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幕間劇 〜蘭丸の章〜【その命は、誰が為に】

おまけ、蘭丸視点。


展開的には、飛ばしてもOKです! 多分……

「はぁっ……はぁっ……うおぉッ!」

「――ぎゃあぁッ!!」


 頬に着いた返り血をさっと拭き取る。

 一人、また一人。もう何人斬っただろうか。息をつく間もない激しい闘争の中、敵の攻撃を掻い潜りながら私は思った。

 あれから、一体どれだけの時が流れた? あの方は……信長様は、無事に逃げおおせただろうか? それとも、まだあの炎の中で一人、必死に駆けているのだろうか?

 私はそんなことを考えながら、迫りくる軍勢と対峙していた。

 軍勢――といっても、もはや大した数は残っていない。私の捨て身の攻撃によって、始め百人からいた者たちはすでに半数以上が戦死するか逃亡するかしていた。

 流石に無傷という訳にはいかなかったが……どれも掠り傷のようなものだ。多少出血はあるものの、急所は全て外れている。この程度ならば、なんとか動くことに支障はない。いや、例え重傷を負っていたとしても関係はなかっただろう。なにせ痛みなど、とうに感じなくなっているのだから。

 疲労についてもそうだ。あの方と別れ、決死の覚悟を決めたその瞬間から、それまで感じていた痛みも、疲労も、全てどこかへ吹き飛んでしまっていた。

 ――没頭。

 自ら駆り立てた闘争心が全身を包み、血を滾らせている。

 今や私は、一本の“刀”に等しい存在として、ただ来る敵を斬っていた。


「せぃッ!」

「ひッ――ぐぇ……!」


 また一人、命を絶った。斬り飛ばした首が宙を舞う間に、私は再び一歩踏み出し前進する。

 すぐさま別の男が立ち塞がり、行く手を阻んできた。


「こ、この餓鬼……ッ!」


 そんな罵声と共に振り下ろされた斬撃を私は紙一重で躱す。そしてそのすれ違い様、男の横っ腹を、一文字を描くように斬り裂いた。


「ふぅっ……ふぅっ……!」


 僅かな隙に息を整える。

 敵は、一人一人をとって見れば大した使い手ではない。一斉に来られると多少面倒ではあるが……しかし、問題ない。相手の数も減ってきた。私一人でも、十分に倒しきれる……!


(よし……! これなら……ッ!)


 あの方と再会することは難しくない。約束は……果たせそうだ。そんな希望が間近に見えてきて、私は更に自分を奮い立たせた。

 だが――その時だった。


「え……っ?」


 その音は突如として私の耳に響いてきた。

 ゴォォッと、大地を揺らすような轟音。それが背後から聞こえ、私は咄嗟に振り向いた。


 ――一瞬、時が止まったかと思った。


 まるで、夢でも見ているようだ。その光景を見て、私はそんな感想を抱いた。

 そこにあったのは――残骸。つい先程までの、炎に包まれても尚感じられた荘厳さなどは微塵もない、崩れ落ち、瓦礫の山と化した“本能寺”の姿だった。


「――信長様ッ!!」


 思わず、叫ぶ。

 叫ばずにはいられなかった。

 まさか……? と、最悪な想像が頭をよぎる。

 いや、大丈夫だ。そんな筈はないと思いながらも、不安を拭い去ることができない。考えまいとすればする程、その想像が真実味を帯びてきているように感じて、私は血の気が失せた。


(確かめなければ……!)


 この場を脱し、一刻も早く。あの方の安否を確かめに行かねばならない。

 その瞬間、私の頭の中はただその一念に支配された。

 そうして焦燥感に駆られた私は、急ぎ残りの敵を排除するべく、背後を振り返ろうとしたのだった。

 が、しかし――


「ぐ、ぁ……ッ!?」


 ヒュッと、何かが空を切る音が――“複数”。それが耳に届いた時には、もう遅かった……。

 瞬間、背中が燃えるような激しい痛みに襲われ、私は顔を歪めた。

 ――何が起きた?

 分からない。私は咄嗟に自分の背を一瞥した。


 ――“矢”が刺さっていた……。


 ぞくり、と肌が粟立つ。妙な悪寒が全身を駆け巡り、拍子に冷たい汗が私の額を濡らした。

 気持ちが悪い。

 私は思わず、その場に跪きそうになった。

 だが、


「くッ……!」


 まだだ。ここで倒れる訳にはいかない。

 寸前、私は気力を振り絞り、なんとか刀を支えにして踏み止まった。

 そして――駆けた。


(急げ……ッ!)


 痛みを気にしている暇などない。もはや私には、あの方以外のことを気にする余裕がなかった。


「――かかれぇーーッ!!」


 辺りに野太い声が響く。

 いつの間にか、敵に包囲されていた。だが、それに向かって私は何を感じることもなく、ただ闇雲に突撃した。

 そのさなか――再び何かが空を切る音が耳に届く。

 しかし、今度は難なく反応することができた。飛来する矢を素早く刀で弾き、その瞬間狼狽えた様子の敵陣へと、私は斬り込んだ。


「うおぉッ!!」


 満身の力を込め、薙ぎ払うように刀を振るう。

 直後、最前列にいた男たちの胴体から、一挙に血が噴き出す。その血を浴びながら、私は前へ踏み込む。己が傷付くことも厭わずに群がる敵を斬り伏せ、敵陣の奥深くへと、更に前進する。

 その途中、はるか後方に弓を構えた小隊が見えた。だが、今は問題になることもないだろう。この混戦の中でたった一人の敵を狙うには、余程の技術と度胸が必要だ。事実、その者たちは味方に矢が当たることを恐れて動けずにいる。


(よし……!)


 捨て身の攻勢が功を成した。

 これならば、不意に矢が飛んでくることもない。目の前の敵に集中して対処できそうだ。


「――うぎゃあぁッ!!」


 また一人、敵を斬り倒しながら私は思った。

 しかし――


「何をしておるかッ! 放てッ、放てーーッ!!」


 そこへ一喝、指揮官らしき男が下知を飛ばす。

 それを受けた弓兵たちは、皆一様にたじろいだ様子で弓を引き絞るが――そこで動きを止めた。


「どうした!? 早く放たぬかッ!」

「し、しかしッ! 今放てば味方に被害が……!」

「ふんッ、知ったことではないわッ! あの者を討ち取れるなら構わん! いいから放つのだッ!!」


 男に急かされ、再び弓を引き絞る弓兵。だが、やはり躊躇いを完全に消すことはできないようだ。息を荒げ、苦渋に満ちた表情でその場に佇んでいる彼らを、男は苛ついた様子で睨みつける。

 そして――


「ええい、もうよいわ! 貸せッ!」


 ついに業を煮やしたらしい男は、弓兵から強引に弓をひったくると、それを即座に引き絞り――放った。

 だが、その矢が私に届くことはなかった……。碌に狙いも定めずに放たれたそれは、ちょうど私と対峙していた哀れな者の後頭部を刺し貫いた。


「チィッ、邪魔な!!」


 そんな悪態をついて、男はすぐに次の矢を番え――放つ。

 第二射。今度は正確にこちらに向かってくる。

 それを見て、


「――くッ!」


 咄嗟の判断。私は近くにいた敵を瞬時に斬り伏せ、その亡骸を引っ張って己の盾とした。


(愚物め……!)


 だが、厄介だ。

 敵も味方も問わぬ非情な射撃に、私はそんな感想を抱く。

 これは、捨て置けない。

 私は即座に亡骸を捨て、その陰から身を乗り出すと、男に向かって矢のように駆け出した。


「ぬっ!? こ、こやつめッ!」


 それを見て、男は次々に矢を放ってくる――――が、当たらない。焦りから放たれた矢は、時折私の肌を撫でるか、私を大きく逸れるかして、次々と背後の地面へ吸い込まれていく。

 その間に私と男の距離はぐんぐんと縮まる。


「く……者共、であえであえッ!!」


 必死に叫ぶ男。だが、それに従う者は少なかった。

 当然と言えば当然だ。私の前に立てば、いつ後ろから矢を射られたものか分からない。その上、実力差も歴然だ。それが分かっていながら私に立ち向かおうという者は、余程忠誠心の強い者か、愚か者しかいないだろう。

 ともあれ、


「――突撃ィーーッ!!」


 男の命に従った僅かな者たちが一斉に槍を構えて突撃してきた。

 迫りくる槍衾、私は疾走した勢いのまま跳躍して、それを躱す。そして、刀を振りかぶりながら正面の兵の肩を蹴り、男に向かって跳びかかった。


「お、おのれぇッ!」


 叫びながら、いつの間に抜いたか男は刀を頭上に構えて防御態勢を取り、私の振り下ろした斬撃に対応してきた。

 キィィン、と金属の打ち合う音が辺りに響く。

 なるほど。

 流石にそこらの雑兵とは訳が違うようだ。

 切り返しに放ってきた斬撃を後ろに跳んで躱しながら、私は思った。

 とはいえ、


「うおおおぉッ!!」

「く、ぬ……ッ!?」


 所詮、敵ではない。

 素早く体勢を立て直し、満身の力で打ち込めば、男はすぐ私の動きについていけなくなったようだ。


「こ、このぉッ!」


 そう言って振り下ろしてきた斬撃を、私は苦も無く弾く。そして、その瞬間がら空きとなった男の鳩尾に思い切り蹴りを放った。


「げえぁ……ッ!?」


 舌を出して呻く男。


(――獲った!)

 

 私はその隙を逃さず、苦しむ男へ向けて刀を振り下ろす。

 次の瞬間――男の首が宙に舞い、裂かれた断面から鮮血の雨が降り注いだ。


「――ひ、ひぃぃッ!!」


 刹那、それを見ていた敵兵たちから次々と悲鳴が上がる。


(よし、もう一歩……!)


 私は駄目押しにと、容赦なくそれを追い討った。

 頭を取られた軍勢の脆さ。怯え、立ち竦む者たちを一人、また一人、ことごとく斬り殺し、刺し殺して、撫で斬りにしていく。

 そして、程もない。


「に、逃げろッ! 退却ッ! 退却ーーーーッ!!」


 敵は総崩れ。もはや戦意を喪失し、阿鼻叫喚となった者たちは散り散りに逃走をし始め、辺りは、静寂に満たされていった。



***



「はぁっ、はぁっ……! ふぅ…………」


 終わった……ようやく、終わった。

 およそ百対一の戦力差。気の遠くなるような闘争の果て、なんとかそれを凌ぎ切った私は、しばしささやかな達成感に浸り、深く息を吐き出した。

 だが、


(――まだだ!)


 すぐに、思い直す。

 安堵するには、まだ早い。やるべきことはこれからなのだ。もはや邪魔する者のいない今、私は一刻も早く、あの方の元へ馳せ参じなければならない!


(信長様……ッ!)


 私は焦った。

 もしかしたら……と、言いしれない不安は、依然として夜の帳のように私の胸にのし掛かっていた。

 それだけではない。

 今しがた四分五裂に散った者たち。ここでぐずぐずしていれば、いつそれらが後詰めの部隊を連れて戻ってくるか分からないのだ。


(行かねば……!)


 一念発起。

 人の血と脂に塗れた刀を取り出した懐紙で素早く拭いて鞘に納め、私は駆け出した。

 ――ところが。

 そうして、まだ数歩といかぬ内のことだ。


「う……!?」


 突如として、襲い来る眩暈。まるで世界が廻っているのかと錯覚する程の強烈なそれに、私は思わず足を止めた。

 ――直後、空白。

 抗いがたい眠気と脱力感が一挙に押し寄せ、私の頭は数瞬、その活動を停止してしまった。

 そして、


「え……ぁ……?」


 はっと、気付く。

 鼻孔を刺激する、土の匂い。体が――地面に倒れ伏している。


(いつの、間に……?)


 それすら分からない。その瞬間だけ意識を刈り取られてしまったかのようだった。


(――いや、そんなことはどうでもいい!)


 こんな所で寝ている暇はない。とにかく、まずは立ち上がらなければ。

 そう思って、体を動かそうと試みる。

 だが、


(……ッ……!? な、んだ……?)


 どうしたことか、力が入らない。両手両足、指先の一本に至るまで。体が、ピクリとも動かない。

 ――何故?

 誰ともなしに問い掛ける。当然、答えはない。突如訪れた体の異常に、私は動揺を隠せなかった。


「く……ッ!」


 動け、動け!

 いくら念じても、無駄だった。いくら足掻いてみても、結果は変わらない。


「あああッ!!」


 声を張り上げる。


(だ、駄目だ……こんな、こんな所で、倒れている場合では……ッ!)


 しかし、そんな思いも空しく、まるで縫い付けられたかのように、体は微動だにしなかった……。


(そん、な……馬鹿な……)


 地面が、ひんやりと冷たい。

 そこに頬を擦りつけるようにして倒れている自分自身を想像して、私は絶望感に打ちひしがれた。


(ここまで……なのか?)


 心臓が凍るような思いと共に、それまで忘れていた感覚が次々と蘇っていく。

 ――痛い。

 全身の、幾つあるかも、いつ負ったかも分からぬ裂傷が一斉に痛みを放つ。限界を超えて酷使した筋肉が、悲鳴を上げるように痙攣し、震える。依然として矢が刺さったままの背中からは生温い血が滲んでいくのが感じられ、それが徐々に着物を濡らしていくのが、なんとも言えぬ不快感を誘った。

 だがもう……それに抗う術も、力も、今の私には残されていなかった。

 そして、その痛みすら感じられなくなった時、


(嗚呼、そうか……終わるのか……私は)


 漠然と、まるで他人事のように。だが、はっきりと悟る。悟らざるを得なかった。

 そしてその瞬間――疲労感が、強烈な眠気を伴ってやって来た。

 瞼が重い。

 音が、匂いが遠ざかる。

 世界が、ゆっくりと閉ざされていく。


(信長、様……)


 薄ぼんやりとした意識の中で、その顔が浮かぶ。


(申し訳、ございません……蘭は、ここまでのようです……) 


 悔しい。不甲斐ない。

 今尚逃げ続けているかもしれない主を思えば、そこに駆けつけることができぬ己の体が憎かった。

 できることなら、お供をしたかった。その最後の、最後まで。


(もはや夢だ……)


 分かっている。

 だからせめて……せめて、後は信じよう。あの方の無事を。生を。未来を。信じて、願うのだ。もはやそれしか、私に出来ることは、ないのだから……。


(おさらばです……信長様。どうか……どうかお達者で……!)


 今際の際、残る想いはそれだけだった。

 そして程なく――世界は閉ざされる。

 私の意識は、静かに、暗き闇の彼方へと旅立っていった……。

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