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voise 海

作者: リノキ ユキガヒ

夏も終わり、うだるような暑さもイベントの謙遜も一段落した秋の入口。

 オレはアパートのドアを出ると季節が進んだのを感じた。

 夕方の日射しは夏のギラギラした刺すような日射しとは違い、清涼感に溢れとても心地よかった。

 それを満喫するように空を見上げると抜けるような空に茜色をした雲が広がっていた。

 真夏の空にそびえ立つ入道雲の雄大さも嫌いではないのだが、秋の空の抜けるような高さ。この開放的な感じは自分がどこまでも行けそうな気がしてとても好きだ。

 その開放的な気分に浸ったままオレは駐輪場にむかった。

 自転車が数台止めてあるスペースの傍にシルバーのカバーにつつまれて彼女は佇んでいる。

 慎重にカバーを外すとその姿が露わになった。


 GPZ900R 通称ninja


 特長的なアッパーカウルにタンク。シートからテールまで黒とシルバーのラインに彩られた彼女を夕焼けの日差しが朱色に染め上げていく。

 グラマラスかつシャープなシルエットと合間ってその雰囲気は街角に佇むコールガールのように妖しく艶かしい雰囲気を醸し出していた。

 世間知らずの坊ヤを意地悪く誘うように彼女は呟く。

「海…。見たいな。」

 オレは聞き流すようにフルフェイスのヘルメットを被るとアゴ紐を締めながら。

「海か…」

 と答えにならない呟きをして、グローブをはめながら思考を巡らせる。

「海といってもいろいろあるぜ」

 キーボックスにキーを差し込むとハンドルロックを解除した。

 ロックが解除されたのを確かめるようにハンドルを左右に軽くこじってみる。それに反応するかの如く彼女は答える。

「そうねぇ…。ただ単に広い海原を見るだけなのもつまらないわ。」

「お台場か?」

 少し意地の悪い事を言ってみた。案の定、彼女はムクれた口調で即答する。

「飽きたわ。あれだけ何回も行ってると!」

 後半に語気を荒げてくるところにその飽きた度合いが伺える。

「かと言って板橋から瀬戸内海なんて気軽にいけるかよ。」

「宗谷岬とかも捨て難いわね。」

「相変わらずだな。」

 と、彼女の皮肉を軽くいなすと俺は車体を起こしサイドスタンドを払い駐輪場から彼女を押して車道に向かっていった。

 交通量のある幹線道路まで数十メートル位だが乾燥重量で230㎏あるコイツを押して行くのは平地とはいえ一仕事だ。

「花道で倒さないでね。」

 と彼女はその重量を主張するかの如く路面の僅かなウネリを拾いハンドルに伝えてくる。それを強引に抑えながら

「生娘でもあるまいし。」

 と減らず口をメットのなかで叩き返す

「バージンロードの方がよかった?」

「好きにしろ」

 ようやく首都高速5号線の高架下の道路にでる。中台ランプの出入口が近くにあるこの道路は歩道も車道も広い。暖機運転をしても幹線道路と首都高の騒音でバイクの排気音は掻き消されてしまう都合のいい場所だ。

 歩道から道路ギリギリの所に再びサイドスタンドを出して彼女を止める。

 車体を傾けその重量がスタンドに係るとギシリと軋んだ。

 平らな地面だが転倒しないか用心深く見た後に、彼女から一歩程離れた位置で外気温を肌で探ってみる。

 熱くもなく寒くもなく。ヒトにとっては丁度いい気温だ。

 ただ、キャブレター仕様のエンジンにとってこの位の気温は非常に微妙だ。特に数日間始動していないエンジンは別物と言っていい程その性格を変えてくる。

 彼女のエンジンを見つめ俺は呟く。

「いるか?」

 彼女も俺の様子を察した様子で

「チョーク?」

 と疑問形で答えてくる。少し考えた後で彼女は再び

「わからない。とりあえずクランキングして」

 と挑発するようにしかし不安気に答えた。

 恐らく始動に失敗した時のプラグ被りを心配しているのだろう。

 最近のバイクはセンサーで外気温を感知しコンピュータが自動的に季節に応じたセッティングを即座に組んで始動性を向上させているが、昭和生まれのコイツにそんな機能はない。

 年代物のバイクだとエンジンの起動ですら乗り手のライダーの腕が試される。

 気難しい性格のエンジンの始動を『儀式』と呼ぶ由縁はここにある。

 今日一日の運勢を試すようにキイの位置を「ON」の位置へと持っていく。カチッとした音のあとにメーターに明かりが灯る。

 こいつとは長い付き合いだ。今日の感じだとチョークを引く必要は無いだろうと判断してチョークレバーをスルーしてスタータースイッチに手をかける。

 幾度と無くやっている動作なのにこの瞬間は少なからず緊張してしまう。

「儀式」のもつ独特な圧力というか予期せぬトラブルへの誘いなのか?

 彼女は黙っている。

 スターターのスイッチを意を決して押す。

「キュルルル」とセルモーターの作動音がする。冷えたオイルが抵抗となり重くクランシャフトが回る。「吸気」「圧縮」「膨張」「排気」の4サイクルが繰り返される。

 エンジンはまだセルモーターの力を借りないとこの工程は持続しない。

 マフラーから「ボボッ」とした音が聞こえた次の瞬間「ドロロロー」と図太い粘りのある重低音が響いた。エンジンに火が入ったのだ。ここから自立的にエンジンは4サイクルを繰り返していく。俺はその瞬間にスタータースイッチから手を離すと軽くアクセルを煽った。「ゴリッ」とした感触のあとに勢い良くタコメーターが跳ね上がる。

 これがカワサキ車が持つ独特のエンジンフィール。

 本当にエンジンから「ゴリゴリ」とした音が聞こえてくるのだ。

 川崎が重工業のメーカーである事を再認識させてくれる象徴的な音だ。

 アクセルを煽らなくてもエンジンはアイドリングを安定して続けている。始動は成功だ。

 まだオイルが周りきっていないのでメカニカルノイズが目立つが時期に治まる。

 リプレイスマフラーのマジーからアメ車のV型エンジンのようなドロドロとした音が絶えず聞こえてくる。

 その音を聞きながら暖機運転の間にオレは缶コーヒーを煽る。

「あんまり長く暖機してると今度はカムをカジっちゃうわ」

「そうだな。」

 空缶をゴミ箱に放ると、俺は再びメットとグローブを着けバイクに跨った。

「もうオバさんなんだから無茶はしないでね。」

「いたわりますよっと」

 俺はサイドスタンドをはらいながらそう言うとギアをニュートラルから1速に入れた。「ガシャン」という音と同時に車体に軽い振動が伝わる。

 よくエンジンやタイアが暖まると言う表現があるが車体にも暖機運転というものがあるのは広く知られていない。

 機械はいうまでもなく可動部分の大半がオイルやグリスで満たされている。バイクも例外では無い。

 特にチェーンやブレーキはその性能を発揮するにはある程度の熱は必要になる。

 それらをふまえてアクセルを煽り2000回転辺りでクラッチレバーをゆっくりリリースしていく。

 ゆるゆると車体は進み始め路肩を走行する。

 ミラーで後方の状況を伺いながらメットの中で呟く。

「海か…」

「そう、海!」

 嬉しそうに彼女は返事をする。排気音とメカニカルノイズがはしゃいでいる子供の様にも聞こえる。

 行き先を海と決めただけの乱暴なツーリングの始まりだ。北へ向かうか南へ向かうかなんてモノは後で考えればいい。

 秋の何処まででも行けそうな空の高さがそうさせるのか?

 彼女がそうさせるのかは解らないが、全身を心地よく撫でてくる走行風とバイクに乗っているという高揚感が俺の心を満たして行く。


 行き先なんてバイクに乗るための口実に思えてきた。




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