“オールプロローグ”
よろしくお願いします。
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終末を迎える話は何処にでも転がっていて、誰もが他人事だ。
絶滅危惧種の生物が絶滅した─────お茶をすするだけ。
親戚の人が死んだ─────明日は仕事だとため息をつくだけ。
お店が潰れた─────しょうがない、と呟くだけ。
中小企業が買収された─────よくあることだ。
そう、所詮おわりもはじまりも日常生活の一部、所詮よくある出来事でしかない。
そしてそれは一見形をなさない時代すらも例外ではない。
空より下は現在よりも過去に引き起こされた終末により、微生物すら生存する余地のない程に荒れていた。隆起と地割ればかりで生物が歩めるような平地などもはや存在しない。天さえも埋め尽くすのは雷光と豪雨の災害だけだ。
間違いなくこの星がとばっちりを受けているだけに過ぎないはずだ。しかしまるで生き物という存在の全てをこの星自身の意思で拒絶しているかのようにも見える。それだけのことをしてきたのだと、星は怒っているのかもしれない。
そんな星の天を二つに割いて、地上にとある“大陸”が堕ちた。
堕ちる前に何があったのか、その超巨大な大陸は割れに割れ、いくつもの燃え盛る島国を創り上げた。
落下による余波は、瞬く間に世界を覆った。海は大きく波打ち陸を削る。大地は無数の地割れが走り、深淵が垣間見える。
地球という星が滅びるのではないかと思わせるほどの衝撃が地上の全てに打ち付けられた。
無数に拡散した島国には決まって、三つの特徴があった。
一つは、鼻の奥を殴るような激臭が漂っている。
二つ目は、文明を象徴する建造物が燃え盛りながら崩れていく。
三つ目は、その全ての島国には生命といえるものが何一つなく、大小幅広いサイズの人の形を成した肉塊と骸が散乱していた。
そしてその墜落した大陸の中心地には、青白い光の柱が立ち上り、氷の結晶で形作られた巨大な城門の扉だけが具現化していた。
その城門の裏に回り込むことは容易い、なぜならば表も裏もない、視覚と存在感だけが具現化してるかのように物質がない。あらゆる生物が触れることすら不可能な不可侵領域の門。
その青白い質感と体温を奪うような冷気からこの世の物ではないことは明白だった。
そうこの扉の先は、この世ではない────“ニブルヘル”、という名の死後の世界。
つまり先ほど落ちた大陸の名は───────“世界樹ユグドラシル”。
世界樹という大陸はオーディンの権能《ルーンの加護》により編まれた天空の大地。
一度は終末からすくい上げた力はまさに絶対神と呼ばれるものだろう。
誰もが今の神代が終わるわけがないと断言し、慢心し疑うことはなかった。
「それが………………このざま、か」
そう呟いた一人の男。
冷気に打ち付けられながらもその扉の前に立つその男は、背後に広がる光景を目に焼き付ける。
「もうオレ以外は生きてはいまい………………そして…これが終末、これが人類最後の気分」
「………………」
「ん?……………ハ、よくもまぁオレの前に来たもんだな、負け犬、いやネズミか」
男は視線を少し落として一匹のハムスターに敵意を丸出しに吐き捨てた。
そんなハムスターは毛づくろいをするように後ろ足で頭を書きながら、冷淡に返答をする。
『そう言われても致し方あるまいな、私はお主を利用し人類救済を名目とした“臨床実験”をしたのだから。だが謝りはしまいて』
「そうかよ、勝手にしろ」
唾を吐くように告げた男は城門に体を向き直し、ルーンを空に指で描き始める。同時に蒼炎の如く吹き上がる霊的な力。
絶対の封印をされ、物質での干渉ができない門を前に男は此の期に及んで何かをするらしい。
地獄の風景には合わないキュートなハムスターは、その雑音混じりの声を発する。
『ニブルヘルを壊し、娘を救うか。効率よく嘘をつき欺き、無駄な事が嫌いなお主が、乱心したか?』
「……………」
『…………ふん、まぁいい。そろそろ私は此処を放棄するとしよう、だがその前に、だ──────“ロキ”よ、お主の願いを一つ申してみよ。次の世界にそれを継がせてやろう』
ロキと呼ばれた男はその手を止め、瞬間その姿を消した。
そして刹那の間にハムスターはロキの手の中に囚われていた。
「オレをその名で呼ぶなと言ったろう」
『ぐっ…ははやはり怒るかロキよ……そ、それとできればこの依り代は壊さんでくれんか? 何せこの姿が一番騙しやす』
「マジで死んどけ、クソッタレが」
パシャン、と水風船が割れたように血しぶきが舞い散り、潰されたハムスターの血と肉は粒子となり空へ舞い上がっていく。
ロキが手についた血を払っていると、その場に先ほどの声が木霊する。
『最後の愛玩動物は大事にすべきだろうに。まあ良い、せいぜい娘をしっかり“殺せる”よう頑張りたまえ──────終末の魔神よ』
その声を最後に世界は不気味な静寂に包まれる。
時折、雷鳴や地響きが聞こえてくるが、そんなことはこの世界においては日常的なもので騒音の類にはなりはしない。
そんな世界でロキは最後のルーンと魔法を編み上げる。
(ニブルヘル、世界が終わっても“あの世”は現存し続ける。そして間違いなく娘たちは次の世界を救済するための実験材料にされる)
ニブルヘルを閉ざす門は物質界最強。
多くのルーンの加護と神格を宿らせている。概念と神々の思念により建造されたものだ。
幾ら魔神の力でも到底破壊することはできない。
──────だが、例外は存在する。
終末の炎熱をもたらした研究者の巨人スルト。
勝利の宝剣を携えし豊穣の神フレイ。
先の戦いでスルトは己一人で終末をもたらしたのではない。
フレイの神格と魔力をも利用した。
決して破れないと謳われたオーディンの加護を砕いたのも此れによるものだ。
「世界樹に差されていた勝利の宝剣に終末の炎を編み上げる。これにより──────開くための形、終わるための力が一つになる」
ロキの手に収まる極光の剣。
ゆっくりと歩を進め、目と鼻の先に扉が立つ。
「“許せない”、“全てが”、“なにもかもが赦せない”、“ずっと暗い闇だった”、“誰かのためだと思った”、“誰かのためだと願った”、“希望はなかった”、“幻想は現実になることはなく”、“嘘は人を事実に突き落としていく”、“作られ造られ創られたオレは全てを知った”、“オレは失敗をするために産まれた者”、“願わくば世界よ、オレを見てくれ”──────」
剣から吹き出す力の渦がロキの歩んだ大地を削り消し飛ばしていく。
そしてロキは片手に携えたその剣を扉の中央に突き刺す。
「“憎しみと悲しみ”、“二つの矛盾が今世界を包み、終わらせる”────」
剣先は弾かれることはなく、滑るように入刀された
その眼前の剣から吹き出す炎熱は次第に色彩を変えていく。
無限にも等しい圧倒的な質量の塊に明確な名と形が与えられた魔術は、主人の言葉を一字一句を汲み取るように聞き届けた。
「《ヌーク・ズィ・レーヴァテイン》」
ロキの心に呼応したように、矛盾の力が光速を塗りつぶす。
それはまさに混沌と言えるものだった。
ニブルヘルの城門はすでに消し飛び、どのように消えたかなど観測できるはずもなかった。
しかしロキは混沌に身を任せながら理解していた。
(オレたちは終わってしまったんだ、………………、)
この神代も物語も人生も全てが終わった。
混沌の中心に吸い込まれながらロキは、あらゆる感情と向き合う。
人を愛し、人を騙し、人を導き、人を殺し、人と交わる。
神の力を得ようとも結局誰もが人だった。
そして彼はなんとなくあのハムスターが遺した最後の言葉を思い出す。
最後の願い、をロキは次代に向けて吐き捨てた。
(──────叶うのなら、世界よ人よ、その終わりを繰り返すがいい。オレの憎しみを悲しみを引き継ぎ、失敗し続けろ世界に呪い在れッ! オレの才を引き継ぎ、溺れ不条理を終わらせろ!幻想も現実も友も家族もその全てをせいぜい包み込んでみせろォオオオ!!)
こうして一つの世界は終末を迎えた。
いや世界はあいも変わらず我関せずであり、正確には一つの時代が神話として歴史に刻まれた、それだけでしかないのだろう。
そして世界はいつも通りの日常を続ける、また新たな時代が幕を開けるだけだった。