やわらかな雨にとける
小夜ちゃんと慎治さん。
色々抱えた無表情とぶっきらぼうな世話焼きの幸せなお話。昔に書いたシリーズ物から書き起こしてみました。
雰囲気だけでも読み取って頂ければ幸いです。
星一つ見えない暗い夜、青年の部屋にはざあざあと、雨音だけが響いていた。秋も半ばに訪れた台風は、今までの柔らかな暖かさを全て無かった事にするような寒さを東京に与えている、らしい。
「....っ、」
「どうした」
隣から発せられた小さな音を青年は聞き逃さず、壁に向いている少女の方へと寝返りをうつ。まさかまだ青年が起きているとは思わなかった少女は、小さな声で言う。
「....慎治さん、聞こえましたか」
「隣で寝てんだから聞こえねぇ方が可笑しいだろう、小夜。」
「それもそうでしたね。こんなに近くに居るんですから」
少女の声が少し震えているのは気の所為だったか。
小夜が壁際にぴたりと寄せていた体を、ベッドの外側で寝ている慎治の方へと向ける。慎治の方からなんとなく遠慮して間を空けているものの、シングルサイズではやはり二人の距離などたかがしれていた。
「寒いのか」
「はい、少し。でも耐えられないほどでは」
「....こっち来い。....少しはマシになんだろ」
ぶっきらぼうに言う慎治に小夜がそっと体を寄せると、二人分の体重を支えるシングルベッドのスプリングが音を立てた。近づいたからか、ベッドサイドのランプだけの暗がりの中でも、薄ぼんやりと慎治の顔がわかる。その頬に白い両手を添えて、小夜は口元を微かに笑みの形に歪めた。
「こうすると慎治さんの顔がよく見えます」
「....あんまり見てっと噛み付くぞ」
「どうぞ。あなたになら食べられるのも本望です」
「......まったくお前はーー」
慎治は小夜の華奢な体を自分の胸元へ押し付けるように抱き寄せた。少し驚いた風に身じろぎをした少女は、間を置いて猫のように頭を擦り寄せる。その拍子に自分と同じシャンプーの香りが絹のような細い髪からほのかに香って、慎治は僅かに顔を背けた。
「こうすると、暖かいですね。慎治さん、温かいです。」
「....お前が冷たすぎるんだ」
冷え性の所為で一年中冷たい自分の手と比べても、この少女の体は冷え切っていた。表情の変化がまるでない顔に、その硝子玉の様な瞳と赤みのない陶磁器のような肌が相まって本当の人形のようにすら見える。認識した途端に腕の中の少女がとても脆く儚いものに思えて、慎治は腕の力を弱めた。
「慎治さん、慎治さん」
「何だ」
「眠れないんです。何か、話していましょう」
無表情のまま小夜が言うと、少しの沈黙。そういえばこの人は自分から話すのがあまり得意ではなかったと思い出す。自分も同じだけれど。
それからたっぷり四拍置いて、体を離した慎治が、ぽつりとことばを紡ぐ。
「何処か行きたい所はないか」
投げかけられた疑問は唐突なもので、小夜はしばらく思考してから答えた。
「....慎治さんと一緒なら、どこでも」
「随分な口説き文句じゃねえか」
「そうでしょうか」
「あぁ、」
呆れたような慎治の声は、しかし笑いと喜色を含んでいる。
「私の本心ですから、口説き文句と言われても....」
小夜は珍しく困惑しているようであった。といっても表情に格段の変化は無く、声音だけそうだっただけだが。
「何でもいい、何処かねぇのか?」
そう促すと、小夜は思いついたように顔を上げた。
「....水族館」
「行きたいのか」
「いえ、あの。私、水族館って行ったことなくて」
慎治は僅か目を見開く。こいつも十七なのだから、そういった場所には少なからず行ったことがあるものだろうと思っていた。この少女は時折拍子抜けするほど世間知らずだ。
連れて行ったら、どんな顔をするだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎる。無表情なこの少女が満面の笑みなど想像も出来ない。だがそうでなくても目の前で自由に泳ぐ魚を見た少女の反応は、きっと、とても好いものだろう。
そんな考えをそのままに慎治は小夜に問う。
「明日の予定は空いているか」
「はい」
「なら、....行ってみっか、水族館」
今度は小夜が驚いたように目を見開いた。その顔を見て、自分らしくなかっただろうかと、慎治は少し気まずくなる。けれど、後悔しているかと言われれば、そうではなかった。
「良いんですか?」
「あぁ」
「絶対、ですよ?」
「ーーあぁ、」
念を押す様に繰り返される小夜の問に、薄く笑って答える。
「ほら、もう寝ちまえ。明日起きれなくなっても知らねえぞ」
「....!そうですね、おやすみなさい、真次郎さん」
「ああ、お休み。」
いつも落ち着き払っている少女にしては珍しく、慌ただしく布団を被る。それを見て慎治は低くくつくつと笑った。それから少女を柔らかく抱きしめて、髪を梳くように頭を撫でる。その体は温かく、先程のような儚さは何処かへ霧散していた。
夜はまだ明けず、雨は止まない。けれど窓を叩く雨音はやわらかなものへと変わっている。明日は晴れて欲しいものだと、慎治は小さく祈った。
ここまで読んでいただきありがとうございました。誤字脱字等ありましたら御手数ですがコメント頂ければと思います。