第7話
翌日の朝。
ちゅんちゅんっと小鳥のさえずる声を耳にしてボクは気持ちよく目を覚ました。
――のだが。
「おはようカケル」
「…………」
「…………」
なぜだか時さんが馬乗りになって、ボクの寝顔を眺めていた。
……。
「……いい朝ですね、トキさん」
「私がなぜいるかはスルーする気だな?」
だって聞くだけ無駄だもん、きっと。
時さんは、はあっとため息をついてボクからおりた。
「えっと、なにか用があってボクの部屋まできたんですよね?」
「あぁ、朝食をすませた後でいいからわたしの部屋にきてほしい。話したいことがあるのでな」
「わかりました。じゃあ今から着替えたりして、準備を始めますね」
「頼む」
そう返事して時さんは部屋の出口まで歩いていったが、どうしたことか、出ようとしない。
「あの……トキさん?」
「ん、どうした?」
「なんで扉にもたれかけてこっちをじっと見つめてるんですか? 着替えられないんですけど……」
「気にするな。さあ、早く着替えてくれ」
「できるかぁッ!」
この人にはデリカシーやら羞恥心とかいう概念がないのか? どうして異性が着替えるところをまじまじと見られるかな。
……まさか、ね。
「ト、トキさん……。まさかとは思いますが、ボクのセクスィーなヌギヌギシーンを見たいという……わけじゃあるまいな……?」
ボクの質問をうけた時さんは、「やれやれカケルときたら困ったもんだな……」とでも言いたげな表情を浮かべてから、
「…………いかにもッ!」
「今すぐ出てってください!!」
腕を組みながら、堂々と答えやがったよこの人は……ッ! ボクは背中を押して、無理やり時さんを部屋から追い出した。
その際、時さんのふてくされた表情を、不覚にも可愛いなって思ってしまった。
時さんは奇想天外な行動でボクの心臓をいじめるのが好きなんじゃないか、と最近思い始めている。
「……あー、ドキドキした……」
誰もいない部屋で、一人ぽつりとつぶやいた。
「あれっ、ヒメ。おはよう」
「カケルか。おはよ」
朝の準備を終えたボクは、時さんの部屋にむかう途中で姫に出会った。
しかし出くわした場所が場所で、この道の先には時さんの部屋しかない。
……ということは。
「もしかして、アンタもトキさんに呼ばれたワケ?」
ボクが尋ねる前に姫が口を開いた。
やっぱり、か。
「そうだよ。ということは姫もなんだね」
「うん、そう。いったい何の話をするつもりなんだか」
「だねぇ」
適当に相槌を打ちながら、ボクはちらっと姫の横顔を盗み見た。
透き通るくらいきれいな肌に、くっきりとした碧眼の瞳。財宝のようにキラキラと輝く美しい金髪をした彼女は、まるでこの世の美しいものをかき集めてできた神様の芸術作品のようだ。
……こいつって、こんなにも綺麗だったんだな。
ついついそんなことを思ってしまった。……って、なに言ってんだボク!
これはあくまでも見た目に限った話であって、中身はとんでもないんだ! ちょっとしたことで不機嫌になるし、人のことをコキ扱うし。
それこそ本当にお姫様のような性格なんだ。
でも不思議なことに、ボクはそれを嫌だと思ったことはなかった。
一度も。
……あれ?
ボクはふと気づいてしまった。
――どうしてボクは、一回も嫌だと思ったことがないんだ?
……んなバカな。
ある一つの仮定にたどりつき、首を横にふった。
と、そこで、
「……アンタ、なに首ふってんの?」
「えっ!?」
隣で歩いていた姫に訝られてしまった。っとぉぉお! 危ない危ないッ!
「な、なんでもないよ! うん、なんでもないッ!」
「あやしいなー、ん~?」
「っ」
さらに不思議に思った彼女は、じーっとボクの目を見つめてきた。
――鼻先がぶつかる手前まで、顔を近づけて。
ドクドクドクドクドクッ
鼓動が、今まで経験したことがないくらいまで、強く高鳴る。
エメラルドの宝石のような瞳に、吸い込まれそうになる。
息が、続かない。
思考が停止し、なにも考えられなくなる。
どのくらい経っただろうか。ボクにとっては数分、数十分の時間が流れてしまったかのように感じられたとき、ようやっと姫は顔を離した。
「まあ、いいや。ウチには関係ないことだし」
「……すぅぅ、はぁ」
久しぶりにまともな息を吸えた気がした。今の気分はまるで、釣られてしまった魚のリリースされたときの気持ちだ。
「ほらっ、さっさといくよ」
「……うん」
再び歩きだした姫に置いていかれないよう、ボクも歩き出すのだった。
その途中、ふと思い当たってしまった。
――あのとき姫は、なんともなかったのかって。
ボクみたいにならなかったのか、ってさ。
「あっ、アサも呼ばれてたんだ!」
「ヒメ姉! それと……カケル……兄も」
時さんの部屋の前にたどりついたボクと姫は、そこで朝ちゃんがいることに気がついた。
きっと、彼女も来るようにいわれてるのだろう。
「アサちゃん、おはよう」
「……ん」
……おふぅ、やっぱりこの反応でございますか。
「アサ、トキさんは部屋にいるの?」
「うん、中から声が聞こえてくるから、いるはずだよ」
「オッケー。トキさーん、お邪魔しまーす」
「ちょっ、ヒメ! せめてノックくらいしろよ!」
待つのが嫌いな姫は、時さんがいると知ったや否や扉を開けて中へと足を踏み入れた。
「……それでなぁ~、彼はこういったんだ。『いい朝ですね、トキさん』って。ひどいと思わないか、ココア?」
「……ト、トキさん?」
ボクらが目にした光景。それは中学生くらいの褐色肌をした少女が、犬のぬいぐるみ相手に楽しそうにお喋りしているところだった。
……と、時さん。
しかし彼女はこちらにまったく気づいていないようで、まだまだぬいぐるみとコミュニケーションをはかる。
「私だって勇気出して頑張ったんだから、襲うくらいしてくれたっていいのにな、まったく……ん?」
あっ、こっち見た。
「…………」
「…………」
「…………よ、」
「………よ?」
「ようこそ、わがファンタジーワールドへ!」
なかったことにする気ですね、了解しました。
「トキさん、どうしてぬいぐるみに話しかけてるんですか?」
「……な……っ!?」
姫のバカは尋ねちゃったよ、おい! 空気読めってぇぇぇぇえっ! あの時さんが汗ダラダラじゃんか!
「い、いや、それはだな……。……コミュニケーション能力を鍛えてたんだよ、ほらこのご時世、大事だろ?」
いくらなんでもぬいぐるみ相手にそれはないのでは……?
だけど姫は、
「へぇ、さすがトキさんですね! ウチも見習わなきゃ……っ!」
あっ、そういえばこの子おバカでしたね。
「やれやれ、困ったお姫様だね」という意味合いを込めて、ボクは朝ちゃんの顔を見た。
「―――っ」
朝ちゃんもボクのことを見ていたらしく、ふっと目が合った。
一瞬目が大きく見ひらき、頬が紅潮した気がしたが、そのあとすぐ――
「……ふふっ」
「ははっ!」
ボクたちは思わず吹き出し、笑顔になった。――久しぶりな気分だな。
「ご、ごほんっ、改めて。お前たち、よく私の部屋まで来てくれた」
その場の空気を入れ替えるかのように、時さんが仕切り直してくれた。
時さんの部屋。さっき時さん自身も言っていたとおり、彼女の部屋はファンタジー・ワールドそのものだ。
ピンクの水玉模様の壁紙を基調し、いたるところに動物のぬいぐるみが置かれている。どれもかわいらしくデフォルメされていて、これこそが『ザ・オンナノコの部屋』って感じだ。
普段から豪快な時さんの言動からは想像もできないが、きっと時さんにもこういう一面があるのだろう。
これはオンナノコだけではなく、男女ともにいえることだ。
「それでトキさん、どうしてボクたちのことを呼んだんですか?」
ボクは単刀直入に切りこんだ。
時さんは、そうだなと顎に手をあてて、
「お前たちに話しておきたいことがあってな。特別な話ってわけでもないんだが」
「お話、ですか……」
朝ちゃんが少し低めのトーンでつぶやいた。気の利く彼女のことだから、なんとなく察しているのかもしれない。
時さんは一拍おいてから、ゆっくりと、
「詳しいことは話さないが、あいつら、ヨシナリたちのことでな」
「あぁ、ヨシナリたちがどうかしたんですか?」
「うむ。……あいつらもお前たちと”同じ”、だ」
「「「――っ」」」
その言葉を聞いたボクたちは、息をのんでしまった。
……ボクたちと”同じ”か。
その様子を見て時さんは、
「別に特別に接しろとか、そんなことを言ってるんじゃない。ただ、知っておいてほしかったのさ。それに、今よりもっと仲良くなってほしくてな」
「……ありがとうございます」
みんなを代表してボクは感謝の意を伝えた。
「いいさいいさ、私は私のしたいことをしているだけだから」
時さんはいつだってボクたちのことを第一に考えてくれている。……感謝しかないんだ。
「よしっ、話は以上だ。帰っていいぞ~。みんな、休日は有意義に使えよ」
「「「はい」」」
では失礼しますと挨拶してから、時さんに背をむけた。
と、その時。
「おいアサ、これをやるよっ」
「……あっ」
朝ちゃんは時さんからぬいぐるみを放り渡された。ボクの視点からじゃ、どんなぬいぐるみか見えなかったが。
「……えへへっ。ありがとうございますっ」
「いいってことよ!」
その笑顔から、素敵なだと贈り物だということはわかったよ。
時さんの部屋からでたその帰り道で、ややあって、吉成たち新人の話題になった。
「ウチはヨシナリくんのこと、あまりよくは思わないなぁ」
「どうしてさ、ヒメ。あいつ嫌なやつだけど、良いやつだよ?」
「カケル兄、それ矛盾してるよ」
どうやら姫は、吉成に良い印象を持っていないらしい。ほっ……。
――ほっ?
どうして安心したんだよ。意味が分からない。
姫は続けて、
「でもイチちゃんとはいい関係になりそうかな~!」
「あぁ、ヒメのまわりのこととか、喜んでしちゃいそうだもんね」
「ひどい、そういうことじゃないのにっ! ウチは単純に、仲良くなれそうって思うの!」
いやぁ、姫のわがままに困ってる市ちゃんの様子が目に浮かぶよ?
「……カ、カケル兄は、……イチさんのこと、どう思うの?」
「へっ? ボクがイチちゃんのことを?」
「うんっ」
ともて真剣な表情で、ボクの顔を覗き込んでくる朝ちゃん。
そ、そんなに大事なことなの?
ボクはなるべく、優しい笑顔で、
「イチちゃんはすごい優しくて女の子らしいなって思うよ。――ヒメとは違ってね」
「ハァっ? なんでウチと比べんのよっ! それじゃあウチがまるで女の子じゃないみたいじゃんっ!」
「……え?」
「そんな真顔で不思議そうな顔すんなっ! ウチも女の子だっつーのっ!」
ふうっ、まったくなにを言ってるんだか。そういうこと言うならまずは言葉遣いから直しなよ、百年早いね。
やれやれと肩をすくめて、首をふる。
「……わたし、部屋こっちだから帰るね」
「ア、アサちゃんっ?」
「またね~、アサ~っ!」
「じゃあね、ア――」
ボクが声をかける前に朝ちゃんは、頬をふくらませながら早歩きで自室へと戻っていった。
……な、なんか怒らせたかな?
ボクが首をかしげていると、
「じゃあね、カケル! ウチもいくわ~!」
「お~っす」
姫も手をふっていってしまった。
ふぅ……、やれやれ。
「……難しいな」
何に対して言ったのか。この時のボクは、無意識に口にしたのだった。