第2話
ここは京都にある古き良き町、宇治。十円玉の裏に描かれている平等院がある観光地だ。
ボクが働く旅館というのは、商店街から『宇治橋』という大きな赤い橋を渡って、右手の細い道をつき進んでいったところにある。
小さな旅館ではあるが観光地の近くということもあって、少なからずもお客さんが宿泊してくださる。
そんな旅館の食事を行う広間で、朝早くから掃除をしている男の子がいた。
そう、ボクだよ。
ここで改めて自己紹介しておくよ。ボクの名前は湯本カケル。白黒の髪が混ざっているのが特徴で、見た目は中学生三年生くらいに見えるけど、実年齢は十八歳です。
現在ボクは掃除を終えて、スマホを開いていた。……あっ、職務怠慢とかそういうことじゃないから!
それでなにを見ていたのかというと……、いや恥ずかしいから言うのはやめておきます。とりあえず、悩みを解決するための勉強とでもいっておくよ。
「……はあ」
「どうしたの、カケル?」
大きなため息をつくボクのもとに、一人の女の子がやってきた。
「あっ、ヒメ。おはよう」
「うん、おはよ」
金髪ショートヘアの彼女は大平姫。スラッとした体型はモデルのようで、小柄なボクの身長と大して変わらない。
小さな頃からの友達で、いわゆる“幼なじみ”というやつである。
「スマホで何見てるノ~?」
「あっ、勝手にとるなっ。……っていうか、それは見るんじゃなあぁぁぁああぁぁあい!!」
「え、朝っぱらからいやらしいサイト見てるの? いや~、ひくわ~っ」
「ちがうっての! それより早く返せ!」
「や~だよっ、……んっ? 『オンナノコノキモチ~Vol 69~』って、……ナニコレ?」
「いやぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ、見られたぁぁあぁぁぁぁぁぁッ!?」
なんてことだ! こんなの、毎日熟読しているエロ本のタイトルを好きな人に読みあげられるのと同じくらい恥ずかしいじゃないかッッ!?
変な誤解だけはされたくなかったので、顔に汗をびっしょりとかきながらも、言い訳タイムへと突入。
「ちょっと待って、これは誤解なんだッ! これはただ純粋に女の子ってどんなこと考えてたりするのだろうとかそれに男の人とはどんなところが違うのだろうとか例えばほら女の子と男の子って身体のつくりが違うじゃない? だから心の違いも当然あるんじゃないかなみたいなつまりこれは一種の哲学というわけであって決していやらしい考えがあって調べてたのではなくあのですねッ!」
「……じゃあ、このバスタオルを巻いた女の子と、裸の男の子が描かれてる広告はなに?」
「それは腐りきった社会のせいだッ! 決してボクのせいではない……ッッッ!!」
ううっ、自分でもうなにを言ってるのか、意味が分からないよ。あとはもう、ただただ誤解が解けたと思い込むしか……。
「……へえ」
ダメだッ! 彼女はもう人を見るような瞳をしていないっ! ええい、生ゴミ人生確定ですかっ!
ヒメはうっすらと目を細めながら、冷たい声を放つ。
「……まあ、ウチにとってはどうでもいいけどさ。ほら、さっさとトキさんを迎えに玄関まで行くよ」
「……イエッサー」
なんでボクは、女の子の気持ちを知ろうとしただけでこんな目に遭っているんだ。妹のような朝ちゃんとまた仲良くやっていきたいだけなのに。……やっ、それ以外の理由でも、女の子の気持ちが知りたいけどさ。
ゲンナリしながら、ボクはトボトボと姫のあとに続いた。
玄関にたどり着き、ボクはヒメと再び雑談を始めた。
「トキさんってさ、ほんとーにすごいよね。旅館の女将をやりながら、すっごい大きなビジネスをしてるんだってさ!」
「そうらしいね。いつまでたってもトキさんには頭があがらないよ」
おっと、そういえば時さんについて詳しく紹介してなかったね。
この旅館のオーナーでありながら他の大きな仕事もこなしている彼女の名は箱根時さん。
しかし驚くことに、見た目はボクと同じ中学三年生くらいの女子みたいなんだ。
褐色の肌に、美しいロングの黒髪。常に浴衣を着ているんだけど、ほんとうに似合っている。ちなみに。実年齢は二十三歳だよ。
「カケルにい、ヒメねえ、おはよー!」
「はよー!」
「あっ、フウちゃんにセンちゃん。おはよう」
「ふたりともおっはよー!」
いやぁ、いつ見てもかわいいなぁ。じゃあ、次は風ちゃんと泉ちゃんの紹介でもしようか。
この小さなちびっ子たちは双子の女の子、底倉姉妹だ。
緑色の髪のほうがお姉ちゃんの風ちゃん。反対に、水色の髪をした子が妹の泉ちゃん。
二人とも大の仲良しで、いつ見ても楽しそうに遊んでいる。
ここで働くボクたちにとっては一番小さな”妹”のようでいつも癒されてます、はい。
……”妹”といえばもう一人。
「あっ、みんなもう起きてたんだね」
「アサねえ、おはよー!」
「はよー!」
「うん、おはようっ」
噂をすればなんとやら。
ヒマワリのような素敵な笑顔でちびっ子たちにあいさつを返したのはボクの悩みの種、中学二年の源朝ちゃんだ。
”悩みの種”なんていうと悪い子のようだが、実際のところ、めちゃくちゃいい子だ。
中二でありながら旅館のお手伝いはしてくれるし、まわりにも気が配れる。さらに成績はトップクラスで良いし、青い髪をちょっと特殊にまとめた二つくくりも、整った顔立ちにぴったりで可愛らしい。
まさに八方美人の彼女だが、ボクに対しては、
「おはよう、アサちゃん!」
「……ん」
ぐふっ、やっぱりこの態度かぁ。
ボクが話かけても、いっつもこうやって目をそらすんだ。
「おはよ、アサ!」
「おはようっ、ヒメ姉」
姫に対してだとこんなにもいい笑顔なのにね。……ボク、なんにも悪いことはしてないと思うんだけどな。
『オンナノコノキモチ』を毎日読んでもわからないし、この際だから姫に聞いてみるか。
ボクは姫のそばに寄り、耳元に顔を近づけた。
「ねえ、ヒ」
「ちょっと、なにっ!? 近すぎだよバカ!(バシッ)」
「ガッ!?」
Q:耳元に顔を近づけたら即座にしばかれました、どうしてですか。
A:とりあえずごめんなさいしましょう。
「ごめんなさい」
「ほんっとデリカシーないよね、カケルは! 昔っからだよ、わかってる?」
「ごめんなさい」
どうしてこっそり話をしようとしただけでこの仕打ちなんだ。
さっきのボクはまるで、突然出てきたゾンビを構わず撃ち殺すシーンの、そうゾンビじゃないか。なんてこったい。
それに、朝ちゃんが余計にムスッとしているのにも理解できないよ。
この世の不条理に嘆いていると、
ガラッ
唐突に玄関の扉が開かれた。そこには着物姿の華々しい少女がいる。
「おかえりなさい、トキさん」
「「おかえりなさい」」
ボクに続き、他のみんながあいさつを交わした。
迎え入れられた彼女は笑顔で答える。
「おう、ただいま!」
改めて、彼女の名前は箱根時さん。この旅館の経営者であり、女将を務めている。幼い外見だが、れっきとした大人だ。
「おかえりー!」
「えりー!」
「おう、フウ、セン! いい子にしてたか~?」
よしよしと、時さんが幼い女の子たちの頭をなでる。……ボクもなでられたいな、なんて。あー、キモしキモし。
「おっ、そういえばお前たちにお土産があるぞ?」
「え、ほんとですか! さすがトキさん太っ腹!」
「おうおう、いいこと言ってくれるね! ほらこれが今回のお土産だ!」
ガラッと、半分しか開いていなかった扉を全開にし、そこに隠れていたものがボクたちの視界に入ってきた。
「どうだ、すごいだろ!」
「「……」」
――その場にいた全員が唖然とした。
「紹介する。今日からお前たちと一緒に働く人々だ! 仲良くしろよな!」
扉の向こう側にいたのはボクと同じくらいの歳の男女が二人、そして性別が分からない幼い子供が一人。
長身の黒髪テンパの男性が丁寧にお辞儀してきた。
「今日から働くことになった木賀吉成です。よろしく」
これまでの生活が突然さよならを告げ、新しい日常がはじめましてと馴れ馴れしくやってきた。
思えばここが。
ここからが。
ボクたちが人生という名の演劇の舞台にあがったのかもしれない。
新しい一日が、始まる。