TS
『パパ、だーい好き!!』なんてセリフを言う女子中学生なんているはずがないと思っているだろう。
いや、ここにいる。
『パパだーい好き!!』
『大きくなったらパパのお嫁さんになるの!!』
なんて、言われ始めた8年前。
『娘』の紗里子は、13歳になった今でも同じセリフを毎晩繰り返す。
俺はその度に良い気分になったり、良心の呵責に苛まれる事になる。
「だってパパ、私が魔女だと分かってても優しく接してくれるもんね」
俺の職業はそこそこ人気のある画家だ。
『娘』をモチーフに、「『紗里子』シリーズ」という洋画を描いている。これが結構評判が良い。
今日も紗里子はベッドの上で一糸纏わぬ姿を晒し、プロのモデルよろしくじいっとポーズをとっている。
俺はこの『娘』の身体のバランスが大好きだ。
ふっくらと、だが発達し過ぎぬ乳房とホクロ1つない白い、パンと張り詰めたような若々しい肌。
動かずとも、躍動感に満ちている。
少女特有のあどけなさを絵画に閉じ込める為、俺は彼女の少女時代を『残す』為に毎日筆を取っていた。
「でもさ、パパ。死んじゃったママも私と同じように魔法を使えたのかな」
「おいおい、またその話か」
紗里子はポーズを崩さず、口元だけ動かしていつもの質問を俺に投げ掛ける。
俺は内心ヒヤヒヤ物だ。
何故ってーー。
俺はこの『娘』の本当の父親ではないのだから。
「リリィ・ロッドに聞いても応えてくれないしなあ」
「……俺は知らなかったけど、まあ、ママも昔は魔女っ娘だったのかもしれないな」
いつものように『娘』の質問を右から左に流す。そうするしか術は無いのであった。
ちなみに『リリィ・ロッド』というのは魔法少女には必須の装飾過剰な例のアイテム。
魔女っ娘姿に変身する時に異世界から召喚される魔法のステッキだ。
「紗里子、余計な事を言ってパパを困らすんじゃありませんニャー」
部屋の隅で大人しくしていた三毛猫のルナが人語で紗里子をたしなめる。
ルナという名前だが性別はオスだ。
8年前、紗里が魔法少女として『覚醒』した前日に家に迷い込んできた。
三毛猫のオスは珍しい。
全三毛猫の3万匹に1匹程度しか生まれないらしい。
だからと言って喋る猫などいないだろうが、俺はこのルナの存在も紗里子の『覚醒』に関係があるのではと思っていた。
「はいはい、ルナは煩いんだから」
紗里子はぶーっと唇を突き出し、「ちょっと喉渇いちゃった。お水飲んでいい?」と言ってテーブルに置いてあるペットボトルに口を付けた。
「どれくらいまで描けた? 私、パパだけじゃなくパパの描いてくれる絵も大好き!」
と、紗里子はまるで花のように微笑んだ。
近く開催する個展の打ち合わせを会場のオーナーと済ませ、俺はその日の夜、車を走らせていた。
(紗里子に、本当の父親の事をいつ教えるべきか)
早い方がいいか。
それとも、18歳くらいになるまで待とうか。
俺の心中は紗里子が成長していくにつれてその悩みを大きく膨らませていった。
ーーしかも紗里子は普通の娘じゃない、魔法少女だーー。
これは明らかに紗里子の中に流れる『血』が関係しているに違いない。
グルグルとそんな事を考えていた為か……。俺は油断していた。
ドスン!!
!?
車は前方向を走っていた黒塗りの高級車にぶつかってしまっていた。
その車の中から、派手なシャツを着た男達がゾロゾロと出て来る。
ーーソイツらは、如何にもその筋の人達にしか見えなかった。
「おい、アンタ。やっちまったなあ?」
黒いグラサンをかけた細身の男がニヤニヤしながらそんなセリフを吐く。
本当は窓など開けたくなかったが、この場合仕方がなかった。
「す、すみません、今すぐ警察を……」
俺はしどろもどろに応対した。
「アアン? 警察ウ? そんなもん呼ぶ必要ねえんだよ、示談交渉といこうぜ、なあオッサン?」
「い、いやしかし、そういう訳にも……」
「ッるっせ、見ろよ俺らの車を! 凹んでんじゃねえか、車が可哀相に、なあ!?」
もう1人の男が俺の乗った車のドアを思い切り蹴り上げた。これでこちらの車も随分凹んだはずなのだが。
「とりあえずソコから降りろよ、オッサン」
そこで、俺は紗里子の存在を思い出した。俺の危機には、どういう訳か瞬時に察知して必ず魔法少女に変身して助けに来てくれる紗里子。
ーーそこへーー。
「そこまでよ、お兄さん達!」
来てくれた。紗里子が来てくれたんだ。
「紗里子!!」
「ァア!? 何だこのガキ!」
「おかしな格好しやがって。ふざけてんのか!?」
「ガキの出る幕じゃねえんだよ、っていうか何だそのケッタイな格好、学芸会かお嬢ちゃん?」
チンピラ達は口々に目の前の魔法少女に罵声を浴びせる。
「見た所、パパの方が貴方達の車に傷を付けてしまったようね」
魔法使い紗里子はリリィ・ロッドを軽やかに振り回し、魔法の呪文をかける。
変身した紗里子の姿はゴスロリ風ブルーのジャンパースカートにその下には白い半袖のブラウス。
身体は内側から淡くオレンジ色に発光し、闇夜に浮かび上がる。
その肌色は一目で普通の人間ではない事を思わせる。
危険察知能力というものには人一倍敏感であろう『その筋のお兄さん達』は、自分でも知らず知らずの内に紗里子を遠巻きにして身構えていた。
「エコエコマザラッコ、エコエコザルミンラック、エコエコケモノノス、リリィ・ロッドよ、このお兄さん達の車を元の姿に戻して!!」
リリィ・ロッドと呼ばれた百合の花を形取ったその『ステッキ』からチカチカする光りがチンピラ達の車を覆い隠すと。
次の瞬間には、俺が凹ませたその車はすっかり元通りになっていた。
ポカーンと口を開けて事の成り行きを見つめるチンピラ達。
「さあお兄さん達、ウチのパパがご免なさいね。車は元に戻したわ、行ってくれる?」
キラキラとした小粒の星のような光に包まれた魔法少女がピョコンとお辞儀をする。
ハッと我に返るチンピラ達。
どっこいヤツらはこの神秘的な現象を目の当たりにしても金とプライドの方を選んだようだった。
というより、あまりに非現実的な出来事にパニクって、正常な判断ができないまま迫って来たというのが正しいか。
「く、車の問題じゃねェんだよ、金だよ、金ェ!!」
「そ、そうだ、おいオッサン、てめえの運転のせいで指痛めちまったよ、どうしてくれんだ!!」
紗里子の方を意図的に無視し、チンピラ達は俺の方に向かって来た。
「だからお兄さん達、謝っているし車も凹みが消えたじゃない。指だって大丈夫そうだし」
紗里子が肩をすくめて続ける。
「もし本当に指を痛めてしまったんなら治して差し上げるわ」
「うるせえ!!」
チンピラの内の1人が紗里子に襲いかかろうとした。こういう命知らずなのが一番危ないんだ。
例え、紗里子が魔法少女だとしても。
「紗里子!!」
俺はチンピラを止めに入ろうとする。
「パパ!! 私は大丈夫だから……あっ!!」
時遅し、チンピラの腕が紗里子の肩を掴み、その弾みでリリィ・ロッドが宙に舞った。
その『アイテム』たるリリィ・ロッドが俺の目の前に飛ばされてくる。
紗里子が大声で叫ぶ。
「パパ!! リリィ・ロッドには手を触れないで!! 触っちゃったら、パパが……!!!」
所が既にリリィ・ロッドは俺の腕の中で光を放っていた。
え? コレって俺が触っちゃいけないシロモノなのか……? 初めて聞いたんだけど。
何だか視界がグルグルする。
ーーいや、違う。
視点が、下方にズレてきているのだ。
「パパァ!!」
紗里子が絶望に似た悲鳴をあげる。
ーー何だ? やけに服がブカブカになっているようなーー。
腕。
腕が、細い。白い。短い。
俺はその細く白い腕で身体中をまさぐった。
全体的に柔っこい。
ささやかながら、胸にプックリとした膨らみらしき物がある。
ーーそして本来そこにあるべきモノ、俺の下半身のシンボルが、無い。
ーー俺はーー。
女の子の姿に、なっていた。
おっさんが少女化するという珍現象を見せ付けられたチンピラ達は余りの恐ろしさに狂ったようになり、いつの間にか車ごといなくなっていた。
魔法少女紗里子の存在は、程なく彼らの頭の中から消え去るはずだった。
紗里子の魔法はそういう特殊能力も備えているから。
ーーその法則は、俺には作動しない。紗里子がリリィ・ロッドに「お願い」したという事で、俺は紗里子の魔法少女姿をバッチリ記憶している。
……って、どうしようこの身体。とりあえず運転が出来ないので、車は紗里子の伸縮の魔法でミニカーに変身させ、ポケットの中に入れて帰りは電車を使う事にした。