森林公園の猫
溶けるような強い日差しが、重なる葉の緑を透かして、私の額を撫でている。
それは決してやさしいとは言えず、どちらかといえば痛いほどだ。
だが、私は夏が嫌いではない。夏には夏だけのたのしみがあるから。
近所の森林公園は、太陽の強いひかりをその身いっぱいに浴びて、生命力を放っている。
鬱蒼と生い茂るその公園をジョギングするのが、私の朝の日課だった。
めぐる季節ごとに、朝の公園は姿を変える。
春はさわやかに、夏はゆたかに、秋はおだやかに、冬はしずかに。草花と木々たちは、憩う私たちを見守ってくれている。
大好きな公園。毎朝走るたびに、新鮮な感動があるのがうれしい。
今日もひとたび足を踏み出せば新たな自然とふれあえるのを夢見て、私は公園の中を歩いていた。
白いランニングキャップに照り映える木々のこもれびがいとしい。
乾いた土は、踏み出すたびにこもった音を立てて少しだけ弾ける。
この先、二手に分かれる道がある。右に曲がれば、いつもの広場に出る。そこを一周して今日は帰ろう。
からだは透き通った汗で濡れ、息もあがりかけていたときだった。
ふと、前方に幾つかの丸いかたまりが落ちている。
目をこらす。
少し近づくと、一番大きなかたまりは、大人の男だと気付く。
ダークグレーのシャツから、太い二の腕と腹が出ており、そこから藻のような黒く太い毛が生えていた。
日に焼けた頬と額。少し小太りな中年。まぶたは脂肪で落ち、瞳の位置がわからない。
分厚い朱のくちびるに、こめかみから流れる汗がふれていた。
どことなく暗い湿気を纏った男だ。生理的な嫌悪感がせり上がってくる。 眉間にしわを寄せ、彼の前方にあるかたまりに視線を移した。
丸くちいさなかたまりが転々と散らばっている。
この姿には見覚えがあった。
公園に住まう野良猫たちだ。白地に黒斑の子や、焦げた茶に縞模様の子は見かけたことがある。その他、茶虎白や長毛の黒の子は、初めて見る。
遠目で、男はしゃがんで猫たちに餌を与えているのだと思った。
本来なら、公園の猫に餌を与えてはいけないのだが、皆猫が可愛くて、こっそり餌を与えていることを知っていた。
この男も、そのようなひとのひとりなのだろう。
見た目で判断してしまった自分を恥じた。 猫に慈しみを見せているというだけで、男への警戒心がわずかに解ける。悪い人間ではないのかもしれない。 私は彼と猫の話をしようと、歩調を緩めて駆け寄った。公園の開放的な空気が、見知らぬ相手へのためらいを消していた。
男は、私の気配に気づいたのか、顔をあげた。 開かれた口は虚無を映した洞窟のようで、感情の機微が一切読み取れない。剥げ上がった額から浮き出す脂汗が、どろりと肌を伝っていた。 彼の、獣のように濁ったちいさな瞳と視線がかち合った瞬間、私は友人の忠告を唐突に思い出した。
――爽風はさぁ。危機管理能力なさすぎ。深く考えず、変なひとに自分から関わって、痛い目みることばっかじゃん。ちょっとでも変だと思ったら、絶対関わらないほうがいいよ。気をつけなね。ほんと。
生臭いにおいがした。
はっとして、猫たちを見下ろす。
猫たちは餌を食んでいたのではない。ましてや、男に懐いて微睡んでいたのでもない。 惨殺されていたのだ。 どの個体も腹を無残に裂かれ、赤黒い臓物を晒して横たわっている。はみ出した舌は夏の陽光に焼かれ、乾いた土の上でミミズのように干からびていた。見開かれた瞳孔はひかりを吸い込み、本来なら細まっているはずの黒目が、底知れぬ闇のように丸く広がっている。 男の股の間に置かれていたのは、血に濡れた鎌だった。 夏草をなぎ倒すための鋭利な刃が、猫たちのやわらかな命を断ち切ったのだ。
状況を理解し、私のからだは氷のように冷えて固まった。
こめかみを流れる汗はつめたく、頬と顎を濡らしてゆく。
「なんじゃあ……。あんた。なんか文句でもあるんか」
この辺りでは聞いたことのない方言で、男は喋った。蠅の羽音が声と混ざっているような、淀んだ低いだみ声。
「あんた……。あんた。猫の世話なんかしたことないじゃろう。興味もないじゃろう。そないなやつに、猫殺してなんか言われる筋合いないわ」
男は普段、猫に餌をやる世話などをしているというのだろうか。
毎朝公園を散歩している私は、この男を今まで見たことがない。こっそり餌をやっているのは、男よりもさらに世代が上の別の老人たちだ。いけないことと知りつつも、ちいさな生き物へ自然にあふれる愛情を止められずにいる。
男の太い脛毛が生えた足に、汗の粒が壊れて流れてゆく。
男は小刻みに震えだした。
「わしはぁ……。わし……。猫がすきなんよ。動いとる猫より、止まっとる猫の方がな。ここは猫が多い公園じゃと聞いたけえ、わざわざ遠くから来たんよ。なんか悪いんか!」
突然叫び、鎌を手に取ると立ち上がって私に威嚇する。
私は震え上がり、とっさに踵を返すと、持てる体力のすべてを用いて、全速力で公園の出口まで駆け出していった。汗と涙が混じり合ったものが、ひとつに纏めた髪の上をすべってゆく。
毎朝鍛えた足腰は、このとき役に立ったのだ。
後日別の地元住民から通報があり、警察が公園に訪れたらしい。猫たちの死骸を残し、男は姿を消していた。
現在、男の行方を捜索中だ。
あの日以来、私はあの森林公園には足を運んでいない。
夏がめぐり、別の森林の下を散歩しているとき、生臭い血のにおいと、あのつぶらな黒い瞳を思い出し、熱いはずの空気は冷えてゆく。




