一歌(5)
「あの、すいません。夕方遅くに訪ねた有理ですけれど、よかったもう一度会ってくださいませんか?」
返事はない。
というよりも扉が開くまでは音で判断するしかないんだけれど、僕の感覚では室内は静かなものだった。寝ているのか無視を決め込まれてしまったようだ。
たしかにあんな物騒な現象を巻き起こしてしまうかもしれないんなら、結果的に人に会いたくなくなるのもわかる。
「というわけで私の特技が役立つわけね。まったく鍵を開けるにもそれなりの苦労があるってのに……、お屋敷自体のセキュリティが完璧に近いからこういう個室単体には手を抜き気味なのが助かるわ。私みたいな素人にはアンティークな取っ手しか開けられそうにないからね」
恋歌さんは泥棒みたいな道具を取り出し、僕にはよく分からない動作で鍵穴をこねくり回していた。
怪訝な視線で恋歌さんを見る。
「ほら、一時期流行らなかった? サブプライムターンとか」
「それをいうならサブターン回しだと思います」
僕の視線に気づいたのか、恋歌さんから話題をふってきた。ついつい冷ややかな態度でそれに返事をする。僕の記憶が確かなら恋歌さんのしている行為はサブターン回し的な方法ではないと思う。
今さら驚くほどでもないんだろうけど、まったくこういう特技はどうかと思うんだ、常識的な人間として。
「さて開いた。このカチリって音が達成感をそそるわね」
「……恋歌さん。まあいいですけど、では行きます」
表情を引きつらせながら、不法な手段で扉を開ける。
できるだけ音をたてずに侵入すると、室内は電気はついたまま、夕方に訪れた時のように霞さんはベットのカーテンの内側に腰掛けているようだ。
「だ、誰! どうして……」
さすがに驚いているのか、大きめな声が漏れ聞こえてくる。
うん、イメージが掴めそうだ。
「綺麗な声ですね。できればもっと聞かせてほしいものです」
自分でもすんなりといえたことにちょっぴり驚いた。普段から冷静を心がけていたのがこんな所で役に立ったのかもしれない。
「……っえ?」
露骨に警戒が緩んだのがわかる。
それでも僕が彼女のベットに近づくたびに異変の気配が迫ってくるのがわかった。室内を注意深く見てみると家具がほんの少し揺れ始めている。
「すいません突然! どうしても一目見たかったもので……、失礼、しますよ」
ゆっくりと緊張しながらカーテンをめくる。
「いや、いや――!」
とたんに部屋の中の家具が一斉に踊りだす。夕方とは違う、より不規則な動きで慌てたように宙を行き来し始める。すごいもんだ、いるところにはいるというか出来る人には出来るというか。
ふと、この手の能力に憧れを覚えてしまう。
週刊漫画雑誌的にはあの手の力を使いこなしてみたいという願望もある。
今はそんな心の変化は押さえ込み、ただなすべきことをするために真っ直ぐと霞美さんの素顔を見つめた。うん、なんとかなりそうだ。
「なぜ嫌がるのですか? こんなにお綺麗なのに、いつまでも見ていたいぐらいです。おっと、突然失礼でしたかね」
歯の浮くような台詞だった。
僕ってば役者にでもなれるかもしれないな、と内心思いながらも熱い視線はそらさない。
「僕は嘘はつかないんです。柔らかそうで透き通るような肌、整った目鼻立ちはお父様似ですかね」
「あの、それって」
「何度でもいいますよ。僕は嘘はつきません。思ったままのことをいっているだけですから。だからもっと自信をもってくださいね」
最後に取っておきの笑顔をお見舞いしてみると、霞美さんは照れたように頬を染めうつむいてしまった。
それと同時に部屋中の家具がその場に落ちる音がした。中々の轟音なせいか人がこの部屋に向かってくる慌ただしい足音が聞こえてくる。
「それではちょっと失礼します。後片付けが残ってるみたいですから」
部屋の入口付近で意地悪な笑みを浮かべる恋歌さんを見てみると、わかってますよ、というアイコンタクトが帰ってきた。
霞美さんの憧れを壊さないように、できるだけ優雅な動作で部屋から去る。
「……それじゃあ最後まで聞かせてくださいよ。僕はきちんと協力したんですから」
「ところで有理君。あの笑顔は反則だと思うわよ。以後封印ということで」
微妙に頬を染めながら恋歌さんは早口でまくしたてた。僕としてはさっさと事の真相を説明してほしかったんだが、まあ珍しい表情が見れたからよしとしておこう。