三歌(5)
30分ほどで着いた、大通りの脇道。
ビルの地下駐車場へ下りて、原付を止める。ヘルメットを脱いで周りを確認すると、社長がいる一階へと続く階段の傍で、恋歌さんが妙に疲れた表情をしてうなだれていた。
「恋歌さん。なんでそんなにげっそりした顔してるんですか」
「いやね、こいつが逃げ出した理由を詳しく聞いてたんだけど……」
基本的に(お金をおとしてくれる)依頼人には優しく、丁寧に接する恋歌さんにしてはあるまじき、こいつ呼ばわり。
工藤への態度があからさまに嫌悪感丸出しのものに変わっていた。
「否定はしたくはないの。ええ、でもなんていうか生理的に無理。妙に生々しかったし」
「どういうことですか?」
話が見えず、睨むように工藤の方を向く。
「ああ、俺ホモなんだよ。ゲイでも可」
きっとこの時、僕はぽかーっとあほみたいに口を開けていたのだろう。
「じゃ、じゃあ、そ、その、僕のこと魅力的だとか言ってたのって……」
「うん、そのままの意味だ」
そして、同時に身の危険を感じる。
冷や汗がつーっと首筋を伝い、反射的にぶるっと身体を揺らした。そんな人もいる、と頭ではわかっているけれど、いざこれほど大っぴらな人間に出会うと中々インパクトがあるもんだ。
「有理君。気をつけて、ほんとに気をつけてね。特に背後とかお尻とかお尻とか」
「いや、それはさすがに……」
恋歌さんが半ば本気でそんなことを言うので、僕まで心配になってくる。
「とっとと行かないのか? いやすまんな。俺も命を狙われてる身なんで」
お前が言うのか、という感じだったが、工藤の進言はもっともなことだったので、恋歌さんとアイコンタクトで慰めあい、社長のもとに向かうため階段を上り始める。
コンクリートがむき出しの無骨な雑居ビル。
足音が無機質な響きを鳴らし、一定のリズムで室内へと反響する。
「クロネコさんの次に、会いたくない相手ってところよね……」
「僕なんて、会うの3度目ぐらいなんですよ……」
恋歌さんですら、焦った表情をしている。
当然、付き合いの短い僕の方が、精神的な準備は足りていないわけで、足がすくみそうになるのを必死で抑え、階段を上り続ける。
「社長に会うだけだってのに、随分大層なんだな」
唯一、状況が飲み込めていない工藤だけは、脳天気な顔で、僕の背後を嬉しそうに歩いていた。
地下階段から上った先、徐々に社長が居るだろう部屋の、豪華な装飾がほどこされた場違いな扉が見えてくる。一階には他のテナントが入っておらず、パッと見た感じだと他の階の企業も訳ありな臭いが香ばしい。
「っと、確かにこりゃあビビるわな。大層お強い御仁がお待ちのようだ」
さすがというところか、自称殺し屋だった工藤も社長の威圧感に気づいたようだ。もっともあの人は、基本的に自分に厳しく身内に鬼畜で、他人(特にか弱い乙女とか)にめっぽう甘い、という感じだからして、工藤へのプレッシャーはたいしたものではないだろう。
僕だって、特にとって食われるわけではないと思う。
まあ、まともに闘って勝てるはずもないけど。
「さて、それじゃあ……行くわよ!」
緊張しているのか、声を震わせながら、恋歌さんがドアの取っ手を掴む。額に汗を浮かべ、緊張と、嬉しさの同居したような、なんとも言えない高揚した表情が、なんだか色っぽい。
社長は恋歌さんにとって、目標で憧れで恩人みたいな人なので、そうなるのも仕方がない。もっとも、相手が相手、憧れも強すぎれば、自身のコンプレックスを浮き彫りにされているのと同じだ。
「あら、こんにちわ。待ってたわよ。恋歌、それと……有理君♪」
開口一番、僕が名指しで出迎えられた。それだけで、危機感が加速する。
一階のほとんどを占拠する社長の事務所。奥の窓際に位置する一対のオフィス机と椅子、そして手前には余りきったスペースに適当に置かれたドデカイソファ。窓際の椅子でくつろいでいた社長が、僕たちを迎えるように軽く手を振ってきた。
長すぎる髪の毛を無理やり結いつけたような綺麗な後ろ髪には、和風なかんざしまで刺さっている。それがまた似あってしまうのがこの人のコワイところだ。一見して年齢不詳、恋歌さんも美人だが、この人は美しいというよりも造形が完璧だった。一つ一つが洗練され、研磨されつくし、一切の無駄がないような感覚。
それがなんだか、気に食わない。
「今日わ急ぎですまないわね。仕事の説明と行きましょうか。みんな、よろしくたのむわよ」
けれど、僕は恋歌さん以上に、この社長という人に逆らえるはずもなく、ただただいじめられるのだろう、ちょっと先の未来が容易に想像できてしまった。