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第一章 【1-11】

「こんな所で出会うとは思いませんでした。

久しぶりですね。先日はお世話になりました」

「あ、いえ、こちらこそ、その節は…」


係長と呼ばれた男は、にこやかに千尋に挨拶し、

千尋も、まるで普通のサラリーマン同士のようなやり取りに、

戸惑いつつも無難に返事を返していたが、

時折こめかみに指を当て、軽くほぐす仕草を見せていた。


長時間"力"を使っていた事による疲労なのだろうと察しながら、

志賀はしかし、どうした事だろうか、と考えた。


千尋が"力"を使ったのに相手を補足出来ない、

などという事は初めての事で、その事に不安を感じる。

とりあえず頭痛薬でも調達出来ないかと辺りを見回してみるが

近くにそんな店もない。


志賀のそんな心中など気づく風もない係長はあっけらかんと、

今度は志賀に話題を振ってきた。

「おお、そうだ志賀くん、ちょうどいい。

前回のレポートについてだけどね、あれじゃあ、どうもね。

きみ、再提出してくれたまえよ」


「えっ…」いきなり仕事の話を向けられた志賀が、

驚きを顔に浮かべて言葉に詰まった。

ほのかな酔いが一瞬で冷める。

まさか今、ここでその話を向けられるとは思ってもいず、とっさに次の言葉が出てこない。


「係長…?」

顔に戸惑いを浮かべたが、それに頓着せず、

それどころか、

言ったことがきちんと聞こえていなかったとでも思ったのか、

係長はまた同じ話を繰り返した。


「だからね?前回の、千尋さんに関するレポートの事だけどね、

あれじゃあ、駄目だね。要領を得てなくて。

もっときちんと詳細にまとめたものを再提出してくれたまえよ」

「な…!」

"本人"を前にズケズケと放たれた言葉に志賀が言葉を失う。

その隣で千尋はぽかんとしている。

「え…?」


意味が飲み込めない顔で千尋は二人を交互に見た。

志賀は唖然と係長を見返した。

千尋が今、目の前にいるこの状況下で、この男はいきなり何を言い出すのだと、

驚き、憤りすら含んだ目を容赦無く向けたが、係長は臆する様子もなく、志賀を見返す。


千尋が目をまるくしながらそっと言葉を挟んだ。

「あの…僕の事…ですか?…それってどういう…?」

「あ、いやほら……この間、千尋さんにも手伝ってもらった事件の事で…」


志賀はあわてて取り繕おうとしたが、そこにすかさず係長から訂正が入った。

「ああ、違うでしょ、志賀君。そうじゃなくって、

千尋さん個人に関する継続調査の事。

いつも出してもらってるでしょ?


彼の"能力"とそれに関わる生活と環境に関する調査。

細かく言えば、彼自身の経歴や、人間関係も含めた現在の生活環境にまつわる全般。

更に"外部協力者"である彼の、『A.S』に対する感情の好悪等

、思想チェックまでも含めた、長期継続対象としての報告書」


あまりにも明け透け過ぎる物言いに志賀がさすがに顔色を変え、

「係長!!」と、気色ばみ、制止した。

が、自分の横で息を呑んだ千尋の気配に、すでに遅いと悟った。

千尋は声もなくこちらを見ている。


志賀は恐る恐ると千尋を見た。

自分を見るその顔はこわばっており悲しそうでもあった。

千尋自身、"外部協力者"としても『A.S』に関わっている以上、

その身上を何も調べられないで済むとは思ってはいなかったはずだ。


しかし、こうして面と向かって突きつけられれば

面食らわないわけがないし、

傷つかないはずもない、と志賀は思った。


また、多分、彼が想像していた以上に、

自身が調査対象として視られていた事にも気がついたろう。

志賀はいまいましげに係長を見やった。

いきなり場を掻き回した男はしかし、飄々と楽しそうにすら見えた。


千尋は二人から視線を外し、うつむいた。

「調査って…要するに僕の監視って事ですか…?

志賀さんは今までずっと僕を監視して来たんですか?

今日…誘ってくださったのも仕事だったから…ですか…?」

ぽつりとこぼれた言葉が、風にまかれる木の葉のように揺れて寂しそうだった。


言葉を返さなくては、とあせりつつも舌がうまく回らない。

志賀はひどく迷いながら、千尋の目を見た。

「違…う…。いや、違って…ない…」

そう答えていた。


その自分の声がまるで他人の声のように遠くに聞こえた。

これ以上この人を欺く言葉は使えないと思ったし、使いたくなくなっていた。

今日の会食だって、楽しくはあったが、

"仕事上"という側面もある、という認識を感じてもいた。


「そうですか…」

再びうつむいた千尋の表情は志賀には伺えなかった。

「……仕事だから…ですか…」

ゆっくりと千尋が顔を上げる。

「やだな……僕の能力なんて、そんな買いかぶってもらう程のものじゃないのにな…」


振り絞るようにして発せられたその声は泣き笑いみたいな声になって震えていた。

顔を上げた千尋と目があった。

「そんなに僕が信用出来ませんか…?

約束したんだから、仕事はちゃんとします。

違えたりなんかしない…!」


真正面から志賀を見るその顔が辛そうに歪み、苦しげな声が漏れた。

「…監視なんかしなくても…ちゃんと…します…」

そう言うと千尋は大きな息を一つ吐いて辛そうに眉をよせた。

こみかみにまた指を当てる。

どうやら頭痛はおさまる気配がないらしい。


「千尋さん、俺は…!」

「あれも『A.S』だったんですか…?!」

思わず言い募ろうとした志賀の言葉を千尋が遮り、強い眼差しと言葉で射抜いた。


「えっ…?」

その意味を掴みかねた志賀がきょとんとする。

「ここしばらく僕を監視し続けたあの視線…。

今日、どうしても補足出来なかった、僕を追いかけてくるあの気配…!

あれも『A.S』だったんですか!?

『A.S』が今も僕を見張っているって事なんですか!?」

「……!」

言われて志賀は絶句し、少し前のやりとりを思い出した。


千尋をさぐる気配があり、それを追っても

捕まえられなかったと彼は言っていたではないか…。

志賀自身はそれに関しては、全く係わっていないし、預かり知らぬ事だった。


しかし、言われてみればと思った。

自分の知らないところで『A.S』が、千尋に別の『見張り』を

つけている可能性も皆無ではないと思い至ったのだ。


でなければ、千尋が自身の"力"を使って探っているのに

まったく相手を補足出来ない、などとは考えられないとも思った。

「いや…まさか…」

つぶやきながら言葉に力がこもらない。


不意に係長が言葉を挟んてきた。

「千尋さん、『A.S』をもっと信用して下さい。いや、するべきです。

『A.S』は"協力者"の事を誠実に心配し、守りたいと思っています。

万に一つの間違いもあってはならない。

だからこその調査です。

その為の行動が不快になる事もあるでしょうが、間違いはない。受け入れていただきたい」


しれっとして、そう宣う上司は、飄々とすらして見える。

そんな上司に志賀は憮然とした面持ちを向け、不審を感じ始めていた。

言っている内容は一見もっともと聞こえない事もないが、

どこか空々しさを感じさせるイントネーションでもあり、

今、そんな事を言われても

千尋は反発を感じるだけだろうと志賀は思った。


今の千尋には、相手の様子を読む余裕はない。

これではまるでわざと、千尋の不快を煽っているようではないか…。

案の定、それは気持ちをなだめるどころか

逆に千尋の感情を逆なでしたようで、彼は眉間のしわをより深くしていた。


が、係長は更に思いもしない言葉を投げてきた。

「三年前のあの事件は、あなたにとって

本当につらい出来事だったでしょう。

あなたは大事な伴侶を失った。

我々としても、あの事件は我々に対する戒めとし、教訓にしなくてはならないと考えているのです」


しみじみと言ってみせる。が、

次の瞬間、千尋の目にさっと強い怒りの色が刷かれた。

それは千尋にとって

今も癒えきってはいない、もっとも深い傷だったからだ。


「教訓?…戒め?」「ええ」

「あの事件があなた方にとっての、何の教訓になるって言うんですか?

ただ単に市街地であなたたちが"仕事"をする際の

基礎データが一つ増えたってだけの意味じゃないんですか?」


強い感情と口調で、相手を弾劾するための言葉を口にする。

そんな千尋を見慣れていない志賀は声もなく見入るしかない。

千尋の体と声が怒りに震える。


「取って付けたような事を今更空々しく言われても

彼女は何も喜ばないし、もう喜べない…!

彼女に罪はなかったのに…!

ただ巻き込まれただけだったのに…!」


一気に言葉を叩きつけたその声にふと悲しみが混ざった。

「僕は……彼女が何故、死ななければならなかったのか

未だに納得できていない…」

それは慟哭だった。自分の半身を奪われた男の、

失った半身の、その傷口から流れ続ける血、そのもの…。


怒り、悲しみ、行き場のない気持ち…。

まだ自分でも処理しきれてないそれらが、

抑える事の出来ない言葉に、衝動になって喉を突き上げる。


千尋はこらえきれずに

目の前の二人にその言葉を叩きつけていた。


「彼女が死んだのはあなたたちのせいだ!

あなたたちが三年前、あそこで、

あんな作戦なんてしていなければ

僕の妻は死ななくてもすんだのに…!!」


血を吐くような、

臓腑を引き千切られるような声で言葉を叩きつけて、

千尋はハッと我に返って口をつぐんた。

「あ…」

口元に手を当て、自分の言葉に自分で驚いた顔になる。

うろたえ、一瞬志賀を見てすぐに視線をそらした。

「…すみません…」

下を向いて、消え入りそうな小さな声でぽつりと言う。


志賀を見れないままだった。

そのまま千尋は踵を返し、駈け出した。

「千尋さん!」

追いかけようとした志賀の腕を上司が掴んで止めた。


「今追っても無駄だ。もう少し時間が必要だろう」

「係長!どういう事ですか!どうして今あんな事を千尋さんに!」

腹立たしい気持ちで強く食ってかかったが、

上司は小さく肩をすくめただけで志賀の問いに答えようとはしなかった。


それを忌々しく思いながら志賀は千尋の消えた方を見た。

もう彼の姿のないその道を見ながら

謝らなくてもいいのに、と思っていた。


あなたの言う通りなんだから…と。

自分達はか弱い女性一人、結局守る事が出来なかったのだ。

彼女の事を思い出すたび、志賀はじくしたる思いにかられる。

千尋はもっと自分達を責めてもいいのだ、と志賀は千尋に言いたかった。


本当の事を言ったからと、苦にしないで、と、

自分を責める顔をしないで…と、三年前を…、

それが千尋との出会いでもあった『A.S』の作戦の遂行時の出来事

を思い出しながら志賀はそんな事を思っていた。


続く

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