56.霞む視界の中で
市街には公共広場、ルセロ神を祀る神殿、集会所、劇場、楕円形の競技場、図書館などが次々と建設されていく。
石竜が作り出す無限とも思える石材のおかげで資材不足に悩むこともなく、また、力のある魔物が大量に人足として投入されたため、瞬く間に街の外構や主要な道路、建物が次々と造られていった。
もっとも、不安がないわけではなかった。このような大規模な建築物群を保守、整備していかなければならないのだ。
その規模に見合う住民が集まらなければ、風化し、やがて廃墟となる。
リーセとノノは建てられたばかりの公衆浴場に、その使い心地を試すために訪れていた。
男風呂と女風呂、そして魔族風呂と三つの区画に別れている。男風呂にも女風呂にも魔物は入る。しかし魔物たちの中には性別のつかない者もいた。彼らの為に作られたエリアが魔族風呂である。
プールのような大きな湯船からは白い湯気が立ちのぼり部屋を暖めていた。これだけの湯船を満たす湯を作り出すために魔法石が使われている。その予備として竈も設けられていたが、大量の材木が使われることになるため、よほどのことがない限り使われることはないだろう。魔法石の確保も重要だが、木は魔法では作り出せない。森を守って育てていく仕組みも考える必要があった。
中庭に出てくつろぐこともでき、湯あたりをせずに繰り返し入浴ができるようになっている。
二人はかけ湯をした後に、洗い場へと向かった。
「お風呂に入らないと死罪だと聞きました。不潔な者も死罪。他に女風呂を覗いた男性も死罪。男風呂を覗いた女性も死罪……」
リーセはノノになされるがままに背中をこすられている。
オリーブオイルと木灰から作ったという石鹸を使っている。何かの香料が加えられており、いい匂いはするが泡立ちはよくない。ただ、この石鹸で体を洗ったあとは、ぴかぴかのしっとりとした肌になる。リーセは湯上りの肌の触り心地が好きだった。
「また、烏の魔物たちね。規則を破ったらなんでも死罪にしてしまうんだから……」
人を殺したら死罪。物を盗んだら死罪。喧嘩をしたら死罪。その他暴力行為や恐喝行為も死罪。借りたものを返さなければ死罪。道路にゴミを捨てたら死罪。指定の場所以外で排泄をしたら死罪。
明文化などせずともリーセの意思にそぐわない者を生かしておく必要はないということと、そういった犯罪者を生かして管理するのは面倒であるというのが彼らの主張である。
烏の魔物によって恐ろしいものになろうとしている法律に待ったをかけて、その一つ一つに妥協点を見つけて行く必要があったが、罪と罰とのバランスを考えることは難しいことだった。
なによりも罰を与えることは重要ではなく、法を守って貰うための方法を考えなくてはならなかった。
「リーセ様。目を閉じてください」
ため息をつくリーセの頭に湯がかけられた。そして、髪の毛がわしわしと洗われる。ノノの指先で頭皮が押され、揉まれる。
「ほわああぁ……」
あまりの心地よさに思わず声が漏れた。困りごとや悩みごともまたノノの指先によりほぐされ、溶かされて消えていくような気がした。
そして、全てを洗い流すように再び湯がかけられた。
「ぷはーっ」
「リーセ様は本当にお風呂が好きですね」
ノノはそう微笑むが、最初は彼女に体を洗われるのは好きではなかった。転生してきたからとは言え、今は自分の体である。見られたり触られるのは恥ずかしかった。
しかし、いくら断ってもノノは自分の仕事だと言って譲らず、リーセはついに諦めた。それが悪かったのである。ノノは誰よりもリーセの体のことを知り尽くしていたのだ。心地よいポイントに指をあててマッサージをするようにほぐしてくれる彼女の高度な技術に完全におちてしまったのである。
「じゃあ、ノノの番ね」
リーセは、小さな椅子に腰を下ろし自分の体を洗い始めようとするノノの背後に回った。
「そんな、湯冷めをしてしまいます。先に湯船に浸かっていてくださいっ」
ノノは自分の体を隠すように身体を丸めて縮ませる。白くしなやかな背中だった。
「今日はこの共同浴場の使い心地を試す日だから。私もこの洗い場の使い勝手を試さないと」
「リーセ様に身体を洗って頂くなんて恐れ多すぎです!」
「わかった。ノノがそういうなら、洗い場の使い心地はずっと保留のままね。ノノがいいと言うまでこのお風呂は誰も使えない」
「そんな、私のせいだなんて酷いです……、ううっ」
ノノはそう言って恥ずかしそうに頬を赤らめながら背中をこちらに向けてきた。
「背中だけおねがいします」
「苦しゅうない」
リーセは自分でもわけの分からないことをいいながら、濡らした布に石鹸を塗りたくり、ノノの背中に押し当てる。
「ひゃわっ!」
「ちょ、ちょっとっ、お客さん、変な声を出さないで!」
「すっ、すみません」
柔らかい感触だった。強くこすると傷がつきそうなのでゆっくりと布を動かす。
「ひやっ、ひやあああぁ。リーセ様、くすぐったいです。もう少し強くこすって下さいっ」
「そ、そう?」
ノノの慌てている姿を見るのは新鮮だった。彼女の初心な反応に自分の頬まで赤く染まるのを感じた。今度は強めにこすってみる。ノノが僅かに顔をしかめた。
その反応を伺いながらリーセは徐々に力加減を調整する。
人の身体を洗うことは思った以上に大変だった。
「……リーセ様、きもちいいです」
ノノにそう言われ、頭に血が上って火照ったような感覚になり、自分がおかしくなったように感じる。
リーセは隅々までノノの背中と腕を洗ったあと、彼女の背中に湯をかけた。
「ありがとうございました」
ノノが裸で深々と頭を下げる姿を見て笑ってしまった。
「そんな格好でお礼を言われても」
「むうっ、リーセ様だって裸になって謝っていたじゃないですか!」
「それは言わないで!」
ノノが身体を洗ったあと、二人で湯船に浸かる。お湯は座るノノには丁度良い肩の高さになるが、リーセは鼻の高さまで沈み、少し深かった。湯船の縁にある石に腰をかける。
「それで、ノノは結婚したい人とか好きな人はいるの?」
「えっ、私ですか?」
リーセの問いに、ノノは小首を傾げた。
「リーセ様が決めた人なら誰でも大丈夫だと思います」
「えっ、どうして私が決めるの?」
「縁談は、リーセ様のような立派な人に考えていただいたほうがよくないですか?」
今度はリーセが小首を傾げる。この世界は見合い婚が理想なのだろうか。
「私が立派な人? 自分で考えた方がよくない?」
「でも、そうするとリーセ様にお仕えすることに影響が出てしまうかもしれません。リーセ様がお決めになった人ならそういったことはおこりません」
「私のことなんでどうでもよくない? 自分の未来のことなのに」
「そう言うわけには行きません! 私のことなんかよりリーセ様のことの方が大切です」
ずいっと詰め寄ってくるノノの胸には迫力があった。いつの日か自分も身につけたい。そう思うリーセだった。
「そ、そう……、でも、好きな人ができたり、この人がいいなって思う人がいたらすぐに教えてね?」
リーセが念を押すように言うと、ノノはどう答えるべきなのか迷うように頭を揺らし、少し考える様子で頷く。リーセは不安になる。
「ちなみにノノはどんな人が好みなの?」
リーセはどうしてもノノに恋愛をしてほしかった。
「私ですか? 聡明で、優しくて、可憐で」
「聡明で、優しくて……、んん? 可憐で?」
どうやらノノは特殊な趣味をしているようだ。
「はい、少しやんちゃで、いたずら好きで、小柄で、目はくりくりしていて、髪の毛もピンク色でつやつやで、やわらかくて……」
「それっ、私でしょ!」
「はい、リーセ様のような人が私の理想ですっ」
「……」
目を細め頬に手をあてるノノの姿を見て、リーセは身の危険を感じ、そっと距離を取った。いつでも逃げられるように少し腰を浮かせておく。
「リーセ様はどのような方が好きなのですか?」
「私?」
突然話をふられて、今度はリーセが固まった。
まず、リーセのことを婚約者だと言った魔王の顔が浮かんだ。しかし、全くそういった感情はまったく湧いてこなかった。そもそも、リーセの父であり祖父なのだからなおさらだ。とんでもない話だった。
次に誰かの顔を浮かべようとして、リーセは思わず首を振る。
「やめよう、この話題は。せっかく、お風呂に浸かっているんだから今はお湯の感触を味わわなくちゃ」
「そうですね。こんな広いお風呂をリーセ様と二人で占有できるなんて幸せです」
二人は軽く身体をほぐすように背伸びをしたあと、ゆったりと湯船に身をあずけた。
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