82.世界に花を(後編)
「ヴィルト様……」
軍使の到着を待ってリーセは呟くように語りかけた。
相変わらず鋭い視線でリーセを睨みつけている。勇者一行の他に兵装を身に包んだ三名の騎士たちが一人は白旗を持ち、一人は緋色のマントを羽織っていた。もう一人は彼に仕える従者のようである。他に鮮やかな赤色の法衣を着た男が一人。彼らは皆、リーセの見知らぬ者たちだった。
「用件はなんだ?」
緋色のマントの男が問いかけてきた。
「ルセロ教の教主リーセと申します」
リーセはぺこりと頭を下げる。しかし敵の軍使のなかに、彼女の挨拶に合わせて頭を下げる者はいない。緋色のマントの男は微かに眉を寄せて不気味なものを見るかのような視線を投げかけ、法衣の男は明らかに侮蔑の視線を投げかける。
リーセはそれに気づかぬふりをして、微かに口角を吊り上げて笑みを作った。
「用件はなんだ?」
緋色のマントの男は同じ質問を重ねた。
「一体、何用でこの街に軍を向けるのです?」
「世界教団の信仰を歪めた教えで信者を勧誘し、無垢な民を集め、魔物に街を守らせる。邪教の教主は心当たりがないと申すのか?」
答えたのは法衣を着た男である。顔に刻まれた皺から見るに年齢は初老に差し掛かるころであろうか。突き出た腹をしていた。今回の遠征で減量できなかったのだろうかとリーセは考えるが、彼女は笑顔を貼りつかせたまま小首を傾げた。
「それは異なことを。信者の救済をせよと断罪してきたのは世界教団では? 私はその言葉に従ったまでです。そもそもこの街は魔王の直轄地でした。この場所で私が何をしようとあなた方から文句を言われる筋合いはありません」
「では、魔物をつかい王国の領土に水害の被害を与えたのはなんだ?」
「それについては率直に謝罪を致します。その賠償と修繕のため、クレフト侯アドリック様とも交渉の場を設けさせていただいております」
リーセの言葉にマントの男と法衣の男は顔を見合わせた。驚いている様子はない。彼らもリーセが王国と接触をしていることを把握しているのだ。しかし、どのような会話がなされているのかまでは調べ切れていないのだろう。
「それでクレフト侯はなんと?」
「賠償も修繕の協力もいらないと。ただ今後は交易や交流を行いたいと。本日この場にアドリック様の配下の方がご不在なのは残念です。この戦いを止めていただけるのではと一縷の望みをかけておりました」
魔物を使って治水工事をすると恫喝気味に話を持ちかけたことは伝えない。リーセは微笑みを浮かべたまま、その言葉がゆっくりと二人に浸透して行くのを待つ。
そして、錫杖をとんと軽くついた。
「私の望んでいることは二つです。両軍が剣を交えることなく引き上げること。交えるのは剣ではなく交易の品を」
「馬鹿な。ふざけているのか?」
法衣の男が声を荒げ一歩踏み出た。
すかさずデンメルングがその言葉に応じるようにリーセの前に立ち、ラメールがリーセをかばうように隣に並ぶ。法衣の男は一瞬にして怯えた表情になり後ずさった。マントの男も剣の柄に手を伸ばしかけたが、デンメルングに睨みつけられその手を止める。
「そうやって、我々を恫喝するためにその魔物を飼っているのか?」
リーセに声をかけて来たのはヴィルトである。リーセは相変わらず微笑みを浮かべたまま彼に視線を移す。
「失礼しました。デンメルング、下がっていて。ラメールも」
彼女の言葉を受けて、二人はリーセの背後に下がる。
「ですが最初に凄んできたのはそちらの法衣の方だということをお忘れなきよう」
軽く頭を下げるリーセを観察するようにヴィルトは見つめる。鋭い眼差しではあったが、そこに込められていた殺気は和らいだように思えた。
「我々がここへ来た理由は分かっただろう。引かぬことも分かったはずだ。ほかに用件はあるか?」
射抜くような眼差しと、それを受け流す微笑みをたたえた眼差し。
「それでは。私は不思議に思うのです。この戦いにはあなた方に勝機はないように思うのです。どのような勝算を持って私たちに挑むのかと?」
太陽は中天を越えただろうか。戦場に一番の熱を注ごうとしていたが、西からの風はリーセの白い法衣を揺らしその熱を和らげる。
「そこにいる魔物を使って我らが軍を討とうというのか?」
「勇者様が戦いに参加しなければ私はこの者たちを戦場に参加させないと誓います。ヴィルト様はルセロ教会を討つために私たちの前に現れましたが、それは教団の信者を救うためでもありました。いまもそのお考えは変わらないと信じています。私の背後で展開する軍団の中に魔物はいません」
「二万ほどの兵か……。俺たち勇者が参加しなければ九万の軍勢に勝てると考えているのか?」
子供じみた考えだと問いかけるヴィルトにリーセは頷く。
「はい。私たちが勝ちます」
その言葉にヴィルトを始め敵の軍使たちは薄ら笑いを浮かべる。
「横いっぱいに展開した陣形を見るに、お前たちは連合軍を包囲して叩くつもりだろう。浅はかな考えだ。こちらも両翼をいっぱいに展開してぶつかっていく。そうなると平面同士がぶつかり合う戦いだ。百歩譲り、練度はそちらの方が高いとしても数ではこちらが圧倒する。消耗戦になればこちらの勝利は揺るぎない。邪教を討ち滅ぼすことに執念を燃やす者たちもいる」
ヴィルトはちらりと赤い法衣の男に視線を向けた。
「それが両翼を広げて兵を進めても平面同士の戦いにはならないのですよ」
リーセは錫杖の先端で円を描くように丘陵を指し示した。
「丘陵の斜面は踏み固められています。しかし、その周囲、私たちの軍がいる所は柔らかい土です。兵を進めようとしても中央の軍と同じ速度で軍を進めることはできません。聞けばこのような大軍での遠征は珍しいとか。このように表面上は同じに見えても質の異なる地面の進攻速度を制御できる指揮官はどれほどいるのでしょうか? もしいないのでしたら、両翼の速度は落ち中央が突出した形となり、我々は容易に包囲することができます」
「包囲しようと我々は丘陵を背にして守り抜けばよい。その程度のことで連合軍の勝利は揺るぎない」
「私たちが積極的に連合軍に攻撃を仕掛ける理由がありません。そちらが攻め込んでこない限り動きません。連合軍は必ず丘陵を降りて戦わなくてはなりません」
「こちらにそのような情報を与えておいて、お前の思うような展開になるわけがないだろう。仮に帝国軍が包囲されようとも、王国軍が回り込み、お前たちの背後を突く」
ヴィルトの言葉にリーセは笑顔を張り付けたまま、ゆっくりと瞬きをした。言葉の毒が彼らの体内に染みわたっていくのをじっくりと待つ。
「まさか……」
答えたのはヴィルトではなく、マントの男である。
「王国軍は約束の兵の数をそろえず遅れて合流した。今もなお積極的に軍を動かそうとしないということは……、そういうことなのか」
「あなたたちは私たちとの戦いに勝ったあと占領した街をどのように扱うつもりなのですか? 魔王は必ず奪還に向けて兵を動かすでしょう。そのとき、勇者様は占領した街を魔物から守ってくれるのでしょうか? さらには山を越えたすぐ先にあるクレフトの地の救援に帝国は力を貸してくれるのでしょうか? 今もあなた方の軍使の中に王国の方はいませんね? 帝国の方々は王国の方々を連合を組むに足る同盟相手ではなく、私たちの街へ侵攻するための足掛かりであり、手駒の一つとしか考えていないのでは? それなのに王国の方々があなた方のことを同盟相手だと考えているとどうして思えるのですか?」
リーセの言葉にマントの男がふらつくように後退する。彼の肩が法衣の男にぶつかった。
「はったりだ」
ヴィルトが呟くように言った。
「リーシの街は外交のルートがなく孤立している。帝国と王国はお互いにその状況を見極めた上で同盟を結び、連合軍を結成した。その後、王国とリーシの街に交渉があったとの情報は得ているが、わずか一ヶ月ほどの期間で国の方針が変わるはずがない。帝国と王国はこんな小さな街など比較にもならないほど巨大な国家だ」
マントの男は青ざめた表情でヴィルトの言葉を聞いていたが微かに首を振るだけだ。そもそも、帝国と東の王国は対立をして幾度となく戦いを繰り返してきたのだ。それが、リーシの街の攻略という目的を共有しただけなのである。芯の部分で二つの国家は対立しているのである。
ヴィルトがリーセのはったりを見抜いたとしても、王国に背後を突かれるという恐怖を拭うことはできなかった。
「例え固い結束で結ばれていたとしても、あなたたちに私たちの街を占領する能力があるとは思えないのですが? 私たちはこのまま軍を下げて街に籠ってもいいのです。海を封鎖しない限り私たちはどこからでも補給を得ることができるのです」
リーセはとんと錫杖を突いた。
「私の望んでいることは二つです。両軍が剣を交えることなく引き上げること。交えるのは剣ではなく交易の品を」
リーセの言葉に一同は黙り込む。しかし赤い法衣の男だけは鋭い眼差しで彼女を睨みつけていた。そして人差し指を突き付けた。
「つけあがるな小娘! 魔物と手を結び、邪悪な教えで人を集め、平和に生きる者たちの脅威となり恐怖を与える。そのような者を生かしておくと思うのかっ」
リーセは相変わらず微笑みを浮かべたまま赤い法衣の男に向き直る。
「平和に生きる者たちを一月以上のもの時間をかけて異国へとけしかける。神の威を借りて世界を混乱に陥れようとしているのは、あなたではありませんか?」
「お前はこの地を手に入れるために何をした? その代償として魔王に魂を売ったのではないか? 穢れた血の女め」
「この世界……、いえ、この星には幾種もの生物が暮らしています。魔族はその一つです。人族もまたその一つなのです。なぜ排除しようとするのです? この世界に手を加えずただ見守る神が、一方を残し、一方を排除せよなどと指示を与えるのでしょうか?」
リーセの言葉に赤い法衣の男は姿勢を正し長く息を吐く。そして冷たい眼差しをリーセに投げかけた。
「神は我々世界教団に秩序をもたらせと剣を与えたのだ。ここにいる勇者がそうだ。我々は秩序の番人として魔物を、魔王を排除しなくてはならない」
「それは違います。神は明けの明星、宵の明星、それはただ唯一であると。この世界で暮らす者すべての融和。求めるのは剣で血に染まる世界ではありません」
「小娘よ。お前の求める世界を『混沌』という。世界教団は神託を受け、魔物を討ち滅ぼし秩序をつくるのだ」
その言葉を受けリーセの顔がかすかに歪んだ。二つの軍を隔てる草原。その中央にいる両軍の軍使たち。どこまでも続く平行線の世界。進んでも進んでもルセロ教の思いを掲げるその星にたどりつくことはない。
世界教団とルセロ教団は一つの星であった。しかし、今はこの戦場のように二つに分かれ言葉ではなく剣での勝利を正しさとする。
それは決して正しさではない。しかし、それを指摘しても目の前の男の言葉は変えられない。そんな理屈は分かったうえで彼は言っているのだ。
リーセは鳥かごを持つ手で胸元の貝殻を握りしめた。そしてラメール、デンメルング、ウンエンドリヒと視線を移し、最後にノノを見た。リーセは軽く目を伏せる。この世界に来て出会ったものたちのいくつもの顔を思い浮かべた。その中には教会に掲げられた三枚の肖像画もあった。
リーセはゆっくりと目を開く。
諦めることはできない。まだ対峙する軍の重心の一点、双方の軍へ言葉が届く唯一の場所に立っているのだ。
「枢機卿様は……、明けの明星と宵の明星が同時に浮かぶ姿を見たことがありますか? 夜でもなく朝とも言えない、ただ白い光に包まれ、全てが溶けあう時間。あなたは世界を美しいと思ったことはありますか? 神は本当にこの世界を血で染めよと言ったのでしょうか?」
赤い法衣の男はリーセの言葉に、不快感を隠さず眉間に皺を寄せ鼻息を鳴らした。そして、ヴィルトに視線を送る。
「勇者よ。この場でこの娘を討て」
その言葉を受けたヴィルトは肩に背負った剣を抜き放つ。
刀身が眩く輝くのは、太陽の光を反射しているだけではない。彼の膨大な魔力がその剣に注ぎ込まれ、刀身を覆い尽くしているのだ。以前のリーセにはわからなかったが、魔力を扱えるようになった今ではその一撃がどれほどの力を秘めているかがわかる。
勇者の仲間たちも戦闘に備え、武器を構える。
それに呼応するように、ラメールが剣を抜き、ウンエンドリヒが杖をかざす。そしてデンメルングが腰を落として低く構えた。
「ヴィルト様。枢機卿様はご自身の信念に基づいた言葉を何一つ持っていません。軽々しく神の名を口にしますが、ただ枢機卿という立場で言葉を弄しているだけです。そんな言葉でヴィルト様と戦うのは嫌です。そんな言葉でこの丘を血で埋め尽くすつもりですか?」
ヴィルトはリーセに剣の先端を向ける。ノノがその間に割って入ろうとしたが、リーセは腕を張ってその行動を抑える。そして一歩前へ進み出る。ヴィルトもまた一歩踏み出した。
二人は視線を重ねて見つめ合った。
「勇者よ。何を躊躇っている。その者を殺せ!」
赤い法衣の男の声が響き渡った。
どのくらいの時間が経過したであろうか。
ヴィルトの剣先が下げられた。
「ヴィルト様……」
「ただの小娘だと思っていた。だが、今はお前を倒す勝ち筋は見えない。お前の魔力の底が見えない」
彼はそう言って剣を鞘に戻す。唖然とする赤の法衣の男と、呆然と成り行きを眺めていたマントの男に視線を送った。
「退却しましょう。俺たちではその娘に勝てない」
リーセから背を向け自軍に戻ろうとする勇者一行を見て、赤の法衣の男は気付け薬を飲まされたかのように我に返り、顔を紅潮させる。
「ば、馬鹿なっ。この遠征にどれほどの資金をつぎ込んだと思っている。何の成果もなく引き上げるというのか? 許さないぞ!」
「成果なら、私たちは今後も帝国領に攻め込むことをしないと約束します」
すかさずリーセが口を挟む。
「本当だろうな?」
「クレフトの地を水浸しにした謝罪とともに書面にしたためてヴィルト様にお渡しします」
リーセの言葉にヴィルトは口元を歪ませる。そして視線を赤い法衣の男へ戻す。
「そういうことだ。あなたの勝利だ」
「ふざけるな! 私の言葉に従わぬというのなら破門だ!」
「構いません。ただ俺たちはこの地から引き上げます。聖戦だというのなら残った神官騎士団でどうぞ」
ヴィルトは怒りを露わにする赤い法衣の男の肩を抱く。駄々っ子をあやすようにしながら、自軍へと引き上げ始めた。
リーセはその姿を奇妙なものを見るような視線で眺める。彼の優しさを垣間見た気がしたのだ。出会った時にあのような視線を投げかけてくれれば、このような遠回りをすることもなかったのに。
腫れもの扱いでもいい。ヴィルトに優しくされたかった。
引き上げていく敵の軍使を見つめていると、彼女の肩がデンメルングとラメールに叩かれる。
「我々も引き上げましょう」
二人の穏やかな表情をみて、リーセは微笑んだ。
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