軋みながら壊れながら
光……
混濁とした意識を柔らかい光が覚醒させる。
「………。」
見慣れない白い天井。
窓には薄いカーテンが優しい光を帯びてひらひらと揺れている。
眩しい……。
身体を起こした瞬間、身体に違和感を感じた。
無い……。
恐る恐る左手を右腕へ伸ばす。
「っ!?」
掴んだのは布だけで中身が無い。
「あ……あ…………あぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
記憶が走馬灯のように蘇る。
僕は……僕はっ!!
ガラッ
音のした方を振り向くと、金髪の少年が扉の前に立っていた。
「……なんだ元気そうじゃん。」
「ロラン……。」
ロランはベッドのすぐ横の椅子にひょいと座る。
「あーあ、そのままくたばってくれたら良かったのに。」
そう言ってフワリと可愛らしくほほ笑んだ。
「……そうかもしれない。」
「え?」
「……僕なんか、死んでた方が良かったかもしれない。」
「………。」
「どうして僕……生きてるんだろ……。うっ……ひぐっ……。」
ボロボロと涙が零れ落ちる。
脳裏に焼き付く恐怖に歪んだ顔。
耳に残る声にならない声。
左手に残る確かな感触。
僕は……僕は………
「お前さ……それ本気で言ってる?」
「だって僕はっ!!」
「ふざけんなっ!!」
突如、頬に衝撃が走った。
前を見るとロランが拳を握りしめ、コチラを睨んでいる。
どうやら殴られたらしい。
「……なにすんの?」
「ちょっと数人殺したぐらいで何言ってんの?」
「っ!!」
「反政府軍のリーダーと幹部勢を殺ったんでしょ?むしろ英雄じゃん?もっと嬉しそうな顔すれば?」
「そんなことっ!!」
「そんなことできない?あはは……あははははっ!!」
少年は顔を手で覆い、壊れたように笑い出した。
「そっかぁ、そうだよねぇ。人殺しはダメだもんねぇ?じゃあ、お前にとって僕はさぞかし醜く見えてるんだろうね?」
「違っ!?」
「仕事とはいえ毎日毎日人殺して、こんな僕はきっと死んだ方がいい。そう思ってるんでしょ?」
「ロラン……違う……。」
「違わないよ。」
「っ!!」
ロランの顔からスっと笑顔が消える。
「ねぇ……どうして僕がこんな仕事してるか教えてあげようか?」
「……どう…して?」
「お前には言うなって言われてたけどさ、僕、死刑囚なんだよねぇ。」
「死刑囚!?ロランが!?」
「そ。」
ロランは再びフワリと可愛らしく微笑む。
「僕さ、昔金持ちに飼われてたんだよねぇ。」
「なっ!?」
「むしろ飼われるために産まれたんだよねぇ、僕。見た目の良い男女を掛け合わせて産まれた、所謂血統書付きってやつ?」
「そんなことしていいの!?」
「違法だよ。でも僕はそうして確かにここに居る。」
「……。」
「物心つく前に飼い主決まったから、親の顔も名前も覚えて無いし、ロラン・エルヴェシウスという名前もただの商品名に過ぎないよ。」
淡々と語るロランに、どう声をかけて良いのか分からない。
困惑する僕を見て、ロランは一層嬉しそうに微笑む。
「まぁ始めは良かったよ。僕は愛玩用だし、可愛く笑ってれば喜んで貰えるし。でもさ、ある日知っちゃったんだよね……愛玩用として飼われる人間の末路ってやつ?人間ってさぁ、犬や猫みたいにずっと可愛い姿でいれるわけじゃないんだよねぇ。」
「そんな……。」
ロランは微笑むだけで何も言わない。
「……ロラン。」
「そんな中で日々自分の身体が成長していく恐怖ってわかる?」
「………。」
「だから殺した。屋敷にいる人間……全員ね。」
「ロ…ラン……そんな……。」
「それで死刑になるはずだったんだけどさ……ヴォルグが、生きる道を繋いでくれた。死刑撤回にはならなかったけど、狙撃手・処刑人として働くことと引き換えに執行猶予が貰えてるよう交渉してくれた。酷い条件だけど、これでも相当大変だったと思うよ。だから僕は……生きてる限り死ぬまで人を殺し続けなければならい。それでも僕は生きたい。そう思っちゃダメなの?ねぇ、僕はどうすれば良かったの?教えてよ……ねぇ。今すぐにでも僕は死んだ方がいい?答えてよっ!!」
「……ごめん……ごめん…なさい。」
ただただ涙が止まらない。
いつも平気な顔してたのに、ずっとこんなものを背負っていたなんて知らなかった……。
僕は何も知らなくて、何も考えて無くて、きっとロランを傷付けるような事を沢山言ってしまった。
きっと……沢山……。
無知は罪……本当にそうだ。
こんなの、嫌われて当然だ。
「とにかく、僕は何も考えずに死にたいなんて言う奴が大嫌いだ。今すぐにでも殺してやりたいぐらいね。瀕死の状態のお前を、アフィアがどれだけ必死に助けようとしたかわかる?お前一週間以上も昏睡状態だったんだよ?植物状態になるかもしれないまで言われてた。その間アフィアがどんな思いで待っていたかわかる?」
一週間も僕は……
そう言えば、意識を失う直前に聞こえたのは、僕の名前を呼ぶアフィアの悲鳴にも似た叫び声だった気がする。
「初めに来たのが、僕で良かった。お前がもしアフィアの前で死にたいなんて言ってたら僕は……お前を殺していたかもしれない。」
「……ありがとう。」
「別にお前の為じゃないから。ただ、本当にムカついただけ。」
「……うん。」
「んじゃ、医者とエヴァンさんに連絡するから。」
「父さん…。」
「……僕が来る少し前まで、エヴァンさんが居てたよ。あの人、多分ろくに寝てないし、ご飯も食べれてない。」
「……だろうね。」
そうだ。
僕にはまだ父さんがいる。
あの人を置いては死ねない。
父さんはきっと、僕の後を追ってしまう。
あの人にはもう、僕しかいないのだから……
携帯電話を耳にあてるロランをぼんやりと眺める。
「……あ、エヴァンさん。ロランです。目、覚ましましたよ。………はい。大丈夫です。意識もしっかりしてます。………わかりました。では僕はこれで。……はい、失礼します。」
ロランは電話を切ると、前髪をかきあげた。
こうして見ると、本当に綺麗な顔をしている。
まさに美少年と言った感じだ。
「……何?」
コチラの視線に気付いたロランは不機嫌そうに言う。
「あ、いや……ロランってさ、父さんに話す時は凄く丁寧に話すんだなぁと思って。」
「当たり前じゃん。あの人は……本当に凄いよ。あんなに愛されて生きてきたお前が羨ましいよ。」
「………。」
「とりあえず、エヴァンさんすぐ来るってさ。んじゃ、僕はこれで。」
そう言うとロランはスタスタと病室のドアへ歩いて行った。
「あっ!!ロラン、ありがとう!!」
ロランは振り返らずに立ち止まった。
「もし、アフィアの前で死にたいなんて言ったら……お前を殺すから。」
それだけ言うとロランは廊下へと消えていった。
それから10分程経って、病室のドアが勢いよく開いた。
「あ……父さ…うわぁっ!?」
凄まじい勢いで抱きつかれ、思わず大きな声が出てしまった。
「ちょっ、父さん苦しいっ。」
「良かった……本当に良かった……。」
「父さん?」
「もう話せないかと……もう動かないかと……」
「……うん。ごめんなさい。本当にごめん。」
僕は震える父さんの身体を、片腕で抱きしめた。
******
はぁ、疲れた。
タイミングが良いのか悪いのか……
どうして僕がアイツをこんなに気にかけなきゃならないのか。
思い返しただけでもイライラする。
「ああーー!!クソがっ!!」
ロランは思い切り壁を殴った。
「つっ!!」
痛い……何やってんだ、僕。
手を壊してしまったら、自分の存在価値が無くなる。
ロランはため息をついて壁にもたれる。
抗ったってどうせ無駄なのだ。
心を決めなければ……
ポツリ
音の方を見ると窓ガラスに水滴が付いていた。
雨か……
雨音はみるみる大きくなる。
……大丈夫かな?
本部の屋上へ行くと、雨にも関わらず傘もささずに柵にもたれぼんやり空を眺める少女の姿があった。
ロランは傘をさして少女に駆け寄った。
「やっぱりここに居た!アフィア、そんなことしてると風邪引くよ?」
そう言ってもう1本持ってきた傘を差し出した。
しかし少女は見向きもしない。
仕方なくロランは精一杯腕を伸ばし、少女を傘に入れる。
腕が辛い。
本当に身長差が恨めしい。
「目を覚ましたよ……アイツ。」
「……聞いた。」
「行かなくていいの?」
「……別にいい。」
「どうして?助けたかったんでしょ?」
「………。」
少女はぼんやりと宙を眺めるだけだ。
ずぶ濡れになった髪から、ぽたぽたと水が頬を伝って流れる。
「……アフィア?」
「なぁ、ロラン。俺は……俺は一体何者なんだ?」
少女が絞り出した声は酷く震えている。
こんなアフィアの姿を見を見たのは初めてかもしれない。
「……アフィアがそんなこと聞くなんてらしくないね。」
「………。」
「アフィアはアフィアだよ。例え何者だろうが、何であろうが、君は僕の大好きなアフィアだよ。違う?」
「………。」
少女は少し目を見開いた。
「そんなウジウジしてないで、さっさと行ったら?それに、多少なりとも責任感じてるなら、一体何があったのかアフィアの口から話した方が良いんじゃない?」
「でも、俺は……。」
「そんな顔で行ったら逆に心配されちゃうよ?一度家に帰って、服着替えて髪乾かしてから行きな。」
「……俺らしく無かったな。悪い。」
「うん。」
少女は顔を拭いながら前髪を掻き上げ、大きく深呼吸した。
「行ってくる。傘、借りるぞ。」
「……行ってらっしゃい。」
傘を手に遠ざかっていく少女の後姿をじっと見詰める。
……行かせたくない。
このまま、彼女を行かせたくない。
待ってっ!!
彼女が消えるその瞬間、思わず叫びそうになったが必死に飲み込んだ。
「ははは……本当に僕っていい子。」
ロランは静かに傘を下ろした。
雨が身体の体温を一気に奪っていく。
わかってる。
こんな運命という鎖にがんじ絡めの状態の僕が、彼女を幸せにできないことぐらい。
でもやっぱり……
「辛いな。」
******
「………。」
アフィアは病室のドアに伸ばした手をそっと下ろした。
何を話せばいい?
何と言えばいい?
分からない……
我ながらここまで来ておいて情けない。
「……クソが。」
アフィアはそう呟くと、勢い良く病室のドアを開けた。
「あ……。」
ベッドで寝ながら上体を起こした少年とバッチリ目が合った。
「えっと……。」
少年の青い瞳が揺れる。
「久しぶり?」
少年は少し困ったように笑いながらそう言った。
「久しぶり…じゃねぇだろ。」
アフィアはズカズカと少年の前まで早足で歩き、少年胸倉を掴んだ。
「何故あんな事をした!?死んでたかもしれねぇんだぞ!?」
少年は少し俯く。
長く美しい銀色の睫毛が良くわかる。
「うん……ごめん。」
……違う。
こんな事を言いに来た訳じゃない。
でも、何を言えばいいかもわからない。
「でもね……やっぱり良かった。」
少年は顔を上げ、ふわっと微笑んだ。
「アフィアも僕も……生きてる。生きて、また、話せた。それが今は……嬉しい。」
少年の瞳からポロリと涙が零れた。
「助けてくれて、ありがとう。」
違う……
助けられたのは俺の方だ。
俺のせいで、こいつは片腕を失った。
俺のせいで、こいつは人を殺してしまった。
俺のせいで、大切なものを沢山失わせた。
俺のせいで、もう……元の生活には戻れない。
なのに……
なのに何故、ありがとうなんて言葉が言える?
何故……
「……アフィア?もしかして……泣いてる?」
「……泣いてねぇ。」
「え、あ……ティッシュ……いる?」
「……いる。」
「やっぱり泣いてるじゃん。」
「泣いてねぇ。」
「ふふっ。初めて見た。」
「泣いてねぇつってんだろ。」
「ごめんごめん。はい、どうぞ。」
少年は楽しそうに笑いながら箱ティッシュを差し出してきた。
アフィアはティッシュを奪い取り鼻をかんだ。
そんな姿を見て少年はクスクス笑う。
……不愉快。
でも少し、安心した。
目を覚ましても、もう駄目だと思っていたから……
「……悪かった。」
「ん?」
「俺のせいでこんな事になって……その……悪かった。」
少年はまたクスクスと笑う。
「……何がおかしい?」
「いや、アフィアも反省するんだなぁと思って。」
「お前……俺を何だと思ってる?」
「ごめんって。ガン飛ばさないで。怖いから。」
少年は苦笑いする。
そしてフワリと微笑んだ。
「アフィア、こういう時ってなんて言うのがいいか知ってる?」
「……?」
「謝るんじゃなくて、ありがとうって言うんだよ。少なくとも僕はそっちの方が嬉しいかな。」
「……ありがと。」
「っ!?言ったっ!?」
「てめぇ殺すぞ。」
「ちょっ、さっきと言ってること違うよ!?」
「殺す。」
「怖いからっ!!目、怖いからっ!!冗談じゃんっ!!ね?」
「俺だって冗談だ。」
「いや、目が本気だからっ!!怖いってっ!!」
しょうもない会話だ。
でも、こんなふうに喋れるようになったのは……いつからだろう?
こんなふうに冗談まで言えるようになったのは……いつからだろう?
「生きててくれて……良かった。」
「……うん。」
******
これはまだほんの序章。
これを機に、
運命の歯車は速度を上げて回り出す。
軋みながら
壊れながら
たとえ最期が見えていようとも、
そこへ向けて僕等は真っ直ぐ進むしかない。
そう、
真っ直ぐ……
真っ直ぐ……