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第4話

「いやあ、イチちゃんいい働きぶりだったな。これならすぐに慣れるだろうね」


 仕事のレクチャーを終えたあと、ボクは次の仕事をこなすために調理場へむかっていた。

 そう、夕食をつくるんだ。

 旅館といえば何ですかって町中の人々に聞いてみると、『お風呂』『景観』と並んで『料理』が挙げられるだろう。料理はその旅館の顔の一つだ。

 ここでは女将であるときさんが担当している。ボクはちょっとしたお手伝いさん感覚だ。

 昔、料理をつくってみようとキッチンに立ったのだが、速攻でときさんに放り出されてしまった。腕には多少なりとも自信があったんだけどなぁ。

 彼女いわく「人の心を動かせるような一品をつくれないやつは、まな板様の前に立つな」ということである。……まないたのような胸のくせに。こう思ってしまったことは墓場まで持っていくつもりさ。


「……ん、だとっ!?」


 調理場に入って発した第一声がこれだった。

 ボクはあれほど料理がしたいといって、ときさんに泣きついたってのに、あの人踏みつけてくるんだよ?……ちょっとだけ目覚めそうになったけどさ。

 ともかく、料理するっていうのは相当大変なことなんだ。

 それなのに、


「トキさん。オレのつくったダシ、どうですか?」

「うむ、悪くないな。むしろうまいぞ! もう一杯味見したいもんだ」


 あの新人の男、吉成よしなりは、ときさんの隣に並んでヤってるんだよ!?

 きぃぃぃぃぃいぃぃぃぃ! ときさんの隣はボクだけのものなのに……ッ!!

 ……ごめんちょっと待って、キャラが崩壊する。……すうぅぅぅぅ、はぁぁぁあっ。よし。

 ともかくボクはあいつのことが気に食わなくなり、ズカズカと入っていって大きな声で文句を言い始めてやった。


「ねえ、トキさん! どうしてこいつが神聖な台所で料理なんかヤってるんですか?」

「なんだカケルか。新しい一品を試食しているところだから邪魔をするな」

「ひ、ひどすぎるっ!!」


 どうしたんですかときさん! 温かく包み込んでくれる、あの母親のような愛はいずこへ!?

 このときのボクはどうにも諦めが悪く、しつこいと思うくらい絡みにいった。


「ねえ、ママ~ン。どうしてママ~ンはママ~ンなの? ……それはね、ワタシはあなたのママ~ンだからだよ。……マ――」

「うるさい静かにしろ!(ゴツンッ)」

「ぎゃふんっ!?」


 ママーンよ、いつからげんこつを落とすようなパパーンになったんだ! それもこれも全部こいつのせいだ!

 ボクはすべての元凶である吉成よしなりのことを、座り込みながらにらみ上げた。


「…ギロッ」

「……」

「…ギロギロッ」

「……」

「……ギロリンチョっ」

「いい加減にしろッ!(ゴツン!)」

「あはんっ!?」


 待ってくれ! 本来ボクがツッコミ担当なのに、なんでツッコまれたんだ! 壊れすぎだろボク! それに踏みつけられたときみたいに、ちょっと目覚めそうになってるし!

 このときのボクの表情、様子、テンションの三拍子はどうにかしていたと思う。

 当たり前だ。


 ――こんなに嫉妬したのは初めてなんだから。


 何にとは、ボクもわかってないんだけど。

 それで何を思ったのか、ボクの様子を眺めてた吉成よしなりが小さな皿を渡してきた。


「ほれ、お前も味見してくれないか?」

「えっ、なんでだよ。ボクは別にいい」

「いいから飲めって」


 グイッとダシの入った小皿を押しつけれた。

 黄金色に輝くスープの表面には、おいしそうな油が透き通っている。鼻孔をくすぐるたくさんのブレンドされた魚介類の香りが、食欲を刺激する。

 うっ、こ、これは……っ!

 ボクは無意識に生唾を飲み込み、ズッとひとくち含んでみた。

 まるで三ツ星のコックがつくったような味。いや、”味”なんて言葉で表現していいのかすらわからない。

 これは一種の芸術だ。

 魚介のいいところばかりをとったベースとなるスープに、まるで交わるはずのない魚介と牛や豚それに野菜の旨みが手をとりあい、口の中を会場にして踊っているかのようだ。

 ほんのちょっとのズレで崩壊してしまうようなテイストのバランス感に、ボクは思わず絶句してしまった。

 いや、ほんの一言だけならポロっと口から出てしまった。


「お、美味しい……」

「そりゃよかったぜ」


 こいつを仕上げた吉成よしなりがにひっと笑う。それを見て、余韻に浸っていたボクはハッと我を取り戻した。


「ま、まあまあだね! これくらいならボクでもつくれるし!」

「やめとけ、カケル。お前じゃ到底無理だ」

「トキさん! ボク、きっとできます!」


 ボクしか作れない料理を完成させるんだと立ち上がり、キッチンの前に立った時。


「忘れたか、カケル。人の心を動かせるような一品をつくれないやつは、まな板様の前に立つな、だぞ?」


 ときさんにこう警告されたが、このときのボクは聞く耳持たずだった。

 もはやボクを止められる者などいないのさ! ボクの最高傑作を完成させてアッといわせてやる! この勢いを止めないため、ボクは何も考えずにいいたいことを口にした。


「まな板のような胸の方は黙っていてください! ボクは――」

「……カーケールークン」

「……あっ」


 そんな勢いは、ふつーに止まっちゃいました。だってさ、ときさんが笑ってるんだもん。光彩をうしなった瞳で。

 終わったね、こりゃ。


「カクゴハイイナ?」

「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!?」

「……南無阿弥陀仏」


 ゆらりと動き出したときさんは、まさに――――――。

 隣でお経を唱え始めた吉成よしなりが見えた、気がした。

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