特に残念そうな顔もせず、無表情でその様子を眺めていた。
「エコエコマザラッコ、エコエコザルミンラック、エコエコケモノノス……!」
紗里子が活性化の呪文をかけると、美奈子の表情はイキイキし、人間界を憎む気持ちも晴れたように見えた。
多少性格が明るくなくても、普通の女の子に戻れるように心を砕いた結果だった。
それにしても、魔女の世界に通じる呪文が書いてある本が存在したとは……。
紗里子の実の父親である高田や、いつかのロシア人少女と同じように、魔女の世界に入り込んでしまった人間というのは結構な数がいるようだった。
ーー高田。
「パパ、帰ろう!」
紗里子が俺の手を握った。俺の考えている事を悟ったかのように……。




