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空の天使  作者: 二ノ前 創
6/8

椿野 風子Ⅰ

-3/3


 ある昼下がり、少女は空を見上げ横になっていた。

 今日も良い天気。こんな雲一つない日に空を見ないなんて勿体ない。

 そんな言い訳というにしても説得力のない事を言って、教室を抜け屋上へ出て来ては寝ていた。

 俗に言う問題児。最も素行に反して成績は優秀。少なくとも今授業を受けなくても期末テストで悪い点を取るなど有り得ない。

 ただし、ずば抜けて優秀で故に特例として授業をサボる―――といった程ではなかったが、その口先だけの言い訳を無理に通して教室を出て来た。

 入学から一年、色々な事―――説教に始まり、説得果ては体罰まがいな事も―――をして少女を真面目な生徒にしようとした教師達だったが、その努力もむなしく空回り。逆にそんな教師たちの教育的指導によって更に拍車の掛かった少女の破天荒さは学校でも話題に上るほど。今ではそのカリスマ性をして一部の生徒からは持て囃されてすらいる。

「問題児なのは自覚しているんですけどね」

 悪びれもせず独り言を口に出す少女。その透き通るような、それでいて重みのある声が響いた。

 少女の名前は椿野 風子。身長百六十三センチ 体重四十七キロ。小さく整った顔とその中で特徴的な少し大きな目。その切れ長の猫科を思わせる目をした少女だった。

 肩まで伸びた髪をざっくばらんに切って無造作にゴムで結んだだけの髪型。それが妙に様になっている。

 特に運動をしている訳でもないのに適度に培われた筋肉と、そして中学生離れしたプロポーションをして、少女は不良と呼ばれる同学年とは違う独特の雰囲気を醸し出していた。

 しかし特に運動をしていないといっても、運動をさせて見れば体力も運動神経も優れていた。勉強の方も塾に通うでもなく、家で予習復習するわけでもなく、寧ろまともに授業すら出ていないのに成績上位。

 それでいて家柄も優秀である。両親共に優秀な医者の家系で、祖父の経営する病院の一つで働いている。十五歳も離れた兄はアメリカの大学を卒業後、向こうで医者としてやっている。

 正に神に愛されている様な人生。最も家庭環境については良いとは言えなかった。

 両親はその仕事柄滅多に家には帰ってこなかった。兄も大学に入学してからは会ってすらいない。家では毎日ハウスキーパーがきっちり五時まで仕事をして帰っていく。

 一人ぼっちの家。与えられる様々なおもちゃ。募る孤独感。正しい行いをして褒められる事も、悪さをして叱られることもない。

 そんな寂しい家庭環境に、けれど少女は何の不満も無かった。むしろその孤独な環境に、少女を助ける事も虐げる事もしなかった環境に感謝すらしていた。

 裕福な家柄や有能な両親よりも。恵まれた容姿、優れた体格、ずば抜けた知力よりも。その環境を愛している。

 朝、目が覚めて人は皆一人だと知り、夜、星空を見上げて人は皆繋がっていると確認する。明くる日それが錯覚だと思い、その日を跨ぐでもなくそれこそが人間だと悟る。

 別に孤独が人を強くするとは言わないが、孤独が少女の性格形成を助け、その感受性を磨いた事は確かだった。誰に言われることも無く自分の有能さを認める強さと、そして誰に言われるでもなく失敗を失敗だと断じる強さ。

 そうして少女は強さを手に入れた。

 ―――十五年間程度しか生きていない少女が自身の死を前にして動揺しない程度の強さを。

 

 

 

 一度今の状況を分析でもしてみよう。

 優秀な頭脳。裕福な家庭。そこから導き出される有望な未来。顔も良ければスタイルも良い。運動神経もずば抜けていて出来ない事を探す方が難しい。

 問題点を挙げるならばこの性格だろう。他者から見れば不真面目で気紛れで、何を考えているか分からないという風変わりな性格。

 気に入った物を愛で気に入らない物を無視する。ちょっとした社会不適合者。けれどそれがあたしである。誰に対しても裏も表も無い。紛れも無いこれが椿野 風子である。

 そんなあたしが今から二週間ほど前、とある夢を見た。無数の骸骨に襲われるという悪夢を。

 それからもその悪夢は毎夜続き、一時は精神的に参っているのかと我ながら柄にも無く考えたけれども、そんなナイーブな所があるんだったらもう少し真面目に授業を受けているかと一笑もした。

 そして出した結論。これは避けられない死の宣告である。

 年頃の少女らしいオカルトな発想だ。そう言って否定し、それこそ両親に相談して精神科にでも行くのも良いのかもしれない。

 そう、パパとママの愛情に飢えたあたしは、遂にその有り余るフラストレーションを爆発させた……ってな設定。

 しかしあたしは心の底から今の環境を愛しているし、その環境を作ってくれた両親もまた愛している。愛らしいデザインのロリポップの包み紙ぐらいには愛している。

 それにあたしの勘もそう告げている。生まれてきて十五年。ただただ己の直感を信じ生きてきた。そのあたしが訴えている。

 そうなのだ、今まで生きてきてここぞという時にこの勘というヤツは外れた試しがない。

 ならばしょうがない。ならばそれで良い。次にするべきは、そして知るべきはあたしがいつ死ぬのかという事である。

 最もそれは単純に夢の中で襲い掛かってくる死神と名乗る彼もしくは彼女に殺されながらも対話し、そしてとうとう聞く事に成功したのが一週間前。

 どうやら二年後の秋あたしは死ぬらしい。

 二年という期間。確定した死ぬ日。多少は動揺もしたが、死ぬ日が予言されているのならそれはそれで良い。というかそんな先の話なのに嫌がせしやがってと小突いた程だ。

 だがまぁ世界には突然の事故で、偶然の怪我で、必然的な悪意で死に至る人間がいる。それは死ぬ本人からしたら唐突に起こり、そして何も残せず死んでいくのだ。

 それに比べれば幾分かマシというものだ。覚悟という程の事は出来ずとも準備というものは出来る。少なくとも今現在は五体満足。闘病患者のような不自由さも無いのだから出来る範囲はそれこそ無限大。

 そして何より―――これがあたしにとって一番大事であるのだが、それが誰に知られることもないと言うのが良い。下手な同情も、憐憫も無くひっそりと逝ける。

 それは椿野 風子という少女の価値観からすれば最高にイカしている事だった。

 

 

 

 青空の下、少し温まった体を冷ます様に涼しい風が吹いた。

「う~ん、気持ちの良い風だ。あ、風子だけに死んだら風になるのかね」

 青空の下、自分の発言にケラケラと笑う風子。しかし、そんな彼女の表情も決して優れているとは言えない。

「くっくっく。……しかしどうしたもんかねぇ」

 それはとても切実で誠実な問題だった。風の様に気紛れで、辺りを掻き乱しては去って行く。そんな彼女をしてやはりというべきか特に望みらしい望みが、それこそ死を前にしてやりたいと思える様な事はひとつも無かった。

 元よりやりたい事は全てやっている。常日頃目標もなく退屈している彼女に急に目的を持てというのも酷な話だ。

 残された期間は決して短くは無いが、だが長いとも言えない。少なくとも個人が出来る限界を考えると大それた事をするならもう着手していないといけないのかもしれない。

 募る焦燥感。いや寧ろ焦燥感に駆られ、がむしゃらに行動できればその方が良かったのだろう。

 だから一応は行動を起こしてはいた。全力で取り組む様な性格ではなかったがジッとしている性分でもないのだ。

 手始めに絵画や文芸部などに顔を出し、次に水泳やバレーボール等の運動部にも手を出した。皆と共に共同し、または競い行うそれらの行為は確かに楽しかったのだが、結局「皆」でしかない周りと何かを行うだけの作業に彼女は満たされなかった。

 そうしてそれらに飽きると格闘技、しかも成り行きとは言え喧嘩紛いな事もした。結論から言えばどれもある程度の成績を残し彼女の名前に更に箔をつける結果にはなったが、琴線に触れるものは一つとしてなかった。

「まっ、無理して挙げるなら喧嘩かなぁ。あれは楽しかった」

 そこには確かに刹那的な面白さがあった。自分より体格の良い男の先輩達を相手に大立ち回り。

 知識として持つ人体の急所に対し、冷静に拳を叩き込み、また殴られる痛みに反射や反応を抑えるという行為。体格だけでは圧倒的に劣る以上は頭と身体を使って挑まざるを得ない。その理不尽さが、彼女を燃やした。

 確かに殴れば気が晴れる。暴力という非生産的な行為は向いていると思う。ただそれは単なる暇つぶしでしかないというのも分かっていた。

 今回は同級生が虐められたという事態に義憤に駆られたという設定で喧嘩が出来たが次回はそうもいくまい。

 暴力がいけない等とは思わない。折角の手足だ、使って何が悪い。けれどもそんな言い分で理由も無く暴力に興じれるほど野生的ではない。だからと言ってボクシングや柔道なども少し違った。誰かの敷いたルールを遵守して戦う。それに従えるほど知的でもない。

 結局、スポーツとしての格闘技を行えば少しスリルが足りず、暴力として喧嘩をするには目標が足りない。

 そう結論付けた彼女は落ち込むことも無く次の課題を探した。ルールに縛られず本能的で、けれど人の枠から出ない程度の常識的な行為。

 それを見つけたのは先ほど。物は試しに家から持ち出したギターをもって音楽室に忍び込んだ。一応音楽室にあった教本を軽く見て実際に触れば弾けはするだろうと踏んでの事だ。エレキかアコースティックか悩んだが、たまたま兄の使っていたアコースティックギターがあったので拝借した次第である。

 結果は上々。気を良くして暫くは挑戦してみるかな、と思った矢先に出会ったのが榊原 空也という少年だった。

 それが初めての演奏で、初めての観客だった。そこから彼女にしてみればよくある軽いノリで口にした台詞。彼女をよく知る者からすればまた何時もの悪ふざけだろ、と一蹴されてしまうような言葉を吐いたが、彼にとっては違ったらしい。

「……すいません、僕にはそんな才能は無いのでお断りさせて下さい」

 真剣な顔付きでそう言うと、そそくさと立ち去ってしまった。

「才能ねぇ。才能が無ければ音楽って出来ないのかね」

 そう、音楽もさる事ながら気に掛かるのは少年の事もだ。やりもせずやれないと決めつける少年と、やってみて直ぐにやれたと見切りをつける少女。

「空っぽの空と書いて空也か。でも君には悩みがあるじゃないか」

 死を前にしてやりたい事がない。そんな事にすら真面目に悩めない自分とは大違い。

「悩み多き青春か。全く持って羨ましいよ」

 自分でも嫌味な笑顔を浮かべている事は想像に難くない。

「よし決めた」

 少しだけ羨ましいと思えたから。決して欲しいとは思わないけれど。けれど心は動いたのだ。

 その程度の理由しかないけれど、それだけの理由があるなら十分だ。

「くっくっく。空っぽっというなら溢れ出るまで詰め込んで上げますか」




 それからの二年間はあっという間だった。

 ……等と片付けるには彼女、椿野 風子にとって充実した日々とは言えなかったが。

 あの日、才能がないからやらないと言った少年の台詞はあながち間違ってはいなかったのだろう。

 溢れ出る才能と有り余る才気。天才、鬼才そうあだ名されるのは伊達ではない。柵を取り払った彼女は正にそう呼ばれるに足る者だった。

 実の所、彼女を客観的に見れば優秀ではあるが、それも地区で見れば上位程度のもの。視野をどんどん広げて見ればそこまで逸材ではない。それこそ日本の中では上位ではあるのかもしれないが、それでも頂点ではない。という程度の評価。彼女の思惑通りの評価でもある。ルールを決め、そのレベルで生きていこうと彼女は決めていたし、実際その通りの成績を修めている証左。

 凡人の葛藤なんてそれこそ知りえない。

 けれど天才の苦悩なんて知る気もない。

 この世は全力を出すには狭すぎて脆過ぎる。辺りの人間を見下す様な処世術をして冷静に能力を抑えてきた。

 今回のギターにしても多少力を入れているとは言え、最低限足並みを揃える為にも風子本人にしてみれば本腰を入れている訳ではない。

 それでも椿野 風子という力の一端を前に、やはりというべきか榊原 空也という少年はあまりにも小さな存在だった。一を教えて十を知る事など一切なく、それどころか十を教えて十出来た試しもない。

 凡人である空也が着いてくるには厳しい道。空也が一節覚える間に一曲覚えているのは当たり前の話。空也が難しい指使いに苦戦している間に観客から見て美しい指捌きとはどうなのかを考える風子。

 そこにある隔たり、才能という壁、日に日に実感する力の差を前に、……けれど彼は諦めなかった。幾度と無く挫折し、弱音を吐いた。それでも諦める事はしない。

 風子の目から見れば滑稽とすら言える無能ぶり。出来ないという事を体験してこなかった風子にとって珍しく面白いものに映っていた。

 結局、彼女は充実するほど力は出せなかったが、彼の無力を努力で補うその姿勢に満足はしていたのだった。


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