一歌(3)
「すでにおわかりのことと思いますが、私達はあくまで研究者というか物好きというかヘタの横好きみたいなものなので、あまり期待はなさらないでくださいね」
「いえいえ、お二人の噂は聞き及んでいますよ。別にプレッシャーをかけるわけではないんですが、今の私には頼る相手がいるだけで貴重なのです」
その言葉にはどんな意味があったのだろうか。
大概僕たちが訪れる場所は手遅れになりかけの状況が多い。今回にいたってもそうだったのか、宮城さんは疲れた表情ながらも、胡散臭い僕たちみたいな連中に期待をよせてくれているようだった。
「ずいぶんひどいみたいね、娘さん」
宮城さんの後をついて歩きながら、恋歌さんは僕の耳元に近づくと小さな声で話かけてきた。
整った顔がすぐそこで、女性特有の柔らかくて良い匂いがして、ついつい胸がドキドキと高なってしまう。
「そうですね。恋歌さんを信じてるとかよっぽどですよ」
「有理君は厳しいわね。褒め言葉だと受け取っておくわ」
恋歌さんの表情が微妙に強ばっていた。
僕たちがイチャイチャと話ているうちに、目的の部屋についたようで、可愛らしい装飾で彩られた扉の前で宮城さんが振り返った。
「こちらが娘の部屋です。嫌われてしまったのか私は一緒に入れませんが、どうか娘の力になってやってください」
宮城さんが丁寧に頭を下げる。
世間一般でいうところの良い大人がこれほどまでしてくれるというのは、まだまだガキと呼ばれる僕みたいな人間からすると思うところがあった。
なんだか嬉しくもあるし、仕事にたいするモチベーションや責任感もあがるというものだ。
「わかりました。力になる、というのも大げさですが私達にできることがあれば、精一杯させていただきます」
宮城さんが娘さんの部屋から離れていくのを見守りながら頭を下げる。恋歌さんもやる気になっているのがさっきの台詞からも伝わってきた。
「……力になるっていうのは言い過ぎよね。結局私達も自分のために来てるわけだし」
うん、きっと責任感やプレッシャーに押しつぶされそうなんだ、さすがのこの人もさ。と、思おうとしたけれどよくよく考えてみると恋歌さんのそんな姿は想像できなかった。
「それじゃあさっさと行きましょうか」
「ちょっと待ってください。深呼吸するんで」
「真顔で緊張してるのかね。ま、年頃の女子の部屋だもの、精々楽しみなさい」
何を楽しめというのだろうか。
おっさんみたいなボケをスルーしながら、恋歌さんの後ろについて部屋に足を踏み入れる。
一見して女の子の部屋だというのが見て取れる。ピンクっぽい壁紙に、ジュータン、そして部屋の中央に位置するのは漫画みたいなお姫様ベットだった。
ベットの上から垂れているレースみたいな薄いカーテンの裏側に人のシルエットが見えた。
「こんばんわ。娘さん……っていうのはおかしいね。宮城さん、でいいですかね? 良ければ名前の方も教えてくれるかな? って、他人に名乗る前に自分からってことで私は恋歌ですよろしく」
「あ、僕は有理です。よろしくです」
すらすらと長ったらしい自己紹介をこなす恋歌さんに続き、僕もどもり気味の声をあげる。
えらい違いだったが、まだまだガキな僕としては所詮はこの程度なんだろう。
「……あの、霞美です」
霞美さんはベットのカーテンに隠れたまま声をあげる。小さな、か細い感じの声だった。
「じゃあ霞美さん。カーテン開けてもいいかな?」
「――はい」
カーテンの裏側でシルエットがゆっくりと戸惑いながらも頷いた様子が見えた。
「え? あ、……はい?」
しかし霞美さんの素顔を覗く前に室内に異常が発生していた。慌てて変な声が出てきてしまう。
家具を伝って異常な振動が感じ取れた。地震かと思って隣の恋歌さんを見ると直立不動のままじっと霞美さんの方を見つめているだけだった。
その姿から、ああこれは地震じゃないんだなと理解しながら、周りに意識を張り巡らせる。
「これって、なんていうか、ベッタベタにポルターガイストとかいうやつですかね」
「だったら面白いとか思ってたけど状況的にそうみたいね。建物は揺れていないもの」
真剣な表情で恋歌さんが瞳を細める。
室内にあった家具――タンスや衣装ケースやらが浮いている。まだユラユラと宙に浮いているだけで、動きに指向性までは発生していないようだ。
「霞美さん。これってあなたの力なの?」
「え、あの……私は、私は別に……」
怯えた震えた声が聞こえる。霞美さんがベットの中で布団を抱きしめるような姿が見えた。
「逃げましょうか有理君。今はただ浮いているだけだけど、よくよく見ると部屋のアチラコチラに重たいものが叩きつけられた痛々しい後がついてるわよ」
「なんだかきちんと見ると面白いですね、これ。物理学とか完璧無視ですよ、これ」
モノが何の理由もなく浮くというのは中々に面白かった。
僕が学校でならった知識なんていうのはまったく効果もなく、超常的な外的要因が働いているわけだ。超能力とかハンドパワーとか、そういう世界だった。読み切り漫画の主人公なら使えても不思議はないんだろうけれど。
「有理君、バカいってないでさっさと動く。それじゃあ霞美さん、また後でうかがいますね」
恋歌さんは満面の笑顔を霞さんに向けながらドアを閉めた。
部屋から出た後でドスンと重たいものが叩きつけられる音がした。どうやらポルターガイストは終了し、宙に浮いた家具が落ちたようだ。
「すごいっすね。僕、驚きました」
広々とした廊下でシミジミと呟いてみたりする。
「有理君、そういうのはもっと驚いた顔でいうものよ」
恋歌さんはあきれたようにため息を吐いていた。そういうあなたは家具が宙に浮く不思議空間でいつも通りの仁王立ちだったじゃないですか、という言葉は一応飲み込んでおいた。
この程度で心を乱してしまう僕が純粋なだけなんだろう。
「さって、これはこれは案の定というか話に聞いた通り、私達の領分な不思議で幻想的な事件になってきたわね」
恋歌さんは言葉のもつ胡散臭さとは裏腹に、楽しそうに笑いながら腰に手をあて指をパチリとならした。
「……なんでしょうか恋歌様」
執事さんが現れた。
「かぁー、ありがとうね執事さん。こっそり打ち合わせしておいてよかったわ。見て、この有理君の驚き顔。珍しいのよこの表情」
驚きますよそりゃあ、でもちょっぴり呆れてもいます。
「恋歌さんのそういうところ、可愛らしいとは思いますけど」
「さて、執事さん。少しばかりゆっくりできる部屋を貸していただけるかしら。ついでに事情聴取というか、情報提供もお願いできますかね」
僕の愛の言葉は軽く流され、恋歌さんがイキイキとし始めた。なんだかんだで、彼女は趣味でこういうことをしているのかもしれないと思いながら、僕は小さく嘆息するのだった。