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空の天使  作者: 二ノ前 創
7/8

椿野 風子Ⅱ

-2/3


 とある夜、とある廃墟。そこに少年と少女、椿野 風子と榊原 空也の二人。

 ライトが照らす舞台の上。黒幕の前に二人の姿があった。

 それはギターの練習も一段落し小休止を挟んだ一幕。

 まだ平穏だった頃の話―――

 

 

 

「いやぁクゥ君は大分上手くなってきたよね」

 額に軽く掻いた汗を腕で拭いながら風子は語る。

 それ以上の汗を掻いた空也はタオルで顔を拭いながら答える。

「まぁこれだけ練習していればそれなりには」

「ホント最初は酷かったね。フォーム所かギターを持つのも不安定だったし」

「ちょっと、止めてくださいよ。そんな前の話」

 照れ隠しか空也はつい声を荒げた。

「つっても半年前でしょ」

「そうですけど。そりゃその頃に比べれば腕も上がりますよ」

「未だにFへのコードチェンジは怪しいけどね」

「……精進します」

 その言葉に満足してまた風子独特のくっくっくと悪戯そうな笑みを浮かべた。

「そうそう。精進精進。で、もう少ししたら表出て弾こうぜ」

「うーん。まだそんな自信ないです」

「大丈夫大丈夫。ホント前に比べれば上手くなってるから」

「まだ自信ないです」

「そう言わずに。案外人に聴かせようとすれば一気に上達するかもよ?」

「無茶言わないでくださいよ」

 風子はため息を一つ漏らす。

「はぁ。あたしみたいに最初から出来るなら何の問題も無いんだけどね」

「ちょっと待ってください。それは聞き捨てなら無いですね」

「ん?」

 突然の反論に首を傾げる風子。

「いやいや風子先輩も最初は酷かったじゃないですか」

「あれ? そうだっけ?」

「初めて会った時、メロディラインはテキトーだったし、コードは合ってませんでしたよ」

 風子と空也が初めて出会った音楽室。そこで風子の弾いていた曲は確かに滅茶苦茶で、その後空也は原曲のスコアを見たが内容が大幅に違った。

 けれどそう、確かにあれは演奏と言って問題無い出来だった。なんせ空也も教室の外から中で授業が始まっているものかと勘違いしてしまったのだから。それがその日の朝、生まれて初めてアコースティックギターを、撥弦楽器に触れた人間が奏でていたと言うのだから空也としては驚きの一言である。

 それでも今ここに空也が居るのは、あの時あの場所で聞いた曲があまりにも自由で楽しそうで、何よりギターを弾く風子の何にも捕らわれない姿に憧れてしまったからに他ならない。

 空也の願う、夢というには小さな目標。風子の様に音楽をする事。

 最も空也がそれを風子本人に伝えた事はないし、そんな恥ずかしい事を空也は言う気もない。

 それを風子が気付いているかはまた別ではあるが。

「あったあった。よく覚えてるねぇ」

「いや、それは……」

「う~ん?」

 からかう様に風子は空也の方を流し見た。

「いや、……あんまりにも滅茶苦茶な演奏だったんで耳に残ってるだけですよ」

「ほうほう。まだそのレベルにも達してない子がなんか言ってますよ」

「……すいませんね。此方は凡人なもので」

 その言葉に少し不貞腐れた態度を取りながら空也はそう返した。

「くっくっく。天才で申し訳ない。まぁその天才と付きっきりで練習しているんだから上達もするか」

「いやどう見ても環境じゃないですか」

「そうだね、やっぱあたしという天才的な指導者と一緒に出来る環境は素晴らしいよね」

「どこまで褒め称えてほしいんですか。実際、指導者如何はともかく、昼の学校と夜のこの練習場所のお陰で上達できたのは確かだと思いますよ」

 ふと空也は辺りを見回す。後ろには破れかけの黒幕。前には薄汚れた折り畳み椅子が固定されずらりと並んでいる。少し叩けば埃だらけの鍵も掛かっていない廃墟。ここは3ヶ月前に風子が何処かから見つけてきた練習場所だった。

 前々から何故こんな場所に勝手に入れるのか空也は疑問だった。寂れた映画館とは言え中学生二人が簡単に入れるのか。

 けれどそれは答えとしては単純。ここが風子の親戚筋の物件だったというだけである。

 元々改装して別の用途で使うのか壊して他の施設を建てるのか、という話が数年前に出ていたのだが、その最中に上の叔父が死に、さして興味の無かった伯父が継ぐ事となった。そして現在その当時のままに放置されていたこの場所を見つけた風子は、親戚に無理を言って利用させてもらう事にしたのである。

 しかし本当に大変だったのはその後だった。元々この付近は遊び場らしいものが無かった。その所為か広くて誰も寄り付かないというこの場所は、地元の高校生などが夜無断で侵入したまり場にしていた。

 いくら放置しているとは言え所有権を放棄しているわけではない。事件や事故等何か問題があれば責任を取る事もある。そこで最低限の秩序回復をすると自分から申し出た風子は、そこに来ていた高校生らを時に口頭で、また暴力で追い払った。

 その後、風子がこの場所を利用するというので軽い改装でもしようかと伯父も持ち掛けたのだが、風子がこの雰囲気が良いと断り、それならと電気と水道だけは通るようになった。最もそのせいで更に快適な空間となったこの場所の噂を聞きつけてやってくる連中との一悶着はあるのだが、風子はそれも含め空也には秘密にしていた。

「確かにねぇ。この場所ってテンション上がるしやる気も出るよね。やっぱ寂れた映画館って秘密基地っぽくてイカしてるわぁ」

 素知らぬ顔で言う風子。

「それにしては電気が通ってたり水道が出たりで、なんか勝手に間借りしてますけど本当大丈夫なんですか?」

「良いの良いのそういうのはケセラセラってやつよ」

「そうは言ってもまぁ補導とかは自業自得ですし、しょうがないですけど。見知らぬ他人に迷惑を掛けてるってのもゾッとしない話ですよ」

 とは言うものの空也に特別な心配は無い。それだけ風子を、その言葉を信用していた。それでも口に出してしまうのは彼の中に確りとした常識と倫理観があるというだけの話である。

「もう本当に小心者だな君は。大丈夫だよ。このあたしが一度だって間違えたことがある?」

「全く何処から来る自信ですか。そう言うならさっきも楽譜間違ったじゃないですか」

「おいおい何を言うかと思えば。そんなんあっちの方がかっこ良かっただろ?」

「そう言われるとそうですけど……」

「ならそれで良い。問題は起こすが失敗はしない、それが椿野 風子よ」

「そこまで言われるなら無力な後輩はもう何も言いませんよ」

 空也は両手を挙げて降参といったポーズを取った。

 そうなのだ、風子の発言はいつも如何わしい。それでも最後まで反論出来ないのは有無を言わせぬ自信と、そして今までそれでなんとかなっていた実績によるものだ。

「くっくっく。クゥ君は黙って先輩の言うことを聞いてれば良いのだよ」

 笑いながら風子は腕時計を見る。時間は十時を回っていた。

「もういい時間だな。じゃあ後一汗掻いたら止めにするか」

「いや、俺明日テストなんですけど」

「文句はもう少し上達してから言いなさい」

「はいはい。分かりましたよ」

 なんだかんだ言いながらも結局風子に言われるがままに、嫌がる姿勢は見せながらもその目はやる気に満ちた空也の姿があった。そうしてギターを持つ風子と空也。

「あ、そういやあたし今新曲一個温めてるんだよね」

「え? 新曲って自分で作ってるんですか?」

「そう作詞とかもまだなんだけど」

「へぇ珍しいですね。どんな曲なんですか?」

「ある少年の苦悩に満ちた人生をテーマにした。題して『空の少年』よ」

 いくら最近は気にならなくなったとは言え、それでもまだ名前の話を出されるのは憤りを感じる空也である。

「そのタイトルは止めてください。真面目に」

「そうだね。『空の』の後は作詞してから決めるか」

「後ろじゃない。前のほうですよ!」

「そう、気に入ってるんだけど」

 悪びれもせずそう話す風子に空也は意趣返しを思いつく。

「だったら俺が『風の少女』なんて曲作って歌ったらどう思います?」

「う~ん、内容によるかな」

「乱暴で迷惑ばかりかける先輩をテーマにした……」

「純粋なる暴力にて制裁」

「横暴だ!」

「くっくっく。まぁそう言いなさんな。完成したらその曲はあげるから」

「……まぁ初めてのオリジナルですし気乗りはしませんが期待してますよ。で完成は何時頃になりそうなんですか?」

「そうだねぇ1年半後かなぁ」

「そりゃ長いっすね」

「折角だし、満足できるもの残したいからね」

 そう言ってギターの弦を弾く風子。

「そうだ今出来てる部分聞かせてあげるから耳コピしときなよ」

「うぅ、苦手な事ばかり要求するなぁ」

「そんであたしの葬式の時にでも聞かせてね」

「平然とした顔して不吉な事を言うの止めてください」

「くっくっく。悪い悪い、じゃあ気を取り直してちょっと弾くよ」

 そうしてギターから音が奏でられる。結局その楽曲は少女が生きているうちには完成することは無かった。

 彼女の残した遺産。彼女の見た夢。その証。何時の日か、少年が大人になった時に完成するそれを少女は知る事は叶わなかった。

 けれども今この場において。穏やかで、情熱的な日常の中で。確かにそれは芽吹いた。




 そして時は進む。時間は夕暮れ時。何時もは音楽室を借りて練習していた二人だったが、卒業式が次の日という事もあって記念に屋上へ来ていた。

 元々卒業してもギターは続けるという話であったし、会う時間が少し減るだけと思えば空也はあまり気にしていなかった。

 けれど対する風子の顔は優れない。表情は微笑んでいたが、それもどこか陰りが見える。

「どうしたんですか? 風子先輩。センチメンタルな気分なんて先輩らしくも無い」

 そう茶化す様に心配する空也。

「確かにあたしらしくは無いよね」

「どうしたんですか先輩。何かあるなら俺が……」

 まるで今までとは別人の様な反応に空也も思う所があった。

「なら空也、聞かせてくれ」

 一呼吸置いて風子は告げる。

「叶わなかった夢は何の為にあるんだろう」

 それは独白に近い言葉。まるで彼女らしからぬ弱気な一言。

「努力して頑張っても、結局夢が叶わないなんて事は当たり前だし。

 自分の意思か、他人の影響か、それとも時間切れか。一握りを除き、皆挫折する。

 頂は高く、そして狭い。その道中に幾つもの夢の残骸が積まれている。

 どうして夢を追うのだろう。

 たどり着く人間は一握り。頂に辿りつく可能性なんて無いに等しい。

 生まれた瞬間から人は不平等だ。

 財力が、才能が、環境が、時代が、違う。

 描く夢の形すら違うのに、なのに何故夢を見ることは平等なんだろう」

 その言葉を、その意味を空也は理解できない。空也の夢は風子の夢と同じ筈で、その夢に乗っかるのではなく一緒に追いかけられる様になる為に今まで努力してきた。そしてそれは今も変わらない。だから今現在夢を見ている空也からすれば夢破れるなんてそれは想像すら出来ない。

「平等……ですか」

「そう、平等はこの世で一番残酷な言葉さ。そこには言い訳が入る余地が無い。だから残酷なんだよ世界は。そして人生は」

言って、自嘲する様に微笑んでみせる風子。

 彼女は知った。この世には確かに手の届かないものがあるという事を。

 二人で音楽を続けるなんて事は彼女は望んでいない。それが理想なのかもしれないが、少なくとも今の彼女を支えているのはもっと儚くて小さな夢の筈だった。けれどそれすらも奪われるとは思いもしなかった。

 毎夜見る悪夢。もう日常の一部とすらなっていたそれだったが、昨日見たそれは少し形を変えたものになっていた。

 何時も通り襲われ死んでいく風子。黒い剣で刺され倒れる身体。それを俯瞰的に見る自分。

 しかし今回はその続きがあった。死神はそのまま歩きそして剣を一振りして消える。残るは自分の亡骸。それと奥に転がるもう一つの死体。誰であろう榊原 空也という少年の死体。

 血の気の無い真っ青な顔の奥、それはまるで自分に関わってしまったが故に死んでしまった、という風に恨めしそうな瞳をしていた。

 ふと風子は視線を上げる。そこには辛そうな顔をした空也の姿があった。

 その姿を見て風子は思う。少年は確かに優しい心を持っている。少女が持ち合わせていない、誰かの痛みを必死に理解し一緒に傷つこうとする優しさ。それが、けれど自分の所為で失われる。それはなんて残酷な事だろう。

「いやぁ悪い悪い。あたしにも感傷的になる日が来るとはね。今日はちょい体調悪いから帰るわ」

 何時もの笑顔を貼り付けて言う風子。そしてそのまま空也を一人残し屋上のドアに手を掛けた。

「……先輩、でも俺は……」

 その声に風子は振り向いた。空ろな目は空也を見つめて。

「そうして埋もれて消えていくあたしの夢。それは何処に行くんだろう」

 消え入るような声で絞り出された一言。空也の耳に届いたのかは分からない。

 視線を外し、校内に戻る。ここに来るまで確かに風子の頭には絶望があった。

「あたしの夢、か……」

 けれど階段を下りながらも風子の目には既に炎が宿っていた。それは諦めの言葉ではなく決意の誓い。揺るぎそうになっていた自分が、空也に会って確固たるものへと変わっていく。

「そうさ、何処かへ去っていくというのなら掴み取ってやる。それでこそあたしだ」

 校舎を出た風子は早速走り出したのだった。


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