54.魔法を覚えよう
平野部を流れていた一本の川は曲がりくねり、支流を集めたり分裂を繰り返したりをしているが、大きくは東西を分裂するように流れている。
「ここにため池を作るのだな?」
烏の魔物の言葉にリーセは頷く。
「一本の川を東側に向けたから、東側の平野部に貯水池をたくさん作りたい」
「池を作り水量を確保するのなら、川の流れを変えて水量を減らす必要などなかったのではないか?」
「自分たちで調整できる水が欲しいの」
「贅沢ばかり言う奴め」
川の東側を水耕栽培ができる農地にする。
魔王の奴隷となっている者たちの中に南の方から連れて来られたという集団がいた。
彼らの見立てによると湾の中に暖かい潮が流れ込んできており、耕作が可能ではないかということであり試してみることにした。
そのためのため池であった。
「しかし、どうして水耕栽培なのだ?」
隣でラメールが整地された広場を眺めながら呟く。
「稲は小麦に比べて作付面積辺りの収穫量が多いの」
「収穫量が取れるなら全体でも構わないだろう?」
「根付かなかった時に取り返しがつかなくなる。平野では小麦の栽培も行われているみたいだから、完全に変えるべきではないと思う。いまの食文化をなくしてしまわないようにしたい」
「どうして、東側なんだ?」
「もっと水が必要になったとき、東側へ瀬替えをした川の水を引き込むことができるし、それに……」
リーセは東側の山脈を見た。
「それに?」
「山の向こうには平野部があって、王国の領土なんでしょ? 水耕栽培の耕作地は水を引き込んでぬかるみになっているから、万が一攻め込まれた時に進軍の速度を落とすことができる」
西側の山脈の向こう側は魔王の領土だ。今のところは攻め込まれる心配もない。戦いになった場合には勝ち目などないので守備はあきらめる。そして北は帝国の領土となるが、こちらは山深く侵攻を受ける可能性は低い。残るは海側だ。元の街は漁師の街で湾外に船を出すことはなく、また海からの侵攻を受けたことはないという話ではあったが、ゆくゆくは海洋貿易も考えていきたい。そうなると大型船が数隻欲しい所だった。南の方から連れて来られた奴隷たちには、造船の知識もあった。ということは、船団を率いて攻め込まれる可能性も考えなければならなかった。
「そんなことまで考えていたのか……」
ラメールはあきれたようにため息をつくと、お手上げをするように手を上げた。
「そこでラメールにお願いがあるんだけど……」
「なんだ? 言ってみろ」
「この街の総司令官になってもらいたいんだけど」
「何だって! 俺はただの一兵卒だぞ?」
「戦いをするつもりはない。街の作りと一緒。ただ、攻め込めるものなら攻め込んでみろという気概を対外的に見せたい。その意識づくりのために皆兵制にしたい。だから、ふんぞり返って腕組みをしていてくれればいいの。ちょこっと指示を出すだけ」
「そういった建前が、指針に変わることなどよくあることだ」
「そこをラメールにうまくやってもらいたい」
「常人には無理なんだよ! だいたい、蜥蜴王エクセシュがいるだろ。軍事はあいつに任せておけばよくないか?」
「人間と魔族の戦いの構図はつくりたくない。街の中ではもちろん共存できる仕組みをつくるけれど、対外的には人間の問題は人間で、魔物の問題は魔物で対処する体制にしておきたい」
ラメールは腕組みをして顔に深い皺を刻む。
この街づくりはすでにリーセの出来る領分を大きく超えたものになっていた。既存の街に小さな修正を加えることくらいにしか考えていなかったのだ。
持てる知識をひけらかしたところで、それは生兵法にすぎないことは分かっていた。今は魔物たちが超常的な力で街作りという範囲を大きく超えた平野部の開拓を進めている。
リーセの絵空事を魔王の奴隷となっている者たちが実現化への落とし込みをしてくれている。ただ、それがこの土地に根付くものなのか誰にも分からないのだ。そして、魔王の奴隷たちも街と平野を開拓する竜たちもやがては魔王のもとへと引き上げてしまう。
そうなったときに、頼れるのはラメールしかいなかった。彼がフールハーベントの街に戻ると言い出してもリーセにはそれをとめる方法を持っていなかった。
なんとしても彼を繋ぎ止めておきたいと言う思いは空回りをしている。
「いいか?」
烏の魔物が割り込むように声をかけてきた。リーセは頷く。
「こちらがお前の魔法の教師となる魔界の大魔導士ウンエンドリヒ・カイザー殿だ」
紹介されたウンエンドリヒは、瘠せた体つきではあったがツヴィーリヒトを思わせるような長身だった。体を覆いつくす灰色のローブを着ていた。頭にも深いフードを被りその顔を見ることができない。フードから細長い腕が伸び、長い杖を持っていた。それが唯一のウンエンドリヒが見せる肌だった。マニキュアを塗ったような黒く長く伸びた爪、黄金の指輪などに彩られてはいるが、その細く深い皺が刻まれた指は老人を思わせた。
その者が握る杖はリーセの錫杖と同じく大きな水晶が乗っかっていたが、青黒くその奥には星屑のような小さな灯りがちらちらと光を放っている。そして杖の部分は捩じられた木のような材質で作られていた。
烏の魔物に竜やリザードマンといった魔物ではないだけでリーセは何故か安心感を覚える。
「ルセロ教会の教主リーセです。よろしくお願いします」
リーセがぺこりと頭を下げると、ウンエンドリヒのフードが軽く揺れた。その時に腐臭のようななんとも言えない臭いがリーセの鼻をついた。
「皇帝様ということですが、魔王様の配下の方なのですよね?」
「その認識で問題ない」
「魔界とは何処にあるのでしょうか?」
「この世界と異なる世界と言うわけではない。|死の果ての迷宮《デア・パラスト・アム・エンデ・デス・トーデス》を訪れていただろう。かの場所こそが魔界である」
指先から連想させるのと同じくしわがれた男の声だった。この者ならやさしく魔法の知識を与えてくれそうだ。丁寧に答えてくれるウンエンドリヒにリーセは安心感を覚える。ただ、先ほどから漂っている腐臭が少し気になった。ウンエンドリヒは風呂や湯浴みが嫌いなのだろうか。
「今日はため池づくりの視察だと思っていたのですが、ここで魔法を教えて頂けるのでしょうか」
ウンエンドリヒのフードが微かに揺れた。
「魔法で池を作る。まずは見本を見せる。そのあとはリーセ、お前の番だ」
「え? いきなり実践訓練なのですかっ。私でもウンエンドリヒ様の真似ができるのでしょうか?」
「様をつける必要はない。ウンエンドリヒでよい。お前の中には魔王様に匹敵する魔法が眠っている。私がその能力を引き出してやる」
「はあ、私の中にそんな魔力が?」
そのようなことを聞かされても全くそうは思えなかった。
リーセは自分の手を広げ握って見た。どう見てもただの少女の小さな手だ。烏の魔物が小娘と呼ぶのもわかる。きっと小生意気なことをいう少女だと思われているのだろう。
この体の中に魔王のような魔力が眠っているとは思えなかった。確かに彼の血を引いている。しかし、それがどのようにこの身体に影響をしているというのか。
よく考えれば魔王はリーセと同じ人の姿をしていた。ツヴィーリヒトも同じだ。ウンエンドリヒもフードで体を隠しているものの、人の容貌をしている。体つきと魔力の大きさは関係がないのかもしれない。
「そもそも、魔力や魔法とは何なのですか?」
「リーセ、お前は何故呼吸をするのか考えたことがあるのか?」
「はい。人間、多分この世界の動物もほとんどが同じだと思うのですが、食べ物をエネルギーに変換して活力を得ています。そのエネルギーへの変換の為に空気中にある酸素が必要なのです。酸素の供給が止まるとエネルギーが作れなくなります。特に知性を司る脳はその供給に敏感です。数十秒の供給が停止しただけで意識を保つことができなくなります。呼吸は空気を吸ってその酸素を取り込んでいるのです」
「……小賢しい娘だ。烏の魔物たちが言っていたのかこのことか」
ウンエンドリヒが烏の魔物を見た。彼らはしきりに黒い嘴を動かし頷いている。リーセは今の質問に『わからない』と答えるべきだったことに気がついたが、どうすることもできなかった。
「暗黒物質と呼ばれるものがこの世界には存在する。暗黒物質は空気と同じで見ることも感じることもできないが全ての空間を満たすように存在している。ホモ・ルミナスにはその物質を取り込み魔力として体内に蓄積することができるのだ。魔力には思念を与えることによって様々な物質的な力を生み出すことができる」
リーセがぽかんと口をあける。
「それは……よくわかりません」
「口答えをするな! 小娘の空気の説明の方がよくわからん!」
すかさず、烏の魔物に突っ込みを受けた。ウンエンドリヒが烏の魔物たちに顔を向けると、彼らは嘴を閉ざし一歩下がって起立の姿勢を取った。
「私には魔力があるというのがよくわからないのです。だから、思念を与えるというのもよくわからないのです」
「なるほど。やはり、一度やってみた方がいいな」
ウンエンドリヒは貯水池を作る予定の場所に向き直った。
「魔力石を見たことがあるな?」
「はい。魔物の体内にあった魔力が結晶化したものだと聞きました」
「魔力を魔法に変える思念の力を生み出すには幾つかの方法がある。文字通りの思考であり、言葉であり、旋律であり、絵画であり文字であり……」
ウンエンドリヒが杖を高く構えた。
「無の中より生まれ宙にたゆたう塊よ、幾星霜の刻を超え、大気を切り裂きその身に熱を抱き輝きを示せ」
リーセが広場に視線をそそぐ。
「……? 何も起きないみたい」
広場に生える雑草が風を受けて心地よさそうに揺れている。
「リーセそっちじゃない。上だ!」
ラメールが空を見上げて指を差した。
リーセも吊られるようにして見上げると、遥か上空に小さな光の玉が見えた。それは、瞬く間に巨大化して長い光の尾を引く流星となった。
「メテオストライク」
ウンエンドリヒの言葉とともにその流星はリーセたちの眼前に落ちた。凄まじい破壊音と共に砂塵が舞い上がり暴風が吹き荒れた。
リーセはそのあおりをまともに受けて後方に吹き飛んで、ごろごろと地面を転がり続けた。衝撃波を受けたのは彼女だけではなかった。ラメールもノノも烏の魔物たちも吹き飛ばされていった。
そしてそこに残ったのは巨大なクレーターと平然と立つウンエンドリヒだった。リーセはよろよろと立ち上がって彼の姿を見る。
爆風を受け、フードがずり落ちて彼の頭がみえた。
薄汚れた包帯のような布で荒くぐるぐる巻きにされている。そしてその隙間から目が見えた。瞼やそれを覆う肌はなかった。ただ眼球が置かれていた。その眼球を突き破るように無数の赤黒い蛆が這い出してきて彼の足元にぽたりと落ちる。蛆はその場所からだけではなく、包帯の隙間から這い出してはぽとぽとと地面に落ちる。
地に落ちた蛆はくねくねといつまでも動き続けた。
数々の魔物を見てきたリーセではあったが、最も恐ろしく、最もおぞましい光景だった。リーセの全身が恐怖で粟立った。
「ひょっ、ひょええええええっっっっっっ! お助けをっっっ」
リーセは一目散に走って逃げ出した。
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