74.戦場に現れた二人のメイド(前編)
春撒き作物の収穫は、この地が戦場となる前に終わったようだ。
この場所はこれより次の秋撒き作物の時期まで休耕地となる。
そう思い見渡すと、気の早い者たちが放った牛の群れがすでに草を食んでいた。
燕麦の茎が残る耕地は遠くまで広がっている。その先には、平野を仕切るような山並みが見え、その境界にはうっすらとした白い雲が漂っていた。
頭上まではその雲は及んでおらず、まだ暑い日差しが降り注いでいる。
リーセとノノは山羊たちとともに、リーシの街を出て耕地の中にできた道を進んでいた。
イプシロン、ソユーズ、アリアンの三匹はリーセの幼い頃からいた山羊たちだ。彼らは今日も元気にてくてくと彼女たちについてくる。年齢にすると一〇歳ぐらいであるはずだ。
リーセが正確な年齢はいくつなのだろうかと考えていると、イプシロンの姿がいないことに気がつく。
首を傾げ、彼の姿を探そうとしたとき、ふいにドンと背中に衝撃が走る。
イプシロンの体当たりだった。背をのけぞらせて、痛みに耐えていると、正面からソユーズが突進してくる。
「うぐっ!」
今度はくの字に曲げて、リーセはあまりの痛さにお腹を押さえて蹲る。その背の上にアリアンが勝ち誇ったように前足を乗せた。
「い、痛いっ、みんなどうしてっ?」
「ふふ、イプシロンたちはリーセ様に、自分たちはまだまだ若いんだとアピールしているんですよ」
ノノがくすくすと笑い声を漏らす。
心の中だけで思っただけなのに、どうしてノノも山羊たちもリーセの思考を読み取っているのか謎だった。山羊たちは「ベェー」と低いだみ声で鳴くと、刈り取りの終わった燕麦の畑の中に分け入っていった。
ノノはリーセの肘を取り、起き上がるのを手伝い、そして彼女の服についた山羊の蹄の跡をはたいたが、眉をひそめる。
「とれません」
リーセも背中についた蹄の跡を確認しようとしたが、視線が届かない。今日はいつもの白の法衣ではなく、ノノと同じメイドの格好をしていた。
それは、黒を基調とした長袖のワンピースに、真っ白なエプロンを重ねたものである。エプロンは胸当て付きで、肩から背中にかけてはクロスするように紐が渡され、腰元できゅっと結ばれている。襟元は丸く、小さなレースの縁取りが施されており、同じように袖口にも控えめな装飾が見られる。裾は膝下から足首ほどまでの長さで、裾周りにもわずかなレースがあしらわれていた。
最初はノノの服を借りようとしたのだが、背丈が合わず、他の者の衣装を借りることになった。それでも、胸のあたりだけは余ったのが納得できなかった。詰め物をして誤魔化そうと考えたが、意識していると他の者たちに笑われそうな気がして恥ずかしくなりやめた。
「まあ、いいわ。行きましょ」
いつもと違う一本に束ねたピンク色の髪がふわふわとそよ風に揺れる。
リーセは錫杖を拾い上げると歩き始めた。
ノノは空を見上げ、上空で高い鳴き声を発している鳥の姿を探す。そこには空の青さにまぎれ、シミにしか見えない小さな黒い点があった。
「こんなによいお天気なのに、本当に戦争がおこるのでしょうか?」
帝国と東の王国の連合軍の兵の状況は、烏の魔物の偵察飛行に加え、平野部の東向こうを統治するクレフト侯アドリックからもたらされていた。
それによると、帝国軍は予定通り七万の兵が北の山岳地帯を南下中だ。予定ではもう到達していても良いはずだが、大規模な軍勢で道が不明な山岳地帯を通過するのだ。時間がかかっており、平野部に姿を現すのはさらに一〇日以上はかかるだろうという見通しだった。
リーセは諦めてくれればいいのにと考えるが、彼らは不屈の精神で諦める様子はない。
それに対して、東の王国は二万の兵をクレフトに集結させている。帝国の動きに合わせて、山を越えて平野部になだれ込む算段だろう。当初の見込みより一万の兵が減ったのは、クレフトが夏の雨による水害の復旧に追われているためだという。
リーシの街へ攻め入ることにおいて筆頭で強硬な意見を唱えていたアドリックだったが、リーセとの秘密裏の会談のあと、態度を一転させた。それで、王国側の結束が揺らいでいるのだ。
ただ、帝国との協調を止めればリーシの街の問題の後に帝国は標的を王国に移す。そのため、王国は兵を派遣することを中止することもできなかった。
そんな状況の中、リーシの街も兵の演習は行うものの具体的な迎撃の準備はできていなかった。リーセがその方針を伝えていないのだ。
こうなってくると、苛立った者たちがリーセの能力を疑い、その者たちで街の防衛をするための作戦を練ろうと動き出してもいいはずだが、そのような動きはなかった。だれもがリーセを信じているのだ。
その状況がリーセには息苦しくため息をつきたくなる。
こんなはずではなかった。街はみんなの街なのだから、住民みんなが自分たちの幸せになるための方法を考え、意見を寄せ合って運営していく。そんな街を夢見ていた。
それが搾取してきた信者への贖罪であり、信者たちが自分たちの生活を取り戻すことだと考えていた。
しかし、今はみんながリーセの顔色を見ている。リーセのやり方に文句をつける者はいるが、その者たちもまた彼女の言葉を待っているのだ。
この状況を変える方法をリーセは思いつかなかった。
「リーセ様?」
思考にふけり黙り込んでいるリーセの顔をノノが覗き込んでくる。
「あ、うん」
作り笑いを浮かべるリーセに、ノノは瞬きひとつを返す。
「このノノが止めてきましょうか?」
「えっ、何を?」
「もちろん帝国軍をですっ」
ノノが腕を振り上げ力こぶしをつくると上腕二頭筋をなであげる。
「どうやって?」
「敵は険しい山道を突き進んできていると聞きました。こうやって……」
ノノは両手を突き出して何かを堰き止めようとしている。そして何かをうっちゃりをするようにひょいと脇にのけた。
「こうですっ」
ぱんぱんと手をはたく。彼女に何人の兵を止めることができるだろうか。いや、一人も止めることができないに違いない。
彼女はリーセを抱えるほどには力はあるが、ただのメイドなのだ。
ノノはやってやりましたとばかりににんまりするが、リーセは左右に首を振る。
「ご指示を出していただければ、行ってきます」
「出さないからっ。危ないことは考えないで!」
くだらないことを話し合いながら歩いていると、やがて、幾重にも怒号のように響き渡る大きな声が聞こえてきた。
その方向には砂塵が舞い、周囲を黄色く染めていた。
二人がたどり着いたのは、軍の演習場である。
前回、リーセが視察を行った時と同様に、魔物の軍と人間の軍に別れて演習をしていた。
彼女たちの前に、軽装の男が立ちふさがる。おそらく補助兵だろう。
「何だお前たちは? 見ればわかるだろう。ここから先に立ち入ることは認められない」
「私たちは炊き出しの手伝いをするようにと命令を受けて訪れました」
ノノはリーセがしたためた命令書を兵士に手渡した。
「……リーセ様が……?」
兵士は命令書に目を通した後、ノノとリーセの顔を眺めて頷きかけたが、リーセに目を止め、凝視する。そして困惑の表情になってノノに視線を移す。
「おい! この者は……っ、いや、この方はっ!」
ノノがすっと前に出て笑顔を兵士に向ける。
「はい、新入りのメイドの、えーっと、リリです。リーセ様にしっかりとお仕えできるように研修の一環として派遣されました」
「そうなのか。では、しっかりと励んでくれ……、いえ、励んでください」
兵士に連れられ野営の炊事場に案内される。そこには幾つもの大きな鍋が火にかけられ、そして調理当番となった兵士たちがあわただしく駆け回っていた。
強い香辛料の香ばしい匂いが漂っている。特に鼻孔を刺激するのはクミンの香りだ。その中に含まれている甘ったるい香りはココナッツミルクである。マサラと呼ばれる料理にココナッツミルク、ハーブ、魚醤を足してグリーンカレー風味に改良したものだ。
お玉で掬って味を確かめてみる。舌先のしびれるような辛さをココナッツミルクが上手く中和していた。その後に複雑な香辛料の風味が口の中を満たし、それが癖になって食欲が増進される味に仕上がっている。
これなら一日中軍事行動をした兵士たちも食べたくなる味だろうとリーセは一人頷く。
問題は遠征時のココナッツミルクの運搬と果肉を絞ることだ。ココナッツは最大二ヶ月の保存が可能だが、副司令のコンラートは乾燥昆布を荷物に加えることさえ嫌そうな顔をした。
栄養もだが料理の味を保つことこそ、娯楽のない行軍中の兵士たちの楽しみとなり、士気を高め、脱走や寝返りを防ぐことだとリーセは考えていたが、コンラートは娯楽など戦いの後まで我慢させればよいと言う完全に対立した考え方だった。
「おい! いや……、いえ、リリ様、間もなく演習を終えた者たちが戻ってきます。料理の方はこのとおり準備できておりますので、配膳の準備に取りかかってください」
メイドの娘に丁寧な言葉を投げかける兵士の姿を見た周辺の者たちもまた怪訝な目を向け始める。そもそも、補助兵なので軽装とはいえ全員が兵装をしている。そこに戦場に似つかわしくないメイドの格好をした娘が二人紛れ込んでいるのだ。
リーセはその者たちに視線を返しながらにっこりと微笑んで笑顔を振りまく。すると兵士たちもなんだかよくわからない笑みを返してきた。
「そもそも、どうしてこんなことをするのでしょうか?」
ノノも周囲の兵士たちにペコペコとお辞儀をしながらリーセに尋ねる。
「ノノが私とデートをしたいって言ったから」
「どうして、デートがこんなことになるのです? デートとは愛し合う二人がなんというか、こう……」
ノノは赤くなった自分の両頬を押さえて身体をくねらせる。
リーセにだってそんなことくらい分かっていた。分かっていないのは、カークにデンメルング、そしてラメールだ。あの者たちは絶対に許さない。
リーセがグッと拳を握りしめると、胸元にぶら下がっている桜色の貝殻が揺れた。それを見てリーセはため息をつく。いや、カークもデンメルングもラメールも彼らなりに頑張ってくれたのだ。そう思いながら、リーセはキョトンとしているノノに視線を戻す。
「私だって分かっているけど、私とノノが愛を確かめ合うわけにはいかないでしょう?」
「そうですか? 私はリーセ様……リリのことをいつも想っていますが」
「そ、そう?」
リーセは照れ隠しをするように咳払いをする。
「そろそろ決めようと思って」
「何をですか?」
「ノノの結婚相手。ここになら人族の男の人が一万人集まっているから、ノノの好みの人を見つけられると思う」
「ええっ!」
ノノが後ずさる。
「今日はずっとノノを見ている。表情一つ見逃さない。ノノの反応からノノの好みの人を見つける」
「何と言いますか……、リーセ様はときどきおかしくなりますね?」
「ノノに言われたくない!」
そんなことを二人で話しているうちに、演習を終えた兵士たちが続々と集まってきた。ひとりひとりが立てる土ぼこりはかすかなものだったが、それが二万人分も重なると、大地を煙らせるほどの濁流となり、蜃気楼のようにも見え、遥か彼方まで兵士たちが連なっているように思えた。
「さあ、リーセ様……ではなくて、リリ、頑張りましょう!」
ノノがエプロンを締め直し、服の袖をまくり上げた。
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