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――A・S――不条理な感情 第二章 【2】


「で?お前は結局、千尋さんがらみのグチをいうために俺の所へ来たと?」

朝倉がカップをソーサーに下ろしながら、軽く揶揄する顔で言うと、

志賀はもう一つ尋ねたかった事を口にした。


「いいえ違います。確認したい事がまだあって…。昨夜の事なんですけど…」

と、昨夜の会食後の係長との経緯を話した。


「…島田さんがそんな事を…?」

朝倉が訝しげに眉をひそめた。島田、というのは件の係長の名だ。

志賀がうなずきながら、言葉を続けた。


「…千尋さんはここしばらく誰かに監視されてるとも言ってました。

それが誰なのか、わからないとも…」

「……」

朝倉の眉間の皺が更に深くなった。


言いながら志賀の脳裏に千尋の声が思い返された。

ーー僕を監視し続けたあの視線…。


『A.S』が今も僕を見張っているって事なんですか!?

千尋の指摘したように、志賀の知らない所で、

千尋に別の『見張り』をつけている可能性は否定出来ない。

その可能性は0ではないと志賀は思う。

現に朝倉は志賀の知らない所で千尋に接触していた。

だから朝倉に直接、確認がしたかったのだ。


「千尋さんに悟られないであの人を見張るなんて、素人には無理です。

千尋さんが"力"を使ってるのに

相手を"捕まえ"られないなんて考えられないですよ。

そうでしょ?朝倉さん」


そう朝倉に畳み掛けてみたが、朝倉は険しい顔で考え込んだまま、

応えを返そうとはしなかった。

険しさを増していく朝倉の顔が、志賀の胸に小さな不安のしずくを落とした。

その不安のしずくは、みるみるうちに志賀の内で大きくなっていった。


   ◆


…ゆらりゆらりと、水面を揺れる波のように漂っていた意識が

ゆっくりと意識の表層へと浮上していく。


その浮遊感に身を預ける千尋の内を、記憶が夢の断片となって打ち返す波

のように、さざめき洗い流しながら通り過ぎていく。


妻を失った事件の後、病室でやっと意識を取り戻した時、

病院スタッフと共に、心配そうに千尋の顔を覗きこんできたのは志賀だった。


心配そうに覗きこむその顔にホッと安堵の色が浮かぶのを見た。

一週間近く意識が戻らず、志賀は頻繁に病室に訪れていたのだという。

そしてその時には、妻の葬儀がもう終わってしまっていた事も知った…。


妻の死の前後に関する記憶はない。そして葬儀にも出れないまま、

普段の生活に戻らなくてはならなかった千尋は、

だからしばらく妻の死を実感出来ずにいた。


彼女は何らかの都合で、今は戻ってこれないだけで、しばらくしたら

何気ない顔で、戻ってくるような気がしてならなかった。

――裕也くん…。

そんな柔らかい声が聞こえたような気がして、

部屋で耳をそばだてた事が何度あったろう…。


そうして何度振り返っても、彼女がそこに居る事はなく、

一人きりの生活、止まらない時の流れの中で、

彼女が二度とは戻ってはこない事を千尋はようやく実感出来た。


その実感と共に、より強くなってひたひたと胸に押し寄せてくる寂寥を、

たった一人で耐えながら千尋は過ぎゆく季節を見送ってきた。


その寂しさを埋めようとするかのように、彼女の墓へと参りに行くと

彼女の無聊をなぐさめようとするように花を手向けてある事も多く、

それが誰からなのか、あえて詮索はしなかったけれど、

その花に千尋も心を宥められる気持ちになったりもした。


あの花を手向けてくれたのは…。

そんな事を思いながら、千尋は意識を覚醒させた。

水底から、水面を求めて昇ってやっと水上に顔を出せたような心地で、

千尋はふうっと息を吐き出した。


夢うつつのまま、ぼんやりと視線だけを巡らせて辺りをながめた。

今自分が横になっているのはゆったりと大きめのソファらしいと、

伸ばした手に伝わる感触等からもわかる。


「……」ぼやけた意識のまま、今度は首を巡らせて見て、千尋は

薄冥く闇に沈むそこが自分の部屋ではないと気がついた。


そこは、妙にだだっ広く肌寒い。

家具らしい家具もあまりない。そっけないこの場の佇まいは、

そこが個人の部屋ではなく、元々がオフィスの類であった事を伺わせた。

しかし今は、誰にも使われていないのか、

閑散として、うらぶれた雰囲気があった。


「………」

ここはどこだろう?と、やっとはっきりし始めた意識で、

千尋は訝しみながらゆっくりと身を起こして辺りを見回すと、自身の記憶をた

どった。


覚えている最後の記憶は志賀との会食の夜になる。

楽しい気分で会食を終え、帰路につこうとして、彼の上司と出会い、

言い合う事になり…。そして…。


ほとんどおさまってはいたが、まだ少し残る頭痛に、千尋はこめかみにそっと

指を当てながら記憶をたどる。

楽しい夜を、結局気まずい気持ちで志賀と別れ、一人きりになった。

そして…視界を何かに塞がれて…。


記憶はそこで終わっていた。意識はそこで暗転し、

次に目が覚めた今、千尋は見知らぬ場所のここにいたのだ。


これは一体どういう事なのかと訝しく思いながら、

千尋はもう一度周りを見ようとして、不意に背後から

「気が付かれましたかな?」と、

声をかけられてビクリと背を震わせた。


人の気配もなかった。てっきり一人きりとばかり思って

誰かがいるとも思わずに、周囲に気を払う事もせず

ぼんやりしていたから、その声に心底驚き慌てて後ろを振り返った。


明かりの灯されていない、薄い闇に沈み始めた部屋の

窓を背景に立つ影があった。


濃い影に縁取られた人影のその顔は闇に沈んで読み取れない。

影はゆっくりと千尋の方に歩みよってきた。


「…やあ、お待ちしていましたよ。やっと来ていただけましたね」

近づくにつれ、その顔が次第にはっきりと見えてくる。

千尋の顔に驚きが走った。

「あなたは…!」そう一言口にして、千尋は絶句した。



続く

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