78.星屑の台座(中編)
「魔王が言っていただろう。人々の信じている神とは魔王が与えた幻影だ」
二人は身廊部分へと歩く。
市民はルセロ神に祈りを捧げるとき、普段は市街に建てた教会に向かう。
天守という役割も果たすこの聖堂に市民が立ち入ることはないが、明日は記念日で祭儀を執り行うため、参列を希望する市民の立ち入りを許可している。教主であるリーセはみんなの前で話をしなければならない。慣れてはいたが話すべきネタはすでになく困り果てていた。
身廊はこの聖堂と屋敷で暮らす者たちの食堂代わりに使われているが、その準備のために整然と並ぶ長椅子に置き換えられていた。
その中に聴衆が収まるはずもなく、何度かに分けられて行われる。そして、人々はいつの回のリーセが一番良かったのか批評し合うのだ。恥ずかしくて逃げ出したくなる。
前方には演台が置かれている。その上にはバスケットが置かれていた。
料理長がリーセのために作っておいてくれた夜食である。リーセは蓋を開き中身を確認する。
「ふおおおおおっ!」
彼女の興奮した声が聖堂内に響いた。
真っ黒な海苔で包まれた真っ白でつやつやの米粒たち。三角形に握られたその塊をリーセはそっと両手で包み込むように取り上げて、掲げた。
「つ、ついにおにぎりが完成した!」
米は街の東側の水耕栽培で育てたものだ。海苔も塩も近郊の海から採取したものだ。
つまりは、この塊にはリーシの街の二年間の挑戦がすべて詰まっているのだ。
リーセはおそるおそるおにぎりを口元に運ぶ。まずは鼻を刺激していた海苔の磯の香りが口のなかに広がり、そしてうまみが舌を包む。さらには米粒の柔らかくも弾力のある噛みごたえ。ひとつひとつの粒が感じられ、そこから広がる甘みと、そして振りかけられている塩の塩味が混ざり、絶妙な味加減を醸し出していた。
「おいしい……じゃなくて、これは旨いっ。まさしく私が探し求めていた味!」
ぱくぱくと貪っていると、魚の削り節と、魚醤の混ざった具にたどり着く。
「うーん。これはこれで美味しいけど……、おかかはもう少し工夫が必要ね……」
何度も頷きながら、二つ目のおにぎりを手にする。そして、リーセはじっと彼女の様子を眺めているツヴィーリヒトに視線を送る。
「食べないの?」
「いいのか?」
奇妙な返答にリーセは小首を傾げる。
「もちろん。私ひとりじゃこんなにたくさん食べきれないし」
そう言って、リーセが手にしていたおにぎりを差し出すと、その手首が掴まれた。
「ツヴィーリヒト……?」
リーセの身体が手繰り寄せられていく。彼の顔がみるみると彼女の顔に迫った。
「なっ……、なっ!」
腰を抱かれ、透き通る白い指先で顎を持ち上げられた。
わずかに開けられた口からは鋭く尖った牙が見えた。彼女の唇を奪うように近づいてくる。逃げ場を失ったリーセは思わず目と口を固く閉ざし、その瞬間に備えた。
しかし、身を固め待ち続けたが唇には何の感触もなかった。かわりに首筋にぷつんと肌を突き刺す感触と、軽い痛みが走った。
ツヴィーリヒトがリーセの首筋に噛みついたのだ。
「ああ、そっちの食事ね……」
緊張のつり糸が途切れたようにリーセの身体がへなへなと崩れていく。ツヴィーリヒトはそれを抱きとめるようにして覆いかぶさりながら、リーセの血を吸った。
「これは……、デートかもっ」
頬が熱く火照っていることを感じていた。
ツヴィーリヒトの食事が終わり、リーセの首筋から彼の顔が離れた。
口元から赤い筋が垂れ落ちている。ツヴィーリヒトは手の甲でそれを拭う。
リーセはそれが自分のものではないように思え、不思議な感覚に捉われる。噛まれていたところに手を触れてみたが、傷跡はない。
体を起こされ自分の力で立つと、彼の身体が離れた。
「ツ、ツヴィーリヒトは私のことをどう思っているの?」
リーセは首元に手を触れたまま数歩下がり、さらに下がろうとしたところで錫杖につまずき、よろめく。彼女はそれを拾い上げ、盾のように胸元で握り締めた。
「お前は私の主だ」
「それは、この体の本当の持ち主のリーセちゃんのことでしょ? 出て行って欲しいって言ってたでしょ? 追い出す方法を考えているんじゃないの?」
「追い出す方法はすでに分かっている」
「え?」
ツヴィーリヒトの言葉にリーセは凍り付いた。目の前が真っ黒になったような気がした。
「わ、私を……、本当に追い出すつもりなの?」
「お前が魔力を感知し魔法を扱えるようになり、魔力が増大しているといっただろう。それは本来のリーセの魔力が増えているということだ。それが、お前が存在することへの抵抗となり、お前は消滅する」
リーセは呆然としてツヴィーリヒトを見つめた。しかし焦点を合わせることができず、ようやく錫杖をたよりに自分の姿勢を保つ。魔王が彼女に魔法を使えるように目覚めさせたことは、こういった意味があったのだ。
「本当に、本当にツヴィーリヒトも……みんなも私を追い出すつもりだったのね……」
「それはどうだろうか。ノノが言っていたといったな。お前をルセロ神だと思っていると。みんながお前をルセロ神だと思い始めている。私は……」
「私は?」
ツヴィーリヒトがためらうように瞳を伏せた。
「お前をリーセだと思い始めている」
リーセとツヴィーリヒトは聖堂の内部にある作業用の細いらせん階段を登り、ドーム状の屋根の上に出ていた。最も高い場所には冠のように鎮座する円頂塔が見え、そこへ続く階段が伸びている。二人はその階段を登る前に一息つく。
夕闇に浮かぶ宵の明星は静かに西の空に姿を消した。
冷たい風が吹き抜けていくが、リーセはツヴィーリヒトの外套に包まれ守られていた。真下を見ようと顔を覗かせるが、吸い込まれるような闇だった。眺めているだけで脚がすくみ、手のひらがじんわりと汗で濡れる。
彼の腰に回す手に力を込めて視線を戻すと周囲を眺める。
相変わらず帝国軍の篝火が見えていた。
「止める方法はないのかな……?」
「リーシの街と連合軍の戦いをか?」
リーセは首を振った。
「魔族と人族の争い。でないと、今回の戦いを回避しても、結局、同じことを繰り返すことになる。それは効率が悪い」
「完全なる融和をとりなすのがお前たち親子三代の宿願だったな?」
「たぶんリーセちゃんが解決することになるんじゃないかな? でも、そもそもどうしてこういう分断が起こったのだろう?」
リーセの言葉にツヴィーリヒトは宵の明星が沈んでいった方角を指さした。
「魔族はあの星から来た」
「な、なんですって!」
リーセは一瞬目を見開いたが、すっと真顔に戻る。
「まあ、私もどこから来たのかわからないんだから、魔物だって宇宙から来るか……」
「かつて、あの星はこの星と同じ澄んだ水色の星だった」
ツヴィーリヒトによると金星は、地球と言っていいのか分からないこの星と同じ環境だった。魔物たちは異空間と繋ぎ、ダンジョンを作りそこを生活の場としていたという。魔王の暮らしている、|死の果ての迷宮《デア・パラスト・アム・エンデ・デス・トーデス》と同じである。
問題はダンジョンを作りすぎたことであった。異界とこの世界を繋ぐことで潮汐摩擦が発生し、自転の周期が大幅に遅くなったのだ。その結果、星の磁場が弱まり水蒸気の分解で生じた気体が太陽風によって宇宙へ放出されてしまったという。
もともと太陽に近い金星は熱で水が水蒸気となりやすい環境であった。そうして水が失われた結果、温室効果の高いガスが地表を覆いつくすようになり、それが暴走温室効果となって金星は灼熱の星となり、魔物の住めぬ場所となった。
リーセは眉をしかめ、こめかみを押さえ、ツヴィーリヒトの話を聞いた。
「いったい何の話なのっ。何が始まるの? わけわからないんだけど!」
「それで魔王は、この星へ移住することにしたらしい。そして、たどり着いた場所が焦熱の峡谷だ」
「もしかして焦熱の峡谷も、もともとは人々が暮らす普通の草木の生える場所だったんじゃ……」
リーセの言葉にツヴィーリヒトが頷く。
「魔王の転移魔法の衝撃波によりあの大地が作り上げられた」
「そ、それって……」
何かを言おうとしたが、言葉は続かない。かくして魔王による支配が始まり、そして滅びを意識した人族は種族の存続をかけて魔族に戦いを仕掛けたのだ。
「魔王も破滅を望んでいるわけではない。この星で同じ過ちを起こさぬようにダンジョンも魔物も、そして人間もコントロールする必要があった。特に人間は魔族の影響を受け、ホモ・ルミナスという種族が誕生した。そして、この歴史は人族を統制するために建てさせた教会によって書き換えられた」
「どうして最初に教えてくれなかったの?」
「この情報は必要だったか?」
「そんな聞き方をされたら答えに困るけど……。じゃあどうしていまさらそんな話をするの?」
リーセの言葉にツヴィーリヒトが目を見開く。
「お前が聞いてきた」
リーセはがっくりと肩を落とす。
「そうだった……」
こうなると、人族が魔王討伐に勇者を送り込むのは一種の安全装置だったことがわかる。人族と魔族が本格的に正面から激突をすれば、人族は破滅を免れないだろう。超越した力を与えられた勇者を単発的に魔王討伐に向かわせる仕組みを作ることで、魔王は人族を滅ぼさぬようにしていたのである。
魔王の目的は世界の支配ではなく、この星を金星と同じ星としないための制御だったのだ。
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