第一章 【1-3】
二人きりになると志賀の表情は幾分くつろいだものになり、
「仕事が無事片付くとやっぱり、ホッとするなあ…。千尋さんもご苦労様です」と
ねぎらうように千尋に笑いかけた。
「僕もお手伝いとは言え、何事もなく終わって安心しました」
肩の荷が下りたのか、千尋も付き合いがそれなりに長くなっている
この知り合いに、安堵を含む表情を向けた。 志賀も頷いた。
「係長も多分言ったと思うけど、今回の作戦は迅速さが必要だったから…。
逃げるヒマや連絡させる余裕を与えずに一気呵成に畳み掛ける必要があった。
逃げられたら困るのはもちろんだけど、それとは別に、やはり
一般人に悟られない内に、すみやかに作戦を遂行したかったから。
ほら、俺たち『A・S』は一応、秘密組織と呼ばれる裏系だし。
だから今回、千尋さんが協力してくれて本当、とても助かったんだけど…も…」
志賀が上体を軽くかがめて、
千尋の顔をやや斜め下から覗きこむようにして、その表情から何かを読み取りたげにした。
千尋はそれから逃げるように、すいっと視線をそらせた。
志賀はその逃げる表情を追うようにして、また千尋を伺うが、
千尋はその"問いかけ"には答えずに、
すい~~っと視線を、また迂回させて外すと、はぐらかすように、
「裏…ねえ…」と、どこか割り切れないような声で呟いた。
それを見ると志賀は苦笑し、気持ちをすっぱり切り替えた様子で
体を起こし、「う~ん、そっかあ」と明るく破顔した。
その湿り気のない笑顔に千尋はバツの悪い気持ちになった。
「さて、『A・S』とは何ぞや…?」
志賀は社会科の授業を行う教師のように、もったいをつけつつ、幾度目かの講釈を始めた。
「『A・S』とは。
その正式名称は『アヴスゥード・サービス』英語表記なら『Absurd・Services』。
略して『A・S』。直訳すれば『不条理な業務』という組織の名前なのです」
「それが組織名って何なんだろう…」
「…うちの組織は、表社会に名前は出ないし出さない。
ひっそりと社会の裏側をフィールドとし、活動する秘密の組織。
…人から見れば、怪しげな秘密組織…裏の秘密結社…の類に分類されるだろうね。
宗教的組織じゃないけど、基本、『調査』や『実行』を目的とし、
時に『カウンターアタック』も行う組織だから」
「『調査』と『実行』…。それは以前にも聞いたけど…」
「うん。その仕事の範囲は多岐に渡る。
ごく身近な、町や都市の調査といった、役所がするような調査もあれば、
警察…いや、国の諜報組織が本来やるような諜報的『調査』と、
それを元にした"作戦"の立案と『実行』…。
そして時には、『A・S』を敵対視する相手の仕掛けてきた攻撃の迎撃。
平たく言えば敵を返り討ちにするための『カウンターアタック』も行う…と」
「その、"敵対相手"ってどんな相手でしたっけ…?」
「時々によって変わるね。一企業だったり、どこかの団体だったり、
状況によっては非合法な暴力的集金組織だったり、
どこかの国の武装勢力だったり、とか…。うん、様々」
思い出しつつ頷いている志賀を見ながら、千尋は
「つまり、非合法の裏社会とか、とってもヤバイ裏組織も相手にする商売、って事…」
と、声にぐったりと疲労感を漂わせた。
「状況によるけどそういう事もある。
基本、闇に潜んで行動する組織ではあるしね」と志賀は苦笑した。
「ああ、誤解がないように千尋さんにも改めて言っておくけど
うちの組織は、裏組織ではあるけど、犯罪を生業とする組織ではないからね。
うちのオーナーは薬物は無条件で嫌いらしくて、
そういう組織は金に糸目をつけずに潰していいってお達しも出ている。
つまりうちは、そのオーナーの理念に沿って、オーナーの目的を完遂するための、
その手足として動くためだけの、きわめて個人的と言えば言える組織なんだ」
「…個人が、本来なら国が維持するような諜報組織を自前で用意して、
動かしてるって事…?」
「規模はともかく、レベルはそれに近いね」
と志賀が顎を引きながら言うと、
個人で持つには大きすぎる組織の話に、
千尋は全体像が掴みきれずに形のいい眉をよせ、
「そんな事が出来るのはどんな人なんだろう…」と訝しげな声を出した。
「創始者でもあるオーナーは目も眩むようなお金持ち、と聞いてはいる。
日本人らしいとも聞くけど詳しくは分からない。
ま、俺たち下々の工作員にとっては雲の上の人だっていうのは確かだな」志賀は言って笑った。
「一市民の感覚からは、かけ離れ過ぎていて、何度講釈されても、
僕は『A・S』の事は未だに理解しきれないですよ…」
千尋はため息と共に、頭を左右にゆっくりと振った。
正直言えば、積極的に理解したいとも思わない。
関わりたい相手でもなかったが、知り合う因果があり、
そして現在は協力しなくてはならない理由もあった。
本来ならば『A・S』などという組織とは一生、関わる事が
なかったであろうはずの自分が今、こうして『A・S』に関わっている事に千尋は目眩すら感じていた。
続く