一歌(7)
「有理君。なんだっけ、この世の現象にはすべて理由があるだっけ。昔それと同時に私がいった言葉、覚えてるわよね?」
「理由がないのは人の心ぐらいなものだ。ですか……」
屋敷の玄関を抜け駐車場へと向かう最中、僕は恋歌さんの言葉に納得せざるを得ない。
人の心の複雑怪奇さは特になんの理由もなく行動を決定し、ひどく簡単に人を傷つける。それらすべてに理由や原因を求めるというのはナンセンスなのかもしれない。
「やっぱりその言葉も信じないとですか……。ベタベタな女の嫉妬だったとか、いじめだとかそんなんで納得してちゃダメですかね」
僕はどちらかというとこっちの言葉は信じたくはなかった。
人の思考すらも理解したいなんて傲慢なことを心のどこかで思ってしまっているのかもしれない。
「そうね、それじゃあ一つだけ質問」
恋歌さんは意地悪なだけれどとびっきり魅力的な表情で微笑みながら僕の猫毛な頭を撫でた。
「有理君が私のこと好きなのって理由がある?」
容姿が綺麗だからとか。
性格が魅力的だからとか。
一般的な答えはいくつかある。けれど、それらはすべて本質的な意味では答えになっていないように思えた。人間の本能というか子孫を残すためのシステムなんかを説明するというのも屁理屈だし……ロマンもヘッタクレもない。
なんというか、恋歌さんはこういう部分では乙女心一杯だった。
「答えになってないですけど、あえていうなら心がドキドキするからとでも答えておきましょう」
「よし、それでいいのだよ。少年」
頭をくしゃくしゃと撫でられる。
子供扱いされるのは妙な気持ちだ。嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、そして、悔しくもある。
結局僕はお手伝いさんと霞美さんがどうしてああなったのかを知る術もなく、恋歌さんと仲良くお屋敷を後にする他にないのだろう。
まあ帰りたくないわけじゃない。夜も遅くなってきたしさっさとふかふかの布団に包まれて、眠りにつきたいという人間的欲求が増してきている。
「それじゃあ執事さん。色々と恋歌さんがご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、ありがとうございました。お嬢様の笑顔が久しぶりに見れて嬉しいかぎりです」
僕たちを駐車場まで送りにきていた執事さんは表情をゆるめながら深々と頭を下げてきた。
この日最深のお辞儀だった。
人に感謝されるのは、悪くない。
「あら、お嬢さん……。もう玄関まで出てきて……、ほんとうに元気になられたようですね」
執事さんの後ろ開かれた玄関の扉の影。遠目ながらに、可愛らしいパジャマ姿のままこちらを覗き込む霞美さんの姿が確認できた。
「乙女心ねぇ。まったく有理君も可愛い顔してやるものだわ」
「それじゃあ失礼しますね。どうもありがとうございました」
恋歌さんの言葉をスルーしてさっさと車の助手席へと向かう。
もしかして、僕は取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。
数分後エンジンがかかり、動き出した車のミラーから見えた霞美さんの笑顔は魅力的だった。けれど、その姿が遠くになっていくほどに、どこかホッとしている自分がいた。