第8話
“酔っぱらい騒動”からまるまる一週間が経った。
ボクたちはいつものように自分たちの仕事をこなし、テキパキと働く。明日はお待ちかねのお休みの日だ。そう考えると一つ一つの作業に力がはいる。
今も今とて、客間の布団をそそくさと片付けている。
「ふうっ。布団ってなんでこんなにふかふかで気持ちいいんだろうなぁ」
布団を抱きかかえながら、ポツリとつぶやいた。ボクは案外、この作業が好きなんだ。だってモフモフしてて気持ちいいし。
それに……。
「この部屋、いい香りがするんだよねぇ……」
どんな人が泊まっていたのかはわからないが、柑橘類系のいい匂いがする。……でも不思議なことに、ここ最近はよくこの匂いをあっちこっちの場所で感じるんだよね。
……にしても、いい匂いだなぁ。
「すうぅぅぅぅぅうっ、はぁ――」
「……あの、カケルさんっ?」
「げっほ、げほげほっ! イ、イチちゃん?」
どうしてここにいるのっ!? 市ちゃんは違う部屋担当だよねっ!?
……っていうか、見られた、……のか?
「…………」
「…………」
しばしの無言。
「……あっ、あの一つ聞きたいことがあるんですがいいですかっ?」
「は、はいでありますッ!」
思わず変な声が出ちゃったよ。
それにしても聞きたいことって何? ……まさか……ッ!
ゴクリとのどを鳴らし、グっと身構える。
「あの……っ」
「……ッ」
「……この旅館って、幽霊とか出るんですか?」
「いや違うよイチちゃん、ボクはただこの布団はもう買い替えなきゃいけないのかなって確かめようとしただけでだから匂いをかいでみただけで別にボクがヨシナリみたいな匂いフェチとか決してそういうことじゃ……――はっ? 幽霊……?」
「はい、幽霊ですっ」
な、なんだそんな話か! てっきりボクは匂いフェチだということがバレて、みんなに言いふらされるものだと……。
……ん?
「……イチちゃん、なんて言ったかもう一回お願いできる?」
「えっと……、この旅館には幽霊がいるんですか?」
いやいやいや、幽霊なんて見たこともないし聞いたこともないよ。でもなんで市ちゃんはそんなことを尋ねてきたんだ?
「ボクはそんな話耳にしたことないけどなぁ」
「……そ、そうですかっ」
ほら、やっぱり。市ちゃん、なにか隠してるな?
ボクはそれが何なのか聞き出すため、率直に質問した。
「突然どうしたのさ。なにかあったの?」
「…………」
市ちゃんは途端にうつむいてしまった。おやおや、これは絶対なにかあったでしょ。
ボクはできる限りの優しい声色で、
「なにか不安なことがあるんだったら遠慮なく相談しなよ? ボクたちは”家族”みたいなもんだから」
「――っ」
ボクの誠心誠意の言葉が届いたのか、市ちゃんは重い口をひらいてくれた。
「実は……ここ最近、変なことが……」
「……変なこと?」
「……はい」
ため込んでいたものが多かったらしく、市ちゃんは必死に言葉を紡いでいく。
「例えばですね。みんなで露天風呂に入ろうとしたとき、ドアをあけた瞬間サッて黒い影が動いたり、サウナにいるはずなのに急に寒気がしたり……。そ、それについさっきもっ、お部屋の掃除をしていたら押入れの扉がガタガタって音を立ててっ。勇気をだして中を見てみたんですけど、もちろんなんにもなくてっ……これって絶対幽霊ですよねっ!?」
「……うーん……」
確かにそういわれてみれば、ボクも心当たりが……。
もしかするとこの柑橘類の香りもその”幽霊”のしわざだったりして。
……そんな幽霊なんかいないか!
でも幽霊に関する話は一応、時さんに報告しておいたほうがいいかもしれない。
「このことは念のためトキさんに言っておくね」
「は、はいっ。お願いしますっ!」
「もしなんかあったらちゃんと言うんだよ? ボクにできることなんて……限られてるけど、なんとか力になるから!」
「……はいっ。ありがとうございますっ」
市ちゃんは丁寧に頭を下げてから、自分の仕事に戻った。
とりあえずボクは時さんのもとへ報告しにいった。彼女も思うところがあるらしく、険しい顔つきで検討すると言っていた。
それにしても。
「幽霊、かぁ」
こんな旅館に取りつく幽霊なんて、きっともの好きの変わり者なんだろうなぁ。
……なんて思っちゃった。
時さんの部屋からの帰り道、そんなことを考えていると、
ドンッ
「きゃっ」
「うわっ、申し訳ございません!」
ちょうど曲がり角のところで、見知らぬ女性とぶつかってしまった。
やっばい、考え事しながら歩いてたからだ!
「だ、大丈夫ですかっ?」
「は、はいですわ」
ぶつかってしまったのは、白いワンピースをきた女性だった。ボクと同じか、少し年上くらいだろう。
オレンジ色の髪からは、とてもいい匂いがした。
「ほ、本当に申し訳ありませんでした!」
「お、お気になさらずっ!」
そう言い残して、彼女はふわっとその場から去っていった。顔が赤くなっていたから、きっと怒りをおさえてくれたのだろう。ありがたいことこの上ない。
……ん?
ボクはそこでひっかかりを覚えた。
「……柑橘系の、甘い香り?」
白いワンピースの彼女から、最近よく鼻にする香りがしたのだ。
……まさかね?
なんて思ったが、もう彼女はどこかへ行ってしまったのだからどうしようもない。
「うっし。気を取り直して、仕事しますか!」
なんたってお待ちかねの休日ですからね!
明日を楽しみにしながら、ボクも仕事に戻った。