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空の天使  作者: 二ノ前 創
2/8

榊原 空也Ⅱ

1/3

 

 部屋で大暴れしても両親が不審がらないのは日頃の行いの賜物であり、この時は素直に幸運だった。

 部屋で寝ている少女、それもかなりラフな格好でだ。この状況を見て勘違いしない人間は少なく、これを言い訳出来る人間もまた少ない。そも言い訳しなければならない事をしているのか? という問いもあるが、少なくともこの状況を見た両親が言い知れぬ罪悪感で一杯になることだけは確かである。母にでも見られればそれこそ日頃の粗暴な行いから少女を家に連れ込んでると勘違いされる事は必死で、より一層地元の宗教にのめり込む事は容易に想像できる。

「どーするんだよ、これ」

 目の前の異常事態に今日一日を振り返る。もしや自分はあの時トラックに轢かれて死んでしまったのではないか。そうすればここが天国で天使が居ることも納得出来る。

「いやいやアホか。オレはもう少し賢いはずだ」

 もう少しまともで、且つ建設的な考えは無いだろうか。自分のベッドを我が物顔で占拠している少女を見回す。

 無防備、けれど無敵だ。触れない以上は何も出来ない。その上叫ばれでもしたら絶対絶命。いや死ぬほどの事ではないが死にたくはなるだろう。

 そしてふと思い至る。この少女は自分以外に見えるのだろうか? 自分しか見えない場合、幽霊、または幻覚などオカルトでも科学的にでも解釈出来るが、どちらにしろ自分だけの問題で済む。

 すぅー、すぅーと静かに寝息を立てる少女を前にして出した一つの結論。しかしそれは実験の成功を持って初めて立証される。実験の内容は簡単。他人に見せる。

「って誰に見せるんだよ」

 言って思考を巡らせる。両親はありえない。失敗の代償が余りに大きいし、そんな事の為に話し掛けるくらいならこの得体の知れない物と仲良くやっていく方がマシだ。

 では友達は? 確かに代償は少なくて済む。だが相手が思いつかない。思えば最近誰とも話していない。今や友人と呼べる人間はどの程度居るのだろう。元々心を許せる様な間柄の人間なんて二人しか居ない。いや、もう一人は居ないのだが。

「仕方が無い」

 そうして少年はケータイを取り出した。

 電話帳は3件しか登録されて居ない。自宅と友人と先輩だ。あまり気乗りはしないが自分の限界を超えている。

 空也は友人へと電話した。3回のコール音の後、電話は相手に繋がった。

「おっす珍しいな。どうした?」

 電話の相手、皐月谷 永正は出た。

「悪い。今大丈夫か?」

「あぁ調度サボって煙草吹かしていた所だよ」

 相変わらずだな、と空也は思った。

 元々は幼馴染だったが余りにも非行が酷くて去年の頭に親に全寮制の学校へと飛ばされてしまった男だ。

「お前にこういう話をするのはあれなんだが永正、お前天使ってどう思う?」

「それ当て付けならキレてる所だぞ」

 皐月谷 永正の家には1つ特徴があった。それは家が教会で父が牧師だという点だ。

 その所為か幼い頃から何かと抑圧されて来ておりその反動で中学でグレた。

 内容と言えば喧嘩と煙草が中心だったがそれが健全な中学生のする事ではないのは確かだ。

 その出自のお陰でその手の話は詳しいのだが触れて欲しくないのでお互いの中でタブーになっていた。

「ふざけてる訳じゃない。お前を怒らせるために電話なんかすると思うかよ」

「そりゃそうか。だが聞き方が悪いな。天使をどう思うか? そんなもんはどうも思ってないとしか言えないだろ」

「確かにな。じゃあ分かりやすく言おう。目の前に天使を名乗った女の子が居て俺のベッドで寝てるんだがどう思う?」

「ほう。そう来るか。全寮制の男子校に居る俺に惚気るわけね。片道二時間は掛かるが今からお前をぶん殴りに行きたくなってきたな」

「違う。付き合ったとかじゃない。そもそも会ったのは一時間位前だ」

「完全に性欲の塊じゃねぇか!!」

 電話越しで叫び声が聞こえる。

「落ち着け。違うって言ってんだろ。そもそも触れないんだよ!」

「触れない? ……そうか、そうなのか」

 空也は不穏な空気を感じた。

「俺達の友情は変わらないぞ」

「違う。ゲイじゃない。後、面倒だから先に言うがお前に好意も持ってないからな」

「そうか。ならお互いに唯一無二の親友だと思って言うぞ。病院へ行け」

 そりゃそうだ、と空也は思った。

「俺だって混乱しているしどう説明すれば良いのかよく分からないが街をぶらついてたら突然、女の子が現れて消えて俺の部屋に勝手に上がり込んでて今寝てる。起こそうにもその女の子の身体に触ろうとするとすり抜けるんだ」

「それで俺から病院へ行け以外の言葉は出てくると思うのか?」

「いやそうなんだが。ならちょっと待ってろ写真取ってメールで送る」

「そうだな。そうしてくれ」

 空也は通話を終了させケータイを切ると寝ている少女の写真を取った。だが画面には何も写っていない。体重で少しベッドが凹んでいるがそれ以外は普通の状態だ。

 とはいえ一応そのまま送って見る。仮にも牧師の息子だ。何か見えるかもしれない。

 少しして電話が掛かってきた。

「何も写ってないんだが」

 そうだよな。と空也は思った。

「写真に写ってないんだが実際目の前に居るんだよ」

「分かった分かった。お前がそういう悪戯をする奴じゃないって知ってるし、もうそれで行こう」

「若干釈然としないが頼む」

「それでなんでその子が天使なんだ? 可愛いからっていうのは無しな」

「本人がそう言ったんだ」

「そうか。まぁそう言うならそうなんだろう。いや触れないって言うなら幽霊の方が信憑性がまだあるんだけれどな」

「言われれば確かにそうだな。」

「んで幽霊っていうならお前の方が詳しい気もするけど」

「止めろ。その話は出すな」

 榊原 空也の母は今宗教にのめり込んでいる。曰く息子が悪霊に取り付かれたとか悪いエネルギーに汚染されているとかいう話だ。

 ただ今となっては確かにそうなのかも知れないが、それでもよく分からない高い壷を買って父と揉めていた姿を思い出すとあんな胡散臭いのを到底信じられないしあてに出来ない。

「俺も少し真面目だぜ。つか他に特徴とか無いのか?」

「白人っぽい小学生位の少女で薄汚れているけど羽があってメルシェルって名乗っていた」

「流石に俺も全部網羅しているわけじゃないが、聞いた事の無い名前だな。そもそも天使って言うのはまぁ宗教によって種類が多々あるが別段金髪の外人って訳じゃないんだぞ」

「そうなのか?」

 空也は素直な疑問を口にする。

「絵画とかのイメージだな。そういうのが定着して全員のイメージとして定着していくんだよ。

 とはいえ天使と一概に言えどもその姿は千差万別だったりするぞ。モノによっては世界の半分くらいの大きさだとか三十六対の翼があるとかそういう話もあるし、そもそも必ずしも翼があるわけじゃない。人の前に現れる時は人の形をして現れる事もある。後少女と言ってたが基本的には成人で性別は殆どが無い。まぁ例外なのも居るからこれも一概には言えないが子供の天使ってのは殆ど居ないな」

 電話越しに永正の話は続く。

「ついでに必ずしも輪がある訳でもない。これはエンジェルハイロゥと呼ばれているが古い天使の絵だと描かれていないケースもあるな。ちなみに名前にエルって入っているらしいがこれ神もしくは光って意味で例えばウリエルで神の炎、ラファエルで神は癒されるってな感じでな」

「で、結局こいつは偽者なのか?」

「さぁな。そもそも守護天使って考え方なら一人一人に天使がついているって話もあるし、日本語で天使と表しているだけで宗教によって色々と考え方や在り方に差があるんだぞ」

「じゃあこれはどこの天使なんだ?」

「まぁユダヤの派生の何処かだろうけどな。メルシェル、もしくはメルシエルか。どうしても幼女ってのが不可解だが名前を持ち話しかけてくる時点できっと大物だと思うぞ」

「……流石だな」

「何少し引いてるんだよ」

「いや悪い。それで俺はこれからどうすれば良い?」

「分かるわけが無いだろうが。ただまぁお前の目の前にお前しか見えない天使が居るのなら少なくともそれが悪い事ではないんじゃないか。古今東西天使にあって酷い目にあったって言う話は、まぁ余り聞かないからな」

「余りなのか」

 空也は少し不安になった。

「どんな出会いであれその最後をどう感じるかはその人次第って話だ。それでも天使に会えたのならそれ自体は悪い事じゃないんだよ」

「そう、なのか」

「まぁ俺としては早く思春期特有の病状から抜けてで欲しいし何だったら早いところ病院へ行って欲しいが、折角だからその天使に少し悩みでも打ち明けてみろよ」

「そんなものあるか。っていうか何で自分の病気に話しかけるのを薦めるんだよ」

「俺じゃ駄目だろ」

「何がだよ」

「お互いに仲が良いからこそ話せない事があるって話さ。目の前の天使なら秘密が漏れる事も無さそうだしな」

「止めろ、俺にお前に言えない悩みなんて無い」

「それこそ俺の口から言わせるなよ」

 永正の言葉に空也は口を紡ぐ。

「じゃあ悪いがそろそろ俺は学校に戻るぜ。これでこっちじゃ優等生だからな」

「嘘だろ!?」

「俺だって早く故郷に戻りたいんだよ」

「……そうか。頑張れよ」

「おう、お前もな。それじゃ」

 そう言って電話は切れた。悩みを話すか。目の前の天使を見る。

「いや無理だろ」

 だらけた姿で寝ているメルシェルを見てとてもそんな気を起こす気にはなれない空也だった。


 時間は過ぎた。外を見ればすっかり夕暮れになっていた。

「ふあぁぁあ、おはようぅ」

「あぁ、おはよう」

 することも無く、本棚から適当な漫画を漁って時間を潰し心を落ち着けていた空也は、そうやって寝起きの天使の一言を流せる程度には冷静になっていた。

 永正との話で少しは落ち着けたし何より数時間が立っていた。流石に慌てたり焦ったりするにしても時間が立ち過ぎている。一時期は悩みを相談しようかとも思ったが今ではこの面倒が早く去ってくれれば良い程度の気持ちになっていた。

「さて天使の正体に迫るショウターイム。羽の数から可愛さの秘訣まで何でも質問してくれ」

「いやいいよ、まずは帰れ。帰ってくれれば何だっていい」

 出鼻を挫かれ気だるそうになった天使メルシェルは部屋を見回した。

「帰れ、ねぇ。ほいなっと」

 という掛け声と共にその手に何かを手繰り寄せる。それは少し古いアコースティックギターだった。

「な、っておい、それ俺んだろうが、何勝手に触ってんだ!!」

 壁に立て掛けてあったギターが一瞬のうちに手元に。空也は計画の失敗に驚きその手品にも驚いたが、あえて目に入らないように部屋の片隅に置いてあったギターを唐突に出された事の方が衝撃は大きかった。

 空也の表情を見て悪戯そうな笑みを向けるメルシェル。 けれど空也の視線はギターへと釘付けになっていた。

 しばらく触られていなかった所為でギターは薄く埃を被っていた。ケースにも仕舞わず部屋の隅に立て掛けられたその有様は、大切そうに扱うどころかぞんざいに扱われていると言われてもしょうがない。こんなことならケースに仕舞って置けばよかったと空也は後悔した。最もそれが出来ないから部屋の片隅で佇んでいたのだが。

「おや、大切なもんだった?」

「…………いや」

 その小さな否定を聞いて、「あ、そう」と味気なく答えを返すと絃の緩められた調律のされていないギターに指をかけた。

「なぁ、あんた。あんたが天使って言うなら一つ質問がある」

「ん? やっぱり質問する気になった?」

「死んだら人はどうなるんだ? やっぱり自殺とかすると地獄に落ちるのか?」

 空也は自分でも馬鹿らしい質問だと思いつつも、つい聞いてしまった。

「何? 自殺でも考えてるの?」

「いや、そうではないけれど……」

「天国はツマランぞー。幸せしかないってのは凹凸がないって事だからね。全然こっちの方が楽しいって。天使が言うんだから間違いない」

「なんだそりゃ、大体俺は面白いから生きている訳じゃない」

「もっともだ。その割りにつまらないと死にたがるヤツもいて正直叶わんと言う天使事情」

「じゃあさ」

 一瞬戸惑ったが、その質問が口から飛び出した。

「何で人は生きてるんだ?」

 その問いは誰しもが抱く純粋な疑問。しかし明確に答えられる人間など何処にも居ない。

 空也は自分でも久々にギターを見た所為で、少し感傷的になっている自分に気づいていた。

「して空也は何でだと思う?」

「分からないから聞いてるんだ」

「もっともだなぁ、もっともだけど例え私がどんなことを言ったとしても空也、貴方は納得するの?」

「それは……答え次第だろう」

「そうかしらねぇ」

 そうして会話が途切れた。

 ……。

 ………。

 沈黙が続く中メルシェルはギターを見る。

「……弾けないんだけど、これ」

 さも不思議そうに質問するメルシェル。

「当たり前だ、チューニングしてないんだから」

「チューニング? それをやれば弾けるの?」

「弾けるかどうかはお前の腕次第だが音は出る」

「ならさっさとチューニングしなさい」

「何で命令されなきゃならんのだ」

 チューニングも知らずにギターを弾こうとする浅はかな行動も目に付くが、何より人に頼む態度じゃない。

「イ・ヤ・だ・ね」

 今までのお返しと、ありったけ嫌味ったらしく言い放った言葉だがすぐに後悔する事になる。メルシェルはギターのヘッドを掴んで「……折るぞ?」と脅してきたのだ。

 これには空也も自分の行動を省みた。言葉の暴力でありつつも、実際におこりうる暴力でもあるそれは正に横暴。空也は反論しようとして口を開けては見たが、メルシェルの真剣な目つきを前に渋々とギターを受け取った。

 それからの行動は慣れたものだった。ギターを寝かせ、机から道具一式を持ち出すと調弦を始めた。久々のことだったが、幾百と繰り返した行動は考えるよりも体が先に動いた。

 ついでに埃を払いボディを軽く磨くと、ギターは嘗ての輝きを取り戻した。慣れた手つきで手際よく仕上げ、弦を弾く 奏でられた音はいつも通りに響き渡る。よし、いい音だ。

「ほらよ」

 そうしてギターは完全な形となってメルシェルの元へと手渡された。

「さていっちょやってみますか」

 弦が弾かれる。ピックも持たず小さな指で6本の弦が同時に。

 次に下の弦から順に弾かれ、その次は上から。添えられた左手はフレットと弦を挟むことは無く、正に添えられているだけ。それでもリズムと弾く順番によって奏でられる曲もあるだろう。

 ただそれはあるというだけの話で、目の前のそれは曲にすらなっていなかったが。

「いや何がしたいんだよお前」

 堪りかねて空也はつっこんだ。調弦が出来ないから素人だとは言わないが、調弦を知らない時点で素人であることは丸分かりである。

 それでも自称天使を名乗り、数多の不可解な現象を起こす少女ならと期待してみたが、練習していない者にギターは弾けない、それは当然の結果だった。

「なんか昔聞いたのと違うような気がするわ」

「聞いただけで弾けるようになるなら誰も練習なんかしないだろう」

「そう、これは練習をして行うものなのね」

「ハッ、さぁね。教える義理は無い」

 学ぶという事は人にとって最も大事な要素の一つであり、それは人生の岐路を決める事柄に繋がる。榊原 空也はそこの所が少し欠けていた。

「何かまともに音も出ないようだし、このギター壊しちゃおっかな」

 それは誰にでも分かる脅迫。くそう、何で俺が。と空也は心の中でぼやきつつギターを受け取った。

「で、何を弾けばいいんだ。俺はそこまでレパートリー多くないぞ」

「うーん、適当に満足するまで」

 それは逆に捉えれば満足するまで弾かせ続けるという脅迫でもあったが、ギターを抱いている以上は何も言うまい。

「では、まずは一曲目……、なんて言うと思ったか馬鹿め。コイツが俺の手元にあったら手は出せまい」

 と言ったは良いがそのギター自体が手元から消えていた。代わりにメルシェルの腕の中にそれととてもよく似た何かが納まっている。

「さて折るか」

「うわぁぁあスイマセンスイマセン」

「じゃあ早く弾いてね。ついでに歌もお願いするわ」

「はぁ? おい、なに調子に乗って……ましたスイマセン」

 空也は微妙な面持ちでギターを弾き始めたが、弾いてみたらそんな気分もカッ飛んだ。

 確かに毎日練習していた頃に比べて指の動きがぎこちなく、音が刺々しい。喉も余り通りが良くない。だが胸の中にある血潮はまだあの当時のまま、高鳴る鼓動も込める想いも変わらない。コイツも相変わらず手に馴染む。

 まだ俺は変わっていなかった。今はそれが嬉しくて、そして悲しかった。

「ご苦労さま。中々良かったわ。十分満足したからもう良いわよ」

 結局空也はたった一人の観客が終わりを告げるまで、計八曲の歌を歌った。

 空也はその演奏会の中で激しい曲調のものや穏やかなものも織り交ぜて飽きさせないように工夫したり、少しでも上手く嘗ての自分を取り戻そうと努力した。それは偏に少しでも良い歌を聴かせようとする想いからだった。

 歌い終わった今は達成感や満足感よりも、もう少し上手く歌えたのではないかという後悔があったが、それも目の前の観客の笑顔を見て吹き飛んだ。

 流石に連続して八曲も歌った所為で疲労も感じたが、それ以上に肺に広がる清々しさが今は心地良かった。

 そうしてその清々しさの中で一つの記憶が蘇る。

「っていうかそうだよ、何まだ平然と居るんだよ。人の家で寝て挙句にギターも弾いてやったんだからいい加減帰れよ!!」

「あぁ、でも私はまだ弾いてないけどね」

「おい、まさか教えろとでも言うのか?」

「馬鹿ね、冗談よ。別に私は歌いたかった訳じゃないわ。ただ歌いたいと叫び続けるから歌わせただけよ」

 空也は腕に持ったギターを見た。天使とは物の心すら読めるのだろうか。

「何を勘違いしてるか分かるから言うけど、叫んでたのは貴方よ」

「はぁ?」

 天使というのは人の心が読めるとでも言うのか? ふざけるな。だとしても認めない。榊原 空也は音楽を嫌悪しているのだから。

「勝手なことを言うな。俺は歌いたくなんて無かった。……ただこのギターを壊される訳にはいかなかっただけだ」

「大切でもないのに?」

「だったらどうしたって言うんだ」

 自分でも分かる苦し紛れの言い訳に空也は自ら視線を逸らした。

「クソッ、お前なんか触れさえすれば力付くでも追い出してやるのに」

「え、別に触れるわよ?」

「何を言っている? お前が寝ている時に引きずり起こそうとしたが無理だったよ。何が天使だ、一方的じゃないか。全く持ってフェアじゃない」

 その発言にメルシェルは笑顔で返す。

「あれはただ眠るのを邪魔されたくなくて存在濃度を薄くしてただけよ。大体ここに来て私が握手を求めたのにその手を払ったのは誰?」

「……あっ」

 そういえばそうだった。最初に握手を求められ、そして振り払った。確かにその瞬間、一瞬だったが触れることが出来た。

「ね、思い出した? ならもうフェアね。生意気な発言も普通なら寛容に見逃すところだけど、天使に出来ないことを平然とやってのけたのは癪に障る。ってことでここは一発絞めよう。そうしよう」

 背中に薄ら寒いものを感じ空也は一歩下がる。

「なんだその横暴な発言は……」

 そう言ってもう一歩下がろうとして足が動いていないことに気づいた。

「あれ身体が動かな……」

 気がつけば空也の眼前にはメルシェルが居た。間近で見れば見るほどその完成された芸術の様な顔立ちに胸が高まるも、それどころではない。動けない空也の額。その中心に「ちょいや」という掛け声と共に放たれたのは一発のデコピンだった。

 たかがデコピンされどデコピン。人ならざる者による一撃。額に穿たれた衝撃は脳を揺らす。空也の意識は唐突に消え行く。

 瞳に残るのは天使のような少女の顔。耳に残るのはパチーンという不吉な音。

 そして、記憶から蘇るのは一人の女性の姿だった。

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