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その日の王宮は慌ただしかった。
翌日に、一年の豊作を願い農耕神に祈りを捧げる祭りがあり、その準備に兵士達がまだまだ手一杯だったからだ。
「申し上げます王様、雪原の村の代表が、巡路を残雪に阻まれ今日中の到着は厳しいとの伝書鳩を飛ばして参りました」
「申し上げます王様、港の町の代表が王様にと、海鮮を献上されました。既に毒味は済んでおります」
玉座に座り、明日の予定を侍従と共に確認している王のもとに次々と兵士が現れ、報告を済ましていく。
「雪原の村の代表は仕方あるまい。毎年この時期まであの地域には雪が残るものだ。ほう、これはまことに贅を尽くした海鮮であるな。余は満足だ、兵達で頂きなさい」
伝書鳩の手紙、兵士が持ってきた籠の中に目を通し王は指示を下す。
現在の王は、即位してあまり日も経っていないが、先代の王譲りの倹約、慈悲と思慮の深い英断を数多く行い、多くの民から好かれていた。
伝統のある祭りを執り行うにあたって早々に兵士達の強力な補佐と、祭りに参加を希望する民達との円滑な交渉ができたのも、ひとえにこの器量からなったものであろう。
「申し上げます王様、北から参ったという旅人が、王様に良い話を伝えたいと申して詰め所に来ております。貧相なローブを纏っていてどうにも浮浪人に見受けますが、いかがなさいますか」
また新たな兵士がやってきた。
「良い良い、人は見かけで判断してはならぬ。通しなさい。客人としてのもてなしをするのだぞ」
王はニコニコと笑い、不安げな兵士の考えを退けた。加えて、応接間の準備も祭りの準備に人手を割いていてままならないだろうからと、兵士に客人には直接来てもらうように王は言い足した。
数分後、二人の兵士に連れられ旅人はやってきた。兵士の言った通り、身に纏うフードのついたローブは麻でできた粗末なもので、色もまるで何十年も使い古したように褪せていた。しかし、その身から発せられる表現し難い不思議な気はフードを深々と被っていても、そこらの勇猛な戦士などの比でなく、どことなく王の気概を感じさせているのを、一国の王たる彼は敏感に感じていた。
旅人は、静かに王の眼前へと来て、ひざまずいて下を向き、最も正式な面会感謝の文言を述べた。その並みでない行動に、王は大変感心していた。
「我が国へよくぞ参った旅人よ、御苦労であった。して、余に伝えたい良い話とは何であるか、面を上げて答えよ」
「王様、かつて魔族を統べたものが居たのをご存知でありますか」
魔族、それはこの世界の生き物の中で最も下劣で卑怯なものだと古くから言われ、多くを人間が迫害し、絶滅に追いやったという。そしてその魔族達の中にたまたま人間と同等またはそれ以上の知性を備え、人間に反旗を翻したものが居たという。
「魔王、である。しかしその存在はあくまで神話の中のみで、その実は全くの虚言であると我が国の学者たちは言っておる。その魔王、がどうかしたのだ」
「魔王、は復活いたしました。そして人の世を支配せんとしております」
なんとも突拍子のない話で、普通の人ならばそのようなこと、信じもしない。だがしかし、王は民の言葉によく耳を貸す者であって、また旅人の放つ気に偽りはないように思いその話を信憑に値すると考えたので、旅人を退出させはしなかった。
「ほう、ならば早急に対策を立てなければならない。旅人よ、そなたの進言により我が国は手痛い先制を受けずに済むことと」
「いいえ、既に手遅れでございます王様」
旅人が、王の言葉を遮る。
「何だと?」
「手遅れと申し上げております」
旅人はフフッと笑い、王に顔を向ける。
「どういう事か、申せ。あまり王に無礼を働くようでは旅人であれど、牢に入るもやむなしだぞ」
側仕えの侍従が警告する。
「ならばお見せしましょう……こういうことでございます」
瞬間、旅人は風のように姿をかき消し、先ほどの侍従の真後ろに立った。まばたきをしたばかりの侍従はあまりの速さに身をふるえ上げ、目で王や周りの兵士に目で助けを求めていた。
「…………『死神の吐息』……」
本当に息を吐くように旅人が言った瞬間、侍従は倒れ、すぐさま身を固まらせた。それを見て、周りの兵士はうろたえ声を上げたが、王は眉一つ動かさず、その様を観察しているようだった。
「……その魔術、黒魔導だな……しかも高度な。つまりお前が、か」
「気づくのが遅すぎるぞ、人の王よ」
フードを脱いだその中には、金髪で耳が尖り、目が赤く、顔に独特の彩色をした顔があった。
「人の世を脅かす存在、魔王。よもや余の代で伝説が真実になろうとは」
「脅かすとは心外だな、我はこの人の世を直す為に地の底から這い上がってきたのだ」
王がすっと立ち上がると、魔王は瞬間移動で王の前に立ちふさがり、逃がす気はないと無言のプレッシャーを与えた。
「なに、余は逃げはせぬ。お前も分かっているのではないか?お前を倒すのは古より定められし『勇者たち』であることを」
王は魔王から目を離さず、周りの兵士達に退避せよとの旨の指示をハンドサインで出す。
兵士達は躊躇いながらも去っていき、すぐさまに王宮内に退避を告げる鐘を鳴り響かせた。
「ふふ、勇者たちなぞ目ではない。我は新たな力を身につけた。今度こそ、我が常闇の世を実現させてくれるわ。さて、人の王よ、言い残したことは無いか」
魔王が手をかざすと、そこに禍々しさに満ちた剣が現れる。王は王の証たる黄金の冠を玉座に置き、こう言った。
「お前が勇者たちに敗れ去る様が見れないのが口惜しい。せいぜいあがけ、魔王よ。人の希望はお前が思う以上に強いのだよ」
王が不敵な笑みと自信に満ちた目を魔王に向ける。剣は振り下ろされ、冠と玉座は赤に染まった。
その日、王宮は滅び去った。魔王の力で、魔王の召喚した魔物の力で。
華やかな建築は業火に焼かれ、嵐が全てを消し去った。
そしてその日が、救世の勇者たちの物語の始まりであった。