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――A・S――不条理な感情 第二章 【3】

――A・S――不条理な感情

第二章 【3】


千尋はぽかんと、目の前の男を見た。今の自分の状況を掴みきれないでいた。

そして、「島田さん…?」と、戸惑いを含む声を、目の前の男に向けた。


島田と呼ばれた男は、小さな笑みを浮かべて薄闇の中に佇んでいたが、

千尋に呼びかけられてその笑みを深くした。


そんな男を千尋は戸惑いながら見かえした。

何故この男が今、ここに居るのだろうと、いぶかるばかりだ。

この男は志賀の上司で、前回の"仕事"の時には千尋は彼とともに行動した。


そんな彼と、最後に会ったのが、先日の志賀との会食の時だったのだが、

その時の印象は悪いとしかいいようがない。

島田に水をさされて、結局気まずいまま終わったその夜を、千尋は苦い気持ちで思い返した。自分の現状もよく判らないが、この男が今、自分の前にいる理由も分からなくて、千尋は戸惑うしかない。


そんな千尋に島田はそっと声を向けた。

「やっと千尋さんに来ていただけましたね。今まで何回かトライしてはいた

のですが、なかなかうまくいかなくて…。本当はもっと早くにお呼びしたかっ

たのですが…」

それを聞いて千尋はハッとひらめくものがあった。


ここしばらく千尋を苛つかせていた監視や尾行に、実はこの男が関わっていたのだと…。

「あなただったんですね、僕を見張って尾行させていたのは」

千尋が怒りをこめた瞳を島田に向けた。島田は苦笑しながら小さく頷き肯定した。


「さすがは能力者。敏いですね。

ええ、そうです。思ったよりあなたが用心深い人で、なかなか近づけさせてもらえなかったものですから、こういう手を使いました」

「……」

シレッとして応えを返す島田を、千尋は怒りに震えながら睨みつけた。


千尋は一般人ではあるが、普段から身の回りには、

彼なりの警戒と注意を払ってはいた。

それは、自分が一般的であるとは言い難い能力を持っている事。そして、望む望まないにかかわらず、『A.S』と何らかの関係を持っている事で、自分が純然たる「一般人」とは規定しずらい立場にある事を千尋自身も理解していたからだ。


だからここしばらくの自分に対する不愉快な監視等に

彼なりに注意と用心は欠かさないようにしてはいたのだ。

自分を監視してくるものを、逆に見通し、捕まえる事はできなかったが、しかし、彼らがそれ以上、自分に近づいてはこないように、注意深くはしていた。


彼らが自分に接近したがる気配を少しでも見せれば、それから逃げるように、するりと一定の距離を必ず作り、それ以上近づかせずに接触を回避していた。


能力者として、その位の自信はあった。

が…昨夜はそれが出来なかった。


志賀との会食がきまずく終わり、言うつもりのなかった、相手を傷つけるために発した自分の言葉に、言った自分で傷ついた。

一人きりで帰り始めた時、周囲と自分への

意識と注意力は確かに散漫とし、低下していた。


そして、背後から伸びてくる腕に気付かず、視界を塞がれるまで自分の不注意に気が付かず、気づいた時には口許を薬剤を染み込ませた布でおさえられ、あっけなく意識を手放していた。


意識はそこで暗転し、次に目が覚めた今、千尋は見知らぬこの場所にいたのだ。

闇に沈みつつある、このさびれたオフィスの中、薄暮に佇む島田は、闇の眷属のような雰囲気をその身に醸しながら、品定めするかのような視線を千尋にむけている。


今までかぶっていた、管理職という凡庸なかぶりものを脱ぎ捨てようとしているかのようなその雰囲気に、千尋は小さな畏怖を感じながら、しかしあの不快な一連の出来事に、島田が関わっていたと知り、気圧されまいとするかのように憤りの視線をぶつけた。


「あなたが、僕を見張らせていた…。

そしてあの夜、わざと僕を怒らせるような事を言って…?」

「ええ。あなたが意外と隙を作らない人だとわかったので、ああいう形であ

なたに近づくきっかけを作ってみたのです」


あっさりと認めるその言い様に千尋はまた、むっとしながら言葉を続けた。

「素人の仕事じゃないですよね。手際が良くて。やはり荒事に慣れてる組織の仕事と思うんですが…あれは『A.S』の指図なんですか?

こんな形で僕をさらう事が今回のあなたの任務なんですか?」

早口で畳み掛けながら、千尋は自分の言葉が正しい気がしていた。


でなければ志賀の上司の、こんな行動の理由がわからないし、そもそも他にこんな事をしそうな相手も思いつかない。


「でも…どうしてですか?

僕は『A.S』に協力を約束しましたし、それを違えるつもりもありません。

わざわざこんな形で、僕をさらう必要と理由がわかりません。

こうしなければならない理由があるんですか?」


強い口調で問いただす千尋に、島田は平坦な声を返した。

「ええ今回、あなたを攫ったのは確かに私の任務です。

こうしなくてはならない理由があったのです。…私にはね」

「えっ…?」

島田の返答の、どこか微妙にずれたニュアンスに千尋が目を見張った。


「…"私には…"?」「ええ。私には」島田がしたり顔でうなずき、戸惑う千尋に

視線を向けた。

「これは、『A.S』の任務ではないのですよ」

「…えっ!?」

千尋は素っ頓狂に、心底驚いた。予想もしていない言葉だったからだ。


「…え…?任務ではないって…?」「はい『A.S』のでは…ね」

「…?」

意味を掴みきれずにまじまじと島田を見る千尋に、島田は苦笑した。

「わからないのも無理はないのですが…。

正確に言うと、今回のものは『A.S』に無断で行なっている仕事…です」


その言葉を理解した千尋の顔に、驚愕が浮かんだ。

千尋が『A.S』の仕事を手伝うようになったのは最近だったが、こういう組織

の規律が厳しい事位は千尋だって十分知っている。

無断で、よその仕事をとり行うなど…ダブルワークなど許されるわけもない。


もし、出来るとすれば、それは…。

そんな千尋の顔色を読み、島田はふと不思議そうな表情を浮かべた。

「…正直、意外でした。」「え?」

「あなたは『A.S』に良い感情を持ってなくて、渋々協力しているのだとばか

り思っていましたが…志賀くんとも意外と仲が良さそうで…」

「……」

そう言われて千尋は戸惑った。


仲が良い…のだろうか…? 自問する。

今まで深く考えなかったテーマだった。

いや、あえて考えようとはしなかったと言う方が正しいのかも知れないが…。


志賀が自分に接触してくるのは第一義に、やはり仕事だからだ。

それは間違いない。

だが…。

それだけだろうか…?とも、千尋は自分に問いかけていた。


彼が自分を気遣ってくれるあの姿勢は…見せてくれる親しみは、

ただ、仕事だけだからなのだろうか…?

「………」

自らへのそんな問いかけに返えを出せずに、千尋はそのまま考えこむ。


そんな千尋に、島田は言葉を続けた。

「本当に意外です。『A.S』と係わりで、あなたの奥方は命を落としたのでしょ

う?

そんな組織の関係者と仲良くなんて出来るものですか?

そんな気になれるものなんですか?」

「…いや、それは…」

島田の口調にひっかかるものを感じた。


『A.S』は自分にとっては苦い思いを連鎖させるものでしかないが、そんな風

に単純に決めつけられるものでも、またない。

「あなたと志賀が仲が良いのも意外でしたが、それが本当なら、

あなたの担当を他の者に変える事も考えないといけませんよね」

「…えっ?」

予想外の事をまたもや唐突に提起されて、千尋が目をぱちくりさせる。


きょとんとしている千尋に島田が、頷きながら続ける。

「彼があなたと接触してるのは業務の一環です。

その関わりに、信頼関係はあったほうがもちろん良いですが、

それ以上の…、もしくはそれ以外の、好悪の感情が大きく混ざるのは、逆

に業務に支障が生じます。

それは決して良い結果を呼ばないものです。


中立、または冷静であるべき関係に、私情がまざると判断に鈍りが生じ、

良くない結果につながる事だってある。だから、そろそろ担当を変えるべき

時期なんでしょうね…」

終いの辺りは呟くようだった島田の言葉に、千尋はハッとした。


島田に言われる今に至るまで、

そんな状況や可能性に全く思い至らなかった。

島田は千尋の顔を見て、おや、と軽く眉を上げ「お嫌ですか?」と、意外そう

に問いかけた。


「べ…別に…僕は…」

思わず言い淀む千尋に島田はニンマリと人の悪い笑みをうかべ、

「な~んてねっ」

と、てっぺんの突き抜けたようなほがらかな声をあげた。

「…はい?」

あまりのほがらかさに、千尋が目をぱちくりさせた。


島田がそんな千尋に清々したとばかりの、すっきりとした表情を向けた。

「実はねえ、私にはもうそんな権限はないんですよ」

「は…?」

すっきり顔でそんな事を言う島田に、千尋は戸惑うばかりだが、島田は目

に不穏な色を差すと、千尋の顔を覗きこんだ。


「ねえ、千尋さん。千尋さんも当然、『A.S』という組織には不満があるでしょ

う?あなたは『A.S』と係わったせいで奥方を失った。

その組織は、更に今、あなた自身を取り込み、利用しようとしている…。被

害者さえ平気で利用する、そんな不埒な組織から、あなたも逃げ出したい

と思っているでしょう?」

「…え?」

「あなたが『A.S』に義理を立てる必要はない。いや、いっそ逆に一泡吹か

せてみてもいいんじゃないかな」

「………」

千尋は返す言葉も無く、ぽかんと島田を見返した。


自らが属する組織を強く否定するその言葉。

しかも対象は普通の、一般的な会社などではない。社会の裏側に息づく組織なのだ。

無責任に批判して、ただそれだけですむとも思えない。


島田が、自らが属する組織を貶めてくる理由と、その意図が読めなくて、千尋は困惑した視線を彼に向けた。

と同時に三年前の出来事が、千尋の胸に蘇ってきた。


それは心の映写幕に、ざらざらとした、古くて荒い映像のように映しだされ

、千尋の胸は、きゅうと締め付けられるように痛んだ。

三年前、仕事を終えた千尋は妻との約束の為に、駅前へと急いでいた。

駅ビル前にある噴水の前が、いつもの二人の待ち合わせ場所だったからだ。


今日は彼女の誕生日を祝うためにレストランを予約してあった。

名の知られたそのレストランは懐に少し痛い金額が必要ではあるが、美味

しいことでも有名で、そのレストラン名を彼女に告げた時、彼女は申し訳な

さそうにしつつも嬉しそうに笑った。

その笑顔が可愛くて、千尋も幸せな気持ちになれた。


しかし今、千尋はあせっていた。仕事が予想外に押してしまい、待ち合わ

せの時間に遅れてしまいそうだったからだ。

結婚して初めての誕生日で遅刻はまずいだろうと、千尋はあせりながら駅までの道を走った。


少し遅れて駅前につき、噴水前に行こうとして、千尋は駅の周囲がひどく騒がしい事に気がついた。

せわしなく鳴るパトカーのサイレン。

駅の入口付近に何台もパトカーが横付けされ、警察が陣取っている。

険しい顔と声で、周囲に指示を飛ばし、駅に向かう人々も規制し、現場を

仕切ろうとしている。


異様な緊迫感が漂ようその場に、行き交う人々も不安げな表情を浮かべている。

不吉なサイレン音に、千尋も不安な面持ちになりつつ、駅ビル前の噴水へ

と目を向けた。そちらも警官が地獄の番犬を思わせる顔つきで規制線をは

っていて一般人は近づけない。


不安が暗く胸の内に刷かれた。ここで待っていたはずの彼女は、今どこだろう?

自分同様、今はただ噴水に近づけないでいるだけかと周囲を見回すが、

彼女の姿は見つけられなかった。

そんな千尋の耳に近くのやじうまたちのひそひそと声をひそめた会話が耳に飛び込んできた。


「駅ビルの中に拳銃を持ったオトコが逃げ込んでるらしいぜ。

行きずりの女性を一人、人質にして逃げ込んだってよ」

「マジかよ」「ああ、噴水付近にいた女性だってよ」


やじうまたちは更に、男はクスリでもやってるっぽいぜ、とか、

警察も男と女性を探してるけどまだ場所を掴めてない、とか、

聞きかじった情報で会話し、それらが呆然としている千尋の耳に流れこんできたが、あまりにも驚きすぎて、それが千尋には現実に感じられなかった。


まさかと思う。噴水と女性。それだけで、彼女だと決め付けるのは短絡だとも思おうとした。

この噴水の前は待ち合わせによく使われる場所なのだから。


しかし、いくら見回しても彼女の姿を見つけられない。どくどくと暗い不安が

千尋の胸からあふれた。

嫌な予感は収まるどころか、いや増すばかりだ。


彼女の無事を確かめようと、千尋は自身のスマホを取り出し、妻に電話を

かけようとして思いとどまった。

彼女が今、どんな状況にあるのかわからない現状で、むやみに電話する

のはかえって、彼女を危険にさらしてしまう行為になりかねないと気がついたからだ。


千尋は警察に自分は巻き込まれた女性の身内かもしれないから、状況を

教えてくれと強く言い寄った。

が、警察も男に連れ去られた女性の行方をまだ掴めていない。

千尋は自分が協力して男の居場所を突き止めるから一緒に来てくれ、と警察に申し入れた。


近くのやじうまたちの目が自分達に向けられているの知っていたし、

突拍子もない事を言っているように見えるのもわかってはいたが、

今はそれに頓着している余裕すらない。

しかし、千尋の能力の事を知らない警察に相手にされるはずもなく、

あっさり退けられた千尋は悔しく歯ぎしりした。


ならば、自分一人でも妻を探しだして助けようと決め、千尋は駅ビルの、その建物を見上げた。

駅を含むこのビルは、毎日多くの人たちが、通勤や買物のために利用する地域の交通の要だ。


八階建てのその建物内には、駅の他にも数多くのテナントが入っており人の出入りも激しい。

警察が駅の乗降客や買い物客の避難や規制を行ないつつあるが、

まだ完全に規制しきれていない。

しかしいずれは警察や交通会社の規制がきき、

部外者は中に踏み込めなくなるだろう。


だから千尋はそうなる前に動くつもりだった。

連れて行かれた妻とおぼしき女性がどこにいるのか、千尋には見当もつかない。人目を気にせず"力"を使える場所に移動しようと、千尋は警察や駅員の目を盗むようにして駅ビルの中に入りこんだ。


中に入ると、事件の実感と慌ただしさが肌に直に伝わってくる気がした。

離れた場所に感じる、急いで避難しようとする人たちの気配と、それと対比

するように、すでに避難が済んだ場所の不自然な静けさと。

千尋は人気のなくなった飲食店街の通路に立ち、意識を自分の内側に向けた。

両の手のひらを胸の前で、パンと音を立ててあわせた。


それを自らへの合図とし、意識を精神の深淵に瞬時に沈める。

と、同時に、千尋の持てる"力"が一気に開放された。

自分の今いる場所を起点に、一気にビル内を照射するように透視していく。


さまざまな、そして膨大な情報が一度に千尋の中に流れ込んできた。

避難しようと我先に外に逃げていく人たち。それを誘導する警察や駅員たち。


遠い場所、近い場所。離れた光景。近い出来事。

そういったものを一気に「透視」という力でさらっていきながら、

同時に「妻」というワードで、見えた事象をふるいにかけていく。

時間にすれば多分、一分もかかっていない。

「はっ…!」

千尋は深い潜水を終えたように、息を吐き出した。

「見えた…!」

見つけた!と震える声でつぶやいた。


「二人の位置がわかった…彼女を見つけた…!」

場所を特定出来た。事件に巻き込まれ、さらわれたのは

やはり千尋の大事な伴侶だった。

嫌な予感が当たってしまったが、落胆してるヒマさえなかった。

「早く助けに行かないと…!」


焦りとともに歩き出そうとして、かくんと足がくずおれそうになり、あわてて壁

に手をついた。

「あ…」

セーブせずに力を全開にしたせいだった。


千尋は歯を食いしばり、前に進もうとした。

が…後ろからかかってきた声にギクリと体をすくませた。

「なるほど…あなたは"能力者"…なんですね…?」

落ち着いたとも冷ややかとも聞こえる、この場にそぐわない冷静なその声に千尋は驚き振り向いた。


そこに二人の男がいた。

二人共背が高く、隙のない面持ちを千尋に向けている。

黒髪の男と、やや明るい色の髪をした男と。

そのうちの黒髪の男が千尋に話しかけできたのだ。

涼しげで整った部類の、しかし意志の強さをにじませている目をしている。


「な…んの事ですか…?」

千尋が思わず後退ると、男はにこりとした。

「失礼。先程あなたが警察に話されていた事を、聞き止めたものですから」

「え…警察…の方?」

返す声が思わず震えた。先程は妻を助けたい一心で、警察に自分の能力の事を口走ってしまい、警察にはもちろんうろんげに見られただけで相手にもされなかったが、普段は当然、他人には秘密にしている事だったのだから。


男は首を横に振った。

「いえ、違います。警察ではありません。

やじうまに混じっていたらあなたと警察のやりとりがたまたま聞こえてきただけです」「……」

千尋と話す男の少し後ろにいるもう一人の男が、じっと千尋を見詰めている。


千尋と話している男よりやや背が高くて、短めで明るめの髪が精悍な顔立ちを縁取っている。

荒削りだけど力強さを持つその男の、黙してはいるが、明らかな興味と熱のこもった視線が千尋に向けられているのに千尋は戸惑った。


彼らの年齢は自分と同年代に見えた。

服装はカジュアルで動きやすそうなものだったが、彼らの挙措はキビキビと

隙がない。

警察ではないと言っていたが、どこか荒事に慣れていそうな印象も受けた。


こんな男たちが自分の近くにいたのに、声をかけられるまでどうして気づか

なかったのか、と千尋は考えて気がついた。

"力"を使った時、確かに自分はこの二人も「見ては」いたはずだ。

が、今回は『妻』というワードで、入ってきた情報をふるいにかけ、直接には

関係なさそうな情報を無意識で切り捨てていた。


そうしなければ、場所柄もあって瞬時に入ってくる情報が

あまりにも多すぎて千尋の精神に大きな負荷がかかりすぎる。

そうやって無意識での情報の選別が行われていたので、この二人の事が、ハッキリと意識の上まで昇ってはこなかったのだ。


二人に戸惑う千尋に、黒髪の男は話し続けた。

「実は我々も、逃げている男を追っています。一刻も早く確保したいと思っ

ていた所で、あなたと警察のやりとりを目にしました。

あなたは奥様を案じておられて、嘘を言っているようには見えませんでしたが、しかしそれだけでは、あなたが本物の能力者かどうか分かりかねたのですが…。


我々も内部に潜入しようと考えていた所、あなたが一足先に潜入しようとしているのに気づいたのです。

警察や駅員の目を上手くかいくぐり、最短の時間と手間で駅ビル内に忍び

こむあなたの『手際』の良さを拝見しました。


あなたの立ち居振る舞い自体はどう見ても素人のものでしかないのに、

誰にも邪魔をされずに。いや、まるでビル内が全て見え、把握しているか

のように、あなたはスムーズに邪魔を回避し、誰にも妨げられずにビル内

のここまで来た。時間的な事も含めて、あなたには迷いが少しもなかった。

そして先程、あなたは二人の居場所を特定された…。

これは"本物"と判断し、急ぎ声をかけさせていただいたのです」


「…信じるのですか?」「何をですか?」

「僕が能力者、だという『たわごと』を…です。

普通、こういう事をいう人間は、たいてい頭のネジがいっぽんズレてると解釈されるものですが…」

それを聞いて黒髪の男はふっと目許を柔らかくした。


「…なるほど。能力者に付き物の苦労をあなたもされてるんですね。

私も以前は懐疑的でしたが、こういう仕事をしてると、風変わりな『能力』を

持つ人と遭遇する確率も上がりましてね。

頭から否定出来るものではないという認識を持つには至りました」

「……」

こういう仕事とは、どういう仕事だと、突っ込みたくなった千尋に男は言葉を続けた。


「あなたは奥様を救出したい。我々は警察よりも早くあの男を確保したい。

ですから、我々は協力しあえると思います。…お互いにきっと利があるはずです」

そういうと男は千尋を正面から見た。


その視線に不実なものは感じられない。が、そう言われても戸惑いはやはり残る。

いきなりの事でこの男たちを信じていいのかもわからない。


今この場にいるのは自分達だけで、誰にも助けも呼べさえしないし、千尋もさすがに彼らを不審人物と感じないわけにもいかなかったからだ。

しかし時間がないのもまた事実だった。


「ああ、あなたを怖がらせるつもりはありません。

我々は警察ではありませんが、この事態を解決する能力を持ってると自負しています。

どうか一時だけでいい。

事件の解決の為に、あなたの力を貸して下さい」


千尋の不安を察した男は、真摯にそう語りかけ、そっと笑いかけた。

そうやって笑うと、怜悧な表情が意外なほど、柔らかくなった。

もう一人の男は、口こそはさまないが、先程からじっと

心配そうに二人のやりとりを注視していた。


千尋に向ける彼の視線には、興味の他に好意も含まれるように千尋には

感じられた。

この男たちを信用していいのかは判らない。

しかし妻を助けるにも自分一人では、力が足りないのも分かっている。

逡巡は一瞬だった。


「わかりました協力します。こちらこそお願いします」

千尋が頭を下げ、返答すると男たちはほっとした表情を浮かべた。

「お二人の名前を教えて下さい。僕は千尋といいます。

千尋裕也。…お二人は…?」

そう言うと二人の男たちは視線を交わし合った。


一瞬だけ考えて黒髪の男が頷いた。

「…私の名は朝倉透。『A.S』という耳慣れない組織の

情報作戦部機動課、三班の班長という所属です。そして彼は…」

と、もう一人の男に目を向けた。


「彼は、志賀諒介。私と同じ機動課の三班に所属。私の部下になります」

そういって朝倉は千尋に志賀を紹介した。


続く

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