その弐【魔王に救済を】
「……いやはや、それにしても君、酷い怪我してたよね~。おかげで、一時はどうなることかと思ったよ。なんであんなぼろぼろになっちゃったの?」
「それは……」
シュガとかいう物体のせいだろう、随分と甘ったるくなった茶を啜りながら、儂は曖昧な返事をした。
それはそうだ。言い難いことである。
自らの腹心に殺されかけたなどと、誰が好んで話すものか。わざわざ人に裏切られるような人間であることを露見して、己の評価を下げる意味もない。
「人に聞かせる話ではないわ」
「そう? 残念」
「ふん……悪いか?」
「いや全然? そりゃ誰にだって言いたくないことの一つや二つはあるからね。まあ気にはなるけど、無理に聞くつもりはないよ」
「……で、あるか」
あっけらかんと言う自称神の少年に対し、質疑応答を無理強いしている儂は少々の罪悪感を覚えなくもなかった(だからとて事情を話すつもりはさらさらないのだが)。
ともあれ、思い出したようにマクネロは言った。
「そうそう、それで……体の調子はどうだい? 何か違和感とか、そういうのは?」
「む? ああ……」
問い掛けられ、儂は自分の体を見直してみた。
体は、軽い。すこぶる快調である。傷跡なども一切見当たらず、どこにも痛みは感じない。つい先程まで生死の境を彷徨っていたというのが嘘のような回復ぶりであった。
「問題ない……が、いや待て」
「ん?」
違和感という意味で言うならば、それ自体が違和感だった。
この者は、一体どうやって儂を治したのだろうか? それも、ここまで完璧に。着物も含めて、だ。血に塗れた刀すら、新品同様に輝きを取り戻しているではないか。
(神かどうかは知らんが、人間業じゃねえな)
明らかに人知を超えたそれに、儂は好奇心を抑えられなかった。
「マクネロ……と言ったな。貴様一体、儂の身体に何をしたのだ? どうやって、儂を治した?」
率直に問う。
純粋に知りたかったのである。あの状態から、これほどまでに全てを元通りにした、その術を。そしてそんなものがあるなら、是非とも学びたい、とそう思った。
だが、
「あー……それ聞いちゃう? 聞くよね~そりゃ……」
どうしたことか、急に歯切れが悪くなるマクネロである。
「ん~、どうしよっかな……まだ本人も気付いてないみたいだし……ごまかす? いやいや、でもどうせ分かることだし。それならここでちゃんと話した方が……いや~、でもな~……」
なにやら一人でぶつぶつと呟くマクネロ。
見るからに意味深な態度に、儂は段々と不安になった。
「お、おい、どうした。早う答えい!」
もとより、目の前でぐずぐずされるのは好きではない。
「え? あ、いや……えーっと、まあね……うん、それに関しては、見てもらった方が早いかな?」
そう言うとマクネロは、なにかを諦めたような様子で、懐を漁り始めた。
注視する儂。
そうして、
(なんだ……?)
そこから取り出されたのは――“鏡”であった。
机の上を滑らせるようにして渡されたそれを、儂は一瞥した。
得体の知れない、植物のような装飾が施された小さな鏡。瀟洒な作りで、いかにも貴族連中が好んで使いそうなそれは、しかしパッと見た限り、なんら特別な所はない代物だった。
(これは、どういう……?)
なんのためにこんな物を渡してきたのか、意味が分からず、儂は戸惑った。
しかし、それも束の間――
「――な、んっ……ッ!?」
驚愕する。
そこに写し出された“それ”に、儂は度肝を抜かれた。
(なん、だ、これは? なんだ、これは!? あり得んッ! こ、これはっ、あまりにも……ッ!)
取り乱す。そうせずにはいられない。それ程に、その光景は異常なものだった。
馬鹿げている。もし、“これ”をやったのが目の前の存在であるならば……とんでもない。なんということをしてくれたのだろうか。
目に映る現実、あり得ないことがあり得ている状況。それに、儂は思わず――
「――ふ、ククッ」
噴き出した。
「ククク……こいつは、この有り様は……ようも、やってくれたものよ。傑作だ。ククク……クハハハハ!」
驚愕は一瞬、止めどなく笑いが込み上げる。
愉快、ただただ愉快だった。
それはそうであろう。鏡に映った儂の姿は、肉体は。およそ二十年前の――“全盛の頃のそれ”だったのだから。
「えっとさ……なんというか、最初は治癒術でなんとかしようと思ったんだよ? けど、あれだけの大怪我、それじゃどうにもならなくて……色々考えて……結局、君を救うには、僕の神格兵器を使って君の“肉体の時間そのものを巻き戻す”しかないって、そう言う話に……」
「ほう……」
治癒術。神格兵器。
聞き慣れぬ単語だが、それに注意を払う余裕は、今の儂にはなかった。
「なんか、ごめんね?」
なんとも申し訳なさそうに、神を名乗る少年は言う。
だが儂は、
「……? 何故謝る?」
「え? いや、だって……勝手にこんな、人の体を弄ぶような真似……」
「はっ、見誤るな童! 儂は薄情者かもしれんがな、恩知らずではない。ましてや命を救われておるのだ。方法はどうあれ、怒りなどするものか。寧ろ、感謝しておるくらいよ!」
多少驚きはしたが、それだけのことだ。
精神はともかく、体は若い方が良い。
それは儂が、あの本能寺でつくづく突き付けられ、思い知らされた事実であった。
それにともかく、これで謎の一つは解けたのだ。あまりにも想定外の回答ではあったが、多少はすっとした。よって、弁明など無用。
「へぇ……そっか! ……アハハ、面白い! 面白いね君!」
「そうかね?」
「そうだよ!」
そう言って声高々に笑うマクネロを、儂もまた――
(――面白い奴だ)
と、評価を改めたのであった。
***
「しかし……ふむ。そうか、時間を、な……」
「信じられない?」
「いや、逆だ。合点がいったわ。そうでもなければ、身体も服も、刀に至るまで。ここまで見事にはいくまいよ。……まあ、とんでもない話ではあるが……な」
まさしく神の領域。時間を操るなど、聞くだけで恐ろしい。そして、魅力的な力だ。
(欲しい)
ふと、思った。
(信勝……蝮殿……長政……市……蘭丸……光秀)
もしそれがあったなら、通過してしまった過去に戻ることができたなら。我が人生において、どれほどに有用で、有益であったろうか、と……。
しかし同時に、
(求めてはならぬ)
そう直感した。
何故だろうか、根拠はない……が、その力は、人の身で扱うには余りある。いや使ってはならない代物だと、本能が悟ったような気がした。
それに、
(神の領域……か)
そうだ。
神を嫌悪し、“魔王”を名乗ってきた儂がそんなものを求めるのは、それはあまりに――
(――滑稽、であるな)
なにより、らしくないことだ。
(蘭丸の奴にまた叱り飛ばされるわ)
反省する。過去をやり直せたらなど、そんなもの。儂のために死地に飛び込んだ忠臣の覚悟を、儂の手で無に帰するような発想であった。
(さて……)
もう、この話題には意味がない。次にやるべきは、儂の胸に浮かんだ新たな疑問を、目の前の存在にぶつけることだ。
(――過去を否定し、今を否定するか? 甘えるな!)
己への叱咤。芽生えかけた欲望を断ち切り、儂は自称神との対話を再開した。
「そっか……いや~適応能力が高くて助かるよ。それでこそ、呼んだ甲斐があるってね。それじゃ、引き続き質問タイムといこうか! さあ、好きな食べ物からこの世界の成り立ちまで、なんでもどうぞ!」
「……それよ」
「ん?」
会話の流れをせき止めるように疑問をぶつけた儂に、マクネロもまた疑問を湛えた顔で応える。
「儂が今、お前に問いたい疑問の最たるものが、それだ」
「それって……え~と、好きな食べ物?」
「ふざけ――」
「待って、冗談! 冗談だから!」
この場でそんなくだらないことを聞くような奴があるか。
思わず立ち上がって刀を抜きかけた儂を、慌てて制止するマクネロ。
無論本気で斬るつもりはなかったが……さっさと話を進めるためには、これ以上余計な茶々を入れられたくない。
「……次はないぞ」
効果は薄いだろうが一応そう念押しして、儂は再び座席に着いた。
「はいはい……っと。それで? なにが聞きたいのかな?」
やや不貞腐れたような様子のマクネロ。それを気に留めることなく、儂は切り出した。
「この世界の神であるお前が、なにかしら魔術によって儂をここへ呼び出した。ここまでの話で、ある程度のことは理解したつもりだ。だが……」
まだ全てではない。欠けているものがあるのだ。
誰が、どうやって。それは分かった。想像を遥かに超えるようなとんでもない話ではあったが、なんとか飲み込んだ。だが、まだ……肝心肝要な部分を、儂は聞いていないのである。
ここに至るまで、この者らが行った全ての行動の理由。即ち――
「お前は……いやお前達は、一体何が望みだ?」
――なんのために? という部分を。
「今、お前は言ったな。それでこそ、呼んだ甲斐があると。どういう意味だ? 大層な術で儂を呼び出し、その上瀕死だった儂を癒やして、そうして儂に恩を売ったお前達は、儂に何を望んでいる?」
「…………」
追及。儂のそれに対して、僅かに目を見開き沈黙するマクネロ。その横にいるミレイもまた、こちらの出方を見定めるようにして沈黙を保っている。
「無償の奉仕、という訳ではあるまい? それをする理由がお前達にはないからな。ならば、なんのためにお前達は儂を呼んだ? 救ったのだ? なにか目的がある筈であろう? 儂は、お前達のために、一体何をすればよいのだ?」
善意の塊というのならともかく(そんな者が存在する筈もないが)、人が他人に施しを与える時、そこには必ず見返りを求める心が付いてくるものである。当然だ。働きに対して、相応の報酬を求める。それはなんら不自然なことではないのだから。
故に、この問いは相手を責めるものではない。
いうなれば――好奇心。
わざわざ世界を越えて儂を召喚し、その上(方法に問題はあれど)命を救った――人ならざる者。そのような超常的な存在が、そうまでしてこの儂に一体何を望むのか、それに強く興味が湧いたのだ。
「言え。言ってみろ。とりあえず、話だけは聞いてやる」
応じるかどうかは内容次第だ。それを言外に含みつつ、答えを促す儂。それを受けたマクネロは、何かを考え込むように瞳を落とした。
刹那の静寂。
そして、次の瞬間――
「――ぷ、ハハッ……アハハハハ!」
顔を上げた彼は、突如声を上げて笑い始めた。
「な、なんだ。なにが可笑しい!?」
「可笑しい? いや違うよ。嬉しいんだ! 君は面白い! その上優秀だ、とてもね! それが、純粋に嬉しいんだよ!」
「な、にを……?」
賞賛と驚喜。普段なら心地良いそれも、そうされる意味が分からなければ困惑するしかない。
「ま、その方が都合がいいって話。いや~、君みたいな人が来てくれて本当によかったよ! ……ね? 君もそう思うでしょ――ミレイちゃん?」
「…………」
不意に求められた同意に対して、ミレイは沈黙でもって答える。彼女はこの会話に興味があるのかないのか、依然としてなんの感情も見せぬまま、悠々と茶を啜り続けていた。
「……うんうん、だよね。そうだよね~。いや~、ノブナガ君。君は間違いなく僕――いや、この世界に必要な人材だったよ。――あ、おかわりいる?」
ミレイの態度に構うことなく、こちらに向き直って茶のおかわりを勧めてくるマクネロ。儂は無言のままに茶器を前に出し、それを受け取った。
「まあ実際、そうでないと困るんだけどね~、色々と。僕らの、“目的”のためにはさ」
引っかかる。
「……目的?」
茶を一口舐め、こちらが若干の落ち着きを散り戻した頃合いを見計らったように呟かれたマクネロの言葉。それを受け、そもそもの話の本題を儂は思い出した。
同時に、切り出す。
「そうだ……それだ! なんだ、それは? 言え! お前たちは一体、何を企んでいる!?」
「企んでるなんて人聞きの悪い。いやいや、そんな大層なものじゃないよ。これは、そう……僕から君への――お願いだ」
その言葉の直後だった。
一変した空気の中、おもむろに席を立ったマクネロは、何をするつもりか儂の側まで歩み寄り、そして――
「な……っ!?」
――跪いた。
意外。服が土に塗れることも厭わず地に膝小僧を付けた少年の行動に、儂は目を丸くする。
「……マーくん……」
か細い声。
彼女にとってもそれは予想外だったのだろう、見ればミレイもまた、無表情のままでマクネロに顔を向けていた。
だがしかし、もはやそれらを気にする様子も、余裕もなく、マクネロは――自らを神だと名乗る少年は、その瞬間、まるで年相応の子供のような顔で儂を見据えながら――言った。
「……どうか、この世界を救ってほしい。それが僕の、僕達の望み――いや、この世界に生きる全生命の……総意だ」
「お、おい。なにを……?」
言っているのか、言われているのか。
混乱、困惑。
そしてその理解が追い付く前に、マクネロは一気に畳みかける。
「勝手なお願いなのは自覚してるよ。無理も無茶も承知の上。君からすれば、なにもかもが突然で呑み込めないのも分かってる。でも……それでも、ノブナガ君。僕はね、君に――」
一拍の間。息を呑む音だけが辺りに響いた刹那、神は言った。
「――この世界の、“救世主”になってほしいんだ」
そのために、君はこの世界に呼ばれたんだから――と。
信長「おい、若返るとか聞いてないんだが?」
作者「別にいいでしょ? ってか喜んでたじゃんアンタ」
信長「……まあ、うむ」
とまあそんな感じで、今後の信長の肉体年齢は、20代前半くらいになりました。