72.異国の街の二人(中編)
「それでゲーツァが紹介してきた商人だが……」
すべての肉団子を食べ終えたあと、ラメールは真顔になった。
リーセとラメールは塩田の経営者のゲーツァに紹介してもらった商人を尋ねてこの街を訪れていた。その商人からさらにこの街の貴族に取次ぎをしてもらう手配になっている。
本来ならばそこまでの下準備は他の者に任せるべきであって、街の代表であるリーセが関わるべきではない。彼女が低く見られるからだ。
魔族に任せるわけにはいかなかった。人間のみが暮らす社会において、魔族は憎むべき存在であり討伐の対象であるからだ。
しかし、その商人をラメールが知っていたこともあり、ラメールとのデートついでにということになってしまった。もちろんリーセはデートはそんなものではないと大反対をしたが、聞き入れられることはなかった。
リーシの街の者たちは交渉で戦いを回避できると考えていない。迎え撃って叩き潰すという空気ができあがっている。
ラメールが木製のカップを布で拭き取り鞄のなかにしまう。再び人波をかき分けるように歩き始めたが、ラメールの歩調が早い。
リーセは置いていかれないように彼の服の裾を掴む。
「行く前に話しておかないといけないことがある」
リーセがもう少しペースを落として欲しいと伝えようとしたところだった。
「これから向かう商家は、俺の親父と対立していた商家だ」
「えっ?」
「だから、お前が交渉しようとしている商人は、親父を貶めた奴らの一人だ」
ラメールの足取りがまた少し早くなった。リーセは服の裾を握る手に力を込める。
「ちょっと、待って!」
「安心しろ。邪魔をするつもりはないし。今は無能な騎士ことラメールだ。あの頃のことは忘れた」
ラメールの口調は普段と変わらない。
彼の背中について歩くリーセからは彼の顔を見ることができない。
「ラメールっ!」
リーセは彼を止めようと服の裾を思い切り引っ張ると、布が裂ける音が響いた。
「あ……っ」
驚いて振り向くラメールにリーセは「ごめん」と小さな声で呟いた。
「とりあえず、ラメールの服を買いに行きましょう。甘いものも食べたくなったから、何か美味しそうな食べ物も探してノノのお土産にしよう。それで帰ろう」
ラメールがリーセを見下ろした。リーセが服屋を探そうと視線を巡らせるが、彼の視線は彼女に注がれたままだった。リーセは誤魔化すようににっこりと微笑む。
「おい、俺の感情はどうでもいいだろう? 服は必要だが、商家はどうするつもりだ?」
「そんな話を聞いて私が行くと思っているの? だいたい、どうして先に教えてくれなかったの?」
「言えばお前はこの交渉を中止し別の相手先を探し始めるだろう? そうなれば彼らを紹介したゲーツァの立場はどうなる? 俺は名前も変えこうして新しい暮らしを手に入れている。結構気に入っているんだ。向こうだって俺の顔を思い出しもしないだろう。だから、俺のことはどうでもいいことなんだ。お前の仕事をやれ」
リーセは再び歩き始めようとするラメールの腕を掴んだ。
「そんなこと、今聞かされても交渉をやめるに決まっているでしょ! どうでも良いことなんかじゃないっ。それは私にとってどうでも良いことなんかじゃないっ!」
リーセの叫び声に、彼女たちを輪で包むように人々が立ち止まり、視線が向けられた。リーセはその反応にひるむことなく彼をにらみつける。
それを見たラメールは少し頬を赤くして咳払いをした。
「目立つのはよくない。回り道になるが、人気の少ない通りから商家に向かおう……」
ラメールがリーセの耳元に唇を寄せ、そして囁いた。
クローゼ商会は大きな商館とは別に、庭付きの邸宅も持っていた。紹介状を持って商館を訪れたリーセたちは邸宅のほうへ案内された。彼女たちが通された小部屋には、立派な衝立が置かれていた。リーセはその陰に入り、法衣に着替える。
屋敷の主との面会を待つ時間、部屋に飾られている調度品や、壁にかけられた絵画などを眺めた。どれも金や銀の装飾が施され、芸術性はわからずとも高額な代物であることがわかる。財があることを見せびらかしているようで、リーセは眉をしかめる。
この屋敷の主はすでに貴族と呼べる生活を送っているように思えた。
ふと、窓の外に見える街の内壁が目に映る。
「この街が、ただの地方の一都市だった頃、あの内壁の内側が街の全体だったらしい。今では貴族のみが暮らすことが許された聖域だ」
「聖域……ね。この屋敷で暮らせるのも十分なお金持ちだと思うのだけど?」
リーセは部屋の装飾で胸やけになった気がして、外の空気を吸うために窓を開こうとしたが開き方が分からなかった。悩んでいると、ラメールが彼女の背後から腕を伸ばして窓を開く。
街で感じていた乾いた風が流れ込む。彼女の頬に残ったラメールの腕の熱を冷まし、そしてカーテンを揺らした。
「たしかにお前の家に比べたら、内側も外側も関係ないな。どの家も貧相なもんだ」
「むぅ。そういうことを言いたいんじゃない!」
子どものように頬を膨らませる芝居がかったリーセの仕草に、ラメールは根負けしたように口元に微笑みを浮かべた。
「わかっている。あの内側で暮らすには血を手に入れるか、王から認められるか、金で買うか。ただ向こうで暮らす者はそもそもからして生き方が違う」
「血?」
問い返すリーセの声が少しだけ低くなる。
「そう。誰から生まれたか、誰の家系に所属しているかが重要になる。こちら側とは全く違う価値観で戦い生きていくことになる」
「……ラメールは」
リーセが言葉を投げかけたそのとき、扉を叩かれる音が響く。
二人は無言のまま見つめ合ったあと、扉へと歩いていった。
リーセたちが通された部屋には、執事らしき男たちが立って控えているほかは、刺繍の施された衣装に身を包んだ男が二人、椅子に腰をおろして待っていた。
二人は法衣に身を包んだリーセの姿を見て驚きの声を上げて腰を浮かしかける。
そんな二人にリーセはにっこりと微笑みを投げかけた。
「ルセロ教会の教主リーセです。本日はリーシの街を代表する使者として参りました」
リーセはぺこりと頭を下げる。
「どういうことだ……。情報では使者は男で、下女を連れているとのことだったが……、んんっ」
手前の男が呟いたあと、慌てて咳払いをした。精悍で日焼けした壮年の男で八の字の髭を生やしている。その男が視線を送る奥の男はでっぷりとした体躯の男で、贅肉に膨らんだ頬で目がほとんど開いていないように思えた。
リーセは微笑みの表情を崩さず二人のやりとりを眺め、小首を傾げる。
「それで、どちらが面会を許可くださったクローゼ様でしょうか?」
その言葉を聞いて、先ほど咳払いをした男が再び咳払いをする。
「私が商人のクローゼ……です」
「では奥の方は?」
「クレフト侯アドリック様です」
「おいっ!」
クローゼの紹介を止めようとしたのか、クローゼが叫んだあと舌打ちをする。そして細い目の奥でリーセを睨みつけた。
その様子を眺めながら、リーセもまた目を細めてラメールに視線を送る。
「クレフト侯アドリック様。たしかクレフト侯と言えば……?」
「リーシの街の平野の東向こう。王国の者はクレフトと呼ぶ」
「私たちの暮らす平野の隣の領土とは。ラメールはよくご存じで?」
リーセは錫杖を握る手に力を込める。
「いや、俺は……もっと北の帝国との境界に近い街の出身だ」
西側を支配しているのが帝国で、東側を支配しているのが王国である。リーシの街は帝国からも王国からも遥か南方に位置する。王国から見ればクレフト地方は遥か南方の地となる。
「なるほど。クレフトのこともアドリック様のこともご存じないと?」
リーセは表情を緩めにこにこと笑いながら、アドリックに視線を戻す。
「これはこれは。人は一番近くにいる人のことを一番知らないとはよく言ったものです。お隣同士、親しくさせて頂きたいですね」
彼女の言葉にアドリックはピクピクと眉を動かした。
「何が親したしくしたいだ! お前たちが山を裂き川の流れをこちらに向けたおかげで、この二年間どれだけ水害の対応に追われたと思っているんだっ。それだけではない。どれだけの領民を奪っていくつもりなのだっ。この邪教の教祖が!」
「それは申し訳ありません。民はリーシの街を選んで移住したのですからお返しできませんが、お詫びして治水の手伝いをさせていただきます」
「水の向きを変えたことが原因だろ! 元に戻せっ」
リーセは首を振る。
「それはできません。もう地形が変わってしまっています。だからお詫びにと言っているのです」
「ふざけやがって……。いや待て、本当に治水を手伝うというのか?」
アドリックの吊り上げられていた目尻が緩められた。
「はい、私たちが街を作る様子を目撃された方がいるかもしれませんが、同じ者たちで同じ方法で」
その言葉にアドリックは息を飲んだ。直接にせよ間接にせよ、リーシの街が魔物たちの手によって作られたと知っていることをリーセは確信する。
「ついでに私共に差し向けた兵を戻す命令をしていただければ……」
「お前は……、いえ、リーセ様はあの魔物どもを呼べるのか」
「はい。お望みでしたら、この街にも。既に何人かが私たちの街に視察に来られているのではありませんか? 私たちの街は魔族と共存する街であることを。それとリーシの街の援助を断り、自領の被害を放置するというのなら、クレフト領の統治をお預かりすることになるかもしれません。水害は私たちに責任があるとアドリック様はおっしゃいました。その通りだと思います」
アドリックは肘をつき片手で頭を抱えるようにして黙り込んだ。
「ところで、立ち続けるのも疲れてきましたので、私にも席を与えていただけないでしょうか」
その言葉に先ほどからぽかんと口を開いていたクローゼが慌てるようにして、アドリックに視線を送った。彼としてはリーシの街と王国の貴族のつなぎ役をするだけで良かったのだ。そして会談をコントロールして双方に恩を売る。そして商売の利権を得る。それがリーシの街のトップが姿を現し、いきなりアドリックと舌戦を開始してしまった。
コントロールする間もなく会談の主導権を失っていた。下手を打てば双方から恨みを買う立場になる。リーシの街との塩の取引は簡単に切り捨てることができない彼の持つ巨大な利権なのだ。
リーセはクローゼをその場の空気であるかのように扱っていたが、視界の端で小刻みに肩を震わす彼を捉え、その心境を読み取っていた。
アドリックが立ち上がる。腹の贅肉が大きく揺れた。
「リーセ様はこちらの席へ。私は末席に移ります」
「ここで結構です」
リーセはアドリックが移ろうとしていた椅子を指でさす。いくら上座であろうと、今まででアドリックが座っていた場所に腰を下ろすのは嫌だった。
アドリックはその言葉をリーセの拒否と受け取ったのか、ハンカチを取り出して額を流れる脂汗をぬぐった。
「わ、わかりました。でしたら私はクローゼの席へ。悪いがしばらくの間席を外してくれ」
「で、ですが……っ」
口答えをしようとしたクローゼをアドリックは睨みつける。クローゼは慌てたように席を立つと、背を丸めるようにして歩き退出した。
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