高校生編・プロローグ
初めまして。
これからよろしくお願いします。
日本の、雲ひとつ無い平和な青空。
その下で今、街は病に侵されたように鳴き始める。
──────ゥゥウウウウウゥゥウウウウウウウウウウ、と。正確には各地に配置された拡声器から警鐘が鳴っていた。
そしてその病を払うため、鳴り止まない都市を宥めるため、その病に特化した超スペシャリストがそれぞれの居場所からやってくる。
そんな彼らは一様に片手に収まる程度の、全画面がタッチパネル型の携帯器デバイスを取り出し、その携帯器デバイスの画面にピコン! と光が宿る。
数人だけ電源を切っていたのか、出遅れたように本当の始まりから始まる。
画面に浮かび上がるデジタル化した文字たち。
───────Operation of “Exorcism”…………Wake up now、Loading!
───────System Complete……………Hello!
───────こんにちは。日本語 or English、貴方の望む言語をお選びください。
───────日本語に確定しました。以後、言語の変更は設定で行ってください。
そしてその携帯デバイスより、女性の声がスタートを告げた。
『──────Let's Exorcism。皆さん、頑張って下さい』
☆
同時刻。問題のこの場所は、日本の都市、東京都の自然や畑がショボショボと残る杉和区、その区内にある男女共学の田舎学校、神野舞高等学校、の高校三年生の全四組構成、のうちの一つである末端のD組クラスルーム。
今日の天気は晴れ。ニ○一四年、五月“中旬”。
授業中、この教室だけで鳴り響く携帯のベル。バイプ音と共にビリリリリィィン、という単純ではあるが、今の日本の現代社会では“警鐘”と同等の意味を持つ着信音だった。
二つの携帯が同時に鳴り、その持ち主である二人は授業中なのに当前のごとく堂々とタッチパネル型の携帯デバイスをポケットから取り出した。
と同時に、二つの携帯デバイスより録音されていた女性オペレーターの音声が再生され始める。
だが、そんな言葉など二人の耳に入るはずもなかった。
このデバイスはある特定の職業に就いている者達だけに配給される、特殊な携帯デバイス。市に一つはある特殊な施設本部がアンテナなどの精密機械を利用してあらゆる情報を掴み、そこからコンビニに匹敵するほどの設営数を誇る小規模支部を経由して、付近にある携帯デバイスへと転送される。だが、同時にこの携帯デバイスにもある特殊な探知機能があり、そのせいで彼ら二人は戦慄するしかなかった。
そう、つまり悪魔を探知する携帯デバイスが示した座標は、
──────自分達の真上だった。
途端、学校全体を爆音が揺らし、全教室から悲鳴が上がる。
だがさすがは“その二人”なのか、揺れが収まらない中でも冷静に行動を開始し教室の外、廊下へ出ていくと、“悪魔”が落ちていったであろう場所、校庭の裏庭に向かって廊下の窓から飛び降りていった。
だが、彼ら二人は見落としていた──────悪魔が二匹、それぞれ“別々”の場所へ落ちていったことを。おそらくその可能性に気付けなかったのはデバイスに提示された数値、襲来してきた悪魔二匹の予測戦闘値ランクが、二匹とも最高位であったため、プラス座標が二つとも近すぎて重なってしまったからなのだろう。ズームで確認すれば一発なのだろうが、そんな時間ははっきり言って、無い。
唯一そのこと、別々だということに気付けたのは教室の窓際の席にずっと座ったままだった人か、あるいは外ばかり見ていたお気楽な人のみだろう。
そしてだからその者達から真っ先に戦慄する。
──────“悪魔”に対してもう、ただの傍観者ではいられない。皆が悪魔という存在を意識して、それと共存しなければならない。“悪魔”になりたくないのなら、なおさら“悪魔”と真正面から向き合わなければならない。でなければ、次は貴方が悪魔として目覚めるかもしれないからだ──────例え、それが“神”にまで進化した人間だったとしても、悪魔にはなるぞ?
そして教室の外から見えるグランドには、体育の授業中であった生徒達が地面にヘタレ込み、その中心に巨大な化け物が流砂の鎧を纏いながら殺意に満ちた眼光で、生徒たちをアリのように見下ろしていた。
そして雄叫びと共にうねりという名の突風を放つ。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオォoOHOOOOOOOOOOッ!!!!!」
遠くにある教室の窓からでも分かる。
傍観者でいなければ間違いなく即死だということを、でも──────
「……………くっ…………ッ!」
いや、だからこそなのか。
無力でしかない。
傍観者でなければ死んでしまう。
だからこそ、そんな教室で立ち尽くすしかない哀れな“傍観者の中”でも、いの一番に一人の少年は駆け出していた。
いつもはただの点数稼ぎ、加えて全く使い道がない知識を持って頭いいフリをして、時には反抗期を発揮して問題にならないほどの不真面目な生活を送り──────そんな自分が嫌だから、また駆け出したのかもしれない。
そしてふと彼は気付いた。
─────寒気がするほどに、暑苦しいほどに僕は……本当は……正義感丸出しで、真面目なんだな、と。
死にに行く様な状況の中で、それでも彼は可笑しそうに小さく笑っていた。
☆☆
冥界、奈落、そう例えられるほどに光がなく、希望がなく、ねっとりとした湿気と、チリチリと肌を焼く火の粉が吹き抜けていく煉獄───────地獄の世界。
空は黒煙と灰煙が混ざり合い、唯一この世界を照らしてくれる月を覆い隠し、刺々しいこの黒土にはマグマではなく、ちゃんとした飲み水になる程の清水が川となって蜘蛛の巣状に流れていた。はっきり言って気候が矛盾していて、学者にでさえ思考の余地がないかもしれない。何より月が見えてはいても宇宙はなく、この世界から出るには“生きた体”が必要になる。霊体でも出ることはできるが、基本的に見ること以外何もできない。
「やはり干渉するには……………生きた体、できるなら人間の体が好ましい、か」
「閣下、そろそろ」
独り言を呟く何某が据わる玉座。四方に垂らされたカーテン幕を挟んで斜め横より、緑髪の男が軽く頭を垂れて何某へお声掛けをし、閣下と呼ばれた人影が小さく揺らぐ。
そして顔を上げて横に控える緑髪の男は、やはり普通の人間ではなかった。
“新・人類種”の一種。精霊や妖精の干渉とある時代の終末より生まれし“人間の霊長種エルフ”、その特有の細長く尖った耳を持ち、透き通るような白き肌を黒の全身ローブで首や手以外を覆い隠し、夏の時に透明ガラスに注がれていく冷えた緑茶のような、涼やかな空気を纏う長い髪は、この世界には似合わないほどに卓越した美しさを放っている。美男であり、とても優秀そうだ。しかし少し残念なのが、彼の目が悪魔特有の瞳であるということであろう。
「今日の魔王候補は二名か…………名は?」
「閣下から見て、右からティーターンの元長“クロノス”、“現・人類”のレオ・アスファルトです」
ほう、と何某より感嘆の声が上がる。
薄いカーテン幕が囲う玉座、その前の五段の階段を降りた数十メートル先のレッドカーペットの上に、魔王候補である二人が膝をついて頭を垂れている。
そしてレッドカーペットの横を沿うように悪魔の群れが両端に溢れかえっており、姿、形は数多であった。人の大きさ程の昆虫カマキリや、マンモス、宙を遊泳するシーラカンス、特に人型の種が多い。
それらの悪魔は大きさや骨格などが既存の生物の常識から逸脱している者が多いが、マンモスなどは既存と大して変わらず、本来の“悪魔”の証である悪魔の尻尾は翼と一緒に発現させない限り表には出ないので見極めが難しい所だが、それでも隠しきれない悪魔の証がある。それが漆黒の眼球と黄ばむ瞳であり、はっきり言って気味が悪い。
そしてもちろん、先ほど閣下と称されていた何某が目を見張り、疑念を抱いたのは視界の右に座る初老の男のことが原因だ。
理由は名前もそうだが、彼の肉体は初老ではあるものの強者の風格があることから“悪魔払い”であり、加えて外見からして日本人。日本は情報社会であり、ほぼ全ての人間が魔気の耐性である魔力と“聖人”の血を交じて備えており、悪魔に対しての対策が世界で一番進んでいる───────“世界の収束地点”と呼ばれる国だ。さらに日本には“神の社”が地方に多く現存し、今も“巫女”を“器”としてや“霊体”としてそこの神が住み着いている。故に霊体同士では視認され干渉できるので、その神の“支配領域”で漂うと即座に成敗されかねないのである。いわゆる、土地神や地主神のようなものだ。
故にギリシヤ神話に出てくる巨神族ティーターンの長、大地および農耕の神であり、ウラヌスの次に“いつか”の全宇宙を統べた二番目の神々の“元”王だったとしても、彼はもう死んだ身である。加えてただの霊体から魔気を多量に溜め込める魂を持つ魔王候補の悪魔となったとしても、三次元、生きる世界に干渉することは許されない。故に“力”では“肉体”は手に入らないのだ。後に分かることだが、日本人に限らず人間の体を手に入れるには知識と年月、運が必要になる、ということである。その中でも日本人は特に難易度が高いといえよう、つまりはそういう話だったのだ。ただしそれに比例して日本には優秀な器が多いので、悪魔が最強を目指すなら避けては通れない試練であることは間違いない。
「ふむ──────“現・人類”、それも“日本”の人間を調達したのは凄いことだ。さすがはハデスの父か」
「ハ。ありがとうございます」
「………………」
その言葉に定型文で返す初老の男。
だが、閣下の言葉を機に事態が変わる。
閣下の眼前でありながら、クロノスの横に控えていたはずの銀髪の少年、レオ・アスファルトが突如その場でおもむろに立ち上がっていたからだ。
周りからはどよめきが上がり、側近のエルフから怒気が漏れてくる。
「レオ・アスファルト、閣下の御前だ。直ちに控えよ」
しかしレオ・アスファルトは注告を無視して、閣下を睨んだ。
まるで、一匹の猛獣のように。
「閣下、いや魔界の王。今のアンタの発言…………悪魔は人間を食らって生きている、ということか?」
レオ・アスファルトに向けられる悪魔達の殺気。
そこで側近のエルフがレオ・アスファルトを睨むように眉を顰めて口を開こうとしたが、
「レオ・アスファ「ライラ、構わん。続けさせろ」
群衆からどよめきが上がり、ライラは閣下の言葉を少し噛んで飲み込んだ。
「分かりました……………レオ・アスファルト、続けろ」
怒気を放つエルフのライラに玉座から諌める声が上がった後、ライラは少し間をおいて閣下の命に従う。この世界では閣下の言葉が全てで、法のようだ。
褐色の少年レオ・アスファルトはその様子に逆立つ銀髪を揺らしてフン、と悪態を吐く。
その態度に一瞬、ライラの体から黒と青の粒子が漏れたが、すぐに収まった。恐らくは条件反射であり、閣下の言葉が全てという理性で収めたのだろう。
レオ・アスファルトは気にせず、言葉を続ける。とは言っても言いたいことはもう結論のみだったようで、そのおかげでレオが閣下とライラに恐れない理由が閣下を含めた悪魔達に理解できた。
「オレは友に、家族に、村に、国に絶望して居場所を求めてここにキタ。だがお前らが人間を食らう“悪”だというのなら話は別ダ。この命を賭けてお前らを殺すッ!」
命を捨て、悪魔を殺すという宣誓。人間に裏切られながらも人間を善と信じ、一ミリたりとも身を弁えない宣誓に、シーンと静まり返る玉間。
城の内部にあるのに天井がなく突き抜けている分、声があまり響かない。しかし、少年の猛る怒声は城の外にまで木霊し、その場に悪寒をもたらす静寂が漂う。
レッドカーペットに沿うよう溢れる悪魔は皆同様のゆったりとした速度で首を動かし、閣下の方に視線を向け、もちろん、ライラの額には青筋が───────
「フッ………ククククク……ハッ…ハハハハハハハハハハハハ、ハッハハハハ!!!」
突然、大きな声で笑い出す閣下。
その爆笑に一体何があった? という疑問が同時にクロノスと、悪魔たちに浮かび上がった。
普通こういう場面は人間を習って空気を読み、閣下の気分を損なわないために悪魔たちも同じように笑うべきなのだろうが、何もかも訳が分からないために悪魔達は絶句しているしかなかった。
しかしレオだけは違う。
決死の覚悟を馬鹿にされたのだ。
その怒りを露わにし、玉座を睨むレオは小さく問うた。
「何がそんなにオカしいんだ?」
「いや…なに…………クックク。若いな、と思っただけだ」
「そんなことはどうでもいいんだよ。オレは───」
「いや待て、レオ・アスファルト。その前に私の昔話を聞いてはみぬか?」
さも楽しげな声音から少し柔らかな口調に変えて問う閣下。
しかしそれさえもレオは鼻で笑い、
「オマエの昔話なんて興味ねぇ…」
ライラの我慢が限界のようだ。
それを察した閣下は一度、ライラに光る眼光を向け、それだけでライラから怒りが消えた。
そしてそのまま閣下はレオに言葉を掛ける。
「私の昔話ではない………フム、厳密に言えば昔話でもないのか。そうだな、この話にタイトルをつけるとしたら………………“山と谷、強弱”、といったところだろう」
「強弱…………」
言葉を零すレオ。
おそらく閣下のその言葉の意味に心当たりがあるのだろう。それ以外は何言ってんだ、ていう反応を示し、首を傾げている。
しかし閣下は構わず、言葉を紡いでいく。いずれ分かる、ということなのだろう。
「お前達にこの話を聞いて欲しい………故に結論から述べるか。……………そうだな、簡単に言ってしまえば、淘汰される側と淘汰する側、その相反する存在はもともと意図的に格差を作り、選び、分配し、合理的に作られたものだ」
「っ………………」
「………………」
「この話は新人でありながら魔王候補ができた際のみ、話していることだ。故に他の悪魔たちは耳が痛くなるほど聞いているから仕方ないとして、クロノスとレオは、心辺りでもあるのか、その顔は予想できたことだ、という反応か…………つまらんな」
少し残念そうな声を上げる閣下だが、クロノスとレオの内面では激しい感情が呻いていた。
自分の人生が負けと決められていた、もし本当にそうであるならそれは途轍もなく最悪な現実だろう。本人からしてみれば冗談ではない。クロノスにしたら、噴火寸前だ。まさかいたずらに我が子に殺される運命を突きつけられていたとは………。
クロノスは“自分の死”の予言を受けた後、当然のごとくその要因たる我が子たちを醜く遠ざけたが、やはり運命は変わらず、ゼウス、ハデス、ポセイドンの三兄弟に冥界の奥、タルタロスへ封印され討たれた。
「─────山があれば谷がある、裕福があれば貧乏がある、突出するなら“下位”を作らなければならない。この世界のシステム、弱肉強食。何もない平らな世界で均等ではない“維持”、“バランス”を作るなら強弱しかないのだ」
その通り、とクロノスとレオはそう受け止めるしかなかった。
だってまさにその通りだからだ。システムを作ったのが神なのか、自然と進化の摂理なのか、それは確信も裏付けも自分達ではできないが、世界の有り様はまさにその通りだ。
「悪魔とは? システムとは? 無限に溢れる魔気とは? なぜ歴史に宇宙の創造神、全能の神がゼウスやオーディンのように複数存在し溢れているのか? 世界の始まりとは? 数多の宇宙観に鎮座する主神達さえ知らぬ世界の理、人類の役目───────その全てを話そう」
クロノスとレオは目を見開いて閣下の影を刮目し、理性ではなく本能で耳を傾けた。知らなければならない、知りたい、そんな感情すら抱くことなく。
側近のエルフであるライラも群衆の悪魔達も瞠目し、閣下の言葉を待つ。
そして閣下は静謐な声音を響かせて世界に己を示す。
「最初に作られし敗北者。確定された敗北を背負わされ、“運命”に幾度となく生と死を繰り返された世界のシステム、善と悪、強と弱の二元論、悪と弱を背負わされし悪神アンラ・ヴァーユとして…………我らこそがこの世界を公転せしものだと、正義の使徒なのだと、革命せしものなのだと声高に告げようではないかーーーーーッ!!」
☆☆☆
“五月の初め”。もうすぐ夏がやってくるのか、朝が生暖かくなってきた時期。
とある少年の部屋の小綺麗にされた勉強机の上に、ある一冊の黒いノートが鎮座していた。
窓を覆うカーテンが揺れ、朝の威光が時折ノートを昏く照らし出す。
すると、宙に舞う埃をも照らし出す朝陽によってノートの表札に書かれた題名、“アブソリュート・デスティニー”、真名は絶対の運命という文字がライトアップされた。
つまり名前の通り、この禁断の魔書に書かれていることは遠からず近くもないかぐらいに絶対?に起きる事象である。
────そう、絶対なのだ! アブソリュート・デスティニー、その第一ページこそ我が終着点………………一ページ目で終わりかよというツッコミはなしの方向で。君たちに構っている暇はないのですよ。ということで、まずは私の絶対未来をお見せしましょう───────
『 名は“神谷 勇気” 性別 男・二十四歳。
過去の交際経歴 数えてねぇな!
スペック S級エクソシスト
右手には“エターナ
ビリビリビリビリ。
彼は朝飯後の恒例、復習をすることなく魔書を破り捨て、少し悲しそうな目でゴミ箱に投げた。と同時に彼は自分の本来、ではなく“現在”のステータスを脳内で作ってみた。
そう、まだ本来と決まったわけじゃない。あくまで今だけなのだ───────あははは、あーぁと乾いた声が部屋に響き、彼の脳内にはステータスが出来上がる。名は同じ、年齢は十七歳、交際経歴、“数えられない”。ゼロと一の格差を思い知ったよ。スペックはもっと酷いデス………と、時間的にもうそろそろ家を出ないと学校に遅刻してしまう。
勇気は病院から配給された体調良好と“魔気”に対抗する霊的力を保つための、複数の薬をペットボトルの緩い水で喉の奥へと流し込み、勢いよく飲み込んだ後、寝巻きを脱ぎ捨てる。そのまま黄金の校章が刺繍されている青空のブレザー、神野舞高等学校の制服を身に纏い、知的アイテムである伊達メガネを胸ポケットに刺し、黒の手提げスクールバックを持つと、自分以外誰もいない二階建ての家から飛び出、さない。いつも通り、鍵を閉めて前を向いた。
途端に視界を染める日光に勇気は目をショボショボさせ扉を開けた時から光に馴れると、白い雲が適度に漂う爽やかな青空が目の前に広がった──────あの雲、Cカップはありそう、などというゲスな感想を心の中で述べながら勇気は体を軽く伸ばし、
「さて、と。いきま……………??」
歩き出そうとしていた足を不自然に止め、耳にかかる程の焦げ茶の髪が小さく揺れた。ちなみに地毛である、ってそれよりも───────彼女は誰?
自分の家の前、正確には家の表札をガン見して仁王立ちしており、美人なのが台無しになる程怪しい。ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド、ふむ、ナイス乳。と意味わからない効果音を脳内でリピートしながら、結論付ける彼は間違いなく“童貞”だろう。
「ねぇ」
ドキリ!と勇気の心臓が跳ね上がる。
その美少女は彼を威圧しているのか、鋭利に細めた“蒼白”の瞳を容赦なく勇気に向けていた。
──────こ、怖くなんてないんだからね! ちょっと女子との話し方忘れちゃってキョドちゃってるだけだからラー。視界が霞んでいくのがとても、とても深く分かるよー。って自分の体感だから当然か。
勇気は少し深呼吸をして落ち着くと、
「え、へぇーと、な、なんでしょう??????」
全然落ち着いてはいなかった。
その様子に彼女は怪訝そうに、
「どーかしたの?」
──────しまったハテナマーク増やしすぎて怪しまれた!正確には首を傾げすぎてだ。一歩間違えればスカートの中を覗こうとする変態に…………断じて違うよ!ということで、僕はこういう時のための素敵アイテム、知性100のメガネ、(※レンズがないので、防御力ゼロねー)を装備し、クイっと安定した返答を。
勇気は賢そうなキャラを装い、その口を開く。
「我輩は猫である」
「は?」
強烈な返し。勇気の心がアイスクリームのように抉られた、効果は爆発デスネ。
──────ちょっと待って。女の子が、“は?” と言うのは世界共通の“D”連盟の法則(そんなの存在しません)で禁止されているはず、どういうことなんだ、世界! あ、“D”がわからない人は知らない方が幸せだと思うから“僕たち”を探さないでください。それよりも伊達なだけに効果発揮してねーよ、知性100のメガネ。
勇気が静かに伊達メガネを胸ポケットに仕舞うと、銀髪の美少女は肩にスクールバッグを背負いながら首を傾げ、
「さっきからよく分かンないだけど………あのさ、日本語通じてるよね?」
──────し、失敬な、貴様に言われずとも病院には行ってるし、日本語も……………あれ、よく見たら外国人じゃないか、瞳の時点で気付けよと自分を責めておこう。
勇気は改めて、というより初めてまともに彼女の容姿を観察する。
彼女の背で流れる銀色の長髪。背は若干低いがスタイルはアイドル顔負け、スカートから悠々とはみ出す黒スパッツにスラッと引き締まった長い脚、さらに────なんだあの背丈に合わない縮尺の“バイン”は、C、いやDカップか?────というかあの制服。
冷静に観察したおかげでようやく彼女が自分と同じ学校の制服を身に纏っていることに気付き、勇気はそのことを詳しく聞こうと、
「その制服…………もしかして君は留学生?」
という呟きは残念ながら彼女には一切届かず、彼女の視線は彼女の後ろを普通に通り過ぎていく“三人”の家族に向けられていた。余程、珍しいのか、その瞳には少し真剣味と疑念が漂う。そして謎の美少女がガン見している三人の家族はなぜか年齢の差知らずのように、共に異様に背が小さく、少しモジャモジャっと民族的な雰囲気が漂っていた。
無視されたことは少し心が痛むが、まぁ仕方ないと勇気は嘆息をこぼす。
──────まぁ、外国じゃ“ドワーフ”が表立って歩くことはそうそうできないことであり、日本の都心以外では見掛けないことだろう。だから日本は外国から見るとそれほどまでに進んでみえるし、彼ら霊長種または“先・人類種”の事を日本に住む者達は理解し受け入れているのだ。都会の中心に行けば、もっとすごい。吸血鬼が空を飛んでたり、半裸に近い人魚が歩いていたり、す、素晴らしい世界なのだ。日本人からしてみれば、外国の受け入れない差別意識の方が摩訶不思議でならない。今だに肌の色で争っているところもある。
でも、その代わり彼らへの法律は少し厳しい。例えを上げるなら、吸血鬼の“ただ”の吸血行為は後遺症はあまりないが、無理強いした場合、無期懲役または死刑である。だが、そんな事件は手で数えられるほどしか起きていない。吸血鬼には政府と医療機関から“無償”で血液が提供されているし、社会的地位も人と同じであり、エクソシストとして活躍する者も多く居る。わざわざ悪人にならなくともよいのなら、その方がいいだろう。
ただ田舎の証としてのように、田舎では人種間での差別やいじめ問題が多い。“魔気に当てられることを恐れている”のと、いじめは最悪の場合、“警察やエクソシストが出張るぐらい大きな問題になる可能性を持つ”、の二つのおかげで“大きな事件”はそうそう起きることはないが、やはりゼロにする、無くすことはとても難しい。
勇気は思う──────本当に人間ってめんどくさい、と。人魚の半裸?───────いいじゃないか! そのままで! うん。ちなみに人魚のブラ付き半裸、下には何かを着て上には着ない理由は────。
“その方が涼しいし、エ○イでしょ?”。
誘惑してたのかよ。と突っ込んでおくべきだろう。
都会でおじさんの逮捕件数が多いのはそういうわけなのです。──────誘惑しておいて、警察送りかよ。まぁ、甘い誘惑には地獄あり、というしね。自分はもちろん引っかからないよ? 目が泳ぐだけで……………。とは言っても、最近はあまり見かけない。社会にうまく溶け込めている証拠なのだろう。
そんな勇気を他所に銀髪の美少女はドワーフ達の背を見送りながら、感嘆を零していた。
「さすがは世界の日本って所ね。オタク文化や機械においても進んでるし、はぁー羨まシィ」
「…………あのー」
時間帯的にそろそろ本題に入るべきと悟った勇気は、遠慮がちな声音で彼女へお声掛けをする。
すると銀髪の美少女は、耳の後ろまで掻き上げられピンで軽く押さられた方とは真逆の前髪を小さく揺らし、白く霞んでるような蒼色の瞳を他所から勇気に戻す。その瞳に先ほどよりも角はないが、その代わり落胆したような雰囲気が漂っていた。
勇気は少しムッとしたが、心までは読めないので堪えた。
銀髪の美少女は勇気が何も喋る気がなさそうなことを感じ取ってか、嘆息を零し、
「はぁ、まぁいいワ。…………自分で“調べる”から」
とそう言い残して、家の前からカツカツと歩き去っていく────全く意味がわからん。
大人びた雰囲気と少しあどけなさが残っている外見、つまり綺麗で可愛い銀髪の美少女。恐らくは転校生か、あるいは留学生なのだろう。三年間同じ学校を通ってきた勇気だったが、彼女についての記憶は一切無いので、今のは予測でしかない。しかしそれでも大して変わらない。
彼女の素性が分かったところで、
「……………僕には縁のない話、か。はぁ」
勇気はまたもや億劫そうに息を吐き、彼女と同じ道をなぞるように登校するのだった。
ここだけの話、いつもは自転車を使うのだが、使おうとしたらパンクしていた。本当に最悪である。故に仕方なく徒歩登校──────歩くっの大好きー、と自分で自分を慰める勇気だった。
そしてその途中にあるコンビニの前で、ある人物と合流する。既に彼は知性100のメガネも装着済みだ。実の所、意味は全くないが。
「よ、勇気って………お前、自転し───」
「榊 大和か。ふん、君のことなど………待ってないからな!」
腕を組んで偉そうに告げる勇気。
言いかけだった大和は仕方なくやれやれと頭を掻き、
「俺が待ってたんだけど………てか、それ卒業するんじゃなかったのか? 」
と呆れたような、いや既に呆れた顔で突っ込む、が正しいか。
──────黒髪の毛先を赤いメッシュで染めた超イケメンな、我が“親友”ではあるが、その外見と彼のスペック、リア充な所が少し……………途轍もなく妬ましい。
ということで勇気はメガネをくいっと中指で掛け直し、皮肉な声音で口を開く。
「ふん………今日が命日、故に最後のオンッステージなのだよ…………キリッ!」
「お前さぁ、それさえなきゃモテるのに………勿体無いぞ?」
「う、うん、まぁそうなんだけど……………」
大和にジで返され、勇気は現実に戻らされた。
──────確かに大和の言う通り、自分は少しばかりモテる。髪を染める必要もない黒っぽくも焦げ茶の地毛と、少し地黒っぽくもそこまで黒くもない日焼け肌のせいでサッカーをやってるようなチャラ男、スポーツマンのような外見を醸し出している。しかしだ、実はただ自分が日焼けしやすい体質なだけで、満足に走ることもできないしぃー、体育でプールにも入ったことがナイツ。つまり勘違いでモテテイル。日焼けイコール、スポーツ万能じゃないんだぞ、知的で何が悪いッ!!
──────ごめんねー、ヒョロいのはちょっと…………とか、人生初の告白がこれであり、あっちから告ったくせに自分の内情をわざわざ教えた後もそう言うとか、酷すぎる。
勇気は再度、涙目になるのを堪えながら鼻で笑い、震える手でメガネをくいっと人差し指で掛け直した。
「げ、現実を知れ、大和よ。世の中はそう甘くはないのです。なら僕は、後で幻滅されるくらいなら……うん……、……………最初から幻滅されてる方がマシかな。それに好きでもないのに付き合えないし…………うん」
メガネを外しながら段々と目で分かるほどにしょぼむ勇気。
大和も少し気落ちしながら明後日の方向に視線を動かし、
「お前がそう言うんならいいんだけどさ………できれば外ではそれ、やめとけ……な?」
「あ、うん……………そうする」
周りからの視線が痛い、勇気は静かに伊達メガネをスクールバックにしまった。
──────もう使うことはないだろう。さらば、我が分身であり、我が知性の化身よ。正確には中学二年生ぐらいが掛かる“病”の化身か。ふ、悲しいな。
とそこで、勇気はあることを思い出す。今朝のことだ。
「あのさ、この学校に留学生っていたっけ?」
「うーん………興味ねぇことだからあんまり詮索もしたことねぇし覚えてねーけど、少なくとも同い年には居ないだろ」
「だよね、なら朝のはやっぱり…………」
「ゆうき………?」
(謎の美少女かー…………………って自分には縁のない話なのに、何を期待しているのだろう僕は)
そう思いつつ勇気が朝の概要をペラペーラと話すと大和は不自然に口を閉ざす。
すると少し間を空けた大和は緊張を感じさせるような、真剣な表情を勇気に見せ、淡々と告げた。
「そいつは多分、外国の悪魔払いだ」
この世界には悪魔払いという国家資格の職業が存在するのだが、国によってその名前はバラバラ。故に大和は祓魔師、またはエクソシスト────とは言わずに大きなカテゴリーである“悪魔払い”という単語を使った。例を挙げると、アメリカでは“Executor”、イギリスでは“騎士階級制度”と名付けられている。加えて日本には、公式の悪魔払いである祓魔師とは別に“退魔士”というフリーランスの悪魔払い企業も存在する。ただし月給とは別に悪魔を退治した際、国からちゃんとした退治報酬、参稼報酬、貢献報酬が支払われるのだが、そもそも祓魔師の資格がなければ武器携帯や魔法の使用など武力関係は裁判で正当防衛とならない限り全て許されず、つまり“力を持つ者”にとって祓魔師の資格は必須だ。祓魔師という政府機関に属していなけば報償も受け取ることはできない。ボランティア扱いされてしまうということだ。場合によっては報償が与えられることはあるが、焼け石に水の如し、日本は平成になってからあらゆる税を引き上げたので、その報償は生活費の足しになればいいぐらいの金額でしかない。ただここだけの話、悪魔との戦闘によって被った被害は全て国が負担し、医療費もほぼ無償提供に等しいので、そこまで否定的なものではないのかもしれない。けど、生活費が………ということで、退魔士は他にもあらゆる仕事を引き受けており、主に探偵や何でも屋をやっている者が高い。まぁその自由性から“退魔士”はお堅い連中に睨まれてはいるが。
「悪魔払い、か………でもなんで僕の家に来たんだろう?」
「勇気の苗字だ。“神谷”は少し特別なんだよ。祓魔師の間ではな」
「ふーん…………神谷がねぇ………ならあの子は調べ損になること決定か」
職業の性質上あまり祓魔師、通称“エクソシスト”の内情を“一般市民”が調べたり、聞くのはよくない。情報によっては罪に問わられることもあるからなのだ。
故に一般市民は興味を持っても、知っても口には出さないのが懸命である。
「だな、でも勿体無いことしたな、勇気?」
ヘラーとニヤけた顔を見せてくる大和
勇気は訝しげになる。すると、大和は胸を張って、
「俺だったらそのまま家に連れ込むけどなー?」
「これから学校だよッ!」
と勇気は叫びながら、一人でカツカツと歩き出す。
同時に彼女の銀色の髪が勇気の脳裏を横切り、正確には──────あのムチッとしたスパッツの太ももとスラっとした足が………やまとのせいだぁ〜。せっかく、諦めていたのに、彼女との非日常を夢見てしまう。
自分の気持ちとは真反対な快晴の空に勇気は、
「はぁ…………」
と友人には聞こえない程度にため息をし、空を見上げたまま勇気は思う。
──────仏門に帰依しようかなぁ、と。
☆☆☆☆
─────神野舞高等学校。
田舎、建物は多いがあまり文明的には首都より遅れているような、そんな場所にある五年前に建てられた“新設”校で、倍率が割と高い学校である。その要因はおそらく、近くに“祓魔国立専門学校”や“祓魔予備校”、コンビニやスーパーなどがあり、将来性から見ても学生にとってはとても魅力的な環境なのだろう。何より“新設”校なので、“悪魔”や悪魔となる要因、“魔気”という未知のエネルギーにも最先端の対策をしているから、親御さん達からも大きな支持を受けている。PTAのおば─────奥様方は敵だと恐ろしいが、味方では心強い。政府も彼女たちにはタジタジである。
もちろん、他の学校にも次々と配備されてきており、一般的な建築物、交通機関、公共、家屋にでさえ魔術による“結界”が張られている。日本では法律でそうする義務とされているので、お金もかからない。まさに理想的なシステムだ。
そのシステム、“魔力結界”は“魔気”と“魔力”、その二つのエネルギーを一切通さず、つまり“魔気”の集合体である悪魔さえも通すことはなく、こちら側、魔法や魔術による被害も無くせる。つまり激戦区域の中にいても遠くへ避難する必要はなく、逆に近くにある建物の中に避難した方がかえって安全なのだ。その魔力結界は今や“日本全国”で採用され、外国からは賞賛の声が多く上がっている────“完璧♪!” と。
そこから(笑)その魔力結界、そのシステムの名は、『日本のイージスシステム』と賞され、日本は絶対防衛、世界で一番安全な国となったのだ。
他にも悪魔にならないために必要な予防接種、超薄くされた“聖人の血”を数年掛けて投与する行為が、無償で日本全国に提供され続けられていることも“世界一”に響いている。
そしてここに出てきた“聖人”というのは、あの有名な天使関連やロンギヌスの処刑に出てくる“聖人”とはまた別モノ。簡単に言えば“悪魔”に対抗するエネルギー、“魔気”を完全にシャットアウトすることのできる“魔力”、“聖気”を生まれながらにして備えている者のことを指す。その聖人の特徴として、この世界では誰もが魔力を持て、つまり誰もが魔法と魔術を使えるが、その魔法では火、水、土、風、氷、雷の六つの属性しか扱えず、“光属性”は普通は絶対に扱えない。だが魔力から、魔力の上位互換の一つである“聖気”を、自ら生成できる“聖人”なら光属性の魔法と魔術を扱うことが出来る。まさに何某かに選ばれし神の子である。
しかし神の子と賞されてはいる“聖人”だが、先ほども言った通りここでの“聖人”は神話とは無関係で、研究機関によれば、“聖気”とは人類が独自に霊長として進化した証とされ、つまり人類が長年、悪魔と魔気と接し、戦ってきた中でそれらに対抗するべく生み出した新たなエネルギー、新たな霊長種ということで、簡単に言えばインフルエンザの予防接種の結果に生まれた対抗組織ということだ。なので、聖人にはピンからキリまで存在し、中には魔法の才能が全くない者もいる。
────聖人じゃないけど、自分もそのうちの一人であーる。いやそれ以下か。
ちなみに霊体を認識できるのは霊体だけであり、“生きた”悪魔を認識するには魔力が必要。すなわち、日本では悪魔が見えない者は存在しないと言えるだろう。皆が無償で強制的に予防接種を受けているのだから。
三年D組の進学クラスの教室。水色に彩る引き戸を開け、教室に入室し、教壇から見て右上の端、窓際の一番後ろの席に勇気は座る。
その前の席に大和が、よっこらせーと言いながら座った。
────窓際の席は冬は寒いが、春と夏はマジで最高のポジション。窓際から見える大きなグランドとグランドの縁沿い、グランドから緑のネットを介して並ぶ桜の植木が季節の変わり目を教えてくれる。ちゃんと綺麗にレンガで丸い小さな土地が用意され、スクスク育っているようだ。
「そういやーさ、もうすぐ修学旅行だろ?」
と大和が椅子に逆座りして勇気に話し掛ける。
勇気は淡々と教科書や筆記用具をバックから机の上に出しながら、
「その後には文化祭もあるから、五月は忙しいよね〜」
「いいことじゃねぇか。オラーワキワキすんぞ」
大和はどこかの芸能人のように脇を閉じたり開いたりと、忙しなく体操していた。
しかしそんな風に興奮する大和とは裏腹に勇気は、中学三年生の高校受験の事を思い出し、それだけでげっそりとした表情になる。
行事が多いのも倍率が高い理由だったので、勇気にとっては微妙なところなのだろう。
────いい思い出を作らないとな、出なきゃあの地獄の一ヶ月間が……ヴォぇ。
そんな口角をヒクヒクさせた勇気に大和は相変わらず、年がら年中脳内お花畑な事を申していた。
「班はどうすっかー………勇気の女の好みと俺の好みに合わせて誘わねーといかんからなー」
「しっー! 声が大きい………っ!」
「おう、スマンスマン。で、誰がいい?」
大和は勇気の机に身を乗り出して、ヘラーと聞いてくる。
────ていうかさっき言ったこともう忘れてる。
「だから、僕は誰とも付き合えない、のっ!」
とそこで登校締め切り五分前になり、勇気はスクールバッグから“ラノペ”の本、(もちろんカバーしてあるよ)を取り出してから机の横にかけ、三十歳近いほんわかな感じの女性の先生が入ってくる。
だが、しかしもう一人の男の先生が手招きして、
「相川先生、出席確認の紙、忘れてましたよ」
「す、すいません……!」
ちょっとドジな所がある可愛い先生だ。
でも優しいから許すのが、我がクラスの定番である。
「これから五日間だりぃわ………じゃまぁおやすみー「や、大和くん、今から読書の時間ですよー………寝てはいけません」
相川先生も大変だなーと勇気は二人のやりとりを無視して、ラノペの本を──────だがしかし、僕の手元から“ラノペ”の本が昇天していった。
「勇気くん。私の本を貸しますからこちらを読んで下さいね?」
「…………ぐすん」
────子供達が異世界に攫われちゃうそうですよ? の最新刊がー!! 今いいところなのにー!!
相川先生は勇気の本を抱えて、前にある先生のデスクに席に着くと────ちょ! 僕のラノペを読み出したではありませんか! だめだよ、先生、そこは見ちゃダメだよ。だって、見たら──────先生は静かにラノペを閉じて、勇気と目を合わせないよう俯き加減で別の本を読みだすのだった。
────ふむ、先生には少し刺激が強すぎたようである。はっきりいって気まずい。
十分後、読書時間が終わり、先生が教壇に立つ。気持ちばかり、体の向きが(勇気から見て)右に寄っているように見える。(返却)後で、どうなるかが不安でいっぱいです。
「えーとでは、今日はいいニュースがあります」
「………?」
「おい、まさか朝の子なんじゃねぇか?」
先生の一言に勘を鋭く働かせた大和が、勇気が思ったことと同じことを言ってくる。
まさか────あの銀髪の美少女が。
「今日とうとう、一年の留学から“水瀬 照美”さん が帰ってきました!拍手をどうぞー、皆驚くよー?うふ」
「「「…………???」」」
先生の言葉にクラスのみんなは首を傾げながらも、拍手を小さく打ち始める。
しかし勇気は一人、
「………ふぅん」
────なんだ、“ワンハンドレッドのデルミ”かと僕は少しホッとしながらも“落胆”する。あまり“騒ぎ”は好きじゃないし、それに“ワンハンドレッドのデルミ”は僕の幼馴染“らしい”。中学の時から過去の記憶はほとんど覚えていないから彼女との関係はぎこちないけど、数少ない友達の一人には変わりはない。高校では時折すれ違うと元気よく挨拶をしてくれて、いつも自分の体重をネタにして周囲を元気にしてくれる。とてもいい奴だ。けど彼女が留学に行く前、こんな哀れな僕に彼女は告白をしてくれて、でも僕はその告白を“告白”とは受け取らず、つい茶化して酷い拒絶の仕方をした。前に言ったことを“復唱”するように軽々しく言ってしまったのだ、許されることではない。けど、その後すぐに彼女は…………。
と、そこでガララーと扉が開き、勇気は彼女を見て────いっいいい!?
クラスルームが戦慄していた。こんなことがあり得るのかと。
もちろん、勇気は呼吸を忘れて目を見開いて、彼女の姿に絶句、いや自分が彼女に言った言葉を“復唱”した。
『痩せたらいいよ? でも、きっと────』
丁度いい発育の胸部に、スラーとした体躯。見掛け倒しではなく、彼女は本当に背が高い。勇気より頭一個分ぐらい低いけど、それでも女子の中では高い方なのだろう。加えて彼女持ち前の地毛、明るくも濃い茶色の髪は可愛く黄色いリボンで結られ、涼やかにポニテールを揺らしていた。瞳も明るくパッチリとした黒目を輝かせている。
『きっと痩せたらデルミは、僕のことなんて目を向ける必要もない、立派な美人さんになってるだろうね』
彼女の髪が隙間風に揺れ、桜色の小さな唇が囁くように動いた、はずなのに彼女の声は静まり返る教室に軽いステップを踏むようにスムーズに響いていく。
「皆、お久しぶりです。アメリカへの一年の留学から帰ってきました。水瀬────」
「「「照美さん、可愛ぃいいいいいいいい!!!!!!」」」
ビクン!と肩を揺らして水瀬は硬直し、女子の反響が学校を揺らす。
他の男子はというと、
「「「すげぇええええ………デルミの奴、………めっちゃ痩せてる……じゃんっ!」」」
と各々のグループで喉をうならしていた。
勇気の前でも大和が唇を尖らせて唸っている。
「ほぇー、スゲーなぁーおい。………くっくく、こりゃ大波乱の予感、ピンピンだぜ。な、勇気?………勇気?」
大和の声は聞こえている。でも、それを無視させるほどの力が彼女には、目の前の光景にはあった。本当に可愛いくて綺麗で、先生の静止の声はクラスのみんなに無視され、皆に言い寄られている彼女は向日葵のように鮮やかで、光り輝いていた。
勇気の予言は当たった。
いいことの方に当たった、そのはずだ。そのはずなのに、彼の胸は圧迫されて息苦しくなっていた。でもその原因は彼自身分かっている。それも最低な考えだ。
───────同類が減った、つまりはそういうことだ。本当に笑えるよ、本当にクソッタレな自分に失望できるよ。僕は本当に“世の中”の“足手まとい”でしかないんだ、と再確認できた。反面教師という言葉は本当に便利なダイアリーであり、ディクショナリーだな。ウケるわ〜。乾いた笑いでしか自分を慰められない自分に呆れ果てるわー。
なんて勇気は思いながら、
「そうだね………」
「返事、おっそ!」
大和が口を尖らせたアホ顏で突っ込み、勇気は窓の外に視線を向ける。何もかもから視線を逸らすように。
───────こんな体でも大和のように人を助けられないのかな。
諦めの悪い自分、キャラ作りして自分をごまかす自分、現実を見ず夢見がちな自分、不意に自分が分からなくなって枕を濡らす自分────だって悔しいじゃないか。なんで、なんでこんな出来損ないな自分なんだろうって問わずにはいられないじゃないか。
悪魔を退治するために造られた職業、国家資格の“祓魔師”、通称“エクソシスト”は軍人以上に大変な職業である。故に、プールに入れない、病院には週一で顔を出さなければならない、薬は五種類ぐらい毎日、朝、昼、晩と飲まなければならない、全力疾走は極力避けなければならない、昨年も一昨年の体育祭も僕は“同情される”のを嫌って休んだ。
そんな無能過ぎる役立たずが祓魔師になれるわけがない。最悪、事務的作業から異動させられてトイレ掃除しかやらせてもらえないことになるだろう。────容易に想像できるところがまた悲しいよ、本当に。
とその時、大和が不意に勇気の耳元で囁いた。
「…………で? どうすんだ、 勇気?」
「は、はぁ?何が………?」
勇気は思わず強い拒絶を孕んだような問い返しをしてしまい、自分が質問の意図を理解していることを大和に悟られ、呆れたような表情で大和は見つめてきた。
「その反応〜…………お前。本当はわかってんだろ?」
「僕は知らない」
「ふぅーン。見かけによらず頑固だぁーねぇ」
(僕はただ………期待を…………いや、何もかも諦めたいだけなんだ………夢は夢でしかないんだよ………大和)
────なぜ、僕の体はこうなのかは分からない。けど、分からない理由だけは知っている。人生は諦めが肝心というが、まさにその通り………なのだろうか? 本当に、本当に、そうなのだろうか?。
勇気がそんな疑問を抱いている間にクラスは落ち着きを取り戻し、何故か水瀬と先生だけが前に立っていた。
「先生、時間を頂きありがとうございます。」
「いえいえ。水瀬さんの話はきっと皆のこれからに響くと思います。それにまだこちらの方に来てないようですから……それまでなら自由に時間を使ってください」
「?…………あ、ありがとうございます、先生」
二人がクラスを置き去りにするような謎の会話を交わし、水瀬は何故か真っ直ぐ勇気のことを見つめて…………目が合うと笑顔を浮かべて、
「ゆうき君、ちょっと前に来て貰えますか?」
「え…………あ、うん」
みんなの手前、水瀬は丁寧な口調で勇気に声を掛けた。
大和やクラスの皆が不思議そうに見上げてくる中、勇気はゆっくりと教壇の方に歩いていく。
────先生と水瀬の会話からして留学した時の話をするんだろうとは思っていたけど、まさか昔の話でもするのだろうか、それなら尚更僕は必要ないはず………その筈なのだが、とりあえずで前に行くべきでしょうね。なんで僕が?、と聞くのは面倒くさいアピールでしかないから。でも多少の戸惑いぐらいは許されるはず。先生ですらラノべの件の気まずさを忘れるほどに僕のことを不思議そうに見てくるのだから。
「ぇ、えーと………僕はどうすれば………ぁはは………??」
微妙な空気をなんとか解消しようと愛想笑いを浮かべながら頭を掻き、勇気は水瀬に問い掛け、水瀬は手で促しながら可愛く指示を出す。
「そこに立って…そう、そこ。それで………私の方を向いてくれるかな?」
「あ、うん、わかった」
向かい合う勇気と水瀬。彼の背後には先生がいる。
確認しなくてもわかる────みんなの視線が集中して僕に集まっているのが。すごい重圧だよー。勘弁してくれよ、緊張で死にたくなるよー。なんであいつ?とか思ってんだろうなー男子諸君は。
涙目になるのを我慢して勇気は、自然に仁王立ちする。
水瀬はというとなぜか斜め下に俯きながら、後ろで手を組んでいた。
一体何をする気だ、と皆に聞こえない程度で喉を鳴らし、嫌な緊張感が益々、勇気の中で濃厚化していく。しかし、そんな激しい精神の揺らぎを勇気はおくびにも出さずにいた。
────ふふふ、わははははは。緊張は途轍もなくする方な自分だけれど、こういう場面の緊張なら隠すのは得意だ………何故かは分からないが。
でも“こういう場”に慣れているような、時折“既視感”、“デジャヴ”的な事を覚えて“慣れている感覚”なのに逆に慣れていることに“不自然”な、肩凝り的な小さな違和感を感じる。まぁ気のせいかもしれないが。
────緊張してるよーって皆に言っても、他の人からは『見えなーい』や『顔に出ないよねー勇気君』、『感情ねぇーんじゃね?』、とか失礼なことしか言われない。今朝のような状況だと緊張、モロ出ちゃうのにねー。
つまり、それらが意味するところは、勇気は昔から女子とは………………悲しいな、本当に────かなし、
「ゆうき君、私と付き合って下さい」
本当に悲し………………え?
突如、教室を支配したのは静観を通り越した、唖然の極致だった。例外はない、あったとしても本人だけだろう。
一瞬、時が止まったかのような錯覚を覚えた勇気だったが、ちょうど少しして秒針のない時計の針がカチッと動き、我に返っていた。
「……………ごめん、……ぇ、と、……ぅん。もう一度言ってくれないか?水瀬」
信じられない。故に勘違いだけは避けたいために勇気は戸惑いながら無意識に問うてしまっていた。
でも水瀬は、春の夜風のように涼やかな仕草で髪を揺らし、勇気の側に歩み寄っていく。
「ゆうきは約束してくれた。だから私は“守った”よ? そしてこれからも。────」
水瀬は勇気の右手を両手で包み込み、少しだけ上目使いでその想いをしっかりと伝えた。
「私は“ゆうき”のことが世界で一番大好きですっ。だから────私と付き合って下さい」
高校最後の年、彼に恋のハリケーンが襲いかかった────ええええええ!!!??
教室からはもちろん、数多の阿鼻叫喚がうねりを上げて世界に響き渡るのだった。