第6話 「蒼天を駆けて」
くすんだ空を突き抜けた先に広がる景色にアトラスは息を呑んだ。
足元一面に広がる雲海ならば、アトラスだって見たことがある。だが、今日のそれは高い山の上からの眺望と違って、まず第一に足の下に地面がない。アトラスの意識と連動して映し出される風景も上へ下へ、或いは右へ左へと動くのだが、遂に地面を見付けることは出来なかった。
それから頭上の吸い込まれそうなほどの暗闇。一切の揺らぎもなく、また、果てのなさもこの鎧の中の暗がりとは比較にならず、超然とした広がりを見せている。
その漆黒の世界とくすんだ空の狭間に広がる、青く清浄な空間もまた、アトラスが初めて目にするものだった。
「凄い……雲が全部足の下に……」
「この高度ですから、当然です」
当然と言われても、ここにはアトラスにとって当然なものは何一つない。空を飛んでいるという事実と、これまでに見たことのない世界の展望に、アトラスの興奮は高まるばかりだ。
辺りを見渡したアトラスは更に目新しい物を見付ける。だがそれは、更なる興奮をかき立てるものではなかった。異形の物体は、奇妙というよりも薄気味悪い物で、アトラスは自分の中の興奮が急速に冷めていくのを感じた。
卵の様な楕円状の外形に、細長い腕が生えている。その下部にも玉ねぎの根っこのように何本もの髭もじゃが垂れ下がり、銀色をした表面には不規則な紋様が細かく刻まれている。何よりも不気味なのがこちらを睨んで大きく見開いた一つ眼。そんな奇妙な物体が、よく見れば雲の上のあちこちに漂っている。
大きく映し出されたそのうちの一つと目が合った次の瞬間、一つ眼が火を噴いた。否、それは火焔ではなく、あの赤い光の矢。アトラスがそれに気付いたのと同時に彼の視界は大きく揺らぎ、矢は次々と目の前を通り過ぎて漆黒の世界へと吸い込まれてゆく。旋回が止まったところで淡々と報告がなされる。
「被弾ゼロ。敵は次の攻撃準備に入っています」
「敵――」
「Yes, サー。今見た通り、あのタマゴが攻撃を仕掛けてきた相手、即ち、敵です」
それは今となってはもう、アトラスにも理解のできない話ではない。寧ろ今アトラスを悩ませているのは、この場で自分に一体何ができるのか?ということだった。
上空に来てから、いや、そもそもあの胸の黒い塊に触れた瞬間からアトラスには、驚くことしかできていない。さっきの攻撃だってアトラスにはまともな反応すら出来なかった。文字通り、振り回されているだけだ。
しかし、鎧の巨人はアトラスのそんな心配もお見通しだった。
「心配いりません。戦闘に関する一切は私の方で対処出来ます。アトラスはそこで、彼女のことでも考えていて下さい」
緊張感も何もない台詞に、アトラスは吹き出しそうになる。
「早く、彼女の元に帰りたいでしょう?」
そう囁かれてアトラスは素直に頷いた。そうだ。イアもきっと心配している。
初めて見る雲の上の景色に一度ならず心が躍ったけれども、ここが自分のいるべき場所ではないということはすぐに分かった。異形の敵に対して、自分が何か出来るわけではないという無力感に、少し悔しい気持ちがなかったわけでもないが、それよりも何よりも、アトラスの中では早くイアの元に戻りたいという気持ちの方が断然、強かった。
「出力が上がれば、それだけ作戦の所要時間を短縮できます」
篭手から棒がこぼれ落ち、それを右手が掴むと棒は急速に伸びていく。伸びきった棒がうっすらと赤い光を纏ったかと思えば、その先端に小さな炎が灯った。光の穂先を持つ槍だ。アトラスの好きな神話にも投げれば必ず当たる光の槍というのがあったが、それに類するものだろうか。
「――――いきます」
その声と共に鎧の巨人は空を駆けた。
そこから先は最早、戦闘と呼べる代物ではなかった。
巨人が空を舞う毎に雲は裂け、槍の穂先が銀の卵に深々と沈み、敵は炎に包まれて次々と墜ちてゆく。
敵も光の矢を放ってはくるが、連射は出来ないらしく、そうこうしているうちに敵の数はみるみる減ってゆく。それはもう、単純な作業だったと言っても差し支えないだろう。それほどまでに全く危うげもなく、一方的な破壊が続いた。槍が最後の一体を捉え、それが爆ぜる。
「作戦完遂。帰投します」
抑揚のない声がそう告げると、そのまま雲の海へと飛び込んだ。薄い雲を吹き散らし、すぐに眼下に地面と自分たちの村が見えてくる。
「終わったんだよね?」
「Yes, サー。周辺の敵は殲滅しました。もう攻撃を受ける心配はありません」
その言葉を聞いて、安堵の気持ちがアトラスの中に溢れた。それと同時に、口からは感謝の言葉もこぼれていた。
「ありがとう」
「礼には及びません。必要な措置を取ったまでです」
そうは言っても。イアも、村も、そしてアトラス自身もまた救われたことに違いはない。
「そもそも事を為したのは私かもしれませんが、それも含めてこの結果はアトラス、あなたが望んだから得られたものなのですよ?」
そんなことを言われても、実際には何もしていない身ではよく分からないし、照れることしかできない。降下速度が徐々に緩む中、照れ隠しの誤魔化しにアトラスは一つ、訊ねてみることにした。
「ねぇ、その……君の名前なんだけれど」
「A.S.S.type-α trust 1です、サー」
それは一番最初に聞いているけれど、改めて聞いてもやっぱり覚えきれそうもない、よく分からない名前だ。第一、呼び難いったらない。
「他の人には何て呼ばれているの?」
「呼称ですか?開発コードでしたら「アル」、「タイガー」など、部署によっていくつかありましたが……そうですね、生みの親から頂いた名前で呼んでもらえると、嬉しいです」
確かに神話の神様にだって親兄弟はいるけれども、この巨人にも生みの親と呼べる存在がいるのは少し意外だった。
「何ていうの?」
「――――アーティーです」
遂には降下する動きは完全に止まり、地に足の着いた景色になった。祭壇のあった崖のさらに奥の、山の中だ。赤い光の矢の爪痕が、そこかしこに残っている。向こうからイアの駆け寄ってくる姿が見えてきたところで、外を映していた光壁は消えてしまった。代わりに目の前の暗がりの一部が紐解くように解けてゆき、それが出口なのだろう、眩しい光がそこに大きく口を開いた。
外に出たアトラスが降り立ったのは、アーティーの手のひらの上だった。そこからゆっくりと地上に下ろされる。膝を折って畏まるアーティーに、アトラスは王から剣を賜る騎士の姿を重ねて見た。
「お疲れ様、アーティー。おかげで助かったよ。ありがと、うっ!?」
「アトラス!」
後ろからイアが抱き着いてきたせいで、最後の方は言葉が潰れてしまっていた。そんな二人を見守る様に眺めながら、アーティーが答える。もっとも、その呟きは声を上げて泣くイアにも、それを宥めるアトラスにも、誰の耳にも届くことはなかったのだが。
「アトラスこそ、お疲れ様です。
――――もっとも、大変なのはこれからでしょうが」
ここまでご覧頂いた皆様、誠に有り難う御座います。
神鎧戦騎 アトラス 第1章はこれにて閉幕です。
よく分からないままに振り回され、しかも戦場ではまるで空気な主人公でしたが、これがこの先どうなるのかは第2章以降のお楽しみ、ということで。
執筆ペースとしては週1回、約3000文字程度の文量での定期更新を現状通り、今後も続けていきたいと思っています。
そもそもこのお話は、私が所属する同人ボカロサークルのメンバーさんが作った曲にアニソンっぽい歌詞を当てた所から始まっています。なので、「毎週金曜、夜7時から!」というのが一つのキャッチコピーであり、自分自身への指針と言いますか、制約でもあります。他の作家さんから見たらきっと緩いペースなのでしょうが、これほどまでに安定して投稿が続けられているのは、私としては革新的な事件であり、喜ばしいことです。
今後もどうぞよろしくお願いします。