高校生編・第六話『謎の少女はキケン?! 穿て、大海の覇権』
林が焚き火の音を立て始める。
時折吹き抜ける風が火の粉を巻き上げ、そこに住む生物達の阿鼻叫喚が空へ木霊していく。あまり姿を見せない臆病な動物達も流石に火は怖いようで、他人事ではいられないようだ。
そして何より自然に発火したという割には火回りが早すぎていた。
─────つまり、ようやく化け物たちがしびれを切らし、山に火を放ったのだろう。それ故にもくもくと煙が漂い始める。森林を囲う町々の空気は悪くなる一方だ。
視界は不明瞭になり、匂いもまた激臭、数呼吸しただけで器官がやられるのは間違いない。
勇気は咳き込むのを無理やり抑え込むため、袖で口元を押さえ、息を止める。
静かに息をしなければ居場所を悟られ、尚且つ考えなしに咳き込めば肺すらも正常に働かなくなるだろう。
─────これ以上のリスクは御免だ。
そして数秒後、細く息を吐き、周囲の観察を再開する勇気。
「はぁ………ぁっ、」(悪魔も僕一人捕まえるのにずいぶん必死だな………)
悪態を吐いているものの、実際の所そんなに余裕はない。
そろそろタイムリミットが近いのだ。呑気に居座り続ければ間違いなく火に囲まれ、逃げ道を失ってしまう。
故にこの場に居られる時間は数分としてない。しかしかえって焦れば愚かにも怪物たちの策たるおびき出しにはまり、加えちょっとでもタイミングを遅く間違えれば手遅れとなり丸焦げの火だるまさんだ。
さてと、足の傷もあるのでゆっくりはしていられない、どうしたものかと首をひねる。
そんな時だった─────勇気が悪魔たちの異様な必死さに疑問を抱いたその時、
『“オマエ”ハオレノモノダ─────ッ!!』
─────ゥオオオオオオオオ!!
悪魔の方から声が聞こえたと思ったら、次の瞬間には大気を震わせるほどの雄叫びが森林に響き渡る
叫んでいたのは集団の中心に位置する白きワニの竜もどき。
そして白き竜もどきは何を思ったのか、背中より気味の悪い触手を多数伸ばし何かに対して狙い定める。
一瞬勇気の居場所を悟られたと思ったのだが、なんとその触手は周りの有象無象たるワニたちにぴたっと向き直る。その突然の味方の動きに流石の肉食バカのワニたちでも驚いたように口をあんぐりとさせ、ジリジリ距離を取ろうと後ずさっていたが、だが力の差は歴然だった。さらにその触手たちは一瞬で大きく膨らみ、瞬く間に彼ら味方を近くにいる奴らからパクッと二口で呑み込んいった。
─────すなわち共食いだ。
「kyoaaaaaaaaaAAAaaaaaaッ!?」
「GYAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaeeeeッ!!!」
モシャクシャと音を立てる。
怪物たちの悲鳴、ボスの甘美に喜ぶ奇声。
はっきりいって目の前で汚物をされているかのような嫌悪感があった。
一言で、キモくて酷い。
(オェ……………ぅ、うわ、ここまで血しぶきが─────オイオイ嘘だ……ろっ、)
─────仁王立ちの竜。
胴体から後ろまで伸びる尻尾は一凪するだけで木々を薙ぎ倒し、その鍛えられた肉体と両腕から伸びる鍵爪は触れるだけで全てを切り裂く名刀。
推定五メートル近くもの体躯を誇るその化け物はもはや悪魔とは呼べまい。
紅く煌めく瞳に目を合わされば、まずその場から動くことは出来なくなる。
進化したのを象徴するかのように大きな翼を広げ、少し滞空すると同時に森林を羽ばたきだけで蹴散らす。
その巻き上げられた土砂に呑まれた勇気は悲鳴すらあげることを許されずに、なす術もなく谷に向かって吹き飛ばされた。
意識がない中、少年は無残にも数十メートルもの山肌を転がり落ちていくのだった。
☆☆☆☆
─────結構な時間がたったような気がする。
冷たい地面から伝わる振動で意識を取り戻した勇気。
しかしその瞼は重く、微かに見える景色はボヤけて意味が不明だった。
それでもこの地響きの出処はわかる、間違いなくあの赤き瞳の暗黒竜のものだろう。
(ずいぶんと………立派になったもんだよ………くそワニ野郎………、)
他人を利用して出世したクズ悪魔に嫌悪感を抱く。
しかしだからと言ってそのあり方を人間社会で生きる者として否定することはできない。なにせその生き方こそ、まさに人間社会そのものだ。
ブランドも、二代目と名のつくものも、友達も、家族も………………。
─────じゃあ俺ともそういう関係か?
と大和に問われれば自信を持ってなおかつ即答で否定してやれる。
あいつが勉強しているなら、僕はもっと勉強して越えてやる。
あいつが命を張って人々を守っているのなら、僕はその手伝いをする、命を賭ける。
「ま…………けたくねぇなあ!お前なんかに……………ッ!」
地に手をつけ、なんとか身をよじり起き上がろうとする勇気。
そして友に対して秘めている気持ちを熱く滾らせる。
そうだ!─────大和はあの得て失う記憶障害に終止符を打ってくれた存在。きっとそんなこと彼は覚えていないだろうし、自分の勝手な思い込みに近いものだろう。
だけど、彼は友達で済ませたくない存在だし、いつか超えたい存在なのだ!!
そして今年が最後のラストチャンスだ。
しかしこの気持ちだけではやはりどうにもならないのもまた事実だった。
地に置かれていた手はあっけなく滑り、勇気は再度の挫折を思い知る。
挫折に精神的に慣れているとはいえ、物理的には体がもう限界だった。
(血…………出しすぎた、)
彼の右足は山からずっと落ちるまで傷が開きっぱなしだった。
ゆえにグロテスクにも山から道路にかけて血しぶきが散りばめられていて、もはやこれでは意識を保っていられるのも残り数分程度だろう。
死に行く時を“暗い海底に落ちていく”と表現することがあるが、その意味がようやく理解できた気がする。
冷たい手先と徐々に肺がしぼんでいく苦しみ、一寸先も届かない暗や─────
────今助けるよ!
しかしそこに一筋の光明の如く、死の暗闇を切り裂いて少女の声が響く。
『─────創世召喚─────ッ!!《 彼の王が覚醒する・四季は動く・故に命ずる・今一度少年に発つ力を分け与えなさい・朽ちを止め!時を癒す!!』
先ほどまで冷たかった手先に熱が宿る。
瞼の上からでもわかる青と白の螺旋の光。
これまで何かが足りなくて戦えなかった空洞に、満ち満たされる不思議な感覚。
「──────────“ Return of the Blade Regalia”────────ッ!」
いくつもの極光の魔法陣が勇気の上で連なり、数多の実を抱えし系統樹が映し出される。
その樹になっている一つの実が白く輝き、やがて魔法陣は一本の刀剣を納めるための緑と黄金に彩られし大きな鞘に変わった。
それと同時に勇気はきっかけを得たように覚醒する前に走馬灯を見ることとなった。
☆☆☆☆☆
新たな始まりを告げる桜乱の花咲。
人恋しを求めて燃える陽射しの楼。
恋終わりて命の境目たる生の日常。
始まりが嘘のような冷たい終幕。
そんな季節の変わり目を感じながら、“僕”は毎日同じ登下校の道を事務作業のように往復していた。小学校、中学校の場所は全然違うけど、基本的な根幹は僕にとっては何も変わらない。
“家と学校の行き帰りだけが、他人を見て感じれる唯一の行動”───────ただそれだけだった。
小学生の時の記憶《勉強したということ・学校の名前、場所》以外は全く無く、“中学一年生”の時は少し楽しかったような気もするが、高校生である今ではもう学校に行っていたこと、勉強したことしか覚えていない。
“中学二年生”の頃は………………心の病とかなんとか周りが騒いでいて、僕は一人保健室で座っていた。ワックスの効いた綺麗な廊下を一歩一歩踏みしめるたびに、頭に衝撃が走り、短な鈍痛と共に昨日のことが思い出せなくなっていた。日に日に悪化する記憶障害。
保健室にいたのは“おそらく”そのことを自分が耐えられなかったからなのだろう。
日々を重ねる度に得て、得た分以上のものが失われていく。人格が欠けていくのがわかるのだ。
精神科医に精神の崩壊を勧告されたぐらいだった。なんでも世間ではうつ病から脳死に至ることもあるそうで、薬で治るものでもないから癌よりもタチが悪いとされているらしい。
そしてある人にはこう言われたことがある───────“君の記憶はまるで歴史教科書の目次のようだ”、と。
歴史の目次って時間の流れに忠実に表題が記載されている。その時の時代の大きな事柄、結果しか記憶にないサマをそのように言い表したんだろう。
そう言い表されたら、普通当の本人は怒るものだ。
しかし意外にも僕にはそんな感情は生まれなかった。いやそれよりも自分はもっと重症な記憶障害を患っているのだと思い知り、それどころではなかった。
その理由は、よく言われるのだ───────。
───────お前ってそんな“性格”だったか?
決定的だったのが “食べ物の好き嫌い” だった。
何せ日々コロコロと変わっていたのだから、周りから異物扱いされるし、意味不明に嫌いなもの以外は最低限食べろと食べ残しを担任の先生に怒られた時は、咄嗟に行きつけの病院を逆に紹介するところだった。
何よりそれを自覚した時、どれだけ血の気が引いたことか。
一言で言い表すなら、毎日人格が死んでいる、ということなのだ。
今の人格がなくなる恐怖、そんなものが毎日である。生きている感覚がしないのは当然じゃないの?
すれ違う子連れの家族所帯。思わず目を背ける。理由はわからないけど、その姿はあまりにも心を脈動させた。何せ感情も知恵も満足に持ち合わせていない、動物性の恐怖と体のあらゆる反応だけが自分の感情を判断する材料だった。
そして目を背けたそれを“見て”から待っているのは無人無音の、誰の家かも分からない自分の犬小屋である。
誰かに────────“君の家はここだ”、そう言われているかのような感覚を毎日味わう。とりあえずここに帰ろう、ここしか行く場所はないから、そんな考え方しかできなかったのだ。
きっと昔は僕もみんなと同じように家族がいたはずだ。
お母さんもお父さんも、もしかしたら兄弟だっていたかもしれない。
でも思い出せない、今頭の中であるのは保険の知識、子供の作り方だけ。
─────帰りたい。
おかしいじゃんか!!
なんで僕だけが一人なんだよ!
なんで僕だけこんなにも不幸なんだよ!!
普通を願って何が悪いんだッ!!
みんな死ねよ!死ね!!そんなに恵まれてんならもっと頑張れよ!!
もっと僕を助けろよ!!!少しでいいから僕にも普通を分けてよッ!!!
周りに対しての嫉妬だけが、無い物ねだりだけが、僕の全てだった。
☆☆☆☆
──────────“ Return of the Blade Regalia”──────────その意は《王の帰還》。
王の還るべき場所。
または王権、王を選定するとされる剣の収まるべき場所、玉座。
すなわち数多の信仰と魔力を携えし奇跡の鞘、それこそがこの力の正体だ。
魔法の鞘とも呼ばれるその力は王家の永久なる繁栄を再現せし呪い、不老不死、癒しの力だ。
北欧神話を代表する神の王政権・聖剣エクスカリバー、それを納め力を与える存在とされ、この世を生きるものとして知らねば世間知らず、王を語るには値しない存在と蔑まれるであろうほどに有名である。最後の担い手としてはアーサー・ペンドラゴンが名前として上がっているが、その後の行方は不明だった。
しかしその奇跡の器が今もまた遥か昔と変わらず、屈せし王を立たせようとその輝きを放っていた。
満たされる感覚に勇気は目を覚まし、ふと─────ボインっ!! という擬音が聞こえてきそうなものが目の前を揺れ過ぎ、思わず鼻を手で押さえ込んでしまう。
(……………へ、ヘビー…………級っ!)
起きて早々なんという失礼なと、急に身を起こす勇気だったが、帰ってそれが彼女を驚かせてしまい、すぐ近くで女の子の小さな悲鳴が上がる。
「き、きゃ……!」
「あ……ああ!ご、ごめんっ!」
「ぅーイテテテあ! ハイっ! ゼンゼンダイジョーブですよ、このトオーリ!へへ!」
パラララっ!と靡く紫色の髪とキラキラぱっちりした瞳、異国の人の象徴であるような透き通った褐色肌。
元気一杯で可愛らしい外国人なまりの日本語がまたそれにスパイスとして彼女を引き立たせ、しかし彼女の外見を覆いしもの、全身ジャージというものが残念なことになっていた。加えて今日は数少ない休日であるのだ。少しリアルに引き戻された気分の勇気だった。
だがその時、ようやく勇気は気がついた。
「あ、れ…………そのジャージは僕たちの学校の…………それに“ミレア”、………って」
そう彼女が来ているジャージはなんと勇気の通う学校のものであり、尚且つ名前の刺繍にはつい先日の学校にて、少年の頭をアイアンクローしてくれた歴代最恐の留学生“ミレア・リーレ”の名前があった。
一体どういうことなのだろうか、と問おうとした時、少女の手が勇気の手をとった。
「走るワ!!コッチ!」
「ぁ、うん!」
そして勇気は少女に無理やり立たされたことで気がつく。
足に傷が残っていないことや、血を流した後遺症なども全くないことに。
「えーと君が治してくれたの?」
「うん!けど詳しい話はできないし話はアトだよ!あの追ってくるのをなんとかしないと─────!」
「な、なんとかって」
あんな戸建ての家を片手で握りつぶしてしまうようなバケモノを? バカなの?
確かに彼女は何かしらの奇跡を秘めているのだろう。この世界に回復という魔法概念はないのだから、人の怪我を医療を使わずして直したのならそれだけで神業だ。
しかし勇気一人を治したからといってどうこう出来る、というわけではない。
「というか! ぼ、僕のことはいいから君はにげ」
「逃げても無駄ダヨ! どうせすぐに貴方は殺されて避難した人たちも!だからここで倒すしかないヨ!」
(はっきり言ってくれますねぇ!ここは普通、『そんなっ、貴方一人を置いていくなんて』とか、そんな場面だと思ってたのに〜)
そうこうしているうちに勇気と少女は大きな街路、二車線の国道に出た。
狭い場所は身動きが取りづらく、建物の崩壊に巻き込まれる可能性もあるから危険だが、広い場所はそれがない。つまり逃げ切れ────、
だが途端に空を影が覆い、少し上を向けば途轍もない速度で回り込んできたであろう暗黒竜が滞空していた。
そして遅れてやってきた追い風により少女と勇気は楽々と持ち上げられ、暗黒竜に向かって吹き飛ばされる。
「なっ………!!?」
「…………へっやああああ!?」
少女は小さく驚き、勇気は思わず女の子みたいな悲鳴を上げてしまう。
だがそんなことに羞恥している場合ではない。何せ彼らの行き着く先には、鍵爪を構えた暗黒竜が待ち構えていたのだから。このままでは串刺しは免れない。
もはや手遅れかと思いきや、そこに響く少女の活発な声。
「ちゃーんすッ!…………《ギリシアの地・大海の果て・あらゆる生物を支配し・天をも蒼く埋め尽くす・天と地の巡りを司る三つの牙》 ─────!!」
勇気の、いやこの光景はこの場にいる暗黒竜の脳裏にも焼き出された。
数多の黙示録を母なる木々の実として、その生命を転生させるかごとく今一度の神話を具現化させる。
大荒れした海は一瞬にして穏やかになる。
空へ浮上した力はやがて大地を削り、故郷へと還る。
あらゆる生物の体内を循環し、恵みを司りし一端にして頂点。
それら全ての権利を得て支配する神格武装!
かつてギリシア神話の頂点だった天空の神ゼウス、冥界の神ハデスと並び立っていた海の神がクロノスを討ち果たした際の恩恵として手に入れた海神の権力と武装の融合した形。
海神ポセイドンの力の象徴を担うその力の名は─────!
「──────────“Poseidon of SeaRegalia” !」
瞬間放たれたのは、一筋の大瀑布。
神格、権限、一つの武具にて束ねられ、濃密に凝縮されし最強の一振り。
いわば水流の極太レーザーだった。槍を覆うその流れは途轍もないスピードで渦巻き、触れたもの全てを木っ端微塵に弾き飛ばす、そんなイメージを無理やりねじ込むほどの確かな力があるのは間違いない。
そして音もない世界の中で眼前にまで迫っていた暗黒竜の腕と鍵爪。あらゆる建物を触れただけで全壊させるその力は創作物の大怪物そのものに等しいはずだ。
しかしそれはあくまで人類史にたいしてのみの脅威である。
《御前にあるのは神を謳い、支配する神域》
故に彼らの前では物質界にあるもの全て等しく平等だ。
大海が神槍を包み込み、出来上がる神格武具。
一瞬竜の腕をちゃぽんと飲み込んだと思いきや一気にその力は加速した。
コンクリートを砕き、文明を食らう悪魔の力を宿すその豪腕はしかし、いとも容易く海流に喰われ、果てへと消え去っていった。
そして水の轟音と共に遅れて突風が吹き荒れ、暗黒竜、勇気、少女はそれぞれ別々の方向に薙ぎ払われる。
「うおっわああああ!!」
「………………っあ!」
「GYAGAAAAAaaaaaaaaAAAAAAッ!?」
ズシャアアアアと地面に転がる勇気と謎の少女。
そして暗黒竜は痛みにもがきながら歩道に向かって倒れ込み、建物の入り口に顔面から突っ込んでいた。
圧倒的な奇跡を前にして数メートルから落ちた痛みなどもはや勇気には全く感じることなど出来ず、すぐに起き上がり、暗黒竜の様子を伺う。
「………………流石に生物を媒体にしているんだ………ショック死はしないだろうけど、知恵を得た分、痛覚も増して数分は起きてこないはず…………ていうか一生寝てろ!」
勇気は吐き捨てるようにぼやいた後、すぐさま体を痙攣させている少女に駆け寄った。
おそらく打ち所が悪く、痛みで体が緊張して痙攣してしまっているのだろう。こういう時はゆっくり上体を起こして安定した呼吸をさせないといけないのだが、
「くっ……………み、水色の」
そう数分足らずの出来事だけで彼女のジャージがすごいボロボロになっていて、尚且つズボンがズレて脱げかかっており、下着及び透き通った褐色肌のムチムチの太ももが見え隠れしていた。
上着も裾の部分がボロボロで、スラーとしたウエストと小さなおへそがこんにちわしている。
「……………目を閉じるんだ………………心の目で世界を見るんだ………何も見えんわ!!」
とフレーズを噛み締めながら、目を閉じなんとか手探りで彼女の首下に手を入れ込む。
そして右腕で彼女の肩を抱くとゆっくり上体を起こしていく。
だがしかしその考えは浅はかだった。何せ彼女には意識はないのだ、首がだらんと後ろに下がってしまい、これでは彼女の体にストレスを与えてしまう。
どこか寄りかかれる場所を探さなければ、と勇気はふと思いつく。
「これは……………仕方ないこと………決してやましいことはないです」
そう、自分の体で彼女を支えればいいのだ。
勇気はすぐさま丁寧に彼女を自分の胸板に仰向きで寝かせ、状態を維持するために彼女のお腹に手を軽く回す。
「…………………っく、これを見たやつ絶対変態と思うだろ………!」
何せ男の股に女の子を挟んでいるのだ、いらん変態的な誤解を招きかねないだろう。
もちろん勇気だって健全な男の子である、あの子も元気にヌクヌク元気であった。
「………………ん? 痙攣が収まったかな?」
と同時に彼女のうわ言が聞こえ始める。
そろそろ眼が覚めるのだろう、勇気はある種の覚悟を決めて、一つの謎について思考し始める。
「それにしてもこの子はいったい、………ミレアさんの知り合いなのか、それとも“同業者”か。どちらの線というのもあり得るんだろうけど、…………」
はっきり言ってミレアとこの子の力はパワーバランスがおかし過ぎる。
ミレアの力を勇気は見たことはないし、誰も知らないのだろうが、人ひとりを片手で持ち上げ、尚且つ同業者たる大和と水瀬に対してあの堂々とした態度とプレッシャーは生半可な場数を踏んできたわけではないのは明白だ。
さらに今ここで寝ている褐色の少女の力は恐らく、武具の目録、サンプリングみたいなものだろう。はっきり言って稀有、特別、そんな言葉で終わらせていい力ではない。まさに選ばれたものだけにしかない力、星屑の一人に出会った勇気も貴重ということになってしまう。
(ていうかこんなことを見て聞いて知ってしまった僕は……………マジで不幸じゃああああん!!)
この子がこの地を離れ、生きている限り、勇気は彼女につながる途轍もなく貴重な情報源。
すなわちあらゆる祓魔師から少なからずのアプローチや過激なことをする奴らも出てくるかもしれない。
さらに国を超えてきた諜報員なども必ず日本にはいる、絶対にいるはずだから、もしこのことが露見すれば、
(はははは……………世界大戦が始まっちゃう)
今この瞬間に始まってもおかしくない。
というより、一つ勇気は穏便な方法を思い付いた。
(そうだ、この子を日本政府に預けよう…………そうすれば!僕は!)
彼女を保護した恩恵として自分も何かしらの恩恵を受けれるかもしれないし、尚且つ今の世界大戦真近の危機的状況も解決できる。
何より彼女は魔力の使いすぎと痛みのショックで今しばらく、起きたとしても自由に動けないはず。
「そうとなれば寝ているうちに手足を…………………」
しかしこの場に手足を縛れるようなものは何もない。というより大前提として勇気は、今目の前にぶら下がったエサに飛びかかろうとしていたことに途轍もなくショックを受ける。
己の命に価値はなし、だからせめてみんなを救おう、そう決めて生きてきたはずだった。
なのに今自分はこうして己の保身に走り、尚且つ助けてくれた少女を犠牲にして出世しようとしていた。
「………………はははは醜い……………醜いなぁ僕は………本当に醜いよ………ぅっく」
自分で己の命に価値はなし、と言った。
単純に自己嫌悪から涙しているのではなく、単純にそう言い聞かせるしかない存在であることが本当に辛すぎたのだ。
頬を伝う雫と眼の奥を刺激する痛み、怒涛の出来事のせいで己の感情が制御できなかったらしい。
「久しぶりに泣いたかも…な、……………あははは、ダッサ」
「そんなことないヨ」
「へっ………?」
気がつけば彼女は眼を覚ましていて、尚且つ勇気の濡れた頬を優しく撫で始めていた。
しっとりとした手の温もりと彼女の自然体な笑顔が少年の心を穏やかに包み込む。
「価値のない命なんてあるわけないヨ。そう思ってしまうのはきっとアナタが“比べたがり”なだけ」
途端に心にズキンと痛みが走る。
そう、この痛みは自分の核心に触れられた時の邪悪な吐息。だが今ここで誤魔化してしまったらきっと今の状態が永遠と続いてしまうのだろう。
だから素直に勇気は口を開いた。
「君になんかに何がわかる! いや分かるわけがない!! 僕はずぅっと一人だった! みんなが等しく受けてる義務教育さえ覚えていることは大変で、それなのにみんなはその上で“母さん”がいて、“父さん”がいてッ!……………ずるいよ、なんで僕だけがこんなわけもわからない生き方しなくちゃいけない!? どうしたら僕をみんなは助けてくれるんだよ!!どうしたら」
「信じて」
勇気は背けていた視線をその言葉で彼女に戻した。
彼女の言葉に嘘はない、なんとなくだが少年はそう思えた。だから彼女の目からもう視線をそらさない。
「信じて、自分のこと。信じて、自分のできること。信じて、自分のやりたいこと。そして許してあげて、自分にできないことがあるということを」
トクンと心臓が高鳴り、心の忘れ物に勇気は指先でほんのり触れていく。
心の奥を何かが走り抜け、瞳から涙が溢れ出ていく。
───────僕は母さんのことが大好きだった。
───────そうボクはそんな母さんを救うことができなかったんだ。
───────そして、父さんの心も救うことができなかったんだ。
───────そうだ、だから僕は自分を許すことができなかったんだ。
───────“家族”を救えなかったから! だから一人なんだ。
永遠に一人でいるべきなんだと僕は激しく自分を責め立てたんだ。
この記憶障害は誰のせいでもなく、自分のせいだった。
彼女の言葉でまだぼやけた感じではあるが、少しずつ何かが解けていくのを勇気は感じていた。恐らくは最初に怪我を治してもらった時に、その医師の見解である魔術的な病?、呪い?のような呪縛も消え去ったのだろう。
そして今、勇気の心はゆっくりと丁寧に解かれていき、覚醒の時を刻み始める。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
と同時に暗黒竜もまたその意識を覚醒させたらしい。
翼を大きく広げて空を泳ぎ、勇気と少女は最後の儀式のように視線を互いに結び直す。
その間に一泳ぎ旋回し終えて道路の真ん中に君臨した暗黒竜は、やがてその獰猛な牙をむき出しにして口を大きく開くとそこに黒い渦が収縮され始める。
片手を地面につけ、己を砲台のごとく暗黒竜は二人に向かって狙いを定め、構えた。
もはや生きたまま捕獲し食べることを忘れ、地上ごと二人を薙ぎ払うことにしたらしい。
「これはおまじない………“ミラリア”ちゃんが教えてくれたの」
そう言って少年の額にキスをした少女。
勇気は思わずトキメキした女子のように頬に両手を当ててしまいそうになるが、しかし赤面したまま固まっているわけにはいかなかった。
何せ少女が暗黒竜に向かって、満足に動かせないはずの体を引きずってまで歩き始めたから。
「待って…………僕じゃあまり理解には乏しいけど、あれだけの“質量”を召喚してもう魔力はないはず。そんな体で何をする気なんだ? 勝算はあるんですか?!」
「─────あ、そういえば…………名前教えてヨ?」
彼女は勇気の質問を無視して振り返り、自然な笑みを浮かべたまま少年に問う。
そんな真っ直ぐな彼女の質問に、勇気は素直に答えた。
「か………神谷勇気」
「ユウキ・カミヤ…………ユウキ、勇気………いい名前デス。ワタシは“ノーラ・バルクレイ”」
「ノーラ・バルクレイ…………ノーラさんもいい名前だと思うよ。」
勇気もまた負けじと満遍の笑みを浮かべて答える。
そんな少年にノーラは満足げに前へと向き直り、体のそこから絞り出すように青いオーラを噴出させていく。
ここまでの激流で視認できる魔力は、大抵無理して放出している以外はない。ましてや彼女はもう二発も大魔術を使っているような物、このまま魔力を使い続ければ自ら死んでしまうことになる。
だが、少女は笑っていうのだ。
「ダイジョーブ。これはワタシにしかできないコト、ダ。…………だからユウキは逃げて、コイツはワタシが───────必ず倒す」
勇気は不覚にもその姿と背中にカッコイイ、と思ってしまった。
結果は分からないのかもしれない、だがいざあんな化け物に立ち向かっていくのには途轍もない勇気がいるはずだ。肩と手足は震え、奥歯が軋むはずだ。なのに彼女は確かに笑っていた、だからきっと彼女は“本当”に強いのだろう。
そして彼女の声には気迫には、確かな覚悟があるのを感じた。一体どんな物を背負って生きているのだろう、でなければ本来守られるべき命であるいち少女にここまでの覇気は出せないはずだ。
そんな彼女を前に小さき少年はただ見惚れ唇を噛みしめる。心臓はバクバクと唸り、胸が膨らんで逆に圧迫される感覚に苦しむ。
生半可な取捨選択に、“死する覚悟”しか抱けない自分は、今この瞬間にも歩み続けるノーラに何も声をかけることはできない。できるわけがない。慰めにもなりはしないのだから。
だから少年は胸を掻き抱いて、呪文のように唱え始める。
(………力が欲しい………)
“力が欲しい”、ただ切実にそれを乞う。
また次なる命を守るため、命を未来へつなぎ止めるために、ただ“力が欲しい”。
途端頭痛と共に目が焼けるように軋み、一瞬紅く黒く視界が明滅する。
(な、なんだ?………いいま一瞬お昼なのに月が、それも紅い───────ぐっぅ!)
赤い月と暗い世界、カラスが泣き喚く空はとても不気味なものだった。
同時にドクン! と胸が跳ね上がる。今にも心臓が飛び出るか、と不安になるほどにとても強く。
しかし勇気に疑問を抱かせるだけで、体に変化は何も起きない。ただ、この場にいるはずのない第三者の声が響く。
『────ハッ飛んだわがままな野郎だ』
「……………な、なんだと……ぐっ痛っ」
『あれだけ後悔し、オレに何もかもなすり付け、正真正銘平和“ボケ”したテメェが今さら力を求めるのか?』
「うっ、……の…(ノーラの声じゃない)…………君は誰なんだ?!」
『流石はゆとりだ。 己の好奇心を優先し、少女を殺すか? ああ? しゃべっている場合なのかぁテメェは?』
「ぐっ…………(正論だけど、なんかムカつく)…………はは!ならどうしろって言うんでしょうかねぇ?僕には彼女を助ける力は」
思わずムキになってしまい、どうしようもないことを口にしてしまう勇気。
力を求め、なのにいつまでもグジクジする彼に謎の声の主はとてもイラついているようだった。
しかしそれっきり世界は明滅を止め、勇気に謎を与えたまま晴天の都市が視界にひろがる。
そしてそれと同時に目の前を、一陣の影が疾駆した。
黒い髪と毛先の赤いメッシュをちらつき、そのおかげで誰が来たのか勇気にはすぐわかった。
さらに彼は疾風を切り裂くようにノーラを追い越し、突発的にその姿を消す。
「え、ダレ?………って、き、キエタ?!」
正確には瞬発的に速度を上げ暗黒竜の真上を飛び上がり、“超高速”を維持したまま後ろに回り込んだのだ。ブーストとアクセラレーションの使い分けを数秒のタイムラグの中で成し遂げる、その思考の早さにはもはや呼吸すら許されない。間違いなく唯一無二のファンタジスタは、完全に空を支配していた。
すかさず大和は大仰に叫び、大層な魔法陣を踏み抜く!
「行くぜ? お礼参りだゴルラァアアア ───────メテオキラーデスサイスッ!!!」
ロケットのように突進しながら、大和はその右足を鎌のように振り回し、華麗にしならせる。
途端に響くのはバコン!という打撃音と、暗黒竜の痛快な鳴き声だった。
「G! gYAAAAaaaaaaaaaa!?」
「す、…………スゴイっ!」
人の力で人間業ではないものを見せられ、ノーラは思わず声を漏らす。
そしてひざ関節を刈られた暗黒竜は余りの痛みと衝撃に空に向かって仰け反り、それまで溜め込んでいたエネルギーを空高くに放ってしまう。そのせいで散りばめられていた雲は一斉にはじけとび、空は雲ひとつ存在しなくなった。
勇気は生態系が心配になるが、いかんせんこれに文句をつけることはできまい。
文句をつける所があるとすれば、
「は?! 悪魔の竜を蹴るとか化け物すぎでしょ!ていうか一歩間違えれば、そのままブレスが癇癪の要領で撃たれて、僕たち木っ端微塵に」
「あー聞こえません聞こえまちぇーん知りマセーン!結果オーライツ! 」
目の前にやってきた大和は、早速文句を垂れてきた勇気に対して知らぬ存ぜぬを通す。相変わらずの親友に勇気もそれまでの緊張を解くように嘆息を零すのだった。
そんな二人に少し遅れて駆け寄ってきたノーラが首をかしげ、
「このヒトはユウキの友達?」
「おう!オレはユウキの────とまぁ、自己紹介は後だ。……後は俺に任せろ」
大和はそう言いながら勇気の背を強引に押し、ノーラ共々無理やり後退させる。
そんな無礼講な大和に勇気は、少し困りながらも笑って、その背を見つめた。やはり頼り甲斐があって、彼は自分の理想の姿だというのを改めて認識する。だが理想が“理想”なのは、勇気にとって紛れもない悲しき事実。───────自分では肩を並べることすらできないのはわかっている。少年は小さく拳を握りしめ、唇を噛み締めながらなんとも言えない笑みを浮かべ続けるのだった。
そんな二人に見守られる中、暗黒竜に歩み寄り、ふいに立ち止まる大和。その途端に威嚇するように竜が吠える。
「GYAAAAAAAAAAaaaaaaa! a?」
「はぁん? 誰だオマエって、いいてぇのかぁ? いいぜ名乗ってやるよ。俺は榊 大和。特殊学生A級エクソシストだ。立場上いろいろ恨みつらみあるだろうが、知ったこっちゃないぜ? 悪魔払い云々以前に俺の友に手を出した罪、しっかり清算してもらわねぇとなぁ!」
刀を召喚し、腰を落とす大和。
片腕を失いつつも負けじと、もう片方の鍵爪を立て構える暗黒竜。
両者は一瞬、沈黙をした後、その場から爆走した。
「うおおおおおらっ!」
翼を広げ、鍵爪を振り下ろしてきた暗黒竜。
大和はそんな斬撃を真正面から刃で受け止めて、真横にいなす。
途端、地面が鍵爪にえぐられ、衝撃波が辺りを突き抜ける。
そんな衝突を見つめる勇気にノーラは切実な疑問をぶつけた。
「ねぇあのヒト、ホントウにヒトですか?」
「さあ。でも感覚的な部分はもう野生動物のそれを超えてるんじゃないかな? 」
鳥やライオン、豹、そんな運動神経や野生の勘を超えている才覚。
であるならばあの超常的な身体能力にも納得がいく。
それ以降二人はただその激闘を見つめ続けるのだった。
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会議室に入ってきたのは、“とある部署”の使者、伝令係。
水瀬照美と神谷静香は互いに見つめ合い? ながら、その内容を落ち着いて聞いていた。
「個体数の増加、そこからの極端な減少。結果、強力な個体が発現。───────随分と頭を使うようになったものね」
「────……………、」
「ふふ、どうしたの水瀬照美さん? 」
ゴゴゴ、と響いてきそうなほどに睨みつづける水瀬照美。
それに対していつまでも優雅に茶を啜り、笑う神谷静香。
こんなカオスな空気の中に偶然にも放り込まれ、右も左も事情も知らぬ若い伝令係は、酷く哀れで、率直にかわいそうである。
「───────なぜ動かさないのですか?」
「何のことかしら?」
「とぼけないでください! あの人には少なくとも一人は必ず監査が付いているはずです! なら数分として待つことなく悪魔は倒されているべきものを! 」
女子高生の怒号一喝。
失礼しましたー!? と嵐に巻き込まれていた伝令係りは逃げるように会談室を出ていった。
それによって一瞬にしてこの場の空気は静まり返り、時計の針だけが小さく音を立てる。
「ふー…………確かに特殊監査部。あそこの命令権は直轄の上長である私だけにしかないわ。けれど私は“何も”命令はしていない。現場の判断に任せているわ。危険なら介入していい、守ってあげてもいい───────または“処分”してもいい」
さらに水瀬照美の殺意が濃くなる。
だが神谷静香はすぐに取り繕うように、明るい声で告げた。
「けど介入は本当に最終手段よ? 介入したら監査していることが“アレ”にばれてしまうじゃない?」
「────………例え“WA”、通称“文明級”の悪魔が出現したとしても介入しないと?」
──────WA級以上にはもう一つのクラス名が存在する。
その理由としては短絡的なクラス分けでは、ただの知識として人々に昇華されてしまい、危機感が薄れていくからである。無謀な戦闘を少しでも減らしたい、人手がなく質を求めている島国にとってこれは当然な課題だった。しかし政府とて海外進出しているような日本の組織や団体に現在のシステム上に加えて、さらなる縛りをつけるのはとても難しい。反発を買えばさらなる無駄な金と時間、人を使うことになってしまうだろう。故にWA以上以下で区別し、少しでも変化を用いて危機感を与えようというのが狙い目だ。
その一つとしてWA級を、“文明級”───────その街の文化を壊滅させる規模の悪魔を指す。ちょっとした土地神を連想させるクラス名だ。
そして、その文明級クラスの大怪物が今もこうして会話を交わしている間にも街のど真ん中で暴れていて、加えて市民の“避難地”より数キロ程度しか離れていないというのだ。にもかかわらず、“その悪魔”のすぐそばで祓魔師を遊ばせたまま、というのだから、これでは施策や法、祓魔師の存在意義がない、と“一少女”は市民を代表して憤慨していた。もちろんそれだけではないのは、もちろんだろう。
しかしそれはもう終わった話だと言わんばかりに、窓の外を眺めながら神谷静香は告げた。
「二度は言わないわ」
「──────、なら今はまだ! ただの“祓魔師”でしかない私には関係ないですよね?」
「そうね。だけど間に合うかしら?」
「失礼しました」
これ以上の問答は無駄、と結論を出した水瀬照美は最低限の礼節を成して、即座に会談室をバァン!と飛び出す。
会談室に一人残された神谷静香は、窓の外を飛び交う数匹の小鳥たちを見つめて、
「ふふ…若いって扱いやすいわ──────………“貴方達”の力、見せてちょうだい」