80.世界に花を(前編)
昨日まで続いた秋霖が去り、澄み渡る青空の下、帝国と東の王国の連合軍は南に進路を取り、侵攻を開始した。
幾重にも連なる甲冑と穂先の行列は、ぬかるみの泥を跳ね上げながらも太陽の光を受けて銀色に煌めき、緑連なる大地を飲み込み進んでいく。
総勢九万の大軍がリーシの街へ迫る様は、荒れ狂う大河のようだった。
「総力戦研究所が予測した進攻のルート通りだ」
カークは特に顔色を変えることもなく連合軍の行軍を眺めている。
烏の魔物たちによる偵察飛行は中止されている。魔法による遠距離射撃を受けたとの報告を受けたこと、そして今やリーセたちが立っている本曲輪からその軍容を知ることができるためである。
「あの人数ではこの街を包囲できないし、連合軍が運送している攻城兵器では市街への侵入も難しい」
リーシの街を取り囲むのは川を掘削し拡張した堀である。投石は城壁代わりの石垣に届いたとしても、街の中に撃ち込むことは難しい。魔法による攻撃もウンエンドリヒら魔族が築いた魔法障壁を破ることはできないだろう。
連合軍がリーシの街に打撃を加えるには堀を乗り越えて市街に乗り込まなければならないが、要害の街はそれを拒んでいた。
なにより、リーシの街は港を持っている。包囲をするには海軍の力が必要となるが、陸上の兵士のみで構成された連合軍にその準備はなかった。
カークの視線がリーセに移る。
「城門の内側にいる兵士は動かさないのか?」
「連合軍が陣を張ってからでいい」
連合軍は街を包囲することができない以上、この街へ侵入する突破口を見つけるための戦術をとるだろう。そうなると、奇襲を受ける可能性のある距離を詰めた場所に陣を敷くのではなく、堀付近ではなくこの街を俯瞰できる場所で陣を張ることになる。不意打ちの心配がなく、周囲が開けリーシの街を一望できる場所に布陣するはずだ。
それが、リーシの兵士たちが繰り返し演習をしていた丘陵地帯である。
「籠城はしないんだろ?」
カークの言葉にリーセは頷く。
「会戦で行く」
「ならば早急に軍を出撃させるべきだ。そしてあの丘を取るべきだ。兵たちの練度なら今から進発しても今日中に丘にたどり着くことができる」
リーセは首を振った。
「丘を守るために軍を送り込むくらいなら籠城する。だって、街の方が立派な丘だから」
カークの眼差しが鋭くなる。
「そろそろお前の考えている作戦を話してくれてもいいんじゃないか? 別に我々を信用していないから話そうとしないというわけでもないだろ?」
彼の言葉に同意するように、ラメールにデンメルング、ノノ、そしてウンエンドリヒらの視線がリーセに注がれる。
彼女は勇気を絞り出すように錫杖と覆いの掛けられた鳥かごを持つ手を握りしめる。微かに口を開きかけたが、息が詰まったかのように言葉を止めた。
「連合軍がこの街に来ると聞いて、我々は奴らに勝利するための準備を進めてきた。それがお前の望んでいることだと考えていた。しかし、それは間違っていたようだ……。いや、ずれているというべきか。だがその我々の読み違いも、お前の計算のうちだった」
「そんな計算はしていないけど……」
リーセが視線を逸らした先には、コンラートとエクセシュが石段を登ってくるところだった。
それを見た彼女は意を決したように小さく頷いた。
「コンラートとエクセシュが来たら話します」
凛とした声が響いた。
一日後、連合軍はゆったりとした侵攻速度で丘陵地帯にたどり着き、リーセたちの想定通り中央に陣の構築を開始した。
まだ日の昇らない朝、靄の立ち込めるなか、リーセはリーシの街の城門前にいた。整然と隊列を組む二万の兵は白い靄にうっすらと包まれ、まるで幻想の中に佇んでいるようだった。リーセは副司令のコンラートと従者たちを伴って軍の中央を進む。彼女を見つめる兵士たちはすべて人族である。
一人ひとりに視線を向けると、くすんだ色の甲冑や大盾には細かい傷が無数についていた。短期間とはいえ、激しい演習を積んできた証だ。しかし、彼らの握る槍の穂先は、靄の中でもなおまばゆい輝きを放っていた。丹念に整備され、研ぎ澄まされているのだ。
兵士たちは物音一つたてず銅像のように起立しているが、胸元が上下しているのがわかる。彼らのその熱い吐息からは極度の緊張を感じ取れた。
そうした熱気と張り詰めた空気の膜がリーセの進む先を厚く覆っていた。彼女は口元を引き締めると、それを突き破るように錫杖で地面を突く。
リーセの隣を歩くのはコンラートである。彼は兵士たちと同じく甲冑を纏い、そして副司令官を示す緋色のマントと長い羽のついた兜を脇に抱えていた。そして、彼女たちの背後をラメール、デンメルング、ウンエンドリヒ、そしてノノの四人が続く。ラメールは他の兵士たちと同じ兵装をしている。デンメルングは獣毛に覆われた筋骨隆々の上半身をさらしていた。ウンエンドリヒは長い杖を持ち、足元まで覆いつくすローブを纏い、深くフードを被っている。そしてノノもまたいつもと同じメイドの姿をしているが、その手には大きなバスケットが握られていた。
リーセは足を止めて軽く振り返って彼らの姿を確認した後、街を包む石垣に視線を送る。そこにはエクセシュをはじめとする魔族の兵士たちが立っていた。
「リーセ様」
コンラートに声をかけられ、リーセは軽く頷くと歩みを再会する。
「敵の軍勢は丘の上に帝国軍七万が陣取り。その北側の裾野、我らからみて奥と言いましょうか、そこに東の王国軍の二万が陣を張ろうとしているようです」
ことはすべて予定通りに進んでいた。
「リーセ様は相当恨まれていますね?」
コンラートは黒々とした髭を撫でる。
「私が?」
「これ程の規模の軍を目にしたのは私も初めてです」
その言葉にリーセは口を尖らせる。何をすればこれ程の軍を送ってくるのか彼女にもわからなかった。
「私のせいじゃないかもしれない」
「五千人からなる神官騎士団が加わっているそうですよ? リーセ様を討ち取った者は聖人に列せられるかもしれません」
首筋に冷たい刃を押し付けられたような気持ちになり、リーセは手のひらで押さえた。
「人を殺せば聖人とか、世界教団の神様は本当にそんなことを望んでいるの?」
「神のことはわかりませんが……」
コンラートは言葉を詰まらせ空を見上げる。
「ずっと思っていましたが、リーセ様は頑なに神を信じようとしませんね?」
「そのことなんだけど、今は少し神を信じ始めている」
リーセの言葉を聞いて、コンラートは目を見開いた。そして口元を歪めて笑みを作った。
「なるほど。ご自身の存在を信じるようになったのですね?」
いつしか兵の列は終わり、彼女たちは軍団の先頭に来ていた。
リーセは振り返りあらためて兵士たちを見渡す。
誰もが緊張した面持ちで号令を待っていた。思えば、コンラートが連れてきた傭兵団以外はほとんどが戦闘未経験の者たちばかりであった。ここまで鍛え上げたのはひとえにコンラートの力である。
しかしどれほど鍛えようが実戦の経験とはならないのだ。兵士たちの視線からはそうした不安からなる緊張も混ざっているような気がした。
そんな兵士たちを誰一人欠けることなく、再びリーシの街の城門をくぐらせる。
リーセは硬く口を結び、兵士たちに視線を投げた。
「リーセ様」
コンラートの気遣うような声が届く。彼女もまたこれ程の軍団を率いて戦場に向かうなど初めての経験である。リーセが兵たちに感じていたことを、彼はリーセに感じているのだろうか。
「大丈夫。コンラート、進軍開始の号令を」
彼女の言葉にコンラートは頷いた。
「聞けっ! リーシの街の兵士諸君。この街はまだ生まれて間もない。生活は苦しいかもしれない。不満もあるかもしれない。だがこの地に来るまでの姿を思い出してほしい。帝国、東の王国での生活を思い出してほしい。この街のような豊かな食事を摂ることができたであろうか? その生活に実りはあっただろうか。夢や希望はあっただろうか。我々の夢は我々の手で守らなくてはならない。この街にはリーセ様がいる。そしてこうして先頭に立ち我々を導いて下さる。リーセ様のために、そして我々の未来のために諸君らの力を貸してほしい」
コンラートが腕を掲げる。それと同時に兵士たちが槍の柄で大地を突いた。同時に大地を激しく揺さぶるような鬨の声が上がり響き渡った。
その声をリーセは微動だにせずに受けた。そして、連合軍が陣を敷く丘陵地帯に向けて進軍が開始された。
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