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04

 部屋へと帰る道中、俺の服装を見たアイリスが可愛いとか抱きしめたいとか宣ったが、丁重にお断りしながら歩く。その姿がまるで恋人の様だったと言われればそうかも知れない、何せお互いに秘密を共有する仲になった事で親密度は間違いなく上がっているのだろうから。


 クエストが終わった休息日から五日が経った週末の昼下がり、異変が起こった。

 他の女子によるアイリスへのイジメが目に余る様になったのだ、最初はすれ違い様にわざとぶつかったりしていただけだったのが、日を跨ぐ毎にエスカレートして行き、今では目の前で反復横跳びをする女子まで出てくる始末だ。いや、何やってんだコイツという眼で見つめていれば居たたまれなくなって帰って行くのだが、明らかにちょっかいをかける女子が増えているように思える。

「ねぇ、アイリス。あなた、何か心当たりは無いの? 彼女達だって何も無くあんな事をする人では無いと思うのよ」

 食堂で昼食を取りながらも心配そうな顔でアイリスを伺うエミリー、流石に反復横跳びは意味不明だったようだ。

「大丈夫、問題ない。反復横跳びくらいボクも出来る」

 アイリスも少し疲れている様だった、まともな会話が出来ていない。

「仕方が無い、一人捕まえて事情を聞くしか手は無いか」

「そうね、可哀想かもしれないけどそれが一番早いかも知れないわね」

 するとちょうど良く此方に向かってくる少女を見付ける。どうやらこの娘もアイリスに何かをやりに来たらしい、今度はあんまりハードなのは勘弁して欲しいなぁ。

「あ、あの、アイリスさん!」

 緊張した様子で声を絞り出す少女。栗色の髪をセミショートにカットしたやや小さめの身長の大人しそうな少女だった。

「なに?」

 もう無表情ではいられないアイリスが、イライラした声色と座った眼つきで女生徒を睨む。

「ば、ばーかばーか! でかしりでかぱいすいかぱい!!」

 顔を真っ赤にしながら卑猥な言葉(?)を叫ぶ少女、見た目の大人しそうな印象とはかなり食い違った行動だった。

「わ、悪かったわね小さくて! 何よ、大きければ偉いっていうの!?」

「ひぅっ」

 あらぬ方向に飛び火してんじゃねーか。

「エミリー落ち着け、お前の事は誰も言ってない」

「でも、でもぉっ」

 半泣きになりながらも食いつこうとするエミリー、何がコイツをここまで突き動かすんだ。

 ていうかスイカパイって何だ、食った事無いぞ。でも、美味しそうだから食べてみたい気もするのだが……チラッとアイリスの胸を見る。デカイ、これが噂のスイカパイか……っ!

「エリス、食べる?」

「なん……だと……?」

「割と美味しい」

「自分で味の評価をするだと!? そんなにも自信があるのなら一つだけ、いやでもっ」

 瞬間、おぞましいまでの寒気を背後に感じる。ほら、鳥肌がすごい立ってるし……何よりちらりと見たエミリーがすごい「は? コイツ何言ってんの?」って顔で睨んでいる、怖い。

「あー、えーっと。かくほー」

 件の女生徒の襟首をむんずと掴み上げ、のこの様に捕獲する。

「ひ、姫王子、いけません私などに触れては!」

 は? 何を言ってるんだこいつは。怪訝な顔をしながら女生徒の顔を確かめる。

「おいお前、名前は何て言うんだ?」

「は、はひ、アクア・シャープニールと申しまふ! 総合防御魔法学科と魔法医学科に所属している一年生でしゅ」

 緊張で眼をぐるぐると回し、噛みつつも自己紹介を続ける。

「趣味はエリス様グッズ収集、特技はエリス様観察、好きな物はエリス様でふ!」

「ストーカーかよ!」

「ひんっ!?」

 自己紹介というか自白だった。

「え、何? 他にもこんな奴がいるの? てか前から思ってたけど姫王子って何だよ、姫なのか王子なのかどっちなんだよ!」

「ああ、それなら私知ってるわ。姫のように可愛らしい容貌と、男みたいな言動で姫×王子ってイメージが定着したみたいね。先週くらいからファンクラブとかも出来始めてるって話を聞いたわ」

 何スかそれ、なんで女子が女子のファンクラブとか姫王子とか何が何やらワケわからん。

「しかも先のクエストでエリス様は依頼主のキャラバンを襲った盗賊団をたった一人で撃退したとか」

 あ、やっべー。クエスト内容誤摩化してたのに、こんな所で漏れるとかどういう展開だよ。ていうかその話を盛り過ぎ。

「へぇ、キャラバン? キャラバン護衛クエストよね? あれって届け物クエストよりも危険度は高くなかったかしら?」

「肯定、ボク達は届け物クエストと聞いていた。説明して」

「なぁアクア、それ誰に聞いたんだ?」

 俺に話しかけられた事が嬉しい様で、満面の笑みを浮かべたアクアがボロボロと事情を話して行く。

「はい、総合攻撃魔法学科の男性から噂は流れ、あのニエルさんもエリス様はやり手の魔法使いだと仰ってました。とりわけ男性方が手下の五人に対して時間がかかった所を、エリス様はたった一人で主郭級八人を一瞬で倒し捉えたと聞きまして」

「アクア、その辺で黙ってくれないか」

 だんだんと険しくなる二人の表情が恐ろしくて、アクアに黙る様言うが聞く様子が無い。

「いいえ、エリス様の素晴らしさを語るにはまだ足りません! その後リドルヴォーグで美しい東洋の服に着替えたエリス様はそれはもう美しく、まさしく姫王子と呼ぶに相応しい姿となってこの学園へと凱旋なさったのです」

「凱旋してねーし。しかもあれは東洋の服じゃないから、東洋テイストの洋服ですから」

「どういうことか説明してくれるわよね、エ リ オ ?」

 ああ、もう駄目だ。弁解のしようも無いだろうなこりゃ、出来るだけ素直に話して妥協点を探ろう。

「アクア、放課後に俺達の部屋へ来い。ストーカーなら部屋くらい分かってるんだろ?」

「はいっ、ではちゃんとシャワーを浴びて行きますね!」

「何もしないから普通で頼む」

 話が終わると、元気に立ち去って行くアクア。

 うう、後の事を考えると胃が痛い。誤摩化したツケがまさかこんな所で回ってくるとは。

 それから放課後まで、ずっと無言の二人に視線を送られ続けて俺は憔悴しながらも何とか弁明の場を設けるに至ったのだった。


 放課後、三人の部屋にアクアを招いて詳しい説明をする事になったのだが、まず最初に俺が二人に黙ってバウンティ指定のキャラバン護送クエストを受けていた事を謝っていた。

「誤摩化してたのは悪かった。でも正直に言ってたら送り出してくれてなかっただろ?」

 俺の言葉に激高するかの如く大きな声で子供をしつける様に叫ぶエミリー。

「当たり前よ! いくら何でも新入生が賞金級犯罪者の出やすいキャラバン護衛なんてするべきじゃないわ!!」

「いや、そうは言うけどさ。実際バウンティ・ライセンスも持ってるし問題ないんだけど」

 俺が弁解をするがその都度エミリーが痛い所を付いて論破する。

「はいではエリスさん、そのクエスト参加者の男女比をどうぞ」

「護衛の中で女は俺一人でした……」

「ではその場合の危険は何があるでしょうか」

「俺の身が危ない……です……性的な意味で」

 こんな感じである。

「そうだわエリス、今度の週末に私達の護衛をしなさい。置いて行った罰として、皆で一緒にリドルヴォーグに行きましょう。それで許して上げるわ」

「賛成」

「良いんですか? 本当に? きゃー死んじゃう!」

「いや、アクアは行けないと思うぞ? ていうか死ぬな」

「そんにゃ!」

 ああ、なんかこの娘可愛いな。噛みやすさといい、ワンコみたいな反応といい頭をわしゃわしゃ撫でたくなる可愛さだ。というか、俺の手は自制を無視していつの間にか撫でていた。

「え、エリス様……えへへ♪」

「はっ、俺は一体何を!?」

「エリス、不公平。ボクにもなでなですべき」

「おおよしよし」

 なでこなでこ。

「ふにぅ」

 睨んでいた眼は一気に和らぎ、気持ち良さそうに眼を閉じて俺に抱きついてきた。

「エリス、貴女は自分が何をしたか分かっているのよね?」

「え? あー、うん。まぁこれも罪滅ぼしみたいなものだし」

 それでも不服そうなエミリーに愛想笑いを向けるが眼を逸らされてしまう。

「さて、ここからが本題なんだが。アクア、何でアイリスに悪口を言ったりイジメみたいな事をしていたんだ?」

「あ、はい。サルロイ様って知ってますよね?」

 お茶請けのお菓子を頬張りながらもすぐに飲み下し、質問に答えるアクア。こいつ、自分が悪い事をしたって認識あるのかな、もしかして大物なのか?

「ああ、この間ちょっかいかけて来たから、これ以上はぶっ殺すって脅しかけた奴だな」

「そんな事言ったんですか、流石エリス様。でもそれは大して関係ないんです、ただその後でエリス様とアイリスさんのお二人がとても親密そうにしている姿を幾度と無く拝見しまして、もしやサルロイ様を振ったのは既にお二人の間に硬い絆が生まれているのではと危惧した姫王子親衛隊はアイリスさんの排除に乗り出したのです」

「うん、ちょっと待って。その親衛隊って何?」

「はい! 姫王子親衛隊はですね、姫王子であるエリス様に言い寄る薄汚いメス犬さん達を駆逐する為に組織された部隊なのです」

 さも誇らしげに胸を張って言うアクア。そうか、昼の話を聞いて薄々分かってはいたけど、やっぱり俺のせいなのか……。がっくりと力が抜けてベッドに身体を預ける、しかしもうこのまま眠ってしまいたい誘惑に駆られるが、なんとか押し止めてアクアに言うべき事を言う。

「アクア、お前も親衛隊なのか?」

「はい、勿論です。私など下等隊員ですが、誠心誠意全力でエリス様に尽くします!」

「そうか、なら一つ伝言を頼めるか?」

「はい、なんなりと!」

 俺の頼み事を興奮した様子で必死に聞こうと集中するアクア。

「もう二度と、俺と俺の大事な家族に手を出すな。アイリスにも、エミリーにもだ。次に何か手を出したら、俺は全力でお前らを潰す。親衛隊も解散しろ、明日以降は集会を見付け次第爆破する。いいな?」

「嫌です!」

 即答ってお前……。

「それじゃ、アクアを同室にしても良いって言ったら? 勿論、この二人に手を出さないと約束はしてもらう事になるが」

「良いん……ですか? では是非!」

 そっか、こうやって人は裏切って行くんだね。なんだか切ないよマリー、あの三元素もこんなのだったのかなって思うと本当に切なすぎるよ。


 アクアとの契約も済み、引っ越し作業も終わった夕飯時。俺達四人は食堂でアクアのプチ歓迎会を開いていた。エミリーの話だとこれから部屋で二次会らしい、元気だなぁ。

「そうだ、アクアに一つだけ言っておきたい事があるんだ」

 何よりも言っておかないといけない事を思い出した俺は、アクアに向き直り真剣な表情で口を開いた。ほんの数日前、アイリスが言ってくれた言葉を。

「アクア、お前はこれから俺達の家族だ」

「はひ?」

 素っ頓狂な声を上げて、眼を点にして驚くアクア。それも当然だ、いきなり家族だって言われれば実は隠し子だったとか自分が本当の子供じゃなかったとか誤解して……いや普通しないか、ただ戸惑っただけだろう。

「すまん、言葉が足りなかったな。家族だと思って接するから、よろしくな」

「あ、はい! こちらこそよろしくお願いします!」

 ようやく噛まなくなったらしいアクアは、目一杯お辞儀をした。

「気をつけておいた方が良いわよアクア、エリスは結構面倒くさがりだから洗濯とか家事させられちゃうかもしれないわよ」

「おいおい、流石に洗濯は自分でやってるだろ?」

「あら、そうだったかしら。でも面倒くさがりなのは本当じゃない?」

 にひひと笑うエミリー、どうやらアクアに俺の悪いイメージを抱かせようとしている様だ。

「え、エリス様の身の回りのお世話が出来るなんて……しあわしぇ」

 しかしエミリーの攻撃は思いっきり外れた様だった。ていうかもう駄目だコイツ、早くなんとかしないと。

「みんな家族?」

 今日は昼から全く表情が変わらないアイリスがぼそりと口を開く。

「そ、みんな家族だ。仲良くしてやれよ」

「ん、了解。エリスがそう言うなら、そうする」

「よしよし、良い子良い子」

 なでなで。

 俺が男だとバレてた事が判明して以来、アイリスにはいつもより男性的に対応をしている。それこそ、俺が女性的なコミュニケーションが出来ずにいると言う事があるのだが気楽なのだ。しかしいい加減、周りを誤摩化すのであれば女性らしさというものを少しは身につけた方が良いのかも知れない。

「んにゅ……」

「ああっ、ズルイです! エリス様、私にも是非!」

「様付けをやめたら撫でてやるよ」

 いい加減ルームメイトにすら様呼ばわりされるの勘弁だしな。

「そんな、私に生きる価値が……」

 一瞬で青ざめるアクア、そんな死活問題なのかその敬称は。そして何か重大な決断でもするかの様な間を空け、真剣な眼差しを俺に向け「はいっ」と呟いた。

「それじゃ俺の名前呼んでみ?」

「え、エリス……さ、ひ、お……くん。エリスくん!」

「エリスくん、ね。それならまだ良いんじゃない? どうなのエリス」

 苦笑いをしながらも優しそうな表情でエリスを見るエミリー。

「問題ない、様付けみたいに仰々しく無ければ何でも良いよ」

「これで四人家族。エリス、子供はいつ作る?」

 先程までの微笑ましい雰囲気は、アイリスのたった一言で一瞬にして吹き飛んだ。それも当然だ、女同士では子供は作れないのだから。

「エリスくん、もしかして男の子だったの?」

「ち、ちがうよ、俺はちゃんと女だって!」

「でも、確かにエリスくんのぺったんな胸は男の子の様な気がします!」

「馬鹿ね、エリスが男の子なわけ無いじゃない。それよりもアクア、ひ……貧乳だからって男性と決め付けるのはどうかと思うわ」

「大丈夫ですよ、エミリーさんは品のあるおっぱいで品乳ですから!」

「そ、そう? そうなの?」

 結局耳で聞く限りでは”ひんにゅう”に違いないのだが、その辺は眼を逸らしているだけなんだろう。俺も同じく貧乳なのだが、元男にしていずれ男に戻る身なのであまり気にしない。

「さ、そろそろ部屋に戻ろうか。来週から初期の実技考査だろ?」

 エミリーとアクアの二人がうへぇと心底癒そうな顔をするが、アイリスは普段通りの無表情でスルーしていた。アイリスは実技考査どうするんだろうか、普段の講義を寝て過ごしている彼女が何かしらの試験に通る等とは考え難かった。


 そんな四人を影からひっそりと見つめる複数の眼、眼、眼。

 その中の一人、次期火属性元素師と目される二年生のシンク・ジクジット・フォン・ヒートブラッドという女性は隣に侍らせた二人の少女に命令を下す。

「アクア・シャープニール、我々姫王子親衛隊を裏切るだけでなく姫王子のお側に行くなど、許されざる愚行ですわ。それもこれも全てはあのアイリスとかいう化け乳が悪いですの。あなた達、あのアイリスとやらがこの学園を去るまで徹底的に虐め抜きなさい!」

 しかし、それに意見する様に隣の少女が返答する。

「あ、あの、シンク様。あの裏切り者のアクアから齎された言伝によりますと、アイリスさんとエミリー様を含む姫王子エリス様の周辺人物に対し、これ以上の手出しは一切の容赦なく爆破するとの事でしたが……」

 ぐっ、と喉を詰まらせるシンク。次期炎の元素師と言えど、入って間もない雑魚である筈の新入生がバウンティクエストで他の上級生よりも高い能力を示したのだ。元来臆病者であるシンクは妄想の恐怖に一瞬取り憑かれそうになったが、必死で振り払って命令を下した。

「我々は姫王子をお救いする立場なのです、あの薄汚いメス共を叩きのめし、二度とこの学園の土を踏めなくなるまで虐め抜きなさい! それにいくらエリス様とは言え新入生ですわ、何を恐れる必要があると言いますの!?」

「「はっ」」

「ちょうど良く来週から実技考査ですわ、その場であの化け乳を排除するのです」

 頭を垂れる二人の女子生徒。その周りにも複数の女子が群がり、全員で戦に向かう戦士を鼓舞する為に使う鬨の声の様なハウリングを発揮し、一つの言葉を紡ぎだす。

「全ては姫王子の為に!」

「「「姫王子の為に!!!」」」

 それは既に一人の女生徒に憧れを抱く姿からはかけ離れた、異様な存在と化していた。


「相変わらず準備が早いわねエリス、羨ましいわ」

 再びやってきた休息日、しかし俺に取ってこの日は休息日足り得なかったのだ。なにせこれからリドルヴォーグに行って買い物の荷物持ちに護衛までしなければならないのだ。まさか本当にやるとは思わなかった。

 しかし今回はエミリーの奢りで馬車に乗って行く事になったので、この間の様にゆっくりと進む訳ではない。しかも馬と言ってもただの馬ではなく、魔獣を飼い馴らしたモンスターテイマーが騎手を勤める高速馬車だ。キャラバンなど比べるまでもなく街まで二時間もあれば着くそうだ。

 しかし同乗者の準備が遅ければ結局は同じの様な気がする。

「羨ましいって……お前らが俺の普段着を扱き下ろすから、俺だけ制服で行く事にしたんだろうが。おかげさまで早く準備が終わって助かるよ」

「それでもコートだけは譲らないその精神、まさに姫王子ですよエリスくん!」

 以前クエストに行った時も着込んでいた黒のロングコート、コレだけは譲れないと言い張ったおかげで何とか制服オンリーで街に繰り出さずに済んだ。別に思い入れがある訳じゃ無いが、このコートは俺の戦い方にとって重要なのだ。何せ俺の武器は腰のベルトに下げたポーチから出す紋章玉なわけで、その存在を隠すだけでなく、残量を予想させる事も阻害出来るとなれば必要だろう。

「エリスの匂いがする」

 クンクンと俺のコートの匂いを嗅ぎ始めるアイリス、お前は本当に犬なんじゃないのかと問い正したくなるが、早い所注意しなければ伝染するのでペシンと頭をはたいて止める。

「こーら、クンクン禁止」

「むぅ、じゃあ今夜心行くまでクンクンする」

「何か不穏な会話が聞こえるのだけど、気のせいよねエリオ?」

「はい

っ! 何もありません何もしません!」

 既に条件反射となってしまった気をつけの姿勢に哀しさを覚えつつも、俺は砕けた口調に戻りエミリーに問いかけた。

「で、どこか行きたい店とかあるのか? 俺の一応用事があるから、すこし時間を貰う事になるけどアクアがいるから大丈夫だろ?」

 先週も顔を出したのだが、再びユノニスへと行く事に決めていたのだ。実は学園のクエストを受けるよりもミナが発注するクエストを仲介無しに直受けする方が儲けが良かったりする。その分危険度は高いが、前回の賞金首程度では手応えが無かったのだ。

「わ、私ですか!? 私ごときにエリスくんの代役が務まりますでしょうか……いえ、ならばそのストイックな黒コートから真似を」

「違うよ護衛の話だ、お前もアイリスに迷惑かけたんだから、少しは償え」

「問題ない、エリスの用事が終わるまで待ってる」

「そうね、美味しいカフェならいくらか知ってるわ。そこで待ちましょうか」

「そうですね。護衛は私がやりますから、エリスくんは先に用事を済ませて来ちゃって下さい。これでも防御魔法だけは一級品だって言われてるんですよ?」

 エミリーが信じられないといった表情でアクアをガン見する。エミリーってどこまでコンプレックスの塊なのか、一度調べてみたい物だ。

「分かった。ありがたく先に行動させてもらうよ」

 ちょうど良くエミリーの準備も終わったのか、俺達は魔獣馬車に乗ってリドルヴォーグへと出立した。


「それじゃ、俺は用事を済ませてくるから。お前らは何処で待ってるつもりだ?」

 リドルヴォーグに入ってすぐの噴水広場で四人が集まり、俺の用事が終わった後の待ち合わせ場所を聞く。カフェとか言っていたけれど、俺は屋台と大衆食堂くらいしか出入りしていなかったので立地がさっぱり分からない。

「そうねーーそれじゃ分かり易い様にリンブルカフェにしましょうか。あそこなら街の中心にある人気店だし、分かり易いと思うわ」

「なるほど、分からん。まぁ、店の人に聞いて行ってみるよ」

「今が十時だから……そうね、十二時までにはそこへ来なさい。それ以上はペナルティよ」

 不穏な台詞を口にすると、エミリー達三人は街の中心部へと向かって行った。

 対する俺はユノニスへ向かおうと、西側に足を向けたところでふと思い出す。

「ああそうだ。今日はユノニスに行く前に、ここ数ヶ月世話になってた古物商んとこ行くか」

 前回と違って今回は時間があるのだ、それくらいの余裕はあるだろう。

 古物商ミラウノ、エリオ・エーテルライトの頃に幾度となく売り買いした行きつけの店であり良き友人で、俺がこの体に落ちて以来数ヶ月の間、部屋を一つ間借りしていた恩がある。加えて言えば紋章玉もここで買っているのだが、絶対量が少ないので出来うる限りのリサイクルは必要だ。けれど、ここの店主が他の店から買い取ったりしてくれているので助かっている。

 カランカラン。

 ドアについた来客を知らせるベルが鳴り、奥から長い茶髪をツーサイドアップに結われた小柄で元気な少女と、同じく茶髪をアップスタイルに結い上げた大人な雰囲気を振りまく美しい女性が出て来た。

「あらあら、エリオさん。お久しぶり」

「おにーちゃん、久しぶりーっ!」

「はい、お久しぶりですラノさん。ミウも、久しぶり」

 しゃがんでミウの目線に合わせて頭を優しく撫でる。くすぐったそうに目を細めるミウ、そこに店主の女性が微笑みながら語りかける。

「ほらミウ、お兄ちゃんも用事があって来たんですから」

「ああ、いいですよ。俺もミウに好かれるなら嬉しいですし」

「あらあら、だったらミウも将来は安泰ね」

「は? はぁ、そうですか?」

「それで、今日は何か用事でも?」

「ああ、違うんですよ。勿論収入はあったんで色々買わせてもらいますけど、数ヶ月の間お世話になったお礼を言いに来たんです」

 すっと立ち上がり、気をつけの姿勢からしっかりと頭を下げて礼を言う。

「死にかけの、見た目誰とも分からない俺を助けてくれて、本当にありがとうございました」

 暫くの間、何の返答も無しに静かな空気が流れる。ラノさんはエリスの頭を抱きしめ、優しく撫でてくれた。いつもこうなのだ、何か大きな失敗があったとしても優しく抱きしめてくれて、こうやって撫でてくれるのだ。俺の義母はいつも俺を無償の労働力としてしか見ていなかった、その寂しさもあってかラノさんの母性に溺れてしまう。

「いいんですよ、エリオさん。私たちにとってエリオさんはもう家族なんですから、私の息子も同然なんですよ? だから甘えてくれなくちゃ駄目です」

「ありがとう……ございます」

 子供の様に頭を撫でられながら、しばしの時を過ごす。けれど、そんな心地よい沈黙を破ったのは娘のミウだった。

「二人とも結婚すれば良いのに」

「え、いやミウ……そりゃいくらなんでも」

 ちらりとラノさんを見る、しかし少し不満そうな顔をみせるラノさん。

「あら、嫌なんですか?」

 えええええええええええええええええええええええっ!?

「いやっ、ちょっ、待って下さいよ。俺、前にも言いましたよね!? 俺には彼女がいて、そりゃ確かにあいつらに追放された訳だけど、きっと何か事情があるんだって!」

「ええ。ですけど、それが終わったら男性に戻るのだし、そうしたら私を白馬に乗った王子様の様に迎えに来てくれるんですよね?」

 俺が何を言っても結婚ネタを引っ張ってくるラノさん。しかし耐え切れなくなったのか、クスクスと含み笑いを始めた。一緒に暮らしていた時は結婚ネタなんて一つもやらなかったから、いきなり振られると困ってしまう。

「ごめんなさいね、ふふっ、本当に久しぶりだったから楽しくって」

 本当に楽しそうにニコニコと笑うラノさん、ミウも一緒に笑い、俺が本来知り得ない久々の一家団欒を暫く楽しんだ。

「そうだ、ラノさん。前に頼んでおいた骨董品、修理からは帰って来た?」

「いいえ、まだなのよ。発掘品だったせいもあって保存状態が悪かったのね、修理ももう少しかかるみたいよ? ただ神代戦争前の時代にあった古代魔法文明の遺物ですし、今の魔法や技術とはまるっきり違う訳ですから、あまり期待しない方が良いかもしれないわ」

「そ、そうですか……」

 このラノさん、古代魔法学を独学で修得し博士号まで取った天才肌の女性なのだ。しかし古代ロマンが好き過ぎて一度話し始めると止まらず、前は昼間から夜明けまで聞かされた経験もある。俺はうっかりロマンスイッチを押してしまった様で、先程から普段通りののんびり口調なのにマシンガントークの如く降り注ぐ言葉の数々は既に頭からこぼれ落ちまくっている。

 しかし人を待たしている俺としては、この話を最後まで聞く時間は無かった。

「ミウ、俺まだ用事あるから、あと頼むな」

「お兄ちゃん、貸し一つね?」

 げんなりした顔の二人。しかしそれでも娘のミウは慣れているのか、ちゃっかり貸しを作ると素直に俺を送り出してくれた。

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