81.世界に花を(中編)
「聞いていない!」
「何の話ですか?」
リーセの言葉にコンラートは面倒くさそうに顔を背けた。リーシの街の軍は連合軍の待ち受ける丘陵地帯に向けて行軍を続けている。
兵士たちもリーセも何度も通った街道である。その足取りは変わらないように思えたが、緊張と興奮のためかわずかに速度は上がっていた。そのたびにコンラートは大隊長に速度を下げるように指示を下す。
二万の兵士は四つの大隊に分かれており、そのうちの一つには補助兵と司令部が属していた。軍団の速度が上がると、補助兵団との距離が開く。連合軍は丘陵地帯に陣を敷いたまま動いていないが、こちらの動きを監視し、刻々と戦闘の準備を進めているだろう。
行軍の乱れは敵に不要な情報を与えることになる。コンラートは神経質過ぎるほどに隊列の乱れを修正する指示を与えていた。そうした司令を繰り返して指示系統の確認を行い、末端の兵士まで伝達が滞る箇所を見極め調整を加えていくのである。
「昨夜一緒に号令の内容を考えたでしょ? 私のためとかって、そういうことを言わない約束をしたでしょ!」
コンラートは髭を撫でる。
「リーセ様が言うなら昨夜の内容で良かったんですがね? ここにいる兵……、いえ、リーシの街に集まった者たちはリーセ様のために働きたいんですよ」
その言葉にリーセはすねたように口を尖らせる。彼女の声量だと二万の兵には届かない。また実際に指揮を執るのはコンラートなのだ。他にもリーセの強すぎる影響力を抑えておきたいという思惑もあった。
「なので私の思いも加えさせていただきました」
コンラートはリーセの返答を待たず、先に進むと大隊長たちに指示を飛ばし始めた。
リーシの街の軍が丘陵地帯を完全に視界に収めることができる地点に到着したときは、まだ太陽は中央に差し掛かっていなかった。予定よりも早い到着だった。コンラートは行軍の速度を落とすことができなかったのだろうか。リーセの下に歩み寄ってくる彼を眺めながらそう考える。
しかし、彼の表情には少しの陰りもなかった。
「ここに軍を展開するのですか? まだ、敵兵が米粒のようにしか見えません」
丘陵の頂きは五階建ての建物を二つか三つほど重ねる程の高さがある。その周囲にはなだらかな斜面が広がっている。そのほとんどが演習で踏み固められており、ひざ丈ぐらいの草木が生えている程度で視界を遮るものもなく、行軍の進行を妨げるようなものもない。
そこを覆いつくすように陣を張って待ち受ける連合軍は不落の要塞に見えた。
「敵ながら見事なものですな」
目を見張り息を飲むリーセの隣で、コンラートは他人事のようにのんびりとした声をあげた。
「しかし、こんな離れた位置で軍を展開すれば臆病者と思われ侮られませんかね?」
コンラートは周囲を見渡す。農地用に草木が刈り取られていたが、完全な手入れは行われていない土地である。演習はこの場所より丘陵に近い場所で行われていたので立ち入りはなく、土は柔らかく細かい起伏も多くあった。
「攻め込んで来たのは向こうなんだから、こっちが攻め込んでいく必要はないでしょ? ここでいい」
「それもそうですね。では予定通りに」
コンラートが腕を掲げる。その合図を見た大隊長たちは軍の展開を始めた。
三つの大隊は丘陵の南側を覆うように広く軍を広げる。中央の大隊の後方に司令部と補助兵が待機し、リーセは軍が展開されていくようすを眺めていた。
鷲が翼を広げるように左右に展開していく二万の兵士たちのその様は、壮観で一糸乱れぬマスゲームを眺めているような美しい動きであった。しかし、丘陵を占拠する七万の大軍を前には心もとなくも感じた。
せわしなく軍靴や鎧の軋む音が響いていたが、その音はやがて静まった。
リーシの街の軍が展開を終え、連合軍も呼応するように丘陵の中腹あたりに銀色の波のように兵士たちが展開しているのが見えた。
二つの軍の間を西からの風が駆け抜け、草原が葉先を揺らす。
コンラートが司令部に戻って来た。
「軍の配備が完了しました」
その言葉にリーセは頷く。
「リーセ様」
デンメルングが長槍にぶら下げた白い旗を掲げた。
彼の後ろにはラメールとウンエンドリヒ、そしてノノが控えていた。
「私とラメールだけでよかったんだけど……」
リーセが開戦前の使者として赴くと告げた時、すべての者から反対された。そして選抜されたメンバーがこの四人と鳥かごの中にいる蝙蝠の姿をしたツヴィーリヒトである。
リーセの身に何かがあったとき、白昼に蝙蝠のツヴィーリヒトに何ができるのかわからなかったが、とにかくメンバーに入れられた。これはカークやコンラートによるリーセへの策略なのだ。特に彼女が愛着を感じている者を集め、さらにはノノのように何の戦力にもならない者を使者に加えることによってリーセに自制心を植え付けようとしているのだ。
そして万が一も起こさせないという覚悟であった。
カークもコンラートもわかっていない。リーセは何があってもリーシの街の住民を守り抜く覚悟を決めていた。その中に最初から彼女たちも含まれているのだ。これでは弱者として振る舞うことはできない。彼女は作戦を改めなければならなかった。
この戦いを人族と魔族の全面的な対決の火種にしてはならない。それはリーセだけの覚悟ではなんともならないのだ。連合軍にも同じ思いを持ってもらわなければならない。
リーセはため息をつくと、白い法衣をパンパンとはたく。行軍と軍の展開で随分と埃っぽくなったように感じていた。
そんなことを考えていると背中の埃をノノがはたいてくれた。リーセが微笑むと、ノノもにっこりと微笑む。
一通り服装を整えたあと、リーセは錫杖を握りしめた。
「それではこれより指揮権をコンラートに移します。私の身になにかあった場合、速やかに軍を引き上げてエクセシュと合流してください。カークにはシルダンへの伝令役を。街の防衛を第一に考えて」
「リーセ様の身に何かあった場合、そんな冷静に振る舞えるものなど一人もいません。くれぐれも自衛を、そして無事に戻ってきてください」
「それがコンラートの仕事でしょ?」
「リーセ様。あなたはご自身の命を低く見積もりすぎています。我らの街にあなたの命以上に価値のあるものなどありません。すべてを失うことになっても、あなたの命だけは守り抜くと考えている者しかこの場所にはいません。くれぐれもご自身の命を交渉のテーブルに置かぬよう、破局的な作戦を考えているのならどうかご再考を」
「それは考えていない。だってこの体は……」
硬く口を結ぶリーセにコンラートは恭しく頭を下げる。そして目配せをするようにデンメルングとウンエンドリヒに鋭い視線を投げかける。二人はコンラートに軽く頷き返したように見えた。
「さてと、行きましょうか?」
リーセが錫杖を地面にトンと突いた。
この場所は街道から離れた場所ではあるが、演習で何度も軍を通過させたことから丘陵の頂きに向けて貫くように道ができている。
そこをリーセたち一行が歩く。先頭ではデンメルングが白旗を掲げ歩き、その後ろをぞろぞろと続いた。二つの軍の間は思った以上に距離があり、その中間地点に着く前にリーセの額にはうっすらと汗が浮かぶ。
リーセの隣をノノが歩いている。彼女は前方の丘陵を埋め尽くす連合軍に目を見張り眺めていた。
「リーセ様と勇者様との決闘でたくさんの人をみましたが、今日はもっとすごいことになっています」
「ノノ、決闘のときの人たちはただの観客だけど、ここにいる人たちは武器を持って襲ってくるのよ? 今からでも陣に戻って」
リーセの言葉にノノは首を振って微笑む。
「私はリーセ様とずっと一緒にいます」
そのとき、デンメルングが立ち止まった。丘陵を登り始めたところだ。
「丁度この辺りが、中央になります」
リーセが彼の言葉に頷き返していると、連合軍の中から白い旗を持った者が、リーセたちのもとに向かって進んでくるのが見えた。それは一〇名の一団だった。
彼らもまた徒歩だった。
「馬はいないのかな?」
「リーシの街を攻めるには不向きですからね。糧食を運ぶ馬はいたようですが。戦場に投入すると移動できなくなってしまいますからね」
今回の遠征に帝国軍は騎馬隊を編成していないようだが、王国軍には存在するとの情報があった。軍使に騎馬がいないということは、王国軍の者は含まれていないのだろう。
一方、リーシの街には馬の飼育を行っているが騎馬隊を編成するほどの費用も数もない。今回の兵員はすべて徒歩である。専守でいる限りは現状でも問題ないが、平野部の全体を守るとなれば揃えなければならない日が来る可能性がある。
リーセの考えをよそにデンメルングは何が嬉しいのか分からないが、尻尾を振り目を爛々と輝かせて敵の軍使を見つめていた。
「リーセ様のお望み通りの展開になりましたよ?」
牙を覗かせて笑うデンメルングの隣でリーセは軍使の一行を目を凝らして眺めた。次第にはっきりとする一行の中に燃えるような青い髪をなびかせる青年の姿があった。そして彼に歩調をあわせ並んで歩く山塊のような大男にビキニアーマーの女、そして魔法使いと、僧侶の風貌をした二人の女に、彼らの前を少し先行して歩く細身の男。
リーセの天敵である勇者一行の姿がそこにあった。
デンメルングがズンと白旗を地面に突き立て、そして胸元で拳をもう一方の手で包み、バキバキと関節を鳴らした。
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